先に書いたブログの続き。
私が、相手の指導や助言を、それも望んでもいない指導や助言を引き出してしまうのかもしれない。答えは私が知っているし、平凡な助言は役に立たない事が多い。それでも、教えたくなり、助言を言いたくなるのは、私の姿勢から引き出されるものかもしれない。
基本的に、何もわかっていない未熟者です、というスタンスで立っているので、そういう気持ちにさせてしまうのかもしれない。
昔、まだ民間で働いていた頃、何度もやっている仕事なのに、いつも事細かに説明をされるので、「わかってます、もう何度もやっていますから」と苦笑して言ったら、「そうですよね、何か、いつも新鮮な驚きをされるから、、、」と言われた。これは私の癖なのだろう。が、なぜ、いつもビギナーのように思われてしまうのか。他の場所でも、そうなってしまう。考えられる一つは、私が、「慣れ」を回避していること。これは、半ば意識的にそうしている。いつどこで何を経験したのか覚えがないのだが、慣れによる失敗が怖い、という教訓を胸に刻んでいる。
逆に、多くの「慣れ」による自信を持っている人の仕事の甘さ、適当さに呆れることが多かった。
若い頃、出会った主婦たちもそうだった。家事は毎日やっているし、料理にも自信を持っている女性が多かったが、そして、私は何年経っても、昨日主婦になりたて、みたいな風情だったようだが、主婦達の雑さ、知識のなさに、私は時折、びっくりした。洗い物は確かに手早いが、私の家で飲食の後、手早く洗って帰ってくれるのだが、後日使おうと思って出して来たら、洗い直さないといけないものが多々あった。
私は家事は苦手です、というのを常に言っていたので、相手は教えてくれるが、そして、私は素直にふんふんと聞いているが、結局は、非効率であったり、大した腕前ではない主婦が圧倒的多数だった。
私は自分は未熟だと思ってきたので、常にそのスタンスでいるのだが、だからか、相手によっては優位に立とうとする人も出てくるし、教え導こうとする人も出てくる。私の専門の領域について、間違いだらけの知識を開陳して止まらない人もいる。もちろん、口を出して誤りを正したいとは思うのだが、滔々と喋り続けるので、断念してしまったこともある。
親戚に行ったとき、私の仕事と少し関係する分野にいる親戚が一人いて、その人が、私を自分の身内に紹介するとき、「こう見えて、偉い人なのよ」と言った。「いえいえ、偉くなんかないです」とあわてて否定したが、当時は講演依頼がまだまだたくさん来ていた頃だから、今思えば、一般にはそういう評価だったのだろう。
自分の地位を最大限に利用して君臨し続ける人もいるだろうが、「いえいえ、、、」と否定し続け、自分の否定する通りの位置におさまる私みたいな人間は、やはり、他人の優越欲求を引き出し、充足させる役割を果たすのかもしれない。
が、人間には慣れる、ということは、ほんとうはないのだと思う。いつも一瞬一瞬、新しい経験をしているだけなのではないか。
しかし、そうした私の姿勢が、私を、いつまでもビギナーで、いつまでもこの世に不慣れな、自信なさげな人間に仕立て上げているのも確かなのだろう。
私が、相手の指導や助言を、それも望んでもいない指導や助言を引き出してしまうのかもしれない。答えは私が知っているし、平凡な助言は役に立たない事が多い。それでも、教えたくなり、助言を言いたくなるのは、私の姿勢から引き出されるものかもしれない。
基本的に、何もわかっていない未熟者です、というスタンスで立っているので、そういう気持ちにさせてしまうのかもしれない。
昔、まだ民間で働いていた頃、何度もやっている仕事なのに、いつも事細かに説明をされるので、「わかってます、もう何度もやっていますから」と苦笑して言ったら、「そうですよね、何か、いつも新鮮な驚きをされるから、、、」と言われた。これは私の癖なのだろう。が、なぜ、いつもビギナーのように思われてしまうのか。他の場所でも、そうなってしまう。考えられる一つは、私が、「慣れ」を回避していること。これは、半ば意識的にそうしている。いつどこで何を経験したのか覚えがないのだが、慣れによる失敗が怖い、という教訓を胸に刻んでいる。
逆に、多くの「慣れ」による自信を持っている人の仕事の甘さ、適当さに呆れることが多かった。
若い頃、出会った主婦たちもそうだった。家事は毎日やっているし、料理にも自信を持っている女性が多かったが、そして、私は何年経っても、昨日主婦になりたて、みたいな風情だったようだが、主婦達の雑さ、知識のなさに、私は時折、びっくりした。洗い物は確かに手早いが、私の家で飲食の後、手早く洗って帰ってくれるのだが、後日使おうと思って出して来たら、洗い直さないといけないものが多々あった。
私は家事は苦手です、というのを常に言っていたので、相手は教えてくれるが、そして、私は素直にふんふんと聞いているが、結局は、非効率であったり、大した腕前ではない主婦が圧倒的多数だった。
私は自分は未熟だと思ってきたので、常にそのスタンスでいるのだが、だからか、相手によっては優位に立とうとする人も出てくるし、教え導こうとする人も出てくる。私の専門の領域について、間違いだらけの知識を開陳して止まらない人もいる。もちろん、口を出して誤りを正したいとは思うのだが、滔々と喋り続けるので、断念してしまったこともある。
親戚に行ったとき、私の仕事と少し関係する分野にいる親戚が一人いて、その人が、私を自分の身内に紹介するとき、「こう見えて、偉い人なのよ」と言った。「いえいえ、偉くなんかないです」とあわてて否定したが、当時は講演依頼がまだまだたくさん来ていた頃だから、今思えば、一般にはそういう評価だったのだろう。
自分の地位を最大限に利用して君臨し続ける人もいるだろうが、「いえいえ、、、」と否定し続け、自分の否定する通りの位置におさまる私みたいな人間は、やはり、他人の優越欲求を引き出し、充足させる役割を果たすのかもしれない。
が、人間には慣れる、ということは、ほんとうはないのだと思う。いつも一瞬一瞬、新しい経験をしているだけなのではないか。
しかし、そうした私の姿勢が、私を、いつまでもビギナーで、いつまでもこの世に不慣れな、自信なさげな人間に仕立て上げているのも確かなのだろう。