凡々たる、煩々たる・・・

タイトル、変えました。凡庸な人間の煩悩を綴っただけのブログだと、ふと気付いたので、、、。

遺された猫と私と、、、

2009-12-29 11:50:10 | 人生
 12歳の猫が遺された。女の子だ。当時、宮津に住んでいた友人のところから、生まれた子猫を貰い受けて、連れて帰ってきた。

 すでに2歳になっていた雄猫に仲間を、と思ったのだが、雄猫の方は、目も見えないほど幼いときに拾われた子なので、この小さな雌猫を見て、(たぶん、初めて猫を見たのだろう)、「うぅ~」とうなっていたのを思い出す。2歳の猫と、生後2ヶ月ほどの猫では、大きさがまるで違う。が、雌猫は、母猫やきょうだい猫と一緒に暮らしていたので、雄猫にはすぐに慣れた。が、雄猫の方が、見たことのない奇妙な生き物に戸惑っている様子だった。

 私は、宮津から帰宅するとすぐに、大きい方の猫に餌を入れてやり、ちび猫のために離乳食を作り始めた。そして、離乳食を与えようと、猫を振り返ると、雄猫が、困惑した表情で私を見上げ、その横で、チビ猫が雄猫のために入れた餌を必死で食べていた。その愉快な光景を、昨日のことのように覚えている。

 猫と暮らすと、猫の行動の意味を解釈したくなる。まるで違うコードで動いているだろう彼らに、こちらのコードをあてはめようとしてしまう。彼らはたぶん、生命維持のために、とてもシンプルな行動原理で生きているのだろう。おそらく、私の家にいることも、彼らには深い意味はない。そこを安楽を得られる場所として、受け容れただけだろう。私の膝の上は、母猫の腹のように、基本的欲求を満たす場所として、志向されただけだろう。そこに意味を読もうとする私たちの感傷は、彼らとは無関係だ。
 昇天した猫にも、私の方の片思いであると思い定めると、逝かれた苦悩は薄くなる。

 遺された雌猫は、人間よりも猫の方を慕ってきた子なので、コードの違いに気づきやすい。

 それでも、不思議なものだ。猫は、確実にこちらの目を見る。一生懸命、目を見て訴えてくる。なぜ、猫は、人間の目を見るのか。いつどこで、こちらの「目」に訴えることを学ぶのか。幼い頃は、目は見ない。まるでマイペースだ。が、やがて、目を見て、メッセージを伝えてくるようになる。まるで、猫の目と人間の目のアナロジーをわかっているかのようだ。
 友人の一人は、「目が動くから、動くものを見るのだ」と解説していたが、、。

 

生きる希望

2009-12-28 21:43:14 | 人生
 心折れそうな日が続く。大事な存在を失っていく悲しみが押し寄せる。辛いことが続くと、もう、何もかもどうでもよいような気分になる。希望が減る。希望と欲望とは、どう違うのだろう。希望していることは、欲望していることなのか。かなえられる可能性がないとすれば、希望は取り下げるしかなくなる。希望を取り下げると、どこを向いて生きていけばよいのかわからなくなる。私は、どうも、いつも何かを目指して生きていたようだ。今、それが取り下げ時期にきているのを感じる。得られないらしい。かなえられないらしい。失うばかりかもしれない。もう、これからは、、、。

 まだ、仕事が少し、ある。これを全うしようとは思っている。今は、それが生きる目的だ。思えば、ずっと仕事のために生きてきた。いつまでに、やらなければならない仕事、、、というものをかかえ、それを終えるまでは、何があっても倒れるわけにはいかない、と、生きていた。ずっと、仕事だけは裏切らない、と思い続け、そこだけは真面目に、きまじめに、取り組んできた。とにかく、無事に役割を果たしおおすのだと。

 3年前に仕事で大変な目にあってから、崩れ始めた。生き馬の目を抜くような現場で、真面目に責任感強く取り組むだけではだめなのだと思い知らされた。陰謀や策略もまた、仕事にはついてくるのだと、思い知らされた。もちろん、その仕掛けの中に入り込んでうまくやることはなかった。そのような、陰謀や策略を憎んで、私はそこを去った。今後も、私はそのような仕掛けの内部に入ることはないだろう。それは、私の肌には合わない。そのようなことに長けている人がいるのはわかった。そのような仕掛けの中で、うまく泳ごうとする人たちの必死さも見えた。その人達を、断罪しようとは思わない。生きることに必死の、その自らの必死さを省みることは決してしないほど、必死の人たちだ。私はただ、その必死さに同調しなかっただけだ。同調しないで済む、何かを持っていたのかもしれない。あの人たちが持たざる人たちで、私は持てる者だったのかもしれない。

 とにかく、この仕掛けから、身を去らせることができた、だけだろう。もちろん、その仕掛けの中を泳ぐほどの力がなかった、とも言えるかもしれない。とにかく、人を裏切ったりせず、罠にかけることもなく、平たく生きるしかない。どんな陰謀も、私を滅ぼすことはできないほど、平たく、真っ正直に、そのまんまで、生きるしかあるまい。
 それでも、生きる希望は、減ったなぁ。 

猫のこと

2009-12-25 13:45:43 | 
 逝ってしまった子のことを考える。ずっと、予定が立て込んでいて、用事をこなしながら暮らしていたので、平常通りに行動している。が、本当はパニックを起こしたいのだ。のたうちまわりたいのだ。
 しかし、平静だ。なぜなら、「猫」だから。

 多くの友人が、ペットを失う悲しさを共感してくれる。それは本当に有り難い。家族も、共感的だ。私は、本当に恵まれていると思う。
 それでも、まさか、仕事を休むわけにはいかないだろう。仕事に穴は空けられない。普通の顔をして、仕事をする。

 以前、友人が、私の職場の近くで、講座の講師に呼ばれたので、受講者の一人として聞きに行った。いつも通りに友人は講義をし、いつものように質問を受け、終わって一緒に電車で帰る中で、自分の飼っている猫が今朝、亡くなっていた、という話をした。私は、自分も猫を飼っているのに、何かそれを人ごとのように聞いた。辛かっただろう、とは思ったが、彼女の胸の内の深い部分に届くような受け答えはしなかったと思う。
 今回、私は、前日まで授業があった。その前日は、講座だった。もし、当日にあの子が死んでしまったら、、、と思うと、怖かった。私は、それでも授業に行くだろう。講座をするだろう。胸がえぐられるような思いだった。

 思えば6年前、彼が亡くなった日、私は講演に行った。朝、主治医から電話がかかってきた。「もう、危ない」と。私は、「えーっ」「講演の穴は空けられない」と、私はパニックだった。嘘だろう? そんな馬鹿な! 何が、そんなにパニックだったのだろう。私は、彼が死ぬとは、心のどこかで信じてはいなかった。医師から何度言われても、絶対彼は生き延びて、医師が「奇跡だ」と言うのだと、思いこんでいた。だから、なのか。私は、「そんな馬鹿なことは言わないでくれ!」というような勢いで迫っていたのかもしれない。若い主治医は、「すぐに、どうこう、というようなことはないです。お仕事に行って下さって、大丈夫です」と、言った。「そうよね、当然、そうでしょう」と、私は、講演に出かけた。講演が終わって、病院に駆けつけたとき、彼はもう、虫の息だった。「なぜ、こんなことになっているのか?」と、私は付き添っていた息子や友人に、詰問するように訪ねた。「いつから? いつから、こんなふうに?」と。息子も友人も、悲しげに目を伏せるだけだった。

 起こっては困ることを、否認するのだろう。医師にすれば、何度も告知したのに、この人は聞いていなかったのか、と、呆れたかもしれない。が、私は受け容れなかったのだ。決して、受け容れなかったのだ。

 猫も、何度も、複数の医師から、言われていた。セカンド・オピニオンを求めた医師は、猫は食事をとらなくなってから一週間です、と明言した。私は、意地になって、ミルクを与えた。が、猫は、少ししか摂取しなかった。栄養さえ与えれば、生命はつなげるのではないか、と言ったが、その手段がほとんどないに等しいと言われた。
 猫のための薬や点滴や検査機械は、まだまだ未整備らしいと知った。小動物専用の器具も薬もないので、人間ならもう少し手段がある場合でも、猫は困難だということだ。特に、人間は自覚症状があるが、猫の場合、治療は飼い主が変だと気づいた時に始まるから、相当進行していると考えられる。ペット医療に向けて、今後はビジネス化が始まるのかもしれないが、延命することがよいのかどうかも、わからない。

 亡くなる直前に、ソファの後ろに隠れた。抱こうとする私をふりきって、入って行った。息を引き取るとき、孤独を選んだかに見える行動に、私も居合わせた息子も友人も、茫然となすすべがなかった。猫が動きをやめたときに、初めて、ソファの後ろから抱いて連れ出した。何がその子にとって良いのか、最期までわからなかった。最後まで、無策で無為の、愚かな飼い主だった。



 

猫のこと

2009-12-23 21:57:56 | 
14年間、一緒に暮らした猫が死んだ。
わけがわからない。
なぜ、あの子がここにいないのか。
なぜ、あの子がこの世に存在しないのか。

わけがわからない。
なぜ、こんなことが起こるのか。

嘗て、自分が癌だとわかったときは、自分の死について考えた。自分の死という実体は、自分には無関係だと思った。生とは、未来に向かう意志だと思った。私にとって、私の生とは、未来を指向する意志でしかない。だから、死は、それを失うことだと思った。

が、愛する者の死は、もっと様々な感情を呼び起こす。それは、私の外部で起こり、私はそのことを客観的な事実として、受け止める立場にある。私は、「実体」を目撃する。猫がどれくらい、意識的に生きたのかは、想像の域を出ない。快・不快の原則に則った行動原理で生きていたのだろうと、私は想像している。しかし、それでも、猫に仮託した思いは、それほど、淡泊ではなかった。私の情動を乗せて、いつも猫の姿を目に入れていたようだ。そして、猫は、その私に、変わらぬ受動性で、応えていた。
 小さくて、無心で、無抵抗で、とても優しい存在としてあった。何も言わずに、そっと寄り添ってくる存在だった。どれほど、その存在に慰められただろう。どれほど、生活を優しく彩ってくれただろう。
 なのに、病気の猫に対して、私は無力だった。ごめんよ、ごめんよ、何もできなかったね、ごめんよ、と、亡骸に泣きつくだけ。無力だった私を責めるでもなく、ただ、そういう事実であることを、そのまま示して、猫は生きるのをやめた。ただ、そういう事実があるのだ、と、あらゆる解釈を無意味にして、あの子はさっさと逝ってしまった。



コミュニケーション・ツール

2009-12-03 11:49:43 | 人生
世の中は、誤解で成り立っている、と思うことがある。私がこれまで経験してきたことを思い返して、つくづくそう思う瞬間がある。おそらく、人から人へ「正しく」伝わる、なんていうことは幻想なのだろう。誰も、自分の思って欲しいように自分のことを理解してくれるわけはないし、一方、自分自身も他人を正しく理解などしていない。私が私のフィルターで、人を理解し、解釈し、私の言葉でその人を描写したりするだけだ。

 その中で、高い評価を受けたり、与えたりすることは、高い評価自体が肯定的な意味合いがあるので、特に「誤解」というようには呼ばないが、実は、高評価も誤解の一つだ。良い方向に誤解しただけのことだ。「当たらずとも遠からず」という言い方がある。多くの他者理解は、この「当たらずとも遠からず」あたりにある。それは、すでに若干の「誤解」を含んだ解釈だ。しかし、私たちは、その程度の誤解は「誤解」とは呼ばない。自分について他人が語ることがあると、「う~ん、ちょっと、違うけど、まっ、いいか」というように了解することになる。私などは、その連続だ。褒めて頂くと、「いや、それほどでもないのだけど、、、」と山ほど言い訳したくなり、面はゆさをかかえるが、でも「誤解です」と訂正はしない。やはり、悪い気はしない、というところだ。一方、褒め言葉でもけなし言葉でもなく、単に間違っている場合、それが若干の間違いであれば、放置している。いちいち、細部にこだわって訂正するのも、細かすぎるようで相手にも悪いし、第一、おっくうだし、結局、ほうっておく。が、そうして流通する「ちょっと、間違った解釈」は、流れ流れ、様々な人の解釈を経て、とんでもない「間違い」に行き着くこともある。とんでもない見当はずれの解釈が行われると、私たちはそれを「誤解」と呼ぶ。個人の持つ「フィルター」によっては、とんでもない「誤解」が発生する。

 私が、歴史解釈を信用しないのはそのせいだ。どういう歴史解釈を聞いても、「それは、一つの解釈ね」と、白けてしまう。だって、たった今、自分の身に起こっていることでさえ正しく伝わらない、この私自身が私自身について伝えようとしていることさえ、ちゃんと伝わらないのだから、歴史的事件の真相など、闇の中の謎というしかない。

 では、人と人とのコミュニケーションは、何で成り立つのか。実は、人それぞれのフィルターそのものがコミュニケーション・ツールというべきものなのだと思う。その人がどのようなフィルターをかけて解釈するのか、にかかってくる。
 自分のフィルター(あるいは、色眼鏡とでも言おうか)こそが、自分の解釈ツールであり、コミュニケーション・ツールであると思い定めると、このツールを磨く、広い視野を採用できるツールに鍛え上げる、ということに力を注ぐ、という方向性が見えてくる。この見定めがないと、案外、自分は(自分だけは)、正しく、中立的にものを見ている、という錯覚に陥ったままかもしれない。