凡々たる、煩々たる・・・

タイトル、変えました。凡庸な人間の煩悩を綴っただけのブログだと、ふと気付いたので、、、。

その人の未来を見つめるきらきらと澄んだ瞳

2012-10-29 13:01:24 | 考え方
 6年前のことである。その人は、決意と希望に満ちたきらきらと澄んだ目をして、未来を見つめていた。おそらく、これから自分が成し遂げようとする様々なチャレンジに向けて決意を新たにし、その与えられた機会を精一杯生き抜く気概に燃えていたのだろう。

 私は、その眩しいほどの純粋な目を見てしまい、途方に暮れた。

 この、最下層に置かれている人々の日々の苦悩など一顧だにせず、資本家の力を恃みながら、支配層の人々の思想を体現していこうとするその人の、澄んだ、希望と決意に満ちた眼差しに茫然としたのだ。

 戦後の最年少首相である彼のその青年らしさの残る純粋な瞳。誰とは言わない。その後もいろいろな首相が変わってきたが、これほど、美しい眼差しをした人は知らない。そして、その分、怖い。

 この人は、美しい日本をつくるのだと言う。そして、美しいものを見る目で未来を見つめる。どれほどの人たちが今後も犠牲になるのか、美しい国造りのもとにどれほどの人たちが踏みにじられるのか。

 しかも踏みにじられることが目に見えている人たちが、この人の率いる政党を支持する。なぜ? 自分だけは安全だと信じているのだろうか。自分たち家族は、この人の下で、うまくやっていけると思っているのだろうか?
 こわい、ものすごく怖い。

 他人を踏みにじる人の美しい澄んだ目が怖い。ナチスの兵士達の多くは、美しい音楽に身を委ねる良き家庭人であったと言われる。多くの若者を戦場に送り、侵略国で殺戮を指示した戦犯として断罪された人々も、己の正義を疑わなかったろう。正しく生きるために、身を賭して生きたはずだ。

 その目は澄み、気高い決意に輝き、まっすぐに未来を見つめる。そして、私たちを雑魚のように踏みにじる。踏みにじっていることすら自覚せずに、己が正義を生ききる。

人々が好むもの

2012-10-26 17:25:24 | 日々の雑感
 私には相変わらず、多くの人が選択する方向とは異なる方向を選択する傾向があるような気がする。

 しかし、ほんとうのところよくわからない。私にはきょうだいがいないので、そっちのつながりの人間関係がないので、子どもの頃から、他の子どもの生態が謎だった。大人になって、似たタイプの人に出会うようになったので、だいぶん心丈夫な感じがしてきたが、その出会いがなかったら、不安でたまらなくなって、精神的なバランスを失っていたかもしれない。

 昨夜、娘と出かけての帰り、二人で駅から家に向かって歩いていた時、珍しくたくさんの人が反対方向からやって来るのに遭遇した。ほんとうに多くの人だ。どっとわいてきたかのように、多くの人たちが駅に向かって歩いて来る。どこから来るのだろう? いったい、どこでこんな大勢の人を集めるイベントがあったのだろう?と、二人でああでもない、こうでもない、と想像をたくましくしていた。この方向から来る、ということは、思い当たる場所は一つしかない。ホールを擁している我が家のごく近所の公共施設だ。そこへ様子を見に行った。イマドキ、ここまで人間をたくさん集めることのできるイベントとは、何なのだろう? 学習会やイベントを企画して、集客にさんざん苦労してきたので、どうしても知りたかった。

 で、当の公共施設に尋ねて判明した。「第九」の練習で、そこのホールに集まっていた人たちだったのだ。

 「あ、第九!」 私も娘も大納得。

 娘は、「みんな機嫌の良い感じだったものね」との感想。なるほど、歌を歌って、良い気持ちで帰るのだな。

 これほど雇用問題が危機的な状況であるのに、労働問題の学習会を開催しても、人は集まらない。ネット犯罪の問題が日々、テレビ等で報道されていても、ネット問題を学習しましょう、という呼びかけに答える人などほとんどいない。原発もネットも雇用問題も、ここまでの動員力はない。(まぁ、原発問題が直接影響のある地域では原発問題で人々は集まっているようだが、私が住む地域は少し原発から遠い。)でも、コーラスはすごい! この動員力はすごい!

 ま、誘われても気軽に参加できるのはこちらの方だろう。だから、人が増えるのだろう。尤も、こういうのに誘ってくる人間関係が、私にはないからな、、、。

 

ルサンチマン

2012-10-24 21:58:11 | 日々の雑感
 折りに触れ、自分が怒っていると感じることがある。そこは過剰反応なのかもしれないと思いながら、不機嫌な自分をもてあますことがある。まぁ、適当にいなすことはできるようになったけれども。

 何に不機嫌になるかと言えば、やはり、送りたい人生を送っていない、という不満からきている。

 思えば、ほんとうに思えば、結婚も子どもを産むこともしたくなかった。若いときに強要されたことなど、何一つ、したくなかったことだ。

 中学生のとき、ふと、人生を見渡す年頃になった私が、「将来、結婚もしたくないし、子どもも産みたくない」と母に言った。まことに正直な気持ちだった。が、当時、30歳代だった母は、「親に孫の顔を見せない気か!」と激怒した。その時に、私は言ってはいけないことを言ってしまったのだと知り、二度とそのことは言わなかった。封印した。
 結婚しないといけないらしい。(結婚しないで子どもを産むなど、選択肢としてあり得なかった。)子どもを産まないといけないらしい。何一つ定まったもののない私の将来に、それだけは責務として立ちふさがった。

 そして、せめて最大の不幸を回避するように、同じ大学の年の近い友人を結婚相手に選んだ。まだ理解可能な、まだ言葉の通じる、ため口で接することのできる相手を選ぶことによって、未知の世界に投げ込まれる恐怖を回避した。

 若い娘であった私の直感は間違っていなかった気がする。世間の娘の規範からどこか逸脱している自分を感じていたので、それが許容される相手を選んだのだ。なんとか、安全に「結婚」という未知の、何一つ私の内発的なものと響き合わない人生の風景に軟着陸した。なんとか見知ったアイテムと離れないで済む世界を構築できたのは、ひとえに同じ大学の同級生と結婚したからだ。

 が、元をただせば、私は結婚も出産もしたくなかった。私がしたかったのは、仕事だった。仕事をして、自分の時間さえ確保できればそれでよかった。「家庭」という私にとってわけのわからないものを作りたいとは微塵も思っていなかった。

 今、やっと独りぼっちで、仕事をしながら生きている。子どもたちは大人になったので、親しく交流できる隣人のようになった。私があの時、暗黒の世界に入るような思いで産まなければ遭遇しなかった人たちだ。結果的に、それは良かったと言えるかもしれない。だが、私の好んだ生き方ができなかったのも事実だ。
 
 したくなかった。結婚も子どもを産んで家庭をつくることも、全然興味がなかった。そもそも生活に興味がなかった。それらを過ごしてきて、このように年をとってから、やっと静かに一人で暮らし始めたが、そこに怒りがわいてくるのだ。思うように生きられなかった分、スタートが遅く、キャリアを築くこともできなかったために貧しい暮らしを強いられている。そのことに、からだの芯から、心の底から、空しさと怒りがわいてくることが、時折あるのだ。

 

一つの事象に複数の物語

2012-10-24 14:27:07 | 日々の雑感
 この数年の間に、何度か人間関係というか、組織のトラブルに巻き込まれることになった。もちろん、巻き込まれてしまう私自身にも問題はある。逃げ足が遅い、人の心の裏側にまで思いが至らない、力学が読めない、、、愚直過ぎて、複雑な人と人の絡みの構造が読み解けなくて、逃げ遅れてしまう。
 が、まぁ、それだけではなく、周縁にいるのではなく、いつの間にか中枢に位置していた、というポジションの変化も理由だろう。

 そして、つくづく思い知ったことがある。よくそういうことをちゃんと考えてきた人にとっては、今更何を言っているのか、と言われるような気づきかもしれない。が、私にとっては明快な気づきなのだ。
 もちろん、言葉の上では、知っていることではあった。人はそれぞれ主観の世界で外部を解釈していくのだから、それぞれの言い分があることはわかっていた。

 が、その主観が権威づけられると、その効果が変わってくる。権威づけられた主観に基づく解釈は、メインストーリーになる。正統性を持つのだ。様々な解釈があるね、と言い合っていられるような事象ではなくなる。

 私が巻き込まれたある権力闘争では、自分が被害者だと強い主張をした人が、様々な研究者や力のある人を味方につけて裁判に勝利し、この度、非常に権威のある賞まで受賞した。いや、もう「あんたが勝者」「あんたが主役」と言うしかない。それほどに、その人は努力もしたし、自分の勝利のために心血を注いでこの何年かを生きたのだから、おそらく受賞にも値するだろう。認められ、権威づけられるということは、こういうことを言うのだなとあらためて思い知る。この人の血を吐くような努力、それはただ、自分の悔しい気持ちをバネに、自分の自尊心を傷つけた人を完膚無きまでに攻撃して得た勝利に結実したのであって、この人の下で働いた不安定雇用の人の誰一人救ったわけではない。職場の無茶苦茶な体質、一番下の位置に置かれた人の苦悩など、在職中一切知ることもなく、ただ自分が職を失いそうになって周りの思考停止した人を煽って立ち上がっただけだ。
 この職場の労働条件の改善は、私が書き残してきた文書に沿った改革だったということを聞いた。もちろん、私が書いたことなど、ほとんどの人は知らない。自分の職のために大暴れした、わがままな女性のわがまま勝ちだ。そして、この人が書いたストーリーが、真実としてまかり通る。
 私の目からは、欠落だらけのストーリーだ。この人には見えていなかった部分は、当然のことながら、ストーリーには入ってこない。だから真相が書かれているとは、とても私には思えないが、外部の人たちはこれが真実と思うのだ。
 単純な、正しい自分と悪い敵、というこんなストーリーをよくも本気にする人がこんなにもいるものだと思うが、そこがこの人の偉いところだ。その信頼をとりつけ、味方にするのに莫大なエネルギーを使う。
 多くのサクセスストーリーは、こういう、自分の利益のために渾身の力を注いだ人の物語なのだろう。「決して諦めなかった人たち」というのは、自分の利益の追求に飽かず邁進した人たち、ということであって、私のような凡庸な人間は、諦めるのだ。いつまでもしがみついていても仕方がない、向こうには向こうの言い分があるのだろう、と、いつの間にか自分の悔しさや悲しみから距離を置き、違う世界を見て生きていこうとする。その違い、その結果の違いが大き過ぎる。

 もう一つの巻き込まれたトラブルでも、自分が被害者であるというストーリーを見事に作り上げた人のがんばりには脱帽する。ストーリーはどんどん発展して、その人がしでかした不具合まで、その人はその不具合を改善しようとしていたのに阻まれた、というストーリーになっているらしい。その人の、まわりを味方に引き込むエネルギーたるやものすごいものがある。どんどんストーリーが出来上がって一人歩きをしているらしい噂を聞くと、私などは、もう手も足も出ない。
 「はいはい、あんたが正しいのね、、、」とため息混じりに言って、もう関わりを持たないようにするしかない。

 どちらも病的なほどの我執で、自分の正当性を世間に認めさせようとして必死だ。そのためなら、どんな手でも使う。

 私はこの二つのトラブルのどちらも、違うストーリーを見ている。強く訴えているこの二人の人が、決して見ようとしない側の出来事を見てきたからだ。しかし、このトラブルから距離のある人たちは、そのような複雑な出来事に興味はない。わかりやすい、誰が正しくて誰が悪いのかを浮き彫りにした力強い物語を信じたがる。そして、隠された物語を想像するような努力をしないまま、その力強い物語をさらに補強する役割を果たす。自分が誰を抹殺し、誰をひねり潰したかについて、全く自覚のないまま、強者の論理に加担する。そう、自分の物語を正統だと主張できるというのは、それはその対立関係での強者だ。主張しない、あるいは出来ない立場の人は、その対立関係では弱者だ。
 社会的に信頼度の高い人を上手に味方に引き込み、自分の物語を信じさせ(まぁ、それは仕方がないけれども。本人も、自分の作りだした物語を信じきっているのだから)、自分の正当性を高らかにうたいあげる。

 もちろん、私の知っている出来事、私が目撃したことも、部分であることに変わりはない。そういう意味では、かの人の解釈と等価だ。こちらの方が正しいと主張する気はない。が、等価である、ということすら、斟酌されていないのが現状なのだ。
 私に語らせれば、私の物語が出来上がる。それは、彼女のものとは、全く違うもう一つの物語だ。
 そうなのだ、それは一つの事象をめぐって、織り成される無数にある物語の一つなのだ。ほんとうは、誰も誰かを断罪することなどできない。事情を知らない人が、判定を下すようなことではなかったはずなのだ。
 しかし、正統の物語は出来上がってしまった。歴史は、これを残すのだろう。誰も、その過誤を言わないかぎり、これが「真実」になってしまう。
 何らかのかたちで、せめて、これは「一つの物語」であることを書いておかなければと思っている。どちらが正しいとか間違っているとか、そういう判定以前に、複数の物語が存立し得ることだけでも、伝えておかないといけない感じを持っている。たぶん、それは、いくつかの現場に居合わせてしまった私の仕事だろうと思うから。





 

 

孤独は深まる?

2012-10-14 13:58:09 | 日々の雑感
 朝起きると、待ちかまえていた猫にご飯をあげて、自分の食事の用意をしたり、コーヒーを淹れて亡夫の写真の前に置いて、線香をつけたりして、一日が始まる。

 その間、猫に話しかけないと、自分の声を聞くこともない。猫にご飯をあげたのに、気に入らないのかまだ鳴きながら寄ってくるので、「どうしたの?」と言った自分の第一声がひどく嗄れているのに気づく。
 今朝もそれで、風邪をひきかけていたのをあらためて思い知る。昨日も一昨日も不調だった。そして、ものを食べるとノドが痛い。ノドからきた風邪だ。
 今日中に治したい。そうでないと、また一週間が辛い。

 こういう時、寂しいと思う。「遊ぼう」と電話をかけてきた友人は、風邪だと聞いても「お大事に」という社交辞令の言葉で電話を切る。遊びたいのに遊べないから、そっちの方でがっかりしているのだ。この友人は、暇つぶしに見舞いに来かねないので、今度の電話で断ろうと思っていたら、母から電話がかかってきた。
 昨日の夕方、出先で買った和菓子を母に届けたとき、大きなマスクをして「風邪をひいたので今日は早く帰って来た」と言っていたが、母は和菓子のお礼は言うが、風邪には無反応だった。いつものことなので気にしていなかったら、今日になって、電話をかけてきて「大丈夫?」と聞いたのだ。退屈なのでかけてきたのはわかるので、「大丈夫、寝ていたら治るから」と早々に電話を切る。

 なんだかなぁ、、、。まぁ、こういう人間関係しかつくれなかった自分の問題なのだろう。希薄な人間関係しかつくれない。それが私なのだろう。

 そして、寂しい。寂しいが仕方がない。それが私の不徳の致すところか。不徳? 不徳と言うほどのものではない。

 人間関係の作り方もなんとなく、自分の親の影響は否定しがたくあるように思われる。

 母は、父には依存しきっていたが、それ以外の人とは距離を置くひとだった。母と父は、何一つ隠し事もなく、べったりと互いの人格を溶け込ませるように依存し合った夫婦だったが、それはある種、昭和の理想の夫婦像を体現していたのだろう。父も、「家族が一番」と言い続け、あの年代の人の多くがそうなのかもしれないが、「他人は信用できない」という人間観で貫かれていた。と言っても、決して、疑り深い人だったわけではない。他人を疑うとか信用するとか、そういう具体的な次元ではなく、人間観がそうなのだ。だから、「家族なら何でも許される」と信じ、極度の依存状態となる。そして、他人には距離を置いて礼儀正しく接する。ウチとソトの区別が激しいのだ。
 もちろん、自分の意志に関わりなく、その「ウチ」に組み込まれた子どもの側はたまったものではない。親にとっては、何でも許される関係だと思っているから言いたい放題、何のためらいもなく自分の価値観を押しつけてはばからず、親としての自分の存在に恬として恥じない。イエ制度の中では小さくならざるを得なかった次男以下の男達や嫁達は、核家族の形成の中で自分の王国を築くことができ、そこで家父長制を敷いて、君臨しようとしたのだ。
 こうした親たちの価値観に反発したのが、おそらく団塊の世代以降なのだろう。

 こういう家族関係の中で、夫に依存することに慣れきった母のような人が夫を失った時、誰ともそのような人間関係を築けないのは当然だ。母は、娘が自分にべったりと生活の細々としたことを共有する姿を漠然と期待していたようだが、娘は夫とは違うから、そのような都合の良い役割は引き受けない。だから、よそよそしく、社交辞令で交流する。

 私の娘は、私たちは他人行儀な親子だと言う。が、それも仕方がない。それ以上の関係を作ることができない。私が母に対して他人行儀なように、娘にもそれに近いところがあろう。娘に対しては、他人行儀というより親しい母親は結局権力になるのではないかと懸念するので、距離を置いてきたのだけれど、、、。
 そして、それはまさしく、自分の親たちが敷いた強権的な核家族内の家父長制を再現したくないという、新しい価値観に裏打ちされた節度の保ち方だった。ものすごく、苦しんだ結果なのだ。
 
 しかし、伴侶以外の人と親しい関係を築くことができるかと言えば、それもまた困難だ。なぜか、伴侶だけは他の関係と異なる、という奇妙な思い込みで、この世の人はまだそこに賭けている。
 しかし、その世界にとけ込めない私は、結局、誰とも親しく交流できず、病気になっても本気で気にかけてくれる人はいない。まぁ、死にかければ死に水をとってくれ、とこちらから頼むことのできる人は何人かいるし、誰も断らないだろうと思うので、それでいいか、とは思う。

 しかし、それでも孤独は深まる。誰もが独りなのだが、それに気づかずにわちゃわちゃと賑やかに生きるか、かみしめて生きるかの違いなのだろう。

 御神酒徳利のようなカップルの人たちは、パートナーが亡くなったらどうするのだろうと思う。ある人達は片方が亡くなったが、結局、最期はそれほど仲良くなく、残された人もからだが衰えて自力では暮らせなくなっている。どっちみちそうなるのだ。意気盛んな働き盛りに忙しくそれなりに仲良くしたり喧嘩したり、そういう時期を過ごせたのだからそれでよいのだろう。

 最期にあまり見苦しくなく終えられたらそれでいいな、と思うこの頃。孤独はついてまわる。見送る人も見送られる人も、それぞれが自分の心の中に小宇宙をかかえ、独りぼっちでいる。それを感じないのは、単に目を覆っただけのことだろう。





 

折に触れ、悔しい思いのすること

2012-10-01 09:48:52 | 日々の雑感
何度かここにも書いている過去の某団体の裁判に巻き込まれ、ヒステリックな集団から誹謗中傷されたいやな出来事。

 その当事者が書いた本を、また超有名な某団体の理事長が、自分のゼミで取り上げたりする。もう、いい加減にしてほしいのだ。私については特に悪口は書いていないそうだが、(私は不愉快なので読まない)、それでもそれとなく悪い印象を与えるような記述はあるそうだ。露骨に私のことを悪く書くと、反対者がたくさんいることはわかっているので、著者は私については慎重だ。単なるパフォーマンス(だというのははっきりしている)の詫び状も送ってきているし、とにかく、要領良く立ちまわる人だ。

 その巧みさが一番表れているのは、思考停止して彼女に帰依した取り巻き連中の操り方だ。実にうまい!

 行政官僚への不信と攻撃欲を持つ人たちをうまく煽り、その人たちを利用して、容赦ないアタックをかけ続けた。私はそのとばっちりを食ったのだ。時に、自分でものを考えない人たちは、自分たちのカリスマが指示する以上のことをする。カリスマは、言語化しないで、自分の望むことを配下の者にやらせる。私への誹謗中傷はそれだ。その人は、自分が直接手を下していないということで、困った取り巻きの人たちが勝手にやった、でも私の責任です、ごめんなさい、というパフォーマンスをする。すると、周りの良識ある人たちは、その人を信用するのだ。

 実にうまい! 舌を巻くしかない。

 これはおそらく天性の素質だろう。私のような凡庸な人間にはとても真似できない。否、真似したいとも思わないが。

 こんな人が、職を奪われ裁判に訴えるしかない、というこの世の中は、ほんとうに厳しい世の中なのだろう。つまり、この人以上に強く、狡猾な人が、牛耳っているということだ。身震いするよ、怖さで。

 それにしても、釈明したいことは山ほどあるが、あの烏合の衆からまたもやヒステリックな攻撃を受けるかもしれないと思うと、釈明も出来ない悔しさがある。
 人生というのは、くやしいものだ。



 

 

年をとるということ

2012-10-01 08:30:28 | 日々の雑感
 某団体がもめていた。ここのところトラブル続きの団体だ。

 私は既にひいているので、間接的に噂を聞いたり、一時は相談されて相談役になったりしていたが、正直な話、誰の味方もできないので、引き気味だった。

 その間接的に聞いた話では、団体の立ち上げ時から活動している古いメンバーと後から入ってきた若いメンバーとの間にどうも亀裂が入っているようなのだ。若いメンバーは、新しい目で団体を見る。すると、古いメンバーの間で流通する暗黙の了解や阿吽の呼吸みたいなものが、どうも手続き的にいい加減で、いつどこで決まったかも明瞭でないルールがまかり通っていると見える。そこで、異議申し立てが起こる。それに対して、古いメンバーは、確かに正式な手続きを踏まえているのではなく経験則と慣習でおこなってきているので、うまく理論的な説明ができない。それでも、一生懸命やってきたのに変わりはない。これまでの団体の不具合をツギをあてるように、あちこち整備しながら一生懸命ボランティアでやって来たのだ。つまり、古家を建て増ししたり、離れを作ったり、棚をつくったり、雨漏りを修繕しながらの今日なのだ。見た目は悪いし、どこがどうなっているのか、全くすっきりしない造りだ。そして、その見えてきたおかしな継ぎ目や頭をぶつけそうな棚について、批判がでてきたわけだ。

 その都度その都度工夫してあちこち手を入れながら、この古家を愛し続け、保ち続けた古いメンバーにしては、とんでもないいちゃもんに聞こえる。そして出た言葉が、「私たちのやってきたことに対して、敬意がない」。

 それを間接的に聞いた時には、伝えた人は「姑根性だ」と言うし、私もさらに上の世代の人たちが自分たちのやりかたに固執して後進に道を譲らなかったあの老害に近いと思った。しかし、また、その年寄りの方の気持ちも痛いほどわかる。若い人に後を譲っていくのは大事だが、今日あるのは古い人間が歯をくいしばってがんばってきた賜物であることもわかってほしいとつい思ってしまうのだ。

 急に現れた人に、年寄り扱いされ、やり方を批判され、押しのけられていくのはやはり辛い。これまでの自分がかたむけた努力、熱意、成果が踏みにじられるような気分。
 これを乗り越えて執着なくあっさりと去らないと、またあのような見苦しい老人になってしまうのだなと思うとやるせないが、過去を過去として見送るのも私たちの役目かもしれない。