友人と話していて、「母と会うと、傷つく」という話をすると、自分もそうだ、という人が結構多い。女性は、母親との関係に悩んできた人が実に多い。
多くの母親たちにとって、娘とは、自分のコントロール下に置いて当然の存在だった。特に、私の母のような年代の人たちは、娘だけが自分が支配できる相手だったので、娘の人としての尊厳などには、思いも至らない場合が多い。娘は自分の言うことを聞き、自分に奉仕して当然と思っている。しかし、戦後教育を受けて、男も女も対等だと教え込まれた娘たちは、自分を独立した、プライドも夢もさまざまな権利もある社会的存在として、感じている。だから、母の支配欲に屈服しない。が、どこかで、母に支配はされている。され慣れている、といおうか、子ども時代の支配被支配の関係をひきずっている。しかし、もはや母を支えるだけの存在ではない娘たちは、どこまでも、支配権を当然のように感じて、行使しようとする母とのやり取りに疲れてしまうのだ。
私の母も、私を使う。平気で使う。が、私が距離を置いているので、かろうじて、自制しているのがわかる。距離を置きあって、他人行儀でいて、初めて、平和を保っている。
これを崩すと、恐ろしいことになると、私などは思っている。それでも、母と子どもたちと一緒にいると、母が私よりも、孫を好んでいるのはよくわかる。
なにしろ、私が子どもの頃から、「子どもよりも、孫の方がかわいいらしい」と平気で言っていた人だ。まだ子どもであった私が、どのような気持ちを抱くのかなど、考えもしない人だった。若い時に産んだ私という子どもは、彼女にとって、愛情の対象ではなかったのだろうと思う。娘に愛情をかけるということを知らなかったのだろうと思う。彼女を見ていると、愛着というようなものも、後天的に会得するものだとわかる。愛されて、慈しまれて、会得するのだろう。
私も母親だが、娘から遠ざからなければ、娘を虐待してしまうのではないかと、恐ろしかった。私が母の酷薄さに目に見えて傷つくようになった年頃に娘が近づいたとき、このままどのようにして、この娘と同居すればよいのだろうと不安になった。娘との関係の作り方がわからなかった。なぜなら、母のあの薄情な、娘の心を解さない、自分が娘に優先しなければ気がすまない、というようなわがままな長女のような、そういう母親像しか私の中にはなかったからだ。母のように娘を傷つけたくはなく、母のように残酷にもなりたくなかった。幼い娘を慈しんだ、その時のままの自分でいたかった。が、成長して自我を発達させていく娘を前に、私は逃げ出した。自分の母のようにはなりたくないが、思春期の娘とどんな関係を持てるのだろうか。私がしたのは、娘から物理的に距離を置くこと。自分の人生を生きたい、娘を虐待する母にはなりたくない、、、目をつぶって私は飛んだ。
「母」という特別な意味合いを付与された位置に置かれて、私はモデルを見失っていたのだろう。世間で、「虐待」する母のことが取り上げられることがよくあるが、「虐待」する母は、一つの母親像なのだろう。それ以外を知らない母親達は、「虐待」を選ぶか、子捨てを選ぶか、しかない。それ以外に、その関係を生きるすべを知らないのだ。
親子の心の傷は深い。無責任に名指された「親子」という関係性に、人々は果てしなく、人生を賭けて、傷ついていく。
多くの母親たちにとって、娘とは、自分のコントロール下に置いて当然の存在だった。特に、私の母のような年代の人たちは、娘だけが自分が支配できる相手だったので、娘の人としての尊厳などには、思いも至らない場合が多い。娘は自分の言うことを聞き、自分に奉仕して当然と思っている。しかし、戦後教育を受けて、男も女も対等だと教え込まれた娘たちは、自分を独立した、プライドも夢もさまざまな権利もある社会的存在として、感じている。だから、母の支配欲に屈服しない。が、どこかで、母に支配はされている。され慣れている、といおうか、子ども時代の支配被支配の関係をひきずっている。しかし、もはや母を支えるだけの存在ではない娘たちは、どこまでも、支配権を当然のように感じて、行使しようとする母とのやり取りに疲れてしまうのだ。
私の母も、私を使う。平気で使う。が、私が距離を置いているので、かろうじて、自制しているのがわかる。距離を置きあって、他人行儀でいて、初めて、平和を保っている。
これを崩すと、恐ろしいことになると、私などは思っている。それでも、母と子どもたちと一緒にいると、母が私よりも、孫を好んでいるのはよくわかる。
なにしろ、私が子どもの頃から、「子どもよりも、孫の方がかわいいらしい」と平気で言っていた人だ。まだ子どもであった私が、どのような気持ちを抱くのかなど、考えもしない人だった。若い時に産んだ私という子どもは、彼女にとって、愛情の対象ではなかったのだろうと思う。娘に愛情をかけるということを知らなかったのだろうと思う。彼女を見ていると、愛着というようなものも、後天的に会得するものだとわかる。愛されて、慈しまれて、会得するのだろう。
私も母親だが、娘から遠ざからなければ、娘を虐待してしまうのではないかと、恐ろしかった。私が母の酷薄さに目に見えて傷つくようになった年頃に娘が近づいたとき、このままどのようにして、この娘と同居すればよいのだろうと不安になった。娘との関係の作り方がわからなかった。なぜなら、母のあの薄情な、娘の心を解さない、自分が娘に優先しなければ気がすまない、というようなわがままな長女のような、そういう母親像しか私の中にはなかったからだ。母のように娘を傷つけたくはなく、母のように残酷にもなりたくなかった。幼い娘を慈しんだ、その時のままの自分でいたかった。が、成長して自我を発達させていく娘を前に、私は逃げ出した。自分の母のようにはなりたくないが、思春期の娘とどんな関係を持てるのだろうか。私がしたのは、娘から物理的に距離を置くこと。自分の人生を生きたい、娘を虐待する母にはなりたくない、、、目をつぶって私は飛んだ。
「母」という特別な意味合いを付与された位置に置かれて、私はモデルを見失っていたのだろう。世間で、「虐待」する母のことが取り上げられることがよくあるが、「虐待」する母は、一つの母親像なのだろう。それ以外を知らない母親達は、「虐待」を選ぶか、子捨てを選ぶか、しかない。それ以外に、その関係を生きるすべを知らないのだ。
親子の心の傷は深い。無責任に名指された「親子」という関係性に、人々は果てしなく、人生を賭けて、傷ついていく。