凡々たる、煩々たる・・・

タイトル、変えました。凡庸な人間の煩悩を綴っただけのブログだと、ふと気付いたので、、、。

自分が好き、という人

2013-03-31 18:18:33 | 自分
 先日、話をした友人は、誰よりも自分が好きなのだと言っていた。彼女は、パートナーがいないらしいのだが、「こんなにいい女はいないと思ってるから」と笑って言う。全然いやみに聞こえないのが、彼女のキャラクターの魅力なのだろうが、髪形がベリーショートで何十年と変わらないのも、「これが気に入っているから」とのこと。多くの人の髪質だと、ここまでベリーショートにすると髪が立ってしまって、男性の角刈りのようになるが、自分のはそうならなくて、程よいかたちになるから、ほら、と頭を指し示す。「こんなにいい女はいない、と思うから、恋愛とかはできないのかも」と言う。

 そんなに自分を気に入る、という感じがどういうものなのか、私には無縁過ぎて、全く理解が届かない。自分を気に入り過ぎると、パートナーが要らなくなるのかどうかもわからない。

 自分を気に入ったことがないのだけれど、昔、子ども時代、自分の顔がいやだと言っていたら、父に「では、かりに○○ちゃん(たとえば、近所の子ども)の顔と取り替えられたらいいのか?」と聞かれて、「それは困る」と思って答えられなかった。いや、この自分の顔は嫌いだが、だからと言って、近所の○○ちゃんや△△ちゃんの顔と取り替えたくはない。では、ほんとうは自分を気に入っているのか?
 自分のことを気に入らないのは、理想の自分ではないから、だろう。ありたい自分ではないので、いつも気に入らない。そして、その理想は誰の理想であるかと言うと、実は、自分の理想像ではなく、自分が育った価値観の中で良しとされる姿であるのだろう。

 私の母は、他人から「美人」と言われて来た人だ。そして、容貌について過剰に言及する癖があった。それも、母は、自分が「美人」と言われながら、一方でその容貌をけなされてきた不本意な過去があるらしく、コンプレックスも持っていたらしいと、私が少し大人に近づいた頃にわかった。母が生まれる前に7歳で夭折した兄がいたらしいのだが、早世した子どもを悼む親の主観に任せた言葉であるのだろうが、母は、その見たこともない兄について「お前など比べものにならないくらいきれいな子だった」と、折りに触れて言われていたようなのだ。
 まことに親というものは、無責任無自覚な言動に終始するものだと呆れてしまうが、母はそのために、「美人」と常に言われながら屈折した自己イメージを持っていた。そして、その無自覚無責任な主観的言説を子ども相手に垂れ流す、という世代間連鎖があった。
 母は過剰なほど、顔の美醜にこだわり、テレビや雑誌に登場する女性について、悉く、美しいか美しくないかをコメントする。父は、美人で都会的な母を妻にしたことで、男として、ある種の成功感を抱いていた。母が二枚目でない父を選んだのは、母の屈折の表れだろうと思う。父との組み合わせなら、絶対的には母は「美人」でいられるのだ。どんなことがあっても、母は、夭折した兄に比べられたような屈辱感を味わうことはない。どうひいき目に見ても、かっこよくも二枚目にもならない田舎育ちの野太いだけの父は、母より10歳も年上で、常に、「よくこんなきれいな人を娶ることができたものだ」という母への賞賛しかあり得ない組み合わせなのだ。お金もない、学歴もない、父はただ裸一貫で生きている田舎者の垢抜けない30男だった。美しい母とその母の賛美者でしかない父の間に私は生まれたわけだが、母に似ていない、ということはすでに幼い頃から、周りに言われてわかっていた。そして、父に似ていると言われ、母もまた「あんたは、お父さんにそっくり」と嬉しそうに言い、私は自分が醜いということが確定したことに絶望的な気分になっていた。
 小学生の時に児童文学全集の中の「ああ、無情」を読み、自分をカジモドだと感じた。「私は、醜い、怪物のような醜貌を持つカジモドだ」と。10歳頃の私だ。生きていたくなかった。死にたいと思い始めていた。
 私を完全な醜貌恐怖に陥れなかったのは、一方で、学校に行くと、私は男子に「もてる」子になるからだった。小学高学年にもなると、男子は女子を容貌で選り分け始め、私は「良い」方に分類された。悪い方に分類された女の子はさぞいやな気分だったろうと想像するが、とにかく、私はホッとしていた。「それほど、悪くはないのかも」という自己診断を可能にもしていた。心の奥底に、「カジモド」コンプレックスを抱きながら、今、仮にこの世に現れている私は、「それほど悪くない」女の子かもしれない、という自己認識を持っていた。
 その後、父に似たくない、似たくないという悲願を抱き続けた。

 思春期頃から、父に似ていると言われなくなった。多くの人が私を見て、「誰に似ているのだろう?」と言うようになった。父に似ていない、というだけで良かった。母の実父である祖父に似ている、という人もいた。祖父に似ているなら、上出来だ、と思った。都会的で男前の祖父に似ているなら、母のように美しい女の人になれなくても上出来だ。むしろ、女性アイデンティティが希薄だったので、男前の祖父に似ている方が好ましいくらいだった。
 父に似ている、と言う人は誰もいなくなり、私は命拾いをした気分だった。

 小学生、中学生と、私は「かわいい」と言われる少女になった。大人になったらきれいになりたいと言う私に、「え? それ以上にきれいになりたいの?」と言う男の子まで現れた。容貌というものは好みなのだと、うすうすわかってきた。私の顔を好む男子も少なからずいるのだと知った。
 学生結婚した夫は、一年下の男子に「きれいな人と結婚したんですね、学科ナンバー1じゃないですか」と言われたそうだ。他の同級生の女性からも、「きれいな人と結婚できてよかったね」と言われていた。そう、その頃、かわいいだの、きれいだのと、私はたくさんの賛辞を受けていた。そして、私は、長年のコンプレックスから賛辞を受けるようになるという転換を経験し、自分がどうであるのかわからなくなった。
 母は、「若いうちは、誰でもきれい」と、動じなかったが。

 年を取ってもなお、「きれい」と言われたり、不細工な女として扱われたり、というムラのあるコメントに一喜一憂して、相変わらず振り回され続ける。

 「顔がよく変わる」と言った人がいる。実はそれが私の実感に一番近い。自分でもいけてる時の私は、賛辞を受ける私だ。自分でもいやな顔をしていると思う時は、誰の目にも醜いようだ。ころころ変わる。容貌に対する過剰な意識が、私の人生力を翻弄してきたような気がする。

 こんなことで人生を左右させる必要はないのに、冒頭で語った友人のように、他人の評価など関係なく、自分を「いい女」だと思えれば人生の景色は変わるだろうに、そうではない人生を送ってきた。
 しかも「女」自認も怪しい。自分が女性であるというアイデンティティが揺らがない、というのはどういうことなのか、それも理解が難しい。

 うすうす感じるのは、幼い頃から、母が私と自分を重ね合わせなかったことが大きいのかもしれない、ということだ。母は、母のように美しくない私を、決して自分の分身のようにも、自分と同一視することもしなかった。おそらく、自分を見るようには私を見ることができなかったのだろうと思う。母は、私を父側に押しやっていて、私を他者として見ていた。それは私に、自分と母を同一視する機会を与えなかったような気がする。母と重なり合いたいが、母は他者である。父が母を見るように、私も母を見ていた。父は、ライバル以外の何者でもなかった。母が、父をではなく、私を愛してくれることを願っていた。幼い私は、父がいなくなることをずっと願っていた。

 性自認がどのように形成されるのかはわからない。が、私の女自認が希薄なのは、ここに鍵があるような気がする。そして、私が男の子なら、ごく「普通に」お母さんのような女の人と結婚したい、とかわいいことを言う少年であったろうし、長ずる間には母との距離を取り直して、母ほどに扱いにくくない女の人と結ばれたいと願ったかもしれない。私が男の子であったら、今の私のような屈折した悲しみを抱かずに、案外、単純で素直な男として、大人になったかもしれないのだ。これほど、自分嫌いにもならずに、済んだかもしれない。
 まあ、これは妄想に過ぎないけれども。


 

発信力

2013-03-30 09:28:40 | ことば
 自分が考えていることを発信する、というのはとても必要なことなのだけれど、能力とエネルギーが要るなあと思う。

 某MLに、ある社会的課題について、新聞記事が紹介されていた。そして、それに対して、Twitterで多くの反応があり、それを集めたものも紹介されていて読んだ。

 Twitterでは、「知らなかった」「関係者が声を上げなかったから」などと、書かれている。少しがっかりする。
 私なりに、使える媒体を使って、声を上げてきたのだけれど、声が小さ過ぎたか。

 まあ、ネットを使うのは私には危険過ぎたから、ネットで個人や固有の団体が特定されないようにぼやかしたかたちでしか書けなかったから、これでは声にならないわなぁ。まだまだ自分には宿題という感じがしたままだから。

 が、今回のテーマへの問題提起としては、現職時代から声を上げているから、それなりに歴史があるのだが。

 問題が良い方向へ行けばいいだけで、おまえの名誉なんかどうでもいいだろう、という自分自身の内なる声が私を叱咤するが、完全に無視されると、あまりいい気分ではない。これは何なのだろう?
 思えば、そういうことは多い。現職時代にたちの悪い妨害に苦しみながら、後のために書き残した記録に基づいて改善されたことがあったが、私の努力や苦悩など一顧だにされないままだ。
 後の人ががんばったことになっている。あの記録に基づいたことはわかっているのに、それを書いた私については全く言及されない悲しさ。

 これは、何なのだろう? 他人の頑張ったその上澄みをすくって、自分の手柄にする人はたくさんいる。そんな目にはいろいろ遭ったはずだ。そして、巡り合わせで、意図せずにそうなることもあるだろう。たぶん、私もそういう恩恵に与ったことがあっただろう。
 責任がかかってくることは名前を出したがらず、名誉になることは自分がしゃしゃり出る、という人も結構いる。が、責任と名誉は表裏一体だ。下手をすれば破滅、うまくいけば名誉がついてくる。結果が見えてから、上澄みをすくうような人ではありたくない。

 ま、いいか。私が発信したものも埋もれながらも消えてはいないし、小さいことは、確かに小さいのだから。身の丈にあった仕事をしただけだから。
 それよりも、この新聞記事をきっかけに、まやかしの現状が改善されることを願えばいいかも。

「間(ま)」が悪いということ

2013-03-29 09:06:08 | 人間関係
 間が悪い、ということがよくある。これは、何なのだろう? それもまた、自分が呼び寄せるものなのだろうけれど、どうも、間の悪い人、というものがあるように思えてならない。

 昨年は、仕事を負担に感じ始めていて、こなすのに青息吐息のところがあった。登録人数270人のやんちゃでやる気のない学生相手に、疲れ果てていた。私のような非常勤は、学校側も使い捨ての安い労働力としか考えていない。それで、休みに入って時間ができると、少々鬱っぽくなってきて、これではいけないと、友人を誘ったり、友人の誘いを受けたり、SNSのオフ会も予約したりしていると、全部、4月の第一週に集中し、今度は忙しくなってしまって、日程の調整が難しくなってきた。3月のあいだに、予定を入れてくれればいいのに、と、今度は恨めしくすらなる。

 そう言えば、こんなこともあった。もう何年も前の話になるが、ある映画を観たいと思った。ヘテロものではないがロマンスをテーマにしたものなので、一人で観るのは寂しいと思って、当時常に連絡を取り合っていた友人達に「一緒に、観に行かない?」と声をかけた。皆、忙しくてなかなか日程を合わせられない人ばかりだけれど、一人くらい空いている人もいるだろうと思ったのだ。が、全員OKだった。中には、さらに友人を誘って来る人もいて、「団体観賞」だと笑ったことがある。
 
 上のエピソードは、別に深刻な話ではない。が、間がうまくいかない例ではある。バランス良く、まんべんなく、適度な予定で埋められていたいが、そうはいかない。

 知人の娘さんが30歳代半ばで亡くなった。その後、知人と話すと、思ったより元気なので安心した。その時、知人が言った。その娘さんは、自死に近いオーバードーズで亡くなったのだが、「あの子はねぇ、間の悪いところがあってね、電話をかけてくるときって、いつもこちらが今は忙しいから困る、というときに限ってだったりするのよ」としみじみ言った。もう1人の子どもさんにはそれはなく、連絡をしてくるタイミングが程よいのに、その娘さんはたいてい間が悪くて、そういうことでも母娘はぎくしゃくしたようだ。

 それを聞いて以来、私はその「間が悪い」ということが強く印象に残っている。それは、何なのだろう? と思うのだ。確かに人生には「間が悪い」ということが多々起こる。大事な話をこれから、という瞬間に電話が鳴って、話す機会を逸する。テレビでスポーツ観戦中、ここ一番という時に宅配便が届く、なんていうことはよくあるだろう。相手は、こちらのタイミングを見計らって働きかけてくるわけではない。おそらく同じくらいの割合で、間の良い時もあった筈だ。だが、間の悪い時、そのために逃した好機の方を私たちはカウントしてしまう傾向があるのだろう。思うように物事が流れていることを当たり前のように享受し、それを阻まれるとネガティブな感情に一瞬浸される。そのネガティブな感情が記憶を刻むのだろう。間が良い、というのはなかなか意識されない、ということなのだろうけれど、、、。

 「間の悪い子」と印象づけられた娘さんは、おそらく、親にとっての難題を持ち込むことが多かったのではないかと思う。悩みが多く、人とうまくいかないことが多く、気分が暗い時が多いと、どうしてもうれしくなるような電話ではないことが多い。対応する時間もかかり、その子からの電話が負担になることが多くなる。それらのネガティブな積み重ねが、「間の悪い子」にしてしまうのではないのだろうか。

 おそらく、「間が悪い」というのは、そういう法則性が生まれているのではなく、その人の外界との連絡の仕方の問題なのだろう。常に、愚痴の電話をしてくる人は、どんなタイミングであっても、たいてい困る電話だ。その電話に出るよりは他のことをしたいのだから、電話を受ける方にすれば、いつも間が悪いことになる。
 いつも難題を持ち込む娘さんは、母親にとって、なんとなく負担だったのだろう。その娘を大事に思っていても、悩んでいる娘に対応することは、楽しいことではない。心ウキウキすることではない。負担であることに代わりはないが、その負担を敢えて引き受けているところがある。だから、間が悪いのだ。もっと楽しそうであればいいのに、と親の方はそれを望む。楽しい報告なら、少々タイミングが良くなくても、それは良き連絡としてカウントされたはずだ。

 間が悪い人、という法則性などないのだろう、たぶん。
 

どのフィクションを選ぶか

2013-03-27 12:46:16 | 考え方
 最近は鬱々とテレビを観て過ごす日が続く。こんなことではよくないと思いつつ、テレビの前のこたつでまったりしていることが多い。

 先日、中島知子という、少し前までオセロというコンビで活躍していた片方の人の話題を取り上げている番組を観た。きれいで若い女性のお笑いコンビというので、それほど強い関心があったわけではないが、でも、テレビで見かけると応援する気分になった二人だ。

 その中島知子が、占い師と同居しているだの、洗脳されているだの、という話題が盛り上がり、今ではその占い師から引き離され、療養中だとか、、、。番組は、その中島知子がある雑誌編集長に、自分の口から真実を語りたい、占い師には迷惑をかけた、彼女は悪くない、加害者は自分の方、というような発言をした、ということでさも重大そうに取り上げていた。
 それを観ていて、思ったこと。

 番組や芸能ネタ的には、「まだ洗脳がとけない」というような評価がなされていて、誰一人、その占い師との関係が噂されているほど悪い関係だったわけではないのではないか、中島知子にとって居心地の良い関係であったのなら、それを断罪する理由はないだろう、というようには言わない。一人の大人の女性である。彼女の意思が一顧だにされず、「まだ病気」とか、「まだ洗脳が解けない」というようにしか判断されないのは怖い。この一元的な価値の蔓延が怖いと思う。

 良識ある親の言うことは正しいはず、良識ある親が引き離そうとするのだから、相手がとんでもない人であるに違いない、という評価が非常に怖い。

 良識ある親は、子どもの意思を踏みにじることがある。良識ある親は、子どもが自分の知らない世界に行くことを恐れて、引き戻そうとする。
 少なくとも、その人といる方が、中島知子は居心地が良かったのかもしれない。「太った」と言うが、四六時中ダイエットのことを考えて食事をする苦痛から解き放たれたら、本来の(?)体型を取り戻しただけかもしれない。

 ある人の発言を、「洗脳」だの「病気」だのと公的なメディアで情報として流すことには恐怖すら感じる。娯楽番組として観るのか、報道番組として観るのか、微妙なタイプの番組だけに、怖さを感じる。
 
 子どもの頃、私が意見を言うと、父が困ったような顔をして、「誰の影響を受けたのか」と、私自身の考えであることを決して認めなかったことを思い出す。もちろん、正確を期して言うなら、誰の考えも純粋にオリジナルではあり得ない。様々な価値観、思想に影響を受け、人は自分のものの考え方を築き上げ、日々選択を行っている。一人の人間の中でも、感情に支配される部分、客観的な情報に基づいて構築している部分など、入り組んでいるだろう。それが、その人の精神世界として成立しているのだ。
 それなのに、その時のその人の判断、ものの考え方をそこまで尊重しない、というやり方が怖いのだ。

 他の人から見て、愚かな行為、選択であったとしても、その時はその人に最も適合した判断をしているのだろう。後悔をして、また考えを改めるのも、その人の権利だ。そういうプロセスを奪ってよいわけではない。それに、後悔しないかもしれない。そのまま、親や周りの人間が見れば、堕落と見える人生を生ききるかもしれない。そっちの方が悪いとは、実は誰も言えないのだ。
 もちろん、迷惑を被った人は文句を言う権利があろう。が、それは、迷惑を被ったその部分を問題にするだけのことであって、相手の生き方までとやかく言うことではないだろう。

 テレビを観ていて思っただけのことだけれども、こうした出来事が世の中には時々起こる。やはり、思い出すのは、千石イエス事件。千石イエスの傍にいることのほうが居心地が良かった若い女性達が、その選択をしたのだ。娘がそちらを選択した事自体を、親たちはもっと謙虚に受け止めるべきなのだ。

 自分たちの価値観に適合しない価値観を目の前に示されると、それが恰も悪夢か何かのように喧伝されるが、どちらのフィクションを選択するか、という問題なのだ。
 テレビを観ていると、アンチエイジングのキャンペーンが凄まじいのに驚く。団塊の世代をターゲットに、美容・健康商品の宣伝がものすごいことになっている。年をとっても美しく、いつまでも若々しく、、、という宣伝合戦を観ていると、こちらのフィクションにしみじみ病的なものを感じ、もうちょっとましな世界に行きたいと思う。
 こちらのフィクションより、あちらのフィクションを選ぶ、そういうことではないのか。
 

いじめの構造

2013-03-26 14:58:33 | 人間関係
 ドラえもんには、いじめに象徴的な言い方がある。スネ夫がのび太をいじめるときにいつも言うのが、「のび太のくせに生意気だ」という言い方だ。それは、「年下のくせに」とか「運動音痴のくせに」とか、そういう「理由」があるのではなく、いじめが理由の成立しない理不尽な行為であることを象徴的に表している。のび太はのび太であるから、いじめられるのだ。のび太であるから生意気だし、のび太であるからしてはいけないことだったりする。

 いじめられる方は、自分が何か落ち度があるのかと、たいていは悩む。が、悩んでも意味はない。それはその人自身であることが理由だからだ。しかも、それは、その人の何かを理由とするのではなく、そのコミュニティの中の位置関係でたまたまそこにいてしまったために「選ばれた」のであり、ターゲットと定められたときから、その人は、「処刑台」に据えられるからだ。

 通り魔に狙われたみたいなものだ。通り魔は、ターゲットはだれでもよい。とにかく、そこに居合わせた人を狙う。いじめは、この通り魔事件が、スローモーションのように持続している状態だと考えればよい。

 いじめはスローモーションだから、通り魔事件のように一瞬のことではないから、逆に逃げるチャンスを探して逃げ出せる可能性がある。だから、逃げるしかない。

 一旦ターゲットが特定されると、思考回路は、そのターゲットを目指して働く。何が起こっても、そのターゲットのせいになる。いらいらを解消したいときも、ターゲットを攻撃していらいらを解消しようとする。自分にとって理不尽な出来事も、そのターゲットが首尾良く動かなかったせいだというように解釈される。とにかく、ネガティブな思考は、そのターゲットに向かって吐き出されるように回路が癖づけられてしまう。
 だから、いじめ、ハラスメントの加害者は、もはや自分の加害性に気づかない。どう考えても、いくら思考をめぐらしても、ターゲットが「ちゃんと」してくれさえすれば、うまくいくはずだった、という結論になるのだ。

 昔、DVを受けていた妻が、夫のDVに気づいた話を聞いたことがある。夫が何でも妻が悪い、と言うので、ずっと何でも家庭内のことは自分が至らないせいだと思って萎縮していた。夫はそうして、妻を責め続けて、心のバランスを取る癖がついてしまったのだろう。が、ある時、大地震で家がめちゃくちゃになった。夫はその地震についても妻を責めた。その時初めて、妻は、何もかも、自分が悪いと思わせられてきたことに気づいたというのだ。さすがに、地震は自分が起こしたわけではないので気がついた、というのだ。

 ターゲットになってしまった方はもちろん災難だが、ひとたびターゲットを定めた方も、無意識、無自覚になっている可能性がある。

 実は、私もその二人関係に気づいて、逃げだそうとしているところだ。親しい友人だったので、また、仲良くできるときもあるのでつきあいは長い。しかし、最近、私への責めが加速していた。私は自分が悪いのかと思ったり、相手にも問題があると思うときは反撃したりを繰り返していたが、近頃は、私を攻撃する仕方が増していた。彼女にとって、理不尽なことが続き、思うようにならない人生を送っている、という実感が強いためにそうなるのだろうが、私が関わる場面では、全部私が悪いことになっている、というからくりに気づいた。彼女は、私をターゲットにし始めたのだ。もっと扱いにくい知人友人はいくらでもいるのに、私への怒りが特に強い。絶えず、文句を言う。
 つまり、彼女は、誰かその理不尽なことに責任を取る者を求めていて、その相手を責めたくてしようがなくて ―怒りのはけ口が要るのだ― それを無意識に私に定めたのだ。勿論、最も親しく、最もものが言いやすい、ということで私を無意識に選んだのだろうが、そのからくりに気づいて、私がそこにとどまることはない。
 
 本来、自分に起こる理不尽な出来事とも、どこかで折り合いをつけないとしかたがない。グループに気に入らない人が混じっても、我慢するか、自分が抜けるしかない。しかし、怒りを解消する方法として、誰かを責めることで心のバランスを取ってきた人は、やはり責める相手がどうしても要るのだ。あいつが悪い、酷い人だ、と、人のせいにする癖のある人は、通常、仕事の場面だったりすると面と向かって言えないことが多いが、プライベートな場面で私がそこに居合わせ、何らかの関係にあったりすると、私のせいにする、ということになってしまった。私はDVの被害者妻とは違うから、たいてい、理不尽な攻撃には反撃する。そして、熾烈に喧嘩をする、ということになる。が、ほとほと疲れてきた。なぜ、こうも疲れないといけないのか。要するに、彼女のネガティブ思考につきあわされているからで、彼女に良かれと思っておこなったことも、彼女の怒りの原因になったりすることが多々ある、という事実があった。

 「人間関係の困り事」の日記に書いたAさんのことなのだが、電話がかかって来て、私に「裏切られた」と言ったことで、またもやこのからくりがあると気づいた。私の想像はほぼ的中していたが、ただ、彼女の言い分は私の想定とは少しずれていた。私がAさんのいやがっている人のことを重視していないことは彼女はわかっていたが、その時点で、既に私が「逃げた」と認識をしたらしいこと、そして、そのことに何も意見がないなら、私は何も言わないでほしかったのに、彼女の発言を邪魔した、ということになっていた。そうか、、、私が彼女の援護をしようとして発言をしたことは、既に黙っているべき私が彼女の邪魔をしたことになっていたのか、、、。それなら、私は発言すべきではなかったのだ、ととりあえず謝った。が、後で考えて思った。彼女は、私が彼女の提案に対して無言だったら、それはそれで絶対に許さなかったと思う。冷たい、無視した、とまた責めたに違いない。なぜなら、あの場で、彼女の目論見通り、事が運ぶのは至難だったから、どちらにしても、彼女は成功しなかったと思うからだ。しかし、今となっては、私の発言が彼女を邪魔し、結論を先送りにしたことになっている。
 
 彼女は、どうしても、私を責めたいのだ。私を責めて、うさを晴らしたいのだ。しかし、それを彼女は自覚していない。

 しかし、私はそんな立場に甘んじるいわれはない。逃げるしかない、と思い定めた。
 

ハラスメント覚え書き

2013-03-26 08:58:41 | ハラスメント
 パワハラを行う人の素質、というものがあるのかどうかはわからない。が、私のところに入ってきたエピソードの中で、共通したセリフというものがあると気づいてきたので、ここらで、メモしておく。

 最初に知ったのは、これはいずれも行政系の出先機関での出来事だが、イベント宣伝のためにスタッフが作製したチラシを、「イラストが大き過ぎる(あるいは場所が悪い)」「文字の位置が悪い(もっと右、あるいは下、など)」「デザインのことで何度も直しが入り、作成者を困らせる、というパターン。最初は、なぜそこにこだわるのかわからなかった。いずれも、チラシを作製するプロではない。アート集団でもない。イラストの大きさや文字の位置など、極端な場合は別として、通常、特に問題がない場合でも、何度も微妙な直しが入り、スタッフは困り果てていた。異なる職場でも、同じようなやり取りが展開されているのを知った。
 これは、上司に当たる人が、自分の権威を示すために指示を出す時に用いる常套手段なのだと気づいた。イラストの大きさや文字の位置など、特に決まりはない。感覚的なものだ。内容の訂正指示が出せない、つまり上司がその方面の知識や情報を持っていない場合、そこを指摘してくる。いずれも、内容に不案内な上司がやる、という共通性に気づいた。
 私がその企画を立てた場合は、企画には口を出せないから、私を飛び越えて出してくる訂正指示がそれだったし、私の部下だった中間管理職は、あまりにもその方面で素人だったので、イラストの大きさばかりにこだわって、部下に指示を出していた。が、私には、最初のイラストのサイズが不適当とは思えず、内心、「もっと他にこだわるところはあるだろう」と思うのだが、私はパワハラタイプではないので(そういう出来事を見ていると、断じて違うと思える)、その中間管理職の思惑を見守ることにしたことがある。まあ、見守るだけ無駄だったのだが、、、。

 もう一つは、部下について「仕事ができない」を連発する上司。部下の仕事力を引き出すのは上司の仕事であるが、そしてそれに難儀するのは確かだが、上司自身があれこれ思い悩むものであって、部下にレッテル貼りをしてしまっては、そこまでになってしまう。しかし、仕事ができない、あるいは仕事をさぼりたがる上司ほど、部下のことを「仕事ができない」と言う。これも常套句だ。自分がマネジメントのしんどさを引き受けずに、部下のせいにするのだ。

 パワハラをするタイプというのがあるのかどうかはわからない。状況によって、パワハラ上司になってしまう人はいるかもしれない。パワハラ上司の指示を受けて、さらに自分の部下にパワハラ的な指示を出さねばならない、という場合もあるかもしれない。あるいはいじめの構造と同じで、自分がパワハラを受けないためにパワハラ上司の懐に飛び込み、パワハラ上司の意を汲んだ言動に出てしまうタイプの人もいるかもしれない。
 気をしっかり持たないと、パワハラが蔓延する職場では、自分も加害側に回ってしまう。そうでなければ、ターゲットだ。パワハラ土壌というものがある。そこでは、もはや回復不能なほど、健康なコミュニケーションが失われている。そこにいる人は、皆、歪みをかかえている、ということがある。汚染されないうちに、早く去った方がよい場合が多い。そして、危険を察知して早く去った人は、今度は、そこにい続けてターゲットになってしまった人の苦悩を理解しないケースが多い。深刻な土壌について、そこまで強く認識しない。皮相的な部分しか見ていないが、危険を察知する能力に長けているので、さっさとその場を後にする。ターゲットになる逃げ足の遅いタイプは深く傷つく。どうせ逃げ足が遅いなら、そして傷ついてしまったなら、この土壌の問題性を公正に問う力をつけ、仕事、組織、集団の問題性をえぐり出す探求者になるのがよい。
 ただ、嘆くだけ、恨むだけの人になっては芸がなさ過ぎるだろう。
 


どこで生きるか

2013-03-25 22:12:53 | 人生
 不思議なものだ。生きるということは、とてもリアルな営みであるのに、依拠するところは虚構だ。

 価値観の違いというが、虚構の組み立てが違うのだ。この価値体系の社会はいやだから、と違う価値体系の社会に生きようとするのは、実はこの社会の虚構から、別の虚構に移り住むだけ。

 それでも、私たちは何かに依拠しなければ生きていけない。この虚構になじめなければ違う虚構を探し求めるしかないが、ふと、「虚構」であると気づいてしまうと、行き先がなくなる。

 いや、「虚構」なんて、だれでも言うことではある。が、実感するということは違う。

 第一、違う宇宙のように異なる価値観の社会というのは、ない。もちろん、それぞれ、大きな違いを感じるが、それでも、「親子」という概念があったり、「家族」らしきものを形成していたり、異性同士で子どもをもうけたり、今の時代にあって、共通する文化的事項は多すぎる。

 星新一が描く異世界のようには違わない。

 そのような共通事項をたくさん流通させる通文化的時代に、異なる虚構に出会うなど、不可能なのだろう。異なる虚構に生きるということは、カフカの世界のように、苦悩の道があるだけだ。他の人に見えないものを見、他の人が感じないことを感じる。

 「愛」や「絆」という虚構は、どうして貫徹させることができるのだろう。
 「対幻想」を実感として見ることの出来た人は(そんな人がいるのか)、、、否、対幻想も苦悩を含んだ幻想だ。

時々、罰当たりな考え方だとは思いつつ、死ぬと楽だろうな、と思う。が、少しは心平和になってから、死にたいなとも思う。しかし、それも逆説で、心平和が得られたら死にたいとは思わないのだ。心の平和が得られないから死を思うのだ。楽になりたい、それは死しかないと思うのだ。
 が、子どもたちのことを思うと、あまり早く呆気なく逝くのも、自死するのもまずいだろうなとも考える。子どもたちには、親の死や思い出に心乱すことなく、少々暢気なくらい穏やかにこれからを生きていってほしいと思うので、自分のことで汚点をつけてやりたくはない。ほのぼのとたまに思い出してもらうくらいでいい。

 だれにも依存せず、だれからも依存されなかったら、私一人の死は、それで済む。そんなふうに「健やかに」死んでいくのが、最後の締めくくりとしては良いのではないか。

 だから、そういう最期を迎えるためには、少しでも今の「生」を良いものにしないといけない。幸福になるのは、あるいは、他の人への責任を果たすことなのかもしれない。幸福になる責任。他者に対して果たすことがあるとすれば、幸福でいる責任。少なくとも、子どもたちにはそれを感じる。

 そうだろう。「幸福」でいる人は、それだけで、他者に貢献している。愛する人を、大事な人を、悲しませないためには、「幸福」でいなければならない。そういう意味では、私の母は、見事に、やるべきことを果たしている。か弱い人は、そのか弱さの中で、一番出来ることをしている。母の心中を思いやると、ふと、心配になってしまうが、彼女は、「幸福」でいるために、最大限の努力をして、今、にこにこしているのだ。えらいもんだ。

 

 

長所と短所

2013-03-24 23:33:40 | 性格
 先の日記にも書いたように、人の美点と欠点は表裏一体だと思う。

 DVの被害者と話をすると、たいていの人が、彼の力強く引っ張ってくれるところが好きになった、と言う。それは、今の「俺の言うことを聞け」という強引な態度につながる。リーダーシップがあると見える人は、他人に自分の言うとおりにさせたがる人でもある。

 友人Aは、子どもらしいかわいらしさを感じる面があり、私はそこが好きなのだが、一方でひどく未熟で自己中心的な面を持っている。後者が目立つと、こっちはお手上げだ。逃げるしかなくなる。

 私は細かいことが気にならない。他人の言動もあまり気にならない。それは若い人たちになつかれる面だが、一方で他人に無関心とも言える。何をしていようと気にならないので、かまって欲しい人は、物足りない。時には「冷たい」とも言われる。
 子どもの頃は、母によく、気配りができないと叱られた。叱られても叱られても、気持ちが向かないものは向かない。
 複数の人間で鍋をつついても、他人が何を食べようが、気にならない。私はマイペースだ。が、いつの間にか私の分もよそってくれる人もいる。「ほら、お肉が煮えているから、早く食べなさいよ」と口うるさく勧める人もいる。そういうのがちょっとめんどくさい。自分のペースでいきたいのだ。

 愛した人の良いところは、別れる時は一番いやなところになっている。

 人に疲れ、人を求め、人から逃げ、人に逃げ込む。全き孤独で生きるのは難しい。愛を求めて一緒に暮らし、傷つけ合い、ずたずたになる。それはあまりにも苦痛なので、一人を選んでいるが、程よい距離を保ち、全き孤独に陥らないように気をつけている。程よい距離というものは、実は寂しいものだ。が、この孤独を埋める他人などいない。たぶん、誰かと一緒に暮らして、癒されているように思えるのは、紛らわせているだけ。もちろん、紛らわしでよいのだけれども、それが傷つけ合いのリスクを含むものなら、代償は大きすぎる。どっちをとるか、バランスの問題だろう。

相手の何を引き出すか、ということをさらに考えると

2013-03-22 21:46:45 | 人間関係
 パートナーや親しい人について、ふと思うことがあった。

 夫や親しい友人が、私を大事にしなかった出来事を思い出してきた。人は、相手がそこにいることに慣れてしまうと、存在が当たり前になり、感情の赴くままに邪険にしてもよい相手になるのだろうか。私は、あまり大事にされた記憶がないことに気づいた。
 私が相手から、そういう態度を引き出すのだろうか。

 昔、仲の良かった友人が小さな二人の子ども連れで、リクレーションに参加した時、友人は子どもに手を取られているので、私はその子どものミッキーマウスだったかのリュックを背負って、走らざるを得ない状況があった。私が子どものリュックを背負って走っていると、その友人が急に笑い出した。「あなたみたいに偉い人に、こんなことさせて、ごめんねぇ」と。私がその時ほんとうに「偉い人」だったかどうかは別として、大手の出版社の刊行物に名前が載る仕事をしていたのは確かであるし、講演もこなしていたから、その友人の尺度からは「偉い人」だったのかもしれない。
 が、その友人がいつの間にか、私に対して、ひどく邪険な態度をとるようになった。それほど親しくない人に対しては、気を遣って優しいのに、私にはその優しさは来ない。だいぶん前に、距離を置こうとしたが、その友人は私を拒否しているのではなく、「親しいから」だと説明する。邪険にしているのではなく、それだけ「親しい」と感じているのだ、と。

 私には理解できない理屈だ。大事な人は、大事にする。それしかないと思うのだが、、、。

 親しい人を大事にしない、という理屈がわからない。

 ただわかるのは、その人といると、私は幸せを感じない、ということだ。一度、それで距離を置いたのだが、ひょんなことでまた距離が縮まった。距離が縮まると、邪険に扱われるなら、やはり距離を置くしかない。

 その人は私が自分と合わない部分をなじる、批判する、ということが多発する。それは、まるで、彼女の母親が彼女に対してするのと同じようなのだ。だから、彼女は母親が嫌いだ。だから、同じようなことをすれば、私から嫌われるのは明白なのに、なぜ、自分は異なると思うのだろう。

 私がそういう部分を引き出すのではなく、親しくなると、配慮しなくなる人が多い、ということなのだろうか。親しくなれば、気に障ることに遭遇する機会が増えるのは事実だ。そこにどう向き合うか、が正念場、という気がする。
 私は、母でも娘でも、そういう場面に遭遇すると、とがめたり指摘をしないで距離をとる。娘の場合は、直してほしいところについて指摘をするときは、とても気を遣う。怒らせないように最大限の注意を払う。勿論、娘の行く末が心配なときは苦言を呈するが、それはどこまでも娘のため。自分の感情のはけ口ではない。だから、一度だけ苦言を呈する、と覚悟をして言ったことがある。そして、娘から猛烈な反発がきたことがある。娘は、人として言うべきではないことまで、感情に駆られて投げてきた。私は激しいダメージを受けた。しかし、それでも、娘に一度は言うべき事を言う必要があった。感情のコントロールが出来ない未熟な人の報復だった。度を越していた。が、耐えた。娘の人生に必要な苦言だったからだ。

 が、件の友人は感情の処理に、私を使う。それほど、親しくなってしまったらしい。しかし、親しくなることは、態度が雑になることではない。「親しき仲にも礼儀あり」ということを彼女は理解しない。
 「あなたには何でも受け容れて欲しい」と言うが、彼女は私のことは受け容れない。自分だけが受け容れて欲しいのだ。
 なぜ、このような一方通行が可能だと思うのだろう。それも、親しいから?

 思えば、DV男たちは、皆、このような甘えた考えにとらわれているように思う。相手は自分を受け容れるべきで、相手がどう考えるかは気にかけない。この不均衡がどれほど不幸な関係を生んできただろうか。

 相手に対する権利意識が強まると、自分の道理だけが通ると考えるようだ。そして、そう相手に思わせる私にも、問題があるのだろうか。相手を甘やかしてしまったのか。何でも受け容れてもらえる、と思いこませるような習慣をつけてしまったのか。

 私は基本的に鷹揚なたちなので、(それは件の友人も認めている)、あまりいらいらすることはない。他人の言動に、いらつかない。そこに無意識に人はつけいるのかもしれない。つけいるつもりはないが、つけいってしまう。そしてどんどん遠慮がなくなっていき、完全にたががはずれた頃に、私から苦情を言われる。が、その苦情が出る頃には、もう関係性が出来上がっているので、相手は不当なことを言われたような気がするのかもしれない。
 とにかく、今となっては手がつけられない。親しい友人はもう持たないに限る。

なりたい自分と他人が思う自分は違う

2013-03-15 16:26:30 | 自分
 なんだか、あまりにも当たり前なことを書いてしまった。
そう、誰でも自己イメージというか、ありたい自画像があるが、他人から見るイメージは大いに異なる場合がある。

 これが一致しているのは、とても心の安定することなのだろう。

 そして、案外(と言うか、私の場合だけか)、この自己イメージと他人が見る自分のイメージとのギャップに、折り合いがつかないものなのだ。おそらく、複数の他人が見る私のイメージが、流通する私の像なのだろう。私が望む私像は、誰も知らない私だけの「理想の」私に過ぎない。
 それでも、60歳を過ぎるまで、こういうことに諦めがつかないとは、、、。まあ、不幸であるとも言えるし、滑稽であるとも言える。

 私は背が高くない。すらりと細長いシルエットも持っていない。運動神経も良くない。きりっとした顔立ちでもない。それは、わかっているのに、私のありたい自分は、すっきりとした中性的な人なのだ。女の体イメージのあの、でこぼこがいやだ。棒みたいなシルエットに憧れる。が、実際は、私は比較的乳房が大きい。その自分のからだを、少女時代から嫌悪していた。だから、なるべく胸のふくらみをつぶすような服を着る。わざわざ胸を目立たせるファッションを選ぶ人、豊胸手術をする人を不思議で仕方がない。
 そして、少女時代から一つのイメージが貼り付いていた。私が若い頃に流行った言葉だが、「清純」とか「清楚」である。そもそも親が清楚な少女であることを願うので、着せられる服もそういうものである。また、たまに少しくだけた「不良っぽい」とでも言うのか、そういう出で立ちに挑戦してみるが、おそろしく似合わない。

 若い頃、女性達が煙草を吸い始めた頃、私も真似をしてみたが、仲の良い友だちに、「似合わない」と言われてしまった。
 50歳の頃に高校時代の同窓会があって、私はマニッシュな黒っぽいスーツで参加したが、当時の担任の先生はやはりこう言った。「清純な感じでしたね」「今も変わりませんね」と。

 もうそろそろ諦めた方がよいのだ。顔を見ただけで、「女らしい」というイメージを貼り付けてこられる。「家庭」のイメージではないらしいが、「優しい」キャラで話をよく聞いてくれる、というイメージらしい。会合の後、持ち込んだ備品などを撤収して花束だけが残ると、「一番似合う人に」と、私にくれる。実は内心、残念なような複雑な気持ちだ。

 ずっと自己イメージとは異なる自分イメージを貼り付けられてきた。清楚、繊細、上品、優しい、などなど、、、。ただ、少し親しくなると、「見かけと違う」「結構、はっきりものを言いますね」「実は男っぽいところがあるんですね」というような感想もくる。その感想を聞いて、あらためて、そうか、そんなふうに思われていたのか、と気づく。

 母はずっと、「年をとったら、かわいいおばあさんになりたい」と言っていたが、私は金輪際そんなことは思ったことがない。賢い、自立したおばあさんではいたいけれど、、、。

 もうこのからだと62年もつきあってきた。自分の望む人にはなれなかった。私の友人で、きりりとした顔立ちの人がいる。自分で「男顔」と言っているが、それがいやなようなのだ。私はどうしても「女顔」なので、それがいやだったのだが。

 まあ、それも年齢と共に変化して、やがて、女も男もない年寄りになるのだけれど。ホルモンの減少で、互いに歩み寄るようだ。野太いバスだった父も年をとったら、少し声が高めになったし、逆にソプラノ系の人も声がしゃがれてくる。年を取ってよいところは、見かけのジェンダーがはずれてくるところだろう、と私などはそれが怖いような楽しみなような。