凡々たる、煩々たる・・・

タイトル、変えました。凡庸な人間の煩悩を綴っただけのブログだと、ふと気付いたので、、、。

相手の何を引き出すか、ということをさらに考えると

2013-03-22 21:46:45 | 人間関係
 パートナーや親しい人について、ふと思うことがあった。

 夫や親しい友人が、私を大事にしなかった出来事を思い出してきた。人は、相手がそこにいることに慣れてしまうと、存在が当たり前になり、感情の赴くままに邪険にしてもよい相手になるのだろうか。私は、あまり大事にされた記憶がないことに気づいた。
 私が相手から、そういう態度を引き出すのだろうか。

 昔、仲の良かった友人が小さな二人の子ども連れで、リクレーションに参加した時、友人は子どもに手を取られているので、私はその子どものミッキーマウスだったかのリュックを背負って、走らざるを得ない状況があった。私が子どものリュックを背負って走っていると、その友人が急に笑い出した。「あなたみたいに偉い人に、こんなことさせて、ごめんねぇ」と。私がその時ほんとうに「偉い人」だったかどうかは別として、大手の出版社の刊行物に名前が載る仕事をしていたのは確かであるし、講演もこなしていたから、その友人の尺度からは「偉い人」だったのかもしれない。
 が、その友人がいつの間にか、私に対して、ひどく邪険な態度をとるようになった。それほど親しくない人に対しては、気を遣って優しいのに、私にはその優しさは来ない。だいぶん前に、距離を置こうとしたが、その友人は私を拒否しているのではなく、「親しいから」だと説明する。邪険にしているのではなく、それだけ「親しい」と感じているのだ、と。

 私には理解できない理屈だ。大事な人は、大事にする。それしかないと思うのだが、、、。

 親しい人を大事にしない、という理屈がわからない。

 ただわかるのは、その人といると、私は幸せを感じない、ということだ。一度、それで距離を置いたのだが、ひょんなことでまた距離が縮まった。距離が縮まると、邪険に扱われるなら、やはり距離を置くしかない。

 その人は私が自分と合わない部分をなじる、批判する、ということが多発する。それは、まるで、彼女の母親が彼女に対してするのと同じようなのだ。だから、彼女は母親が嫌いだ。だから、同じようなことをすれば、私から嫌われるのは明白なのに、なぜ、自分は異なると思うのだろう。

 私がそういう部分を引き出すのではなく、親しくなると、配慮しなくなる人が多い、ということなのだろうか。親しくなれば、気に障ることに遭遇する機会が増えるのは事実だ。そこにどう向き合うか、が正念場、という気がする。
 私は、母でも娘でも、そういう場面に遭遇すると、とがめたり指摘をしないで距離をとる。娘の場合は、直してほしいところについて指摘をするときは、とても気を遣う。怒らせないように最大限の注意を払う。勿論、娘の行く末が心配なときは苦言を呈するが、それはどこまでも娘のため。自分の感情のはけ口ではない。だから、一度だけ苦言を呈する、と覚悟をして言ったことがある。そして、娘から猛烈な反発がきたことがある。娘は、人として言うべきではないことまで、感情に駆られて投げてきた。私は激しいダメージを受けた。しかし、それでも、娘に一度は言うべき事を言う必要があった。感情のコントロールが出来ない未熟な人の報復だった。度を越していた。が、耐えた。娘の人生に必要な苦言だったからだ。

 が、件の友人は感情の処理に、私を使う。それほど、親しくなってしまったらしい。しかし、親しくなることは、態度が雑になることではない。「親しき仲にも礼儀あり」ということを彼女は理解しない。
 「あなたには何でも受け容れて欲しい」と言うが、彼女は私のことは受け容れない。自分だけが受け容れて欲しいのだ。
 なぜ、このような一方通行が可能だと思うのだろう。それも、親しいから?

 思えば、DV男たちは、皆、このような甘えた考えにとらわれているように思う。相手は自分を受け容れるべきで、相手がどう考えるかは気にかけない。この不均衡がどれほど不幸な関係を生んできただろうか。

 相手に対する権利意識が強まると、自分の道理だけが通ると考えるようだ。そして、そう相手に思わせる私にも、問題があるのだろうか。相手を甘やかしてしまったのか。何でも受け容れてもらえる、と思いこませるような習慣をつけてしまったのか。

 私は基本的に鷹揚なたちなので、(それは件の友人も認めている)、あまりいらいらすることはない。他人の言動に、いらつかない。そこに無意識に人はつけいるのかもしれない。つけいるつもりはないが、つけいってしまう。そしてどんどん遠慮がなくなっていき、完全にたががはずれた頃に、私から苦情を言われる。が、その苦情が出る頃には、もう関係性が出来上がっているので、相手は不当なことを言われたような気がするのかもしれない。
 とにかく、今となっては手がつけられない。親しい友人はもう持たないに限る。

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