凡々たる、煩々たる・・・

タイトル、変えました。凡庸な人間の煩悩を綴っただけのブログだと、ふと気付いたので、、、。

力がなくなっていく、、、

2005-06-19 21:34:02 | 自分
私の両親は、無意識であっただろうと思いますが、私という子どもを挫くことに全力を尽くしていたと思います。私は、のびのびとした子どもで、口が達者で、頭が良く回る子どもだったと思います。しかし、性格はのんびりしていました。細かいことは気にならず、宇宙の果てがどうだとか、空気の色は何だろう、とか、無音とはどういう状態か、というようなことを、一人になると考えている子どもでした。小学生になる頃まではそれが許されていたのですが、次第に、親たちは、「生意気な娘」の生長が心配になってきたのかも知れません。「このままにしておくと、末恐ろしいことになる」と本気で考えたようです。そして、生意気な私の意気をくじくことに一生懸命になりました。いかに私がだめな人間か、を私自身が思い知るように、私が自信を失って親の言いなりになるように、今思えば、ディスカレッジのための日々でした。それが、奥ゆかしく、控えめで、気配りのできる誰にも愛される女性にすることだと本気で信じたのかも知れません。子どもの頃のこの絶えざる実践は、私を病ませました。やがて、私は何にも興味を持てなくなり、日々、生きている値打ちのないらしい自分と苦しい対話だけを交わしていました。それは、日記を書くことでした。ただただ、自分が本当にそれほど、だめなのか、生きる値打ちもないのか、否定され続ける日々は、生きるエネルギーを、生活する喜びを奪っていきました。しかし、誰もその理由がわからず、私は「暗い」「陰気だ」と一層、親にののしられ、親に嫌われるようになっていきました。私も親を嫌い、そして、自分を嫌い、生きている喜びも関心もなくし尽くしました。
それが、長い年月を経て、回復したのです。結婚し、基本的に人の愛情を信じることの出来る、人としての肯定的な基盤のできている人と一緒に暮らすようになり、その人と二人の元気な子どもを育てる間に、私は笑顔を取り戻し、生活に興味を抱くようになり、将来の夢を思い描くようになりました。人の話は面白いし、生活の細々したことも楽しいし、何でもない人との会話を楽しめるようになりました。それが、です。
今、私は余裕を失い、生きている値打ちのないらしい自分に戸惑い、喜びも何も感じられない状態に戻っているのです。それは、今の職場から来ています。他者批判が横行し、グループ間の不具合をスケープゴートをつくることで切り抜けようとする悪しき習慣を持ち、常に他罰的な人々がたくさんいる中で、組織のよどんだ空気を変えようと孤軍奮闘している身には、日々槍が降ってきます。私に賛同してくれる人もいることはいますが、私の苦しみが全部見えるわけではない。なぜなら、私の立場は私しか知らないのですから。この職場を早く、一刻も早く去りたいのですが、来年の年度替わりまでは無理でしょう。一日も早く退散したいものです。そして、早く元気な私を取り戻さないと、本当にこわれてしまいます。

複雑なのが苦手

2005-06-17 01:06:24 | 自分
今の職場は、やかましやのお節介なお母さんが10人くらいいるような環境。いつも、「早く早く」と追い立てるように言うお母さん、「ほんとにあんたときたら、、、」と、ぐちぐち言うお母さん、「この先どうなるんだろうか」と嘆息ばかりついて、心配ばかりしているお母さん、、、、。フェミニズムは、男にこびない女をよし、とした。そして、男に媚びて、ぶりっこしない生き方を自らに課した女性たちは、しっかりした支配型のお母さんになるしか、モデルがなかったのだろう。だから、口うるさい心配性のお母さん型の女の人がわんさかいる職場になった。口数が多い、女学生みたいに群れたがる、わけのわからん理屈を言い続ける、、、、勘弁してよ~と言いたい感じ。
私が口うるさいお母さんにならなかったのは、ほんとはとてもいやだったのだけど、父に似ていたからだ。母にいつも「あんたらはそっくり」と言われて、ほんとにいやな思いをしたけれど、確かに父の気の利かないところやいろいろ考えを裏返してややこしくしないところは似ている。私は女性をモデルにできなかった女だ。職場の女の人たちのように、いろいろ思考がくるくるめぐらない。それは悪いことだとは思わないのだけど、苦労は多い。非常に多い。