子どもが小さい頃、私が高熱を出した。激しい頭痛を我慢しながら、子ども達にご飯をつくり、「自分たちで食べて」(もう小学生と幼稚園の子どもだったので)と言い置いて、自分は布団を敷いて、隣の部屋で寝た。すさまじいしんどさだったのだけは覚えている。後で熱を測ったら、41~2度あった。
その時の記憶にあるエピソード。息子が枕元に来て、何か用事を頼んできたのだったと思う。「もう、お母さん、死にそうなのよ、勘弁して」とうわごとのように言ったのだったと思う。何もしてくれなくても、せめて少しくらい心配してよ、という気持ちで「お母さん、死んじゃってもいいの?」とか何とか、言ったのだと思う。息子は向こうへ行ってしまった。ただ、私はじっと横になっているしかなかった。
すると、息子が目に涙をいっぱいためて、またやって来た。ちょっと言い過ぎたか、とかわいそうになった。大丈夫よ、と言ってやらなければと思った。すると、息子がこう言った。
「お母さんが死んだら、誰が僕らのご飯をつくるの?」
自分のリアクションは覚えていない。その息子の言葉で、記憶の場面が凍結している。
親しい友人がいつも言う。私が弱ったり、病気がちだったりすると、決まって言うのは、「あなたが死んだら、私はどうなるの?」「一人で生きないといけないの?」と。
だから、長生きしてくれ、と。どうやら、私が手厚く看病をして、心静かに満ち足りて、彼女が旅立つのを見送らないといけないらしいのだ。
私にはずっと理解不能の考え方だ。先に死んだ人をかわいそうとは思ってきたけれど、一人残される自分がかわいそうとか、そうなったらどうしよう、とか思ったことがない。と言うより、いつも一人の気分でいる。
母だけでなく、こういう人がまわりにいるのも、やはり私の問題なのだろうか?
どうも私は、人の甘えを引き出してしまうらしい。
私に面倒を見てもらおうと思う人はまわりにいるが、私の面倒をみようという人はいない。また、私も誰かに面倒をみてもらおうと思ってはいない。母が亡くなったら、一人でどこかに行こうかとさえ思っている。子ども達の負担にならないように。
嘗て、父親の墓前で自殺したタレントがいたが、その人のことを思い出す。介護ウツだったと言われている。そして今、私自身がそうなりそうなのだ。もう、自分の人生を生きる意欲がわかない。母に捧げるしかない。そして、それが幸せなこととは思えない。もう、終わりなのかなと思い始めている。
子どもの頃から感じていた孤独と悲しみが、結局、人生の最後まで私の道連れなのかと思う。
その時の記憶にあるエピソード。息子が枕元に来て、何か用事を頼んできたのだったと思う。「もう、お母さん、死にそうなのよ、勘弁して」とうわごとのように言ったのだったと思う。何もしてくれなくても、せめて少しくらい心配してよ、という気持ちで「お母さん、死んじゃってもいいの?」とか何とか、言ったのだと思う。息子は向こうへ行ってしまった。ただ、私はじっと横になっているしかなかった。
すると、息子が目に涙をいっぱいためて、またやって来た。ちょっと言い過ぎたか、とかわいそうになった。大丈夫よ、と言ってやらなければと思った。すると、息子がこう言った。
「お母さんが死んだら、誰が僕らのご飯をつくるの?」
自分のリアクションは覚えていない。その息子の言葉で、記憶の場面が凍結している。
親しい友人がいつも言う。私が弱ったり、病気がちだったりすると、決まって言うのは、「あなたが死んだら、私はどうなるの?」「一人で生きないといけないの?」と。
だから、長生きしてくれ、と。どうやら、私が手厚く看病をして、心静かに満ち足りて、彼女が旅立つのを見送らないといけないらしいのだ。
私にはずっと理解不能の考え方だ。先に死んだ人をかわいそうとは思ってきたけれど、一人残される自分がかわいそうとか、そうなったらどうしよう、とか思ったことがない。と言うより、いつも一人の気分でいる。
母だけでなく、こういう人がまわりにいるのも、やはり私の問題なのだろうか?
どうも私は、人の甘えを引き出してしまうらしい。
私に面倒を見てもらおうと思う人はまわりにいるが、私の面倒をみようという人はいない。また、私も誰かに面倒をみてもらおうと思ってはいない。母が亡くなったら、一人でどこかに行こうかとさえ思っている。子ども達の負担にならないように。
嘗て、父親の墓前で自殺したタレントがいたが、その人のことを思い出す。介護ウツだったと言われている。そして今、私自身がそうなりそうなのだ。もう、自分の人生を生きる意欲がわかない。母に捧げるしかない。そして、それが幸せなこととは思えない。もう、終わりなのかなと思い始めている。
子どもの頃から感じていた孤独と悲しみが、結局、人生の最後まで私の道連れなのかと思う。