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2012.01.19 阪神大震災記念日<その1>

一昨日の1月17日は、阪神大震災の記念日でした。
あれから17年経ちました。
私は、住んでいた神戸の家が全壊しましたので、寝屋川市に避難しながら当時勤めて
いた大阪の職場に通勤し、休みの日は支援者と共に大阪から神戸の家の復興へ通う
日々を続けて、1年半後に自宅を再建しました。
全壊とは言え、我が家は幸い梁のゆがみが無かったので(近所の家々はすべて全く
の全壊で、借りに家の形が残っていたとしても、梁が歪んでいて危険で、使いもの
にならない状態で梁が歪まず残ったのは家は我が家だけでした)、壊れた壁を塗り、
全面的な修復を行い、屋根を載せて家を修理しました。

しかし、本当に幸運だった反面、一気にブルドーザーで壊して撤去して貰う場合と
違って、瓦礫の撤去から何からすべて自力で行う必要があった為、会社勤務をしな
がらのその過酷な再建の日々は言葉にするのは難しく、まさに筆舌に尽くし難いと
言うのはこの時の状況のことであったと思います。

震災とは無縁の地に一人避難し、震災の実感のない大阪の地で神戸人はたった一人
という状況で働きながら休日には遠く神戸迄復興に通う日々、不安で眠れない日々、
真夜中に自分が息をしていなかったことを知った瞬間孤独死は明日は我が身だと悟り
ました。
強烈な胃の痛みで眠れず、胃カメラを飲んだ私に(胃の中に鮮血があると言われた)、
あんたが何で胃カメラを飲むの?とどっと笑われても、絶句するしかなく「私が神戸人
で家が全壊したことを本当にご存じですよね?」と問うことも出来なかった自分。
問う努力が足りなかったのか?
黙っていることでようやく自分を支えられた日々だったのでしょう。

大震災記念日を迎え、あの余りにも乖離する人の心に絶句した日々の連続を思い出し、
胸が苦しくなりました。
復興を遂げ幸せに過ごさせて頂いている今を深く感謝しその感謝を述べたいと思って
これを書き始めた私でしたのに、ここ迄書いて逆にその時のことを思い出してしまい、
号泣したい衝動で、眠れなくなりました。
東日本大震災は、あまりにも悲惨で、その状況がつぶさに放映され全国的に知られて
いますが、被災した人達は被災した人でないと分からない苦しみを抱えてじっと生き
ておられることと思います。
                          <その2>へ続く

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