凡々たる、煩々たる・・・

タイトル、変えました。凡庸な人間の煩悩を綴っただけのブログだと、ふと気付いたので、、、。

複雑なメッセージに弱い

2004-08-19 00:06:50 | 人間関係
大人になっても、時折人が示す、どっちつかずの言葉や態度がやっぱり、つらい。今日もそういう曖昧な表現に遭遇。複雑な笑みを浮かべる友人。私を苦しめるつもりはないと思う。信じている。でも、微妙な話題の中で、リアクションとして、複雑な表情とコメントをした。やめてくれ。その曖昧さが私を苦しめるのだ。曖昧な表情、どっちつかずのせりふ、、、頼むからやめてくれ! 私はそれに弱いんだ!
 でも、話題の微妙さは、その友人をも戸惑わせていたはずだ。そのことに気づくのには時間がかかる。その話題は、私だけでなく、他の人をも困らせる話題だったことに気づくとちょっと気が楽になる。

二重構造

2004-08-16 22:39:06 | 
私の母は、典型的な京都人で、とても複雑なメッセージを出す。というより、「察する」ことを要求する。私は、メッセージが出ていたかどうかも気づかないのだが、母は、メッセージを出していたという、そして、それに答えなかった私を責めまくったものだ。また、メッセージを間違って受け取っても、後で責められた。人前では、決してダイレクトにものを言わないので、私にはわけがわからない。
 小学生の頃、隣のおばちゃんがかわいがってくれるので、しょっちゅう遊びに行っていた。母は、「もう晩ご飯やから帰りなさい」と迎えに来る。私は「もっと遊びたい」と言う。「なにゆうてんの。おばちゃんとこも迷惑え」と言う。おばちゃんは、「もうちょっとかまへんえ」と言ってくれる。でも、母は一歩もひかず、結局私は連れ帰られる。帰ってから、母は、「もう行ったらあかん」と言う。「なんで。おばちゃん、また来てやて言わはった」と私。「そう言うたはっても、ほんとは来たらいややと思たはんのん」「なんで? なんで、来たらいややのに、またおいでて言うの?」「そういうもんやのん」「お母ちゃんかて、またあした寄せてもらいますて、ゆうたやん」「それは、ゆうただけ」「ほな、うそ言うたん?」「うそと違うの。そういうもんやのん」「そんなん、うそやんか」、、、と母とはこういう会話を交わしてきた。やりにくい子どもであっただろうと思うが、言われたことと思っていることが違う、という事態が私をいつも混乱させていた。京都の人はいつ、この二重構造になじむのだろう? 私はとうとう、京都を逃げ出した。こんなわけのわからない世界で、生きていくことはできなかったのだ。
 本音と建て前の二重構造が、今でも私は苦手だ。

でも、私の中には京都人の血が流れている。

2004-08-16 09:46:34 | 京都
 京都の風情は好き。で、若い頃は、京都しか知らなかった。私の祖父は、世界を「京都」と「田舎」の二分類で把握していたような気がする。
 しかし、京都の(ひょっとして、私のまわりの?)人々のメッセージの複雑さ(有名な「京のお茶漬け」のあれです、あれ)に、子どもの頃から疲れ果て、鬱状態の子どもだった(別に、京都のせいではない、と言われれば、確かに、京都にも鬱でない人の方が多かったが、、、)。
 で、いろいろ、心くたびれていたので、(若いうちに京都をとびだしたので、今では、京都を客観的に見られる気がする)最近になって、この謎を解きたくなった。ので、こんなページをつくることにしたのです。
 私のモットーは、シンプルに生きたい、ということ。