凡々たる、煩々たる・・・

タイトル、変えました。凡庸な人間の煩悩を綴っただけのブログだと、ふと気付いたので、、、。

甘えられない

2013-02-25 19:57:19 | 考え方
 昔、ひどいことをされたとか、心ないことを言われたとか、調子の悪い日は、そんないやなことばかり思い出す。もう、現役で仕事をしていないために、自分の居場所のない感じが強くて、悲観的になると、つらいことばかりがよみがえる。そして、それを克服することに無力感を感じてしまい、どっと疲れを覚えるのだ。

 人との関係を築くのは、私にとって大変なことだった。

 今もよく思う。人に悩みを打ち明けて、そして人の共感や同情を獲得し、仲間を確実に得ている人もいる。が、私はなにしろ、甘える事が出来ないたちだ。
 ある人が、いろいろ困難に遭遇してずっとそのことを私に話していた。その嘆きぶりに、私は専ら聞き役だった。その人が、腰を痛めて入院したことがある。もはや、頼りに出来るのは私しかいないということらしいので、とりあえず、困っているだろうと病院に駆けつけてあれこれ、言われるままに世話をした。そのうち、彼女が思っているような病院の対応ではないことがわかり、彼女はだいぶん怒っていて、それもずっとふんふんと聞いていたのだが、ある日、決定的に意に染まぬ事が起こったらしく、「もうあかん! 何もかも終わりや~!」とベッドの上で号泣した。私には言うべき言葉もなすべきこともない。
 その人が唯一信頼しているとかの他のクリニックの医師から、「余り文句ばかり言わないように、病院に合わせることも必要」とたしなめられたらしいが、それは私も同感だった。とにかく、文句が多い。ずっと苦情の言いっぱなしだった。じっと我慢し続ける必要もないと思うが、すこしは我慢も要るのではないかと思っていた。しかし、彼女は、私から見ると、ブルドーザーか何かのように、目の前に立ちふさがる障壁はガンガンなぎ倒して前に進む人だった。が、結局、思うようにならないことが起こったのだ。そして、上に述べたような、号泣となった。

 私はもはや立ちすくむ。同情も共感もわかない。私の身の上など知ろうともせず、私の気持ちなど尋ねることもなく、(私は彼女の友だちの友だちでしかなかった)、友人ですらない私の前で怒りと嘆きを爆発させる。
 私はこのようなことはしないなぁ、とぼんやりと思う。他人の前で号泣しない、あんなに壮大に嘆かない、何だろう、この人の無防備さは、と思う。

 機嫌の良いときは思いっきり機嫌良く、自分の話ばかりする。何度も会っているが、たった一度だけ、私の年齢、何をしてきたか、をちょっと話したことがあるだけだ。それ以外、ずっと彼女の話を聞き続け、怒りと嘆きを受け止め続けた。だぶん、誰にでも、安心できるとわかれば、それをするのだろう。彼女にとって、世の中は、敵と味方とで出来ているかのようだ。それでも、彼女はたぶん、私よりもよほど豊かな人間関係を持っているのだろう。

 私と一緒にいたいと言ってくれる人は結構いるが、どの人も、結局、私には甘えられるから、だ。基本的に、人に対して受容的だし、基本的に鷹揚だ。たぶん、こんな他人がいたら、好都合だろう。僻まないし、ややこしくないし。ただ、親しくならないうちは、私は近寄りがたい、と感じる人もいるらしい。親しくつきあうと、天然だし、気むずかしくないので安心するのだろう。そうして、安心してつきあってくれる人を、もちろん私もいやではない。ただ、私に甘える人はいるが、私を甘えさせてくれる人はいない。

 だから、時々疲れて、ふぅ~っと、消えてしまいたくなるのだ。年をとって穏やかな女だから、と、「お母さん」イメージを期待されても困るだけだし。

 

他人の悪意に巻き込まれない

2013-02-22 12:08:56 | 人間関係
 多くの人は、他人からいやなことを言われたり傷つくような言葉を投げられて、怒りを覚えたり、恨みに思った経験があるだろう。
 私も、もちろん、そんないやな記憶の積み重ねだ。心身共に不調のときは、そのネガティブなことばかり思い出されて、人とつきあうのがいやになることが多々ある。そして、自分はだめなんだと、落ち込んでしまう。

 が、冷静に考えてみると、相手からのネガティブな言葉は、相手が発したもの、つまり相手の発信事情によることなのだ。自分の価値をアッピールしたいために、他を貶めてみる人もいる。相対的に自分の価値が上がるのを期待してのことだ。
 また、ほんとうに、この私を憎らしく思っている人もいるだろう。その理由も様々だ。

 先日、50年ほど前の出来事が不意によみがえった。中学生の頃のことだ。同じクラスに結構親しくしている女子がいた。私のことだから、自分から友だちになりにいったわけではないが、比較的家が近いせいか、ちょくちょく遊びに来ていた。でも、それほど、親しい印象も持っていなかった。人なつっこい人なので、私は合わせている感じだった。その子(Yとしよう)は、路地の奥に住んでいる貧しい家庭の子という印象があって、イマイチ風采も上がらない、私の目から見ても、お世辞にもきれいとは言い難い子どもだった。しかし、学校での休み時間などは、ちょくちょく一緒に話したりしていた。話はしっかりしているし、頼りない印象はなかった。その子が、ある日、ぼそっと呟いた。「虎之助、死んだらいいのに」と。私は耳を疑った。ショックでしばらく口もきけなかった。それを聞きつけた同級生が、そのせいで私が落ち込んでいるのだと指摘したが、Yは笑っていた。
 それ以来、当然だが、Yとは交流はなかったと思う。Yと交流がなくなったことには、痛くも痒くもないことだったが、「死んだらいいのに」と望まれるほど憎まれていたことに、身が凍るような恐怖と不安を覚えた。
 ただそれだけのことだったのだが、先日、突然思い出したことがあった。私たちの中学生の頃は、清純スターと言われるような10代の少女スターが何人かいて、その中の一人について女子が数人で話をしていた。私は例によって、積極的にその話題に参加はせず、たぶんニコニコと皆の話を聞いていたのだろうと思う。その時、Yがこう言った。「あんな人、大してきれいじゃない。私よりちょっとかわいいだけじゃないの」と。そこで、今まで黙っていた私は、吹き出してしまったのだ。よりによって、Yの口から出たその言葉は、その場の誰が言うよりもふさわしくないと思った。私は吹き出した上に、笑い転げたのだろう、たぶん。そして、それはYの気をひどく悪くさせた出来事だったかもしれない。他の少女達の反応は覚えていない。私は、こらえきれずに笑ってしまったのであって、これほどおかしいことはないと感じたのだ。

 Yは私を憎んでいたかもしれない。Yも一人の少女であったし、きれいでいたかったかもしれない。が、私はYの風貌をどうしても評価できなかった。中学生にして、既にオバサン顔、色が浅黒く、垢抜けたところが一つもない、と見ていた。最近なら、「ブス」で売っている女芸人に似ている。
 しかし、私は、Yに対してとても失礼だったと思う。当時、私も容貌コンプレックスを持つ、思春期の少女ではあった。母のように美しくない、ということで私は自分をとても不細工な女なのだろうと自分の容貌を嫌いだった。しかし、男子から「きれい」と言われることもある私は、最低でも、Yよりはきれい、と思っていたのだ。どんなにひどくても、Yよりはまし、と思うくらい、私の目にはYの容貌は劣っていると見えていた。

 Yはそれを知ったのだ。そのように思っている相手を好きにはなれないだろう。Yはきっと、私のその他の言動も全部、嫌いになっていった可能性はある。

 酷い言葉を投げつける人には、理由があるだろう。が、それは相手の方の理由だ。もちろん、Yの理由を引き起こしたのはたぶん、私自身だろう。しかし、その時、私に悪意も敵意もなかった。悪意も敵意もないが、評価もしていない、という他人は大勢いる。その他人にいちいち傷ついていたら、身が持たない。
 悪意、無関心、過小評価、というような他人のネガティブな感情や価値観に巻こまれないことだ。他人の言葉には、その他人自身の事情が隠されている。こちらにではなく、相手にある。

 放置できるものは放置して、自分の良き部分、自分の信じる部分を大事に生きていくしかない。

 ディズニー映画だが、先日仕事の関係で、何度か見ることになった『ヘルプ ~心をつなぐストーリー~』という映画がある。主人公が高校生時代、「男子に不細工だと言われた」としょんぼりしていたら、育ての親でもある黒人のメイドが、「これからその男子のいやがらせの言葉を信じて生きていくのか?」と尋ねる。毎朝、起きたら、「私は、あのバカな男子が言うことを信じて今日も生きていくのか? と自分に問いなさい」とメイドは言う。
 なるほど~、と思った。字幕なので、元の英語は聞き取れていない。が、たぶん上手な和訳だろう。自分に対して愛情も信頼もなく、自分の幸福を願っているわけでもない他人のいやがらせや悪意ある言葉を信じて、この先、生きていく必要はないのだ。自分が信じるべきは、自分を愛し、自分を評価し、自分の幸福を願う言葉だ。それを信じて生きていけばよいのだ。

 あの遠い日、Yは傷ついたのだろう。彼女は、自分の容貌に自信を持っていなかったのだろうと思う。おそらく、既に、幼い頃から、いろいろ言われてきているのだろう。だから、「私よりちょっとかわいい」という表現を使った。「私の方がかわいい」とは決して言えないことを知っていた。彼女は既に傷ついていたに違いない。それなのに、私の失笑を買ってしまい、内心、怒りや恥ずかしさなどの感情で、荒れていたかもしれないのだ。
 あの日、失笑してしまった私には悪意はない。が、すでに容貌においては、彼女を蔑んでいたのだ。思えば、不幸な出来事だった。
 

自分が、第三者にどのように、噂されているか、という話の続き

2013-02-19 08:47:24 | 人間関係
 前回に続いて、また連鎖的に思い出したことがある。

 私は5年前にガンの手術をした。手術を控えて入院していたある日、友人から携帯に電話がかかった。
 「とても重い病気って聞いたけど、ほんと?」
 その友人には隠す気もなかったが、しばらく会う機会がなかったので、伝えてもいなかった。伝えたのは、直近でつきあいのあるごく少数の友人達だ。飲みに行く約束をしていた友人とか、遠方の友人で会いましょうと約束していた友人などにはキャンセルの都合上、事実を伝えたが、その頃、巻き込まれた事件がらみの人たちなどには決して知られたくなかった。だから、極秘にしていた。

 で、私は、携帯にかけたきた友人に、「今、入院してるの。でも、誰から聞いた?」と尋ねた。その友人は、思いもかけない、長い間会ってもいない人の名を挙げた。その人は、(仮にAさんとしよう)は、10年は会っていない、しかも、仕事を通じて知り合った人で、友人とも言えない程度のつきあいの人だった。その人から、私が癌である、という情報を得たとはどういうことなのか?
 しかも、まだ手術前、私自身が医師から告知されて日が浅い。なぜ、Aさんがそんな情報を持っているのか? わけがわからなかった。
 私は電話をくれた友人に、「このことはまだ、ほとんどの人は知らないはず。なぜ、Aさんが知っているの? わけがわからない。ただ、Aさんは、私について誹謗中傷した○○さんと仲良しだから、口止めしたい」と、私は言った。○○さんには知られたくなかった。○○さんは何をどう思ったのか、(友人の一人は、「○○さんは、虎之助さんが好きだったのよ」と言っていたから、相手にしない私が憎らしくなったのかもしれない。前回書いたEさんとは別人。今思えば、若い頃、私は妙にもててたみたいだ。)急に、私を貶める人たちと組んでしまったのだ。
 ○○さん達の耳に入るのは何としても、阻止したいことだった。癌のような病気になって心身共に弱っている時、自分を快く思っていない人に自分の弱りを知られるのは怖いものだ。それも、動物的な防衛本能なのか。そういう相手は、こちらの衰弱につけ込んで一気に潰そうとするような気がする。本当のところはわからない。同情してくるのかもしれないが、私は、危険を感じたのだ。

 携帯で私の懇願を聞いた友人は、迅速に対応してくれた。「今、別れたばかりだから、すぐに追いかけて、誰にも言わないように言う」とのこと。
 「誰から聞いたのか、ということも聞いて」と頼んだ。「わかった」と、友人はこたえて電話を切った。何かの集まりで会って、帰り道で一緒になった時にAさんはその話をしたそうだから、虎之助が癌になった、という噂を嬉々として広める気であったのか。

 ほどなくして、友人はまた電話をくれた。「今、誰にも言わないように言った。AさんはMさんから聞いたんだって。」
 え? 私はぽかんとした。Mさんというのは、私が飲みに行く約束をしていてキャンセルせざるを得なかったPさんの同居人。同居人だから当然、その話はするだろう。私は、Mさんとは親しいわけではない。が、どのようなルートでAさんの耳に入れたのか、これ以上広げないで欲しいということも言わないといけないので、Pさんにすぐに電話を入れた。
 Pさんは、電話の向こうで、少し驚いていたようだが、日を改めてだったか、Mさん本人から連絡があった。申し訳ないことをした、と謝っていた。そして、事の真相はこういうことだ。
 Mさんは、鍼灸師の仕事をしている。Aさんはクライアントなのだそうだ。鍼灸師は、私たちのネットワークでは、情報源のようなところがある。私も別の鍼灸師から、いろいろな知り合いの噂を聞いている。悪い噂ではもちろんないし、秘密を暴露するようなことは、彼女たちは心得ているだろうから、しないと思う。では、なぜ、MさんはAさんに私がガンだというほやほやの情報を与えたのか。
 Mさん曰く、Aさんは私のごく親しい友人のような感じで、私のことを話していたというのだった。Mさんと私は特に親しいわけではないので、Mさんは私の交友関係を詳しくは知らない。だから、私の嘗ての仕事関係の場での知り合いであること(つまり、若い頃からの私の知り合い)、そしてAさんが私に好意的であったことなどから、ごく近い人として警戒もせずに伝えたのだろう。
 が、上に述べたように、Aさん自身ではなく、Aさんは○○さんと仲良しなので、私は震え上がったのだった。○○さんは、その事件がなければ、おそらく、私の入院先に見舞いにやって来て、かいがいしく世話をやいてくれるだろう人だ。「お母さん」のように人に慕われたいという希望を持っているが、私はそういうのが苦手で、極めて対等に少し年上の友人として敬意を払って接していたつもりだったが、それこそ、人付き合いの流儀が違ったのだろう。

 Aさんが私のことを、とても親しそうに言っていた、ということには、何かぽかんとした感じだった。人は、自分が思いたいように思うものなのだろう。そして、私はAさんについては、もちろん嫌いというようなことは全くなく、むしろ、私と同い年でありながら、四年制の大学に一年生から再入学して体育まで若い人と一緒にやっている、というその意欲に感動さえしていた。感じの良い人で、もっと仲良く親しくなれたら良かったかもしれないが、お互いに友人づくりには消極的なところがあり、リードしてくれる人なつっこいタイプの人がいて、そういう人に導かれてグループで遊んでいるという感じだった。だから、私にはAさんは二人でつきあったことのない、あまり近くない知り合いだった。しかも10年くらい会っていない。だから、ぽかんとしたのだ。

 逆もあるのかもしれない。私が親しいと思いたい人が、案外、私のことはちょっとした知り合いくらいに思っている可能性もある。友人同士であっても、両思い、同じ比重で認識し合うというのは、難しいものなのだ。
 そして、そのような距離や思いの量を量り出すと、とても疲れてくるのを感じる。

私のいないところで、私がどのように言われているか

2013-02-18 11:47:55 | 人間関係
 タイトルを見て、「悪口」のことだと思われた方がいるかもしれないけれど、「悪口」の話ではない。
 前回の続きみたいなもの。

 古い知り合い(友人と言うべきか。仮にEとしておく)が、私のことをどのように第三者に語ってきたか、を思い出した。詳しく聞いたわけではない。第三者から、「Eさんが虎之助さんのことを言っていたよ」と言われて、「え?」とびっくりしたことが何度もあるのを思い出したのだ。

 Eさんはレズビアンを自称している人で、若い頃、私に毎日のように手紙を書いてきていた。家まで来たらしく、切手を貼らずにポストに直接入っていることも多かった。よく行く友人のスナックで、私が現れるまで待ち続けていることもあり、それも周りに公言するので、私は困惑しきっていた。見かねたカウンター内の友人が「Eさんがもう少ししたら来ると言っているから、もう帰った方がよいですよ」と教えてくれるほどだった。

 まあ、そんなこんなでいろいろめんどくさいエピソードはあったが、私は振り切り、その後、Eさんにはパートナーが出来、めでたく事が終わった。

 Eさんが私を追い回していた頃は、私の話ばかりしていたらしい。Eさんには、私の存在は大きかったのだろう。Eさんを通じて私を知った人も多かった。
 が、私にとってのEさんは、申し訳ないが、全く大きな存在ではない。本人から連絡があるまで、存在すら忘れている。見事なほど興味がない。
 で、第三者にとっては、ものすごいバランスの悪い話になっているのだ。たとえば、私がエッセイで、ある友人のことを匿名で書く。もちろん、ネガティブなことではなく、セクシュアルマイノリティの実状を、ちょっとしたエピソードをまじえて書いたりする。すると、それを読んだ第三者は、「Eさんのことを書いてましたよね」と言ってくる。え? Eさん? 思い出しもしなかったわ、というレベルの存在なのだが、Eさんを通じて私の話を聞いている第三者は、私にとってもEさんは大きな存在だというイメージが出来ている。

 そして、呆れる話を聞くようになる。もう、Eさんにはパートナーも出来、仲良くやっていて、私はかまわれなくなってホッとしていた。すると、また別の友人が、「Eさんが虎之助さんのことをこんなふうに言ってましたよ」と教えてくる。いや、悪口ではない。悪口ではないが、Eさんは私について何でも知っているかのように、親しい間柄として伝えているらしいのだった。「私のことをそんなに知らないと思うけどなぁ」と私はため息混じりに言う。なんだか、めんどくさい話だが、どうもEさんと私はとても親しい間柄らしいのだ。
 
 その類のことは実は結構あって、Eさんだけではなく、呆れたことは何度もある。共通の知人から名前だけは聞いていた人が、いかにも私のことをよく知っているように言っていたという話だ。
 その人は某市の公務員で、私の友人がそこの出先機関に、非常勤で雇われる事になったとき、「○○さんがこの仕事の責任者で、、、」と言う話を、ふんふんと電話で聞いていた。いろいろ話をした後で、その友人はふと不審に思ったのか、「虎之助さん、○○さんとはお知り合いですよね」と尋ねた。私は、「いいえ、会ったことはないけど、お名前は聞いたことがありますよ」と答えた。すると友人は、「○○さん、虎之助さんのことをよく知っているようにおっしゃってました」と言った。「親しいのかと思ってました」と。
 
 私は、○○さんと会って話しているのに、忘れているのかと思い出そうとしたが、どうしても思い出せない。ひょっとしたら会っているのかもしれない。ただ、その人を○○さんと認識して話した人はいない。向こうが知っていて、こちらは知らない、という状況は、当時は仕事の関係上、多かったとは思うが、「親しい人」になっていたとは、、、。

 人は、誰とつながっているか、どういう関係でつながっているか、ということに自分の価値をアピールしたり、時には願望を語っていたり、ということがあるのだろう。
 逆に、親しくした事実はあっても、もはや仲間だとは思われたくない、というケースもあるだろう。

 私も昔は、良印象を持たれていたので、上のように、私と近いことがその人にはプラスイメージに働く、ということがあったのだろうが、今はすっかりそのような力を失った。私と知り合いであることを、あまり宣伝したくない、という人もいるだろう。
 巻き込まれた事件のために。

 そういう意味では、今も変わらず、Eさんとそのパートナーは、私に連絡をとろうとしてくれるのだから、本当は有り難い人たちなのだろう。ただ、昔のいきさつがあるせいか、Eさんは絶対にパートナーと一緒でしか、私とは会わない。パートナーの嫉妬が怖いのだろう。御神酒徳利みたいにペアで来るので、独り者の寂しがり屋の私には、ちょっと不幸感を醸し出す交友関係になるのだ。それで少し、私の方は引き気味だ。


相手によって人の顔は変わる?

2013-02-16 13:57:27 | 人間関係
 ちょっと、ショックを受けたこと。小さな出来事だけど、結構、印象に強い。

 古い知り合いがいる。仮にKさんとしよう。私より8歳くらい年下で、地域も離れているし、滅多に会うこともない。昔、広域の活動をしていた頃、ちょくちょく、こちらから向こうに行ったり、向こうからも来たり、と交流していた。が、長い間、音信不通だった。特に連絡を絶った、ということではなく、それぞれが活動の場を変えたことや、互いに病気をしたり、というようなことでなんとなく連絡を取り合わなかっただけだ。また、連絡を取り合わないからといって、それが気になる、というような間柄ですらなかった。

 そのKさんからものすごく久しぶりに連絡があった。私のメールアドレスが変わっているかもしれない、という不安もありつつのメール連絡だった。私は確かにアドレスを変更していたのだが、理由があってとにかく古いアドレスも生かしてはいた。とてもたまに、チェックする。そのアドレスしか知らない昔の知人から、連絡が来る、ということがごくたまにあるからだ。そして、Kさんからのメールを見つけた。久しぶりの連絡だったので、すぐに返信した。住所や電話番号を知りたがっていたので、連絡先も書いておいた。

 すると、電話がかかってきた。今の自分の知り合い(研究者)がおこなっている活動で、私の住んでいる地域にも広げたいとのことだが、「虎之助さんを思い出して、、、」と連絡をしてきたのだ。そのKさんの知り合いと私は、まあ、同業。あちらは今現役のばりばりで、私はもう店じまいしかかっている老いぼれだけれども。

 それで、Kさんは私をその人に紹介してもよいか、と言う。もちろんOKした。拒む理由は何もない。連絡先も教えていいですよと快く。

 程なくして、Kさんの知り合い(Kさんはその人のことをM先生と呼んでいる)から、メールが来た。そこには、私を紹介するKさんのM先生宛のメールもくっつけられていた。
 そして、そのメールを見てびっくりしたのだ。まるで私はKさんの部下か、後輩か、昔世話をしてやった誰かか、と思えるような書き方。ん? これは何? 私は何度もそれを読み返した。
 Kさんは、私には非常に礼儀正しい。腰も低い。よもや、あのKさんが私について、こんな紹介の仕方をしているとは? 

 私には、人を不遜にする何かがあるのか? 私は誰に対しても、横柄には決してならない。エラソーにするのが何よりも嫌いなのだ。でも、オーラがなさ過ぎた?

 それにしても、それにしても、、、。これは何だ?

 そのM先生の私宛のメールを追っかけるように、Kさんからメールが来た。「いつものように、敬語の使い方も知らなくて、、、」とか「虎之助さんも先生でしたよね、、、」とか、言い訳がましく書いていた。
 M先生がKさんからの私を紹介するメールをくっつけて、私に送信してきたとき、KさんにもCCで送っていた。おそらくKさんは、それを私が読む事態になったので、あわてたのだろう。なにしろ、M先生には卑屈なほどの敬意の払いぶり、私のことは後輩か手下みたいな扱いなのだから。あらためて自分で読んでみて、その書きぶりに、自分で驚いたとも考えられる。無意識に使い分けていたのだとしたら、自分で、びっくりだろう。

 そもそも、他人に宛てた自分の文章を、その相手以外の人に読まれる事自体、恥ずかしいものだ。時と場合によるが、過剰なほどへりくだっていたり、少々阿っていたり、その人に向けて書いているつもりだから、第三者が読むとは思っていない。まして、第三者のことを書いたりするとき、悪口でないまでも、読むのは第三者ではなく、宛先の相手だとしか考えていないから、第三者への配慮は働いていない。宛先の相手に自分のことをどのように思ってもらいたいか、ということしか考えていない。自分は、この人からも一目置かれている人間なんですよ、とアピールしたいかもしれない。こういう人を人脈に従えているんですよ、とちょっと誇示したいかもしれない。それが如実に表れてしまう。

 メールはくれぐれも気をつけないといけないツールだ。誰に宛てて書いているのか、誰が読む可能性があるのか、ということをきちんとわきまえておかないといけない。
 常に、公にされる可能性があるものとして、メールを使っている人は少ない。が、相手がその気になれば、あっという間に、全世界に広がる媒体だ。
 人間が、対する相手によって、顔を変えるのは悪いことでも何でもなく、そういうものなのだろう。ただ、新しいコミュニケーション・ツールは、それを暴いてしまい、古い社交術を壊していくものでもあるのだろう。 

「謙譲」ということ

2013-02-16 13:12:08 | 考え方
 自分にとって、あまりにも当たり前なので、あえて口に出して言わないこと、というものがある。が、少し文化がずれると、それは当たり前ではなく、口に出してきちんと伝えたり、注意を喚起しないといけないことというものがある。

 最近のサービス業の類は、とても質が落ちたと私が感じるのも、そのせいなのだろう。昔も、感じの悪い店員というものはいたが、そういう店はオーナーもろくに挨拶のできない田舎町の商店だったりするので、こちらにも期待がなかった。が、今は、都会の、洒落た造りの、いかにも洗練されたふうに見える店構えだったりするので、こちらがいささか期待し過ぎなのかもしれないが、そういう店の店員の態度が悪いと、教育が行き届かないせいかと考える。もっと店員教育をしろよ、と思ってしまう。

 確かに、人件費を切り詰めるために、研修に時間をかけない短期アルバイトを雇用しているから、いつまでも仕事に習熟しない、基本的にそこに腰を落ち着けていない、その業務に必要な知識もない、という実にでたらめな接客をしている例は多い。
 が、例え不慣れでも、基本的な礼儀作法というものがあるだろうと、年を食ってしまったこちらは思う。大人としての礼儀作法である。
 しかし、実は、それを身につけていない人が多いようなのだ。アルバイトであれパートであれ、社会人としての常識があればできるだろうと思うことが出来ていないのは、実は、それはその人達の文化では重んじられなかったから、らしいのだ。
 たとえば「敬語」。これは、若い世代には外国語のようなのだろう。

 私がメールで若い人(ものすごく若いわけではないが、大学時代からアメリカで、アメリカ生活が長い)に書いて送った文章が古語のように見えたらしく、その人もがんばって返信を書いてくれたら、「お心遣い、痛み入ります」と来た。いや、それはいくら私でも、使わないコトバだよ、と思うが、その人には、今も丁寧語として用いる日本語と、時代劇で見聞きする日本語とは区別のつかないものなのだろう。

 それでもまあ、その人の場合、丁寧に対応しようという気持ちが伝わってくるから、問題はない。問題は、礼儀の「作法」ではなく、礼儀の「心構え」のようなものかもしれない。「作法」は時代によって変わるだろう。伝授されない作法はどんどん消えてゆくだろう。私も、もっと前の世代の人から見れば、作法を心得ない人間である可能性は高い。
 しかし、「丁寧に」「敬意をもって」という「心構え」のようなものは、必要な気がする。が、それが身についていない。自分が、客に対する店員、教師に対する生徒、上司に対する部下である場合、「タメ口をきかない」関係であることを弁える必要は、今の時代には不要なのだろうか。

 もちろん、人間関係の上下ではない。その場での関係の問題だ。もちろん、対等な関係であっても、自分のほうが立場上、上に位置してしまう場合でも基本的に、相手に対する敬意は必要だ。
 私は、年下の人にも基本的に敬語を使ってきた。相手が子どもであっても、丁寧語は使用するようにしている。自分が上司であった時は、部下にあたる人たちに対して最初から最後まで敬語で接し続けた。学生に対しても丁寧語は欠かさない。相手に対する敬意というものを何で表現するかといえば、まず言葉であるだろうと思うからだ。そして、ゆっくりと丁寧に接する態度。

 が、今では、めんどくさそうな店員、業務に必要な知識がなくても恥じる気が全くない店員、中には「何しに来た」と言わんばかりの迷惑そうな対応をされることもある。

 ホテルなどはさすがによく教育をしているようで、基本的に態度は出来ている。ホテルの接客が悪くなったら、もう世も末という感じすらしている。
 
 若い人の文化には、(私の身近な若い人にさえ感じるのだが、)「謙譲」という概念はなさそうだ。卑屈になるのではなく、相手に道を譲り、自分のことよりもとりあえずその場では相手を尊重する、というまさに文化的資質。それはなさそうだ。母などは、「謙譲」が過剰で、誰かが私のことを褒めようものなら、くそみそに私をけなしていたから、「謙譲」というのはまことに難しいものではあるのかもしれない。「謙譲」の美徳などという言葉があったが、事改めてそう呼ばねばならないほど、これは難しく、スキルの要る、しかも消えやすいものだったのかもしれない。しかし、確実に根付いている人たちもいると思う。私の知っている人にはまだそれが残っている人はいる。卑屈ではない、堂々としている、しかし、自分のことよりもとりあえず一旦相手の方を優先する、というような文化が確実に根を張っている人たちが、これまではたくさんいた。それが当たり前だった。
 当たり前すぎて、若い人たちに教えることを怠ってきたのか。

 卑屈ではない「謙譲」というものは、もう時代遅れなのかもしれない。謙譲の上を踏みつけられる時代になったので、そのような文化は、サバイバルに向かないと、捨てられたものなのだろうか。



 

人との距離

2013-02-13 10:26:42 | 人間関係
 一番親しくて、信頼している友人と喧嘩をしてしまった。この友人とは、親しい故に口喧嘩になる事が多い。

 先日は、たまりかねて尋ねた。その友人と共通の知人(Aさんとしよう)がいるが、かなり精神的に不安定な人だ。Aさんは、自分の苦悩や自分の周りの人の悪口ばかり言うので、私はかなり苦手だ。自分の貴重な時間を割いて、会いに行くエネルギーがわかない。が、親しい友人は、Aさんにはとても寛大だ。Aさんが自分の話にしか興味がないのにも、極めて鷹揚だ。
 が、私が、自分についての話題が長いと、凄まじく抗議をしてくる。

 だから、尋ねたのだ。Aさんにはあれほど寛容なのに、なぜ、私だとそこまで気に障るのか、と。
 すると、友人の返答はこうだ。「Aさんとは、いやになれば人間関係を切るだけ。でも、あなたは大事な人で、長くつきあっていきたいから、いやなことはいやだと言う」のだと。
 友人の言い分は感情は出した方がよい、ということらしい。私は、感情は否定できないが、出し方は工夫が要るだろうと思っている。子どもじゃあるまいし、なまの感情をいつでも出してよいとは思えない。いやな気分も、やり過ごすことはいくらでも可能だ。でも、友人は、それをしない。私については、容赦しない。それほど、自分に都合の良い人間であって欲しい、と願うらしいのだが、そしてそれで長続きさせたい関係だと主張するのだが、長続きどころか、私の方はもう完全に逃げ腰だ。

 そして、「いつでも、いやになれば切る」はずのAさんとのような人間関係は、良い対応をするので、良い関係として持続し、長続きさせたいから注文の多い人間関係は、嫌な感情が蓄積されて壊れる可能性が高い、というのが私の意見なのだが、その友人には伝わらないようだ。ずっと、それを言ってきたが、友人の耳には入らない。

 家庭内殺人など、同居する家族の事件は、背景にそのような「甘え」があるのではないかと思えるものが多いように思う。「家族」だから何を言ってもいいのだ、許されるのだ、という見誤りがあるのではないか。
 私の子ども時代、父親は私をバカにしたり、からかいのネタにする事が多かった。私がそれに対して抗議すると、母などは、「親だから、何を言われてもいいじゃないか」という意見だった。その母や父は、私が遠慮のないものを言うと、切れたように怒るのだけれど、、、。
 「家族」だから、「親しい」から、遠慮が要らない、というのはおそらく、思い違いの最たるものだろう。
 「大事」な人だから、大事に扱う。いやなことはなるべく言わない。少々ネガティブな感情がわき起こっても、自分の中でコントロールする。そして、いやな感情をやり過ごすと、相手も大事にされている実感を持つから、相手も感じが良くなり、相互に良い関係が持続する。「大事な」関係は、そうして大事に扱わないとこわれてしまう、ということに、なぜ気づかない人が多いのだろう。

 文句を言う、注文を増やす、ネガティブな感情を垂れ流す、、、それが関係を壊すだけだということに気づかないと、最も大事な人が、自分から逃げて行ってしまう。
 関係は、努力をして築き上げるものだろう。遠慮が要らない、空気のような存在、という関係は、努力をして長年の間に築き上げた共通の文化の上で実るものだろう。初めから、そのような関係が存在するわけではない。が、努力もなく、「大事な関係」や「家族」というものはそういうものだ、と、胡座をかいている人が多いのかもしれない。そして、自分の言い分の通りやすい人は、それでうまくいっていると思いこんでいる。他方は、実は、我慢をしているだけで、ひょっとしたら、もう限界かもしれないのに。

 私の母などを見ていると、父に対して、わがままを言って甘えてはいたが、昔の女性なので、甘えの裏では父を「立てる」ということも同時におこなっていた。彼女なりの努力があった。私には、わがままで権勢をふるう年長のお姉さんのようだったが、年を取った今では、頼らないといけない相手である私に適度な敬意を払う。そういう生き抜く知恵を身につけている。
 
 が、わがまま全開、誰はばかることのない全能感を身につけて、隣にいる人への敬意も配慮もない人というものが存在する。
 「大事な関係」と称して、相手が自分に合わせてくることだけを願う。否、思いこんでいる。昔の「父親」のような人が増えたのか。昔の「父親」は、そういう地位に君臨していたが、その代わり、家族を養って責任をになっていた。逆らうと生きていけなくなるかもしれないので、他の者は屈服していただけだ。

 何か、親しい間柄に対して、幻想があるのかもしれない。所与のものとして与えられる「自分にとって心地よい」関係などあるわけがない。自分にとって心地よい時は、相手には心地悪いことが、結構多い。

 その、長年の親しい友人の身勝手ぶりに、最近は拍車がかかって、私はもう逃げ腰だ。その友人が、「いつでも切れる」と思っている友人とのほうがうまく関係が築かれ、彼女が「大事」だと言い張る私との関係は、もう切れかかっていることに気づかないらしい。

 「大事な」人は、「大事に」扱う。そのシンプルな法則に、いつまで気づかないでいるのだろう。彼女は、これまでにも、何人も「大事な」人から絶交されている。そして、その理由を、自分の対応の問題だということに、決して気づかない。私も何度も伝えてきたが、聞く耳を持たない。そして、これからも、自分の人間関係の不遇を嘆き続けるのだろう。それを我慢して聞き続けた私をも、やがて失っても、、、。

胸が痛むこと

2013-02-08 14:37:34 | 
 母が70歳の頃、入院した。その年は、春と秋の2回も手術をすることになってしまった。もう、父は頼りにならず、私は仕事の合間に母を見舞いながら、父の食事の心配をしなければならなかった。夫にも助けて貰いながら、家と職場と病院と実家を行き来する毎日だった。
 手術を終えて、少し元気になった母は、元の母に戻り、同室の人たちへの気配りを始めた。「これから行くけど、何か要る物ある?」と電話をすると、たとえば「駿河屋で、△△を6セット、のし紙をつけてもらって、買って来てほしい」だの、「この前、和菓子だったから、今度は××(洋菓子の店の名前)で、カステラの小ぶりのを6個、のしをつけて、、、」だのと、同室の人に、1~2週間おきくらいに配り物をする。
 私は、大げさにならず、ちょっと気の利いたお茶請け用のお菓子などをベッド数だけ用意して、持って行くのだった。

 母は緊急で入院したので、しばらくずっと6人部屋にいたのだ。暫く経つと、だんだん同室の人の様子が見えてくる。癌で、長く入院している人がいた。母よりずっと若そうだが、身寄りがいないふうに見えた。私は行くと、母の洗濯物を持って帰ったり、時に急ぐ物は病院のランドリーを使って洗濯をしたが、その人が、一人でランドリーを使っているのや、病院内の売店で買い物をしているのに気づいた。母なら、決してしない日用品の買い物を、その人は自分でしていた。
 元気になって来た母を伴って病院内の喫茶室などに行くと、母も、「あの人は、家族がいないみたい。誰もお見舞いに来ていない」と話していた。
 そして、母があまりしょっちゅうお菓子などを配るので、その人は気を遣ったのだろう。売店で買ったお菓子を、お返しに、と母に持って来ていた。売店には、私が見舞いの途中で買って来るような、気の利いたこじゃれた物は売っていない。しかし、その人の行動範囲は、病院の中だけだ。その病院は大きな国立病院で、郊外にあり、近所にはこれといった商店はない。一日中、パジャマを着ているその人が出かけられるところには、買い物をする場所はない。私は胸が痛かった。病室を出て、喫茶室などに行って、母に「お母さんがあんまりお菓子を配るから、気を遣われたのよ」と言ったが、「一人では外に行けないしねぇ。お金もあまりないみたい」と、母はまったく悪気なく、しかし胸を痛めているふうもなく答える。(その母の無邪気さは、私にはまぁ救いではあるのだが)。家族もなく、裕福でもなく、癌にかかって何ヶ月も入院するのはどんな心地だろうと思った。

 今、その母に私は胸が痛むのだ。私は、相変わらず、あちらこちらへ出掛けることが多い。が、母は最近はめっきり足が弱り、目も耳も悪くなって、一人では遠出をしない。私のこどもたちが車で連れてくれる時はいっしょに外出し、ランチを食べて買い物に行くが、私は運転ができないので、こどもたちが忙しいととたんに外出が難しくなる。母が、近くまででもバスに乗ってくれるといいのだが、バスも地下鉄も、無料パスがあるにもかかわらず、決して利用しようとしない。先日は、仕方なく私と二人でデパートに行ったが、タクシーで往復5000円以上を使ってしまうことになる。せめて、バスにでも乗ってくれるといいのだが、、、。

 そして、私が出先で母のために買って来て目新しいお総菜やお寿司やお菓子などを届けると、気を遣うのだろう、自分が余分に買ったからと持ってきてくれるのが、母の徒歩圏内のスーパーで買った物だ。そういう店では、上等な、しゃれた物が買えない。胸が痛むのだ。高級志向のしゃれた物が好きだった母が、近所のお手軽スーパーで、量販品を買って持って来てくれるのに、胸が痛む。こうなってしまったか、、、と思う。かわいそうでしかたがなくなる。
 が、ひとたび思い返せば、一方で、母が自分で選んだライフスタイルでもある。楽をしよう、楽をしようと、頑張らない姿勢が足を弱らせたのではないか、高いメガネを二つも作ったのに決してかけようとしないために目が悪いまま、補聴器などは使い勝手が悪いと決めつけて試してみようともしない頑固な姿勢のために耳も悪いまま、放置している。そして、私や孫がかまってくれるのを待っている。仕方がないのではないか、とも思うし、いや、どのようなライフスタイルであっても、弱るものは弱るのであって、個人の努力の結果ではない、ということかもしれないとも思う。自分がまだ、そこまで老いていないのでわからない。

 ただ、母と年の変わらない私の一番年上の友人は、ヘルパーを受け容れて掃除を週に1回してもらうので家はきれいだし、遠方でも電車を乗り継いで勉強をしに行くなど知識欲も盛んだ。読書欲も旺盛で、若い頃よりもっと本がおもしろくなったと言い、映画にも行く、芝居も見に行くといった感じで、話題に事欠かないし、話をしていてもほんとうに興味が尽きない。耳が遠くなったので、と、私と話すときは補聴器を耳に入れる。
 近代芸能史の連続講座に行こうかと思っている、と、その人に言ってみると、プログラムを見て、「いいなぁ、私も行きたいなぁ、でも、今夫があんまり具合良くないしね、でも、このプログラムはいいわねぇ。講師陣も一流だし、、、」と興味津々で生き生きと話をしてくれる。古典芸能に造詣が深いので、また話す内容も聞き応えのあることばかりだ。
 一方、母は、昔話しかしないし、私の声は基本的に聞こえないので、会話が成立しない。私はもっぱら聞き役だ。

 私はできれば、その友人のように年をとりたい。母のようにはなりたくない。

 思えば、若い頃から、母のようにはなりたくないと思ってきた。母は、若く見えることと美人であることが自分の張り合いのようなものだったのかもしれない。未だに、「若く見える」と言われたとうれしそうに言うことがあるが、80歳を過ぎた今、若く見えると言われても、せいぜい70歳代だろう(60歳代、ということもあるかも?)。所詮、20歳代や30歳代に見えるわけもない。また、仮に見えたとして、それがどうなのだろう? それは彼女の何を豊かにするのだろう。
 私は容貌が母に似ていたいと思ったことはあったが、似ていないものは似ていないし、それはどうしようもない。そして、容貌を除くと、母に似たいところは何もなかった。依存心が強く、10歳年上の父に甘え、自分の弱さ、華奢さを強調して、他の庇護を望む。母もどこか、それだけの女でいたくはない、という思いが若い頃はあったのだろうと思うが、もはや蓄積した社会的な何もなく、甘えたい父も他界し、友人をつくらないできたので娘と孫以外、日常の相手をしてくれる人もいない。話題も乏しく、テレビを見ながらご飯を食べながら、過ごしている。二週間に一度の病院通いさえ、億劫がる。義務感以外に、母に会いたいという思いがわかない。

 母のようにはなりたくない。年を取るとは、そういうことだ。現役時代の全てを失うことだ。健康も、若さもなくなる。それでも残るとすれば、知を求め、わかりたいという欲求を保ち続けること、そして、興味と好奇心で生き生きとすること。
 そういうことしかないのではないのか。

 しかし、母に胸を痛め、母のようにはなりたくない、と思っていても、自分がどのように老いるのかはわからない。努力しても足が悪くなり、耳も目も悪くなるのかもしれない。何にも興味を持たなくなるのかもしれない。

 凋落・・・ということばがあった。

 
 







 


諦めるということ

2013-02-08 10:24:18 | 人生
 あれこれ思い悩むことは多いが、結局、その人の持つエネルギー値の問題かと思うことがよくある。

 たとえば、悔しい思いをするとする。任期終了だとされて更新の希望がかなわなかった、私の嘗ての前任者のような場合。彼女は、悔しくてたまらなかったと見える。更新がかなわなかった最大理由は組織内の体制変更にあったのだが、体制変更に伴い、彼女の職を一旦廃止することで、彼女が「ゴネ」るのを食い止めようと企図したフシもある。が、彼女は、体制変更は、彼女が「正しく、いやがらせに屈しない人」だった故に辞めさせられたという理由を前面に据えるストーリーを作成し、彼女は私怨を公憤に見事に変換させた。

 そして、裁判を起こし、裁判で勝訴した後も、本を出版し、恨み辛みを出し切った。そのエネルギー量の多さに圧倒されるのだ。憔悴しきったと思うが、それでもやり遂げた彼女の執念とエネルギー。

 私も、私のまわりの親も親戚筋も、そして友人達も、たいていの人はそこまでのエネルギーを持たない。最初は、抵抗したり怒りを表明したりするけれども、相手が大きな組織だったり自分よりもはるかに高いエネルギー値の持ち主であったりすると、消耗しきって、どこかで諦める。
 長い物には巻かれろ、と昔からよく言われた。それが、大したエネルギーを持たないひ弱な人間の生き残る道だ。もちろん、最初から巻かれようとは思っていない。が、いくらもがいても、抵抗しても、こちらがエネルギーを徒費するばかりで、最後は憔悴しきって、結局巻かれるものであるのだから、経験知で「長い物には巻かれるしかない」とわかってくる。

 このエネルギー値の違いはどこからくるのか。

 昔、伊藤ルイさんが本に書いていたことで、忘れられないことがある。文章はもう覚えていない。ただ、ルイさんのおばあさんが、ルイさんのきょうだい(いとこかも?)を共に育てていたが、二人とも幼いうちに亡くなった。その二人は親に恵まれなかったために「こういう子は生命力が弱い。生ききらん」と祖母が言っていたというのだった。(また、本を探し出して、正確なことを思い出さなきゃ。)
 私自身、若い時に読んだのだが、その頃、「育てられ方とその後の人生」について、とてもこだわって考えていたので、そのエピソードが深く心に残った。ルイさんの祖母にあたる人が、(伊藤野枝のお母さんだ。調べてみたら、大政奉還の年に生まれた人だ。)子どもの生命力が幼少期に愛情に恵まれていたかどうか、ということに深く関わっているという認識を持っていたことに驚いた。その時代に、すでにそういう認識が流布していたということだろうか。

 時代性だけではなく、当時は、ものの考え方が階級や地域などによって、相当違っていた、ということもあるだろう。ルイさんは四女なので祖母の手によって、平和に育てられたところが大きいのだろう。一度だけお会いしたことがあるが、ちょっとシャイで奥ゆかしく、前に出るタイプの人ではなかった印象がある。伊藤野枝と大杉栄の遺児ということで、まわりの期待が大きく、困惑している感じがした。

 人はエネルギーをどういうかたちで蓄積するか、どういうように使い、また充填するのか、そういうことがその人の行動を決定づけるような気がする。

 母を見ていると、エネルギー値がかなり低いようだ。体力に自信がない。だから、いろいろなことに好奇心を持たない。好奇心を持つことは、エネルギーを必要とする。だから、自分の身体性の安定を何よりも優先している。不安なのだろう。だから、基本的に動かない、心もからだもあまり動かさないようにしている。

 そうした人は、社会的な活動などできない。当然、無名のまま死んでいく。八四歳まで、よく生き延びてきたものだ。
 体力が弱いということは、常に「半病人」として生きているようなものだ。どんな人でも重い病気にかかれば、それだけでエネルギー値が低くなる。世の中や社会の矛盾と闘う力は出てこない。身近な人の気に染まぬ言動も、目をつぶって耐えるしかない。否、耐えると言うより、無視し気にとめぬようにして、心のざわつきすら回避しようとする。最初からエネルギー値の低い人は、毎日、ほぼその状態だ。

 だから怒りの人は、そのエネルギーがある人だ。自分の言い分を世の中に向かって通そうと思う人は、エネルギー値が異常に高い。

 冒頭に述べた私の前任者の主張や動きをネット等で見るにつけ、「はいはい、元気、元気!」と言いつつ、私はその人の情報をやり過ごす。いちいち、この人の情報を気にかけていたら、それこそ、心が消耗し尽くす。

 はいはい、元気がイチバン! でも、私はあなたに巻き込まれないように、もう、避けて通るからね~。
 万が一、Facebookなどで、彼女から友だちリクエストが来たら(来ないとも限らない)、「はいはい、友だちね」と一人つぶやきながら、たぶん承認するだろう。拒否するのもエネルギーが要る。それも、もう、私にはない。

 手負いの獣がじっと動かず暗いところに身をひそめているように、エネルギー値の低い者は、じっと静かに傷を舐めているしかない。
 リベンジも夢も諦めて、ただ、消える日を待つ。



責めるのをやめられないか

2013-02-02 23:49:03 | 人間関係
 昔、まだ私が若い頃、「一億総評論家」などと言われていた時期があった。誰もが、評論をする、当事者ではなく、世の中の評論家となってあれこれコメントをする、という時代だった。

 今は、皆が糾弾者の時代、という感じがする。とにかく、欠点をあげつらう、失敗を許さない、落ち度を探して見つけては糾弾する、という時代になった。攻撃は最大の防御、ということなのだろうか。やられる前にやる、という状況なのか。

 そこには、誰にでも弱点はある、誰にでも間違いは起こる、という寛容な見極めの目がない。自分は間違わない、ということなのだろうか。

 とにかく、誰それが悪い、あの人は許せない、あれはおかしい、と他人のあら探し。

 もう、そろそろそれをやめられないだろうか。それは、発展を産まない。前進につながらないような気がする。

 足の引っ張り合い、やられたらやり返す、という不毛な応酬を産むばかり、という気がする。

 それを止めて、受容しあい、許し合い、より良い今後を模索する時代が来るのだろうか。

 体調が悪いと、私ももう長くないのかな、と思える今日この頃。