凡々たる、煩々たる・・・

タイトル、変えました。凡庸な人間の煩悩を綴っただけのブログだと、ふと気付いたので、、、。

年を取るということ

2013-11-25 12:48:12 | 人生
 この今の日本で、年を取るということは、ほんとうに過酷なことなのだろう。否、これまでも過酷で、多くの高齢者はそれを何とか乗り越えていったのだろう。年老いて、子や孫と平凡で穏やかな日常を過ごすことができれば、それ以上の喜びはない、と、多くのお年寄りが言っていたのを聴いてきたような気がする。若いときは、そんな、平凡なだけの日常の何が良いのか、さっぱりわからなかったけれど。平凡で穏やか、、、が、それはなかなか手に入らないものであったのだ、と、この年齢になるとわかる。いろいろなものを諦めて、それさえ手に入れば、と願って来た人だけが手にすることのできる贈り物だったのかもしれない。「女の自立」とか「ほんとうの自分」とか「自己実現」とか、そんなものを追い求めて来た者に、与えられる「老後」ではない。

 また1人、同年配の知人の訃報を聞いた。若い時に離婚して、男の子を同性パートナーと共に暮らして育てて来た人だ。子どもが成長してからパートナーと別れ、新たに若いパートナーを得て、幸せそうに暮らしていた。しかし、その内面の葛藤はいかばかりだったかと思う。長年のパートナーとの慣れた関係を離れ、若いパートナーを得たことが幸せだったのかどうか、、、。その若いパートナーはとても献身的で、その献身ぶりを見ていると、その人自身がきっと素晴らしい魅力を持っていた人なのだろうと想像する。が、すべては、外部からは想像するしかないからな、、、。

 私はパートナーに恵まれない人間だが、それはまた、私の不徳の致すところなのだろう。親にさえ疎まれた自分が、誰かに愛されるわけはない、という心のどこかにある「愛」とか「絆」というものへの不信はぬぐい去れない。

 先日、数人の女性達と話していて、「あなたのことを好きだという人がたくさんいるよ」とか、「あなたは独り占めしたくなる人なのよ」とか、歯の浮くような言われ方をして、こそばゆいような感じがして、「それなのに、なぜ幸せになれないのか、、、」と冗談で返したけれど。1人だけ、事情を汲んでいない最近の知り合いがいて、「でも、みんな女の人なのよ」とわざわざ教えてくれたけど、、、。
 いくら「好き」だと言われても幸せになれなかった、、、だからと言って、「好き」とすら言われなかったら、もっと不幸だ。

 幸せの秘訣は、やっぱりこちらのキャパの問題だ。
人を幸せな気分にすることができる時、人から好まれるのは、経験上わかっている。ただ、もうそういう努力もしたくない、というだけの話だ。そしてその努力を辞めた頃に、これまでの実績を讃えられる。賞賛も愛も、きっと諦めた頃に降ってくるのだろう。そして、こちらはもう、白けている。

 それでも、とにかくもっと惨めにならないために何をしようかとは考える。他人に何かを期待しても、得られるわけではない。私が私をいい気分にすること、それしかない。が、この社会は、そのための材料が少ないなぁ、、、という実感だ。
 熟年以降の友人達が、無意味な反復ゲームにはまるのもそういうことなのだろう。死ぬまでの時間つぶしを探している。