今日の食事会は、初めての人も多かった。
で、ブランド大学の出身者ばかり。
60歳にもなって、昨日のことのように大学時代の話をする。
考えてみれば、そういう人は多い。
三流大学を出て、昨日のことのように大学時代の話をする人はいない。
どちらかといえば、忘れたいことだから。
できれば、大学のことには触れたくない。
私もそうだ。
大学受験の頃まで、自分が大学に進学できるとは思っていなかった。
父親が、「お前を大学に行かせる金はない」と言っていたし、
中学生の頃から、大学なんか行くことはない、と言っていたし、
近所に、大学に通う女性なんかいなかったし、
しかし、学校に行けば成績は良いし、、、
どうしてよいか、将来像が結べなかった。
父は、高校を卒業すれば銀行に勤めて、見合い結婚させる、と確定事項のように語っていた。
私の心はうろうろしていた。
父の語る将来像は全く受け入れたくなかった。
しかし、それをはねかえすだけの馬力も、想像力も、自信もなかった。
親の言うことに背くだけの力はなかった。
親に背いて生きていけるとは思えなかった。
しかし、父の言う将来像は、私に何の喜びも与えなかった。
が、当時の親たちは、娘の将来に「喜び」など邪魔だと思っていた。
娘が喜ぶことなど、あってはならない。
忍耐して、苦労を堪え忍んで、良い子を産むこと、それが娘の務めだと思っていた。
子どもを幸福にしたい、などとは考えていなかった。
私が離人症のような状態になって、
母は、娘がおかしくなったのかとおろおろし、
父は、おかしくなるくらいなら、大学くらい、どこでも行け、と言い出した。
高校3年の最後の方である。
さんざん、自信をくだかれ、メンタルをやられてからの「許可」である。
私はとにかく、地元の国立大学に入った。
二流だが、進学率の低い、当時の私が住んでいた地域では、賢い子が行く大学なのだった。
しかし、私はそこに行く気はしなかった。
ちゃんと将来に向き合いたかった。
が、父の言うような生き方があまりにも無理そうだったので、モラトリアムで大学に入ったのだ。
もっと優秀と言われる大学に行けそうだったのに、全然、勉強などしていなかったし、
きっと、ブランド大学に行けたはずなのに。
絶対、行けたはずなのに。
そういう悔しさを抱えている。
無念で仕方がない。
娘の将来を、自分の古臭いイメージだけで判断し、振り回されて、人生を壊された私。
いつもいつもそう思っている。
だから、ブランド大学に無事に入り、卒業し、60歳になっても大学時代のことを話す人たちを見ていると、
屈託がないねえ、、、
結構だねぇ、、
と思う。
親の愛やら、大学の話やら、仲の良い夫の話やら、
結局、今日はつまらんかった・・・
で、ブランド大学の出身者ばかり。
60歳にもなって、昨日のことのように大学時代の話をする。
考えてみれば、そういう人は多い。
三流大学を出て、昨日のことのように大学時代の話をする人はいない。
どちらかといえば、忘れたいことだから。
できれば、大学のことには触れたくない。
私もそうだ。
大学受験の頃まで、自分が大学に進学できるとは思っていなかった。
父親が、「お前を大学に行かせる金はない」と言っていたし、
中学生の頃から、大学なんか行くことはない、と言っていたし、
近所に、大学に通う女性なんかいなかったし、
しかし、学校に行けば成績は良いし、、、
どうしてよいか、将来像が結べなかった。
父は、高校を卒業すれば銀行に勤めて、見合い結婚させる、と確定事項のように語っていた。
私の心はうろうろしていた。
父の語る将来像は全く受け入れたくなかった。
しかし、それをはねかえすだけの馬力も、想像力も、自信もなかった。
親の言うことに背くだけの力はなかった。
親に背いて生きていけるとは思えなかった。
しかし、父の言う将来像は、私に何の喜びも与えなかった。
が、当時の親たちは、娘の将来に「喜び」など邪魔だと思っていた。
娘が喜ぶことなど、あってはならない。
忍耐して、苦労を堪え忍んで、良い子を産むこと、それが娘の務めだと思っていた。
子どもを幸福にしたい、などとは考えていなかった。
私が離人症のような状態になって、
母は、娘がおかしくなったのかとおろおろし、
父は、おかしくなるくらいなら、大学くらい、どこでも行け、と言い出した。
高校3年の最後の方である。
さんざん、自信をくだかれ、メンタルをやられてからの「許可」である。
私はとにかく、地元の国立大学に入った。
二流だが、進学率の低い、当時の私が住んでいた地域では、賢い子が行く大学なのだった。
しかし、私はそこに行く気はしなかった。
ちゃんと将来に向き合いたかった。
が、父の言うような生き方があまりにも無理そうだったので、モラトリアムで大学に入ったのだ。
もっと優秀と言われる大学に行けそうだったのに、全然、勉強などしていなかったし、
きっと、ブランド大学に行けたはずなのに。
絶対、行けたはずなのに。
そういう悔しさを抱えている。
無念で仕方がない。
娘の将来を、自分の古臭いイメージだけで判断し、振り回されて、人生を壊された私。
いつもいつもそう思っている。
だから、ブランド大学に無事に入り、卒業し、60歳になっても大学時代のことを話す人たちを見ていると、
屈託がないねえ、、、
結構だねぇ、、
と思う。
親の愛やら、大学の話やら、仲の良い夫の話やら、
結局、今日はつまらんかった・・・