凡々たる、煩々たる・・・

タイトル、変えました。凡庸な人間の煩悩を綴っただけのブログだと、ふと気付いたので、、、。

無責任な言動

2012-06-28 12:14:38 | 人間関係
 自分の反省もこめて思うのだが、人は自分に関わりのないことについては、極めて無責任になってしまうものだなと思う。

 何気ない他人の噂話、、、。自分にとってどうということのない関わりの第三者について、どうということのない会話の中で、ふともたらされる一つの情報。それは単にその場の刺激剤程度にしかならない他愛のない話題だとその場の誰もが考える。が、ある日、その第三者について、また別の場面で話題になる。「そう言えば、このあいだこんなことを聞いたわ」と、ついその場をちょっと盛り上げる、あるいは持っている情報を提供するというサービス精神で、聞いた話を伝える。しかし、その段階で、その第三者が、かなりシビアな状況に置かれているとすると、何気ない噂話はすでに何気ない噂の域にとどまっていない。その第三者が、誰かの恨み、あるいは怒りのターゲットになっているような状況にあったりすると、その何気ない噂話は、その人を貶める格好の材料に変化し始める。
 その第三者を恨んでいる人以外は、誰もその第三者に悪意をもって流した噂ではないとしても、もはや噂は、その人を陥れる罠の一つとなり変わる。

 が、誰もそれに対して、責任を感じない。噂話は勝手に変質したのであって、もともと悪意のない人は、自分が何気ない会話の中で言ったことが重大な結果を招いたとは気づきもしない。悪意も敵意もない人たちが、一人の人を追い詰め、ネガティブな風評に一役買うのだが、特別な秘密として伝えられたわけでもなく、何気なく「聞いた話」を何気ない会話に織り込んだだけなのだから、罪悪感は当然ない。むしろ、その「悪い」噂の発信源が自分だと、自覚すらしない可能性がある。

 そういうようなめぐりあわせは、多々、日々、起こっているだろうと思う。

 私自身、誹謗中傷にさらされて、これ以上ないほど傷ついた経験をした。しかもネット上に実名で。が、中傷した人たちは、全く自覚がなかったようだ。自ら捏造したわけではなく、誰かから聞いたことを書いた、という人はもちろん罪の意識はない。思い込みだけで書いた人も、悪いことを書いたとは思っていないようだ。悪態をついたわけではなく、自分の推理を書いただけだと思っている人もいる。単なる「感想」だと言う人もいる。しかし、ネガティブな情報を集めた、私という人間の像が浮かび上がる。言葉で「バカ」だの「死ね」だのと言ってきたわけではない。それならまだ始末がいい。そういう悪態につながる言葉ではなく、私の不誠実を浮かび上がらせようとするもの言い、私の卑怯さを印象付けようとする表現、、、、不誠実と卑怯さは、私が最も嫌い、最もそうありたくないという信念を持って生きてきた部分なので、その悔しさと言ったらなかった。
 しかし、自分たちの正しさを証明するために、その人たちは一生懸命、心を砕いて、私を陥れたのだ。

 そのことで私がどれほど傷つけられるか、というようなことには一顧だにしなかった。

 特に深いつながりのある人はいない。私のことは、どうなろうと気にならない遠い存在だ。だから、罪の意識もなければ、責任も感じない。

 人はそういうものなのだろうと自戒をこめて思う。たぶん、私もどこかで能天気にそのような何気ない「罪深い」会話をしたりしてきたのだろう。いつの間にか嫌われていたことがあったが、そういう私の不用意な言動が引き起こしたのかもしれない。

 疲れる、、、。時々、生きていることに、ものすごい無力感が支配する。