時々ふと思うので、言葉にしておこうと思う。
他人を見ていて、ああいう人は最低だ、ああいう人にだけはなりたくない、いや、全く違うタイプだからなりようがない、と思うことがある。私にとってどういう人かというと、卑怯な人、要領ばかり良くて狡知に長けている人などがそれだ、およそ、自分とは対極の人だと思っている。
でも、ふとした時に、私が唾棄すべきいやな人だと思っているその人のその部分が、自分にもあるのではないかと思うことがある。
どういう時にそう思うかは、うまく言えない。あれ? と思うことがあるのだ。
他の人から同じように見られている、と感じるときかもしれない。全く違うのに、、、と思うと同時に、え? ひょっとして同じ穴の貉? と一瞬考える。しかし、それは、すぐさま自分の中で打ち消される考えだ。
が、自分を自分に都合よく解釈するのはあり得ること。自分の良いところを肥大させて考えることで、もともと自己肥大型の人はますます尊大に、もともと自己卑下しやすい人は最後の砦のように自分の良い部分を抱きかかえる。そして、欠点に目をつぶる。自分の大嫌いな人と同じ欠点に。
冷静に自分を意識しよう。私も人と同じだ。どこか卑怯でずるいから、今まで生きてきたのだ。くたくたに疲れている時の満員電車で、なんとか空席に滑り込んだ時の私はすばしこくて他の人の疲れには気持ちがいかない。さすがによぼよぼの人が目の前に現れたことに気づけば席を代わるけれども、それも普通、人は誰でもすることだ。
誰でもすることを私もしているにすぎない。特別正直者でも、特別ピュアでもない。ずるかったり、卑怯だったり、要領が良かったり、大嫌いな人と同じことを私もして、生き延びてきたのだ。
叱られないように人の背中に隠れ、失敗をこっそりとなかったことにしたこともあるような気がする。おんなじ、、、。全然立派じゃないのだ。
よく究極の状況を考えることがある。若い頃、怖くて最後まで読むことができなかったフランクルの『夜と霧』にだったろうか、「最も善き人は帰って来なかった」という有名な言葉がある。毎夜、犠牲者を選び出す地獄の儀式の中で、誰もが死の恐怖で戦いていた時に、選び出された少女の身代わりを申し出た人の話だったと思う。折に触れて思い出すのだ。私ならどうするだろうと。ひたすら目立たないように息をひそめて、選ばれてしまった人の後ろ姿を苦痛と悲哀に声をころして泣きながら見送ったのではないか。
私は愚かな群れの中のひとり。その私がどう生きるか、どう勇気を持って誠実に生きるか、それしかないような気がする。
他人を見ていて、ああいう人は最低だ、ああいう人にだけはなりたくない、いや、全く違うタイプだからなりようがない、と思うことがある。私にとってどういう人かというと、卑怯な人、要領ばかり良くて狡知に長けている人などがそれだ、およそ、自分とは対極の人だと思っている。
でも、ふとした時に、私が唾棄すべきいやな人だと思っているその人のその部分が、自分にもあるのではないかと思うことがある。
どういう時にそう思うかは、うまく言えない。あれ? と思うことがあるのだ。
他の人から同じように見られている、と感じるときかもしれない。全く違うのに、、、と思うと同時に、え? ひょっとして同じ穴の貉? と一瞬考える。しかし、それは、すぐさま自分の中で打ち消される考えだ。
が、自分を自分に都合よく解釈するのはあり得ること。自分の良いところを肥大させて考えることで、もともと自己肥大型の人はますます尊大に、もともと自己卑下しやすい人は最後の砦のように自分の良い部分を抱きかかえる。そして、欠点に目をつぶる。自分の大嫌いな人と同じ欠点に。
冷静に自分を意識しよう。私も人と同じだ。どこか卑怯でずるいから、今まで生きてきたのだ。くたくたに疲れている時の満員電車で、なんとか空席に滑り込んだ時の私はすばしこくて他の人の疲れには気持ちがいかない。さすがによぼよぼの人が目の前に現れたことに気づけば席を代わるけれども、それも普通、人は誰でもすることだ。
誰でもすることを私もしているにすぎない。特別正直者でも、特別ピュアでもない。ずるかったり、卑怯だったり、要領が良かったり、大嫌いな人と同じことを私もして、生き延びてきたのだ。
叱られないように人の背中に隠れ、失敗をこっそりとなかったことにしたこともあるような気がする。おんなじ、、、。全然立派じゃないのだ。
よく究極の状況を考えることがある。若い頃、怖くて最後まで読むことができなかったフランクルの『夜と霧』にだったろうか、「最も善き人は帰って来なかった」という有名な言葉がある。毎夜、犠牲者を選び出す地獄の儀式の中で、誰もが死の恐怖で戦いていた時に、選び出された少女の身代わりを申し出た人の話だったと思う。折に触れて思い出すのだ。私ならどうするだろうと。ひたすら目立たないように息をひそめて、選ばれてしまった人の後ろ姿を苦痛と悲哀に声をころして泣きながら見送ったのではないか。
私は愚かな群れの中のひとり。その私がどう生きるか、どう勇気を持って誠実に生きるか、それしかないような気がする。