凡々たる、煩々たる・・・

タイトル、変えました。凡庸な人間の煩悩を綴っただけのブログだと、ふと気付いたので、、、。

父が死にました

2004-11-20 01:19:22 | 
私の、一つの時代が終わりました。
私のまわりの人が死にます。続けて、、、

人を亡くしても、とても大事な人を亡くしても、人間って、性分は変わりません。意地悪な人は、泣きながらも意地悪だし、自己中の人は悲しみながらも自己中です。
母は、危篤の父のベッドの横で、孫に、自分の年金が少ないこと、父が生命保険を残してくれなくてうらめしいことなどを話し続けていました。息の弱くなった父が、目を閉じている横で、そのような話をし続ける母は、30歳代の頃から、「お父さんが死んだら、私は生きていけない。生命保険も入ってくれないなんて、私は愛されていない」と、嘆いていた母そのままでした。

父、、、

2004-11-04 00:42:41 | 
父が死にかけています。わたしをたくさん悲しませ、苦しめた人です。でも、きっと父なりに愛情はあったのでしょう。娘に「心」などあるとは思いもかけなかった、昔の男です。娘が自分でものを考える「頭」を持っているなんて、考えもしなかった大正生まれの男です。
でも、きっと彼なりに愛情があったのでしょう。私自身は、愛情をもらった実感がなく、母からももらった実感がなく、未だに愛され足りない悲しさが私を襲います。
愛を知らないで育つと、結局、最後までその埋められない心の穴に苦しむのでしょうか。

父が死にかけていて、その父を見ていると、私の知らない父が、私の知らない心の世界を持っていたことをあらためて思い知らされます。がんこで、自分を強く見せたがった、でも、彼なりに一生懸命がんばっていた壮年期の父を思いだして、今の終末にいる老人そのものの父が悲しくて、泣きそうになります。
 昨年、何よりもつらい、恐ろしい、死に直面したばかりなので、平均寿命を超えて生きた父への思いは複雑です。昨年の辛さが、ぱっくりと傷口を開けます。あの働き盛りのあの人が先に死んで、この世にもう何の用もなさげにぼけてしまった父がこんなに長く生きるのか? 何か、苦しくてつらくて、いたたまれなくなるのです。