友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

せっかく良いことをしたのに

2018年06月13日 17時34分38秒 | Weblog

  街路樹の枝は揺れていないのに、我が家のルーフバルコニーには相変わらず強い風が吹きまくっている。空は秋のように青く澄み、雲は遥か遠くの山にしかない。15日にやって来る4歳の孫娘に、「きれい」と言ってもらいたくて鉢植えの花たちを育ててきたが、2日間も続く強風のためにせっかくの花が痛んでしまった。

 うまくいかないことからなのか、ふと、新美南吉の『ごんきつね』を思い出した。私が小学生の頃の教科書には無かったが、今では定番となっている作品だ。小学4年の国語で学習するという。新美南吉は知多半島の出身で、安城の女学校の教師だったので、私の母と共通するところがあり、「ごんきつね」の住処の描写は母の実家の風景と似ている。

 きつねの「ごん」はまだ子どもで、親は亡くなったのか1匹で暮らしている。たまたま、母と子で暮らしている「兵十」が、川でウナギを捕らえているのを見た「ごん」は、そのウナギを横取りしてしまう。いたずらのつもりだったのに、「兵十」の母親の葬儀を見て、「兵十」は病気の母親に食べさせたかったのだと知る。

 自分と同じようにひとりぼっちになった「兵十」を慰めようと、魚売りのイワシを盗んで「兵十」の家に投げ込むが、「兵十」は魚売りに「盗人」と言われて殴られてしまう。そこで「ごん」は栗やマツタケをせっせと「兵十」の家に届ける。ところが家に入った「ごん」を見つけた「兵十」は、またきつねが悪さをしに来たと思い、鉄砲で撃ち殺してしまうが、そこに栗やマツタケがあったので、持って来ていたのが「ごん」と気付く。そんなストーリーだったと思う。

 せっかく良いことをしたのに、いつも裏目に出てしまう。そんなことはよくある。結果はどうであれ、相手のために行ったのならそれでいい。私は、「ごん」も「兵十」もひとりばっちという点がポイントのような気がする。自分を受け入れてくれる相手があれば、きっと生き抜いていけるだろう。恩返しというより孤独がテーマだったのではと思ってしまう。


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