凡々たる、煩々たる・・・

タイトル、変えました。凡庸な人間の煩悩を綴っただけのブログだと、ふと気付いたので、、、。

友の死

2011-02-25 06:11:38 | 人生
 古い友人が亡くなって昨日はお別れ会。

 棺に横たわって目を閉じている彼女は、すっかり小さくなって、美しくエンバーミングを施されて、私の知らない彼女だった。その頭上に飾られている写真は、それよりもちょっとふっくらして笑顔でいる、私のよく知っている彼女。

 もう、何人もの人を見送ってきた。亡くなった彼女と共通の友人が、「ねぇ、私たちの回りは早いと思わない?」と言った。そう思う、と深くうなずく私。
 団塊の世代が死に始めている、という感じだ。私たちの親の世代が、一番長寿の世代なのかもしれない。これからは人間の寿命は短くなっていくよ、とよく言うのだが、このような近い友人が亡くなると、その感は強まる。

 全力疾走した人だった。彼女に一番近かった人と少しだけ話をした。「少しは歩みをゆるめて、休んで、もう少し長く生きてくれたらよかったのに」と言うと、そうです、そうです、と彼は肯定した。でも、ものには時機があって、今やらないといけないことがある、今やらなければ、もうやれないんだ、と言う彼女の声が聞こえてきそうだ。
 全力疾走するのが彼女だったのだ。時には、そんなことも? と驚くくらいの言動に出た。目的のために、思い切った手段に出ることもあった。手段が目的と合致するべき、という、私のだるい価値観とは異質の、鋭さ、決断力があった。
 だから、あそこまでの仕事が出来たのだ。

 古い友人を大事にする姉御肌のところがあって、忙しい最中にも、私の快気祝いを共通の友人とやってくれた。行動力のある、決断力のある、自立した(しきった)女だった。
あまりにも違うので、仲良しだった。

 地元の新聞が大きく報じていて、あぁ、ここまで来ていたんだと、あらためて思った。直接私の仕事とからまないので、あまりよく知らなかったが、大きな仕事をいくつもしていたようだ。
 勘と行動力が、とびきり優れた彼女は、行政のトップともしっかりつながり、確実に事業を広げていった。その足跡は、しっかりと残った。
 行政と喧嘩をして干されてしまう私などとは、ほんとうに違う。

 どんどん、人を失う。どんどん、寂しくなる。
 
 とにかく、私も自分の仕事をしようと思う。仕事をしてから、死のうと思う。

 


辺境人って、、、

2011-02-19 14:01:11 | ことば
 誰かがどこかでは使っていそうな言葉だと思っていたが、ついこのあいだまで、書店で平積みになっていた内田樹さんの『日本辺境論』の中でも使われていると知った。一瞬買おうと思ったが、以前、この人の何かを読んで、自分とは違うとわかったので、やめにした。でも、タイトルから言っても、同じような関心領域なのだなぁと思う。いつも、この人にどこかで行き当たる。
 ま、そういう人はたくさんいるのだけれど。

 私の辺境人は、もう少し、「私的」なところからスタートしているが、ずっとそうだったのだろうな。自分の実感からしか出発できない私のような者と、常に天下国家がテーマである人との違い、、、。

 が、しかし、天下国家のことを論じるのに、「私」の「現場」を抜きにしては空疎な論理に過ぎず、自分自身の足下からこそ天下国家の問題に通じるのだということを喝破したのがフェミニズムだと思うが、、、。

 今の私の関心事の一つは、感情と組織。もう少し頭の中を緻密にして、考えたいが、年末から体調がイマイチなので、頭もろくに働かない。

 

タイトル変更

2011-02-18 14:17:31 | Weblog
 京都人を辞めて、辺境人にした。「京都人」というカテゴリーなんかあり得ないよなぁ、と考え出したら、落ち着かなくなったのと、「辺境」にいるなぁと、しみじみ思うことが多くなったので。

 どこにも、どっぷり浸かれない、どこにいても少数派のことが多い、どこにいてもボーダーにいるなぁと思うことが多いので、こちらの方が自分にはふさわしいと思う。
 でも、たぶん、そのように思っている人は多いはず。この世の既存のカテゴリーに、「ぴったり!」なんていうことはあまりなくて、新たな概念を提示されると、それこそが自分が思っていたこと、と飛びつくことはよくあるが、しばらく経つと、それもちょっと違う、と思い始める。

 知人の若い人が、自分は「女ではなく、男でいたい」と、FtM(女性から男性に移行する人)の自己アイデンティティを獲得して、そのグループに参加したが、参加しているうちに、また違和感を抱き始め、最終的に、「女でもないが、男でもない」という境地に達した、と語るのを聞いたことがある。とても共感できる話だった。
 既存の「女」カテゴリーのイメージは自分と違いすぎて「女」アイデンティティを持てない、が、だからと言って、「男」なのか? と問われると、絶対「男」でもない、と思う。実は、女性の中には、自分のことを「あまり女らしくない」とか、「むしろ、男に近いのよね」と言う人は多い。世間で流通する「女」イメージがあまりにも窮屈なので、そこにはめこまれたくないのだ。が、実は、「男」でもないことは、本人が一番良くわかっている。
 男性は、「よくぞ男に生まれた」という歓迎ムードで、生まれてくることが多く、まだまだ男性優位の社会であるので、一応、「男」であることを肯定しないといられないところがある。むしろ、男性は、「男というより、どちらかと言うと、自分は女性に近い」とは、MtF(男性から女性に移行する人)でないかぎり、男性は言わないように思う。「女性」は社会的に二次的カテゴリーであるから、自ら二次的地位の者にアイデンティファイする男性は少ない。が、世の中に流通する「男」カテゴリーが持つイメージに、違和感や束縛感を抱く男性も少なくないだろうと想像する。だからと言って、「女に近い」とは口が裂けても言えないのは、「女々しい奴」だの「男らしくない」だの、男性として培ってきたプライドすなわち人としてのその人の尊厳のようなものに関わってくるからだろう。

 たぶん、通常、人は、「男」イメージにも「女」イメージにも近くない。そこに近づかないといけないような規範がはびこっているだけだ。イメージは生身の人間存在とは無関係に流通している。

 そうしたジェンダーに関わるアイデンティティについては、ある程度、考え尽くしてきたが、他のカテゴリー、特にパワーと正義に関わるカテゴリーについてなど、まだまだ、私にとって、課題は多い。

 で、とりあえず、「辺境人」。くれぐれも、「偏狭」人にならないように、気をしっかり持っていかねば、と思う。

 なんて、思いつきで書いちゃうし、タイトルも変えちゃう、「気まぐれ人」でもあるのよね。







約束

2011-02-03 21:27:50 | 人生
 私が生まれてくる前から、既に決められていたこと、、、明言されないが、既に共有されているに違いないこと、、、こうしたことにずいぶん苦しんだ記憶がある。

 昔、誰だか忘れたが、あるフェミニストが、「女たちはいつ約束したのだろう、一生、食事を作り続けると」と、書いているのを読んで、自分が交わした覚えのない取り決めに不可解な思いを拭えない女性が、他にもいるのだと知った。
 が、母達は、何かわかっているようなのだった。いつ、どこで、そのような約束を取り交わしたのか、語られたことはないが、納得していることがたくさんあるようだった。私は、「なぜ?」と訊き続ける子どもだった。自分の回りの皆が、わかっているらしいのに、私だけが承知していない、ということがたくさんあって、なぜ? なぜ? と食い下がってはうるさがられた。
 なぜ、怖いこと、危険なことを、母は「お父さんに任せておきなさい」と言って、私を引き留めるのか? 怖いこと、危険なことは、父にも怖くて危険ではないのか? スーパーマンでない父が、危険でないはずがない。それでも、母は、自分と私だけが安全な場にいることを、何のためらいもなく、選んでいた。そして、なぜか?と問う私に、明確な答えが与えられたことはなかった。

 「世間の常識」というようなものがあって、それを共有している人たちが多数派で、そういうものが存在することは知っているが、その内容に理不尽なものを感じる私は、少数派だった。
 理由を尋ねても、「そういうものだ」としか答えない人たちは、何をどのように了解しているのだろう。
 私の講演はわかりやすい、と言ってくれる人たちが、結構いる。たぶん、私が、「そういうものだ」と言わないからだろうと思う。理由を述べ、構造を述べる。「そうなっているから仕方がない」というような言い方はしない。それは、私自身が気持ちが悪い。もし、説明のつかないことがあれば、「そうなっているが、まだ理由は解明できていない」と、課題として提示する。だから、真面目に聞こうとする人にとって、不可解な余韻を残さないのだろうと思う。それがわかりやすい印象につながったのかもしれない。

 ここ何年も、本を読めなかった。仕事でやむを得ず目を通す以外は、本を読むことが困難だった。何かが、私の中で、変わった。が、やっと、少し戻ってきたかもしれない。それまでの人生にはなかったほど、あまりにも理不尽な出来事の連続で、情報を習得する回路がマヒしていたかのように、読書力がストップした。少し、治ってきた気がする。

 昨夜、彼が生き返った夢を見た。生き返らせたのは私だった。賢明に努力をして、彼が生き返ったので、長年の苦悩も悲哀も宿題も、すべて終わった気がした。あぁ、やっと~、彼が帰ってきた、と安堵した。あれは、私の中の何を示すものだったのだろう。
 一つ、関わっている団体の起動しなくなったPCを直したけれど、それだったのかしら? それが、でも、彼になる。ほんとうに、よみがえらせたいのは彼だから。私の目の前で確実に亡くなったのに、最後の息を吐くのも見届けたのに、未だに彼がよみがえることを願っている。ありもしないことを、、、。
 決してかなわぬとわかっている願いを願い続ける私は何?
 そんな話聞いてないよ! と、最も理不尽な出来事に抵抗し続けている。