凡々たる、煩々たる・・・

タイトル、変えました。凡庸な人間の煩悩を綴っただけのブログだと、ふと気付いたので、、、。

根回しということ

2012-01-30 15:17:12 | 組織・集団
 また、私のおバカぶりを露呈させるだけなのだけれど、自省も含めて振り返っておきたいとおもうことがあった。

 某組織では、私は相談役のような位置にあって、今は正式の役員ではない。そこは以前から内部トラブルが絶えない感じがあって、私自身は距離を置いているのだが、私がまだ役員だった頃から、組織の中枢にいる人が、自分の思うようにいかない事態になると、自分の味方になりそうな人を集めてその人たちだけで話し合いを持つ、ということをよくやっていた。1,2度、「そんなに、あの人をはずし、この人をはずし、というような水面下の話し合いばかりやっていたら、少しも前へ進めないから、話し合いはみんなで」と、助言したこともある。

 で、このたび、またもや私ともう1人の旧役員と3人で会いたいと言ってきた。組織のことで、、、と言ってきたので、またこの人の悪い癖が始まったか、と思った。こうして、個人的に根回しをするのがこの人のやり方なのだろう。また、私が、現在この人と対立している若い人から相談を受けて、単にその組織の仕組みを説明したのだが、急に賢い発言を始めたその人を見て、私が知恵をつけたと思ったのかもしれない。だから、私を牽制したいのかもしれない。が、私は単に、組織について全然知らなかった若手の新人に、この組織はこういう仕組みになっていて、あなたの場合はこういう権利と責任があるのですよ、と正式な組織のお約束事を教えただけだ。それくらい、その人もすぐに認識するようになるだろうことだ。

 組織に感情をからませると、どうしても分裂につながる。感情には善き感情と悪しき感情がついてくるので、感情を絡ませると、善い人、悪い人、というように対立の構図ができる。私はもう、感情のこもった組織観にはつきあいたくない。それで、集まりについては断った。もう1人の人がどういう反応をしたのかは知らないが。旧役員同士で秘密に話をするのもよくないように思えたので、相談はしていない。

 それで思い出したことがあった。友人の1人が職場の会議で提案したことについて、古参の職員から「そんなこと、急に言われても」と反発された、と言う。それは、会議にかける前に自分に相談せよ、ということだったらしい。
 その話を聞いて、私も自分の経験を思い出した。会議で皆の意見を問おうとすると、「急に言われても困る」と反発されたので、その後、会議に先立って、議題を書いた文書を配ることにした。急に言うと困るのなら、予め、議題をわかっておいてもらおうと思ったのだ。しかし、それでも風当たりはきつい。最後まで古参の部下からの風当たりがきつかったのだが、「あ、そうか」と、気づいた。私はその古参の部下に、「折り入って相談がある」と話をしに行く、つまり根回しをする、ということをしなかったので、ずっと反発され続けたのだ。
 私は在職中、ただの一度も、根回しをしていない。特にその古参の部下は信用できない人なので、個人的な気持ちでは会議からはずしたいくらいだった。意地悪で建設的な意見は出てこない。ただ、私が意見を求めていなくても、私に説教しに来るくらいだから、古参として立てて、他の誰よりも先に耳に入れておいたりすると、機嫌がよかったのだろう。機嫌良くさせておけば、ひょっとしたら時には、私の役に立ったかもしれない。
 私は何よりもそういうことが嫌いなので、その人に特別にお伺いを立てることは金輪際なかった。もう1人の部下がその人の意見を聞こうか、と私に言ってきたけど、反対した。が、今思えば、私も頑固者。あんな奴に相談したって、ろくなことは言わないだろうと、見込みをつけて、はなから相手にしていなかった。

 向こうもいやな奴だったけど、向こうからすれば、私は向こうの手腕も経験も威厳も認めないいやな奴だったのだろう。ただ、私はどれほどいけ好かない相手であっても、仕事のことは極めてニュートラルに行動するので、全く公正だったという自負はある。

 組織を運営する、ということが、そういう一癖も二癖もある相手をうまく籠絡する手腕にかかっているのだとしたら、真っ当に会議の場で民主的に決めてゆきたい、という私のような者のやり方は、あまりにも世間を知らなすぎるやり方なのだろう。そして、それが求められるなら、私はやはりそういうポジションに就くべきではなかったのだ、ということだな。


言い古されたフレーズに自分を仮託すること

2012-01-23 09:58:01 | 日々の雑感
 また、母をネタにして若干気がひけるが、しかし、この人は私にとって、幼い頃からの違和感を体現しているものだから、つい母の言動からの発見が多い。

 「年をとったら、子どもに返ると言うけど、ほんとやねぇ」と、少し前に言っていた。確かに、いろいろ動作が不如意になることが増えて、一緒に食事に行っても、必ずこぼしている。おしゃれな人なので、家にいてもきれいな服を着ているのだが、その胸元に食べこぼしがべったりついているのを見ると、悲しい気持ちになる。
 上等そうな絨毯を敷き詰めた日本料理のレストランで、母がテーブルの下ばかり見ているので何をしているのかと見れば、こぼした食べ物を足で絨毯ににじりつけている。それを見た時は絶望的な気分になった。母は、こぼしたことをなかったことにしてしまいたかったのだろうが、そのあまりの浅はかな行為に怒りすらわいた。勿論、母を制して椅子をおりて拭き取ったが、最初注意をしても、「ええよ」と言って断る。こっちが良くないんだよ! と強く言いたい気持ちをこらえるが、これが「女の鑑」みたいな顔をしていた母なのかと思うと、言葉を失う感じだ。

 そうした自分の失態(私はこぼすことよりも、それを絨毯ににじりつける行為の方を問題にしたいのだが)を、「年をとったら子どもに返る」という、言い古された表現に身を預けきって、恬として恥じない感じが、何かもう太刀打ちできないすごさだ。

 母は、世間が認めることに沿っていることが自分を支える根拠であるので、「孫は子どもよりもかわいい、と言う」のだと、私がまだ10代の未婚の時代から言っていて、私に息子が生まれたときは、自分の全ての思いをそこに託すように、息子をかわいがった。いつまでもうるうるした目で息子の寝顔を見つめ続け、自分の生き甲斐も情愛もすべてそこに注ぎ込むようだった。

 母を見ていると、この人の芯や軸はどこにあるのだろう、と思うことがある。たぶん、自分で考え尽くしたことがないので、世に流通する言い古されたフレーズを探し出し、自分に都合よく、それを味方につけることで、他からの批判を拒絶するのだろう。
 試したことがなくても、「補聴器はよく聞こえないで、雑音だらけ」という話を聞いてきて、はなから拒否している。受け容れたくないものを、世間で言われているフレーズを味方に、「だから~しない」と正当化する。
 この人と議論をする気は全くないので言い争うことはないが、この人の生き方では、人として発展しないのではないか、とは思う。

 「年をとったら子どもに返る」と言うのは、子どもに返るのではなく、親の世代が精神的に成長していないせいではないかと、私には思える。子どもの世代が成長して、親を追い越してしまうので、あれほど立派に見えた親の限界や理不尽なところが見えると、それが「子どもに返った」ように見えるだけで、最初から、その人の成熟に限界があった、というだけのことだろうと思う。母を見ていると、まことに子どもっぽい。幼いままだ。しかし、それが見えるには、私が母を超えて年をとらなければならなかった。
 一般に子ども世代の方が知恵がある。先人の知恵を踏まえてさらにそれに上乗せをしていくのだから、当然だ。

 自分が母のような年齢になったとき、母のように娘に浅はかだと思われないようなふうではありたいと思う。



知識人のマニキュア

2012-01-18 12:28:02 | 日々の雑感
 昨年、超有名知識人と食事に同席する機会があった。古い知り合いだが、あまりにも有名で偉くなられたので、嘗ては「友だち」と言ってもらっていた時期もあったが、もはやそうは呼んでもらえないだろう。
 しかし、長年、私がその仕事ぶりを尊敬して止まない人である。その人と同時代に生まれ合わせたことに感動を覚えてきたほど、その人が書くものに傾倒してきた。

 もちろん、私も少しは成長するので、その人との違いも見えてきた。昔は、私自身の問題意識を先取りしたようなかたちで、私の疑問に次から次、解答を与えてくれるような書きぶりに、夢中になったが、少しずつ異なるところが見えてきた。違いがあるのが当たり前なのだが、傾倒すると、その人にそのまま呑み込まれてもいい、もう自分など要らないとさえ、思ったりする。

 今気づいたが、女の人が男に自分を捨てて尽くす話はよくあるが、それって、これと同じようなものなのか?

 ま、とにかく、私はその超有名知識人と同席して、ちょっと緊張していたり、でも嬉しかったりと、いろいろ心をざわつかせていたのだが、帰りの電車で手元を見ると、美しいゴールドのマニキュアをしていた。
 私はマニキュアとかペディキュアとか、その類の装飾には違和感を感じてきた。まぁ、不慣れなだけなのだろうが、身体のごく小さい爪の部分に色を塗ったり、デコラティブな装飾を施す行為、というのは、それをおこなっている時の様子を想像するだけでもあまり気持ちの良い感じではなく、奇妙な違和感があった。愚かな女のイメージだった。が、わが尊敬するその超有名知識人がマニキュアを塗っている!
 思えば、その人は昔からおしゃれで、ダサイおばさん学者ではない。ファッショナブルな人だ。だから、そんなに不思議ではない。
 が、驚いたのは自分の心の変化。その人のマニキュアを見たとき、ネガティブな感情は起きなかった。そうか、この人も塗るんだ、と思ったとき、マニキュアに対してイメージが変わった。愚かな行為とは言えない。これほど尊敬するこの人がやっているのだもの。この頭脳がマニキュアを塗る行為に没頭している、と考えただけで、はかり知れない異世界に茫然とする感じだ。

 あらためてその超有名知識人との違い(もちろん違いはあり過ぎるほどあるが、私が感じた決定的な違い)は、たぶんジェンダー・アイデンティティのあたりではないかと思った。その人のジェンダー・アイデンティティは昔から揺らぎがないように見える。が、私は安定したことがない。このジェンダー二元論の世界の中で、私は自分の居場所がないような気がずっとしている。

 母という、「女」であることに、また「男に頼る女」であることに恬として恥じない感じの人と身近に接してきて、自分との距離を感じ続けてきた。私は、母ほど「女」ではない自分を感じていた。母は異性だった。父にはどちらかと言うと同じ文化を感じてきた。但し、決して、見倣いたくない、モデルにしたくない、だから反発し続けた同性、という感じ。母を異性だと思うのは、母につながるジェンダー世界への憧れが強く、しかし、自分は入れない、という感覚だ。否、入りたいのではなく、愛でたい、という感じに近いかもしれない。その美しさやその気むずかしさやたおやかさ、といった文化に同化したいのではなく、憧憬
のような感じなのだ。

 一方、見かけの良い男性を見ると、あのように生まれてきたかった、という羨望がわき起こる。羨望や嫉妬がわく。

 だから、私のマニキュア感覚は、自分もそうしたい、というより、そうか、この人も塗っていたのか、という驚き。そっちの人だったのね、という感覚だろう。
 まぁ、マニキュアを見る目がちょっと変わった、というだけの話なのだが、、、。






母がいよいよ重くなってきた話

2012-01-04 10:46:27 | 
 年末年始は、母とのつきあいが増える。母の家の年末の掃除を娘が頼んでくれたので、業者に来てもらうことにした。「家に他人を入れたくない」と言うのを、娘が説得してくれた。おそらく私だけなら、断固として受け容れなかっただろうが、孫娘に言われたのでしぶしぶ受け容れたのだろう。

 業者がやって来るという日、母の家に行ったら、いつもより濃い化粧をして口紅を紅く塗った母が居て、驚いた。しかも、普段しない掃除もしてある。他人を家に入れる、ということは、母にとっては大変なことらしい。

 そして年が明けて、足が悪く神社等にも行けなくなった母に、正月らしいことをさせてあげたいと思って、歩いていける近所のホテルに誘ったら喜んで行った。徒歩5~6分が杖をついて行ける範囲だ。もちろん、母の足では10分かかる。
 
 ホテルでのランチは母が一番喜ぶことなので、おいしそうに食べていた。丁寧に扱われるのも母のお気に入りだ。ただし、会話ははずまない。母は右の耳が完全に聞こえないので、隣で呼びかけても反応しない。辛うじて聞こえる左耳が、最近とみに悪くなっているようだ。うっかり、母の右側に座ってしまったので、声をかけるのが大変なので、「席を替わる?」と尋ねたら、要らない、と言う。ここまで聞こえなくても平気らしいのだ。

 そして、疲れたのでそろそろ帰ろう、ということになっての帰り道、親戚の話を始めた。母より少し年上の母の従姉の話だ。(子どもの頃、母とそのおばさんとが同じくらいの年だろうと言ったために、ものすごく怒られた記憶がある。「同じくらいの年に見えるとでも言うの?」 と大変な剣幕で、父を巻き込んで大騒ぎした。それ以来、その類の話題はタブーになった。)

 その従姉が今はパーキンソン病で、年末に骨折をしたためにその娘(私より一つ年下の私の又従妹)がずっと看病で大変だったらしい、とのこと。ふーん、と聞いていたが、やがて、その従妹の母親が、亡くなる前に姥捨て山に放り込まれて、従妹に対してとても怒っていた、という話をし始めた。私は「え?」と思った。母の従妹には弟がいて、生涯結婚をせず仕事にも行かず、親と一緒に暮らしてきた。もう70歳代だが、ずっと、親に面倒をみてもらって暮らして来て、「ひきこもり」の先駆けみたいな人だ。親が亡くなったので、そのまま生活保護を受けて暮らしている。

 その親に頼りっぱなしの弟ではなく、結婚して夫も子どもも孫もいる姉娘に対して、姥捨て山のような病院に放り込んだ、と、怒っていたというのだ。「弟の方には怒ってなかったの?」と尋ねると、「あの人は論外」と言い、「子どもが生まれたとき、ものすごく世話になったのに最後にひどいことをした」ということを言う。
 なぜ、母がそんな話をし始めたのかわからないが、母は、完全に「姥捨て山のような病院に放り込まれた」というそのおばあさんに感情移入している。

 長年母とつきあって想像するのは、毎年、年末の掃除を私がやっていたのを、昨年末は業者に任せたことに不安を感じたのだろうということだ。私自身が12月に入ってから何度も風邪をひき仕事も休み、しかも年末まで仕事が忙しくて、体調を戻す余裕すらなかった。3時間の母の家の掃除につきあい(業者が来るのに一人では母が心細がる)、その後、買い物に行って母と昼食を共にし、さらにその後、夕方には私の家に友人達が来ることになっていたので、自分の家の掃除をしなければならなかった。一日中、ほとんど座る間もなく走り回っていたのだが、体力の衰えをしみじみ感じた。

 しかし、母は私が母に捨て身で献身することを望んでいるのだろう。自分自身は、誰の介護もしなかったが、自分は手厚く思い通りにヘルプされることを当然のように望んでいる。私の近くに住みたい、と言っていたのは母なのだが、今となれば、親戚に電話をかけて「前の家がなつかしい」と盛んに言っている。母が懐かしいのは、前の家ではなく、さっさと歩けて何でも自分で出来た若い頃の自分なのだが、そのような分析はできない。前の家がよかった、と思っているらしいのだ。
 他罰的で(しかもターゲットは私)、幼児的で、非理性的な母がいよいよ顔を出してきたようで、頭が痛い。自分のうまくいかなさは、全部、父のせい、私のせい、だった。母にはさんざん辛い思いをさせられたので、その萌芽を感じるだけで恐怖が起こる。

 母によく思われることを望まない、それしか対処の方法はないだろう。あのようなタイプの人には、気に入られようと思うこと自体が罠だ。