凡々たる、煩々たる・・・

タイトル、変えました。凡庸な人間の煩悩を綴っただけのブログだと、ふと気付いたので、、、。

人との絆

2017-08-27 12:55:22 | 
何を読んでも、何を観ても、人とのつながりの大切さばかり。

救いを求めて何かに辿りついても、人とのつながりがうたわれている。

余計、寂しくなる。

私に誰がいる?

私とつながる誰がいる?

私は、誰にも絆を感じない。

ふだんは元気に暮らしている。友人たちもいるし、子どもたちもいる。
だが、私の凍てつくような孤独は癒されない。
私には誰もいない。

私には誰もいない。

もう生きていても仕方がないのだ。

誰かがいてくれるような、気配だけを信じて生きてきた。
でも、気配であって、錯覚であって、それだけだとわかった時から、
救いが消えた。

もう、気配すらないしね。

悪妻は一生の不作

2014-06-24 08:32:16 | 
 こんな言葉をたまに思い出す。いや、別に、「悪妻」を「悪夫」に置き換えてもよいし、「悪パートナー」に置き換えてもよいのだが、要するに、切っても切れない間柄になった相手に悩まされるときに、実感する言葉なのだろうと思う。

 簡単に縁を切れない、むしろ、親密で互いに信頼し合えるはずの相手が、どうも自分に良いものをもたらさない、それどころか害をなす、と気づいたとき、この感慨がわくのだろう。
 なにしろ、人生を左右される。単なる友人関係なら遠ざかればよい。会わなくなれば、なんとかなる。職場の人間関係でも、プライベートな領域に侵入させないという自衛はできるだろう。

 が、プライベートな領域で、何もかも明け渡した相手が自分に害をなす、とわかるということは厳しい。別れるというのは最後の手段であるから、それまでに何とか、良い関係に変えようと努力をするだろう。そして、その努力の過程でも、疲弊してしまう。なにしろ、相手から良きものは来ないのだから。むしろ、努力をすればするほど相手は図に乗って来るし、もし捨てられるかもしれないという危機感を抱いたら、相手はもっとしがみついてくる可能性が高い。
 DV夫は、まさに一生の不作だ。妻側に何のメリットもない、どころか、人生を損なわれる。一度きりの人生を、相手に蹂躙され、台無しにされる。

 そのような関係をさっさと見切る人もいるし、なかなか見切れない人もいる。見切れない人というのは、要するに、もともと不幸感に堪え易い傾向がある。そういう人は、たいてい、幼少期の生育環境であまり幸福ではなかったので、不幸な環境に慣れている。少々の相手の理不尽さには、気づかないのだ。相手が厚かましくても、自分を侵犯してきても、あまり苦にならない。なんとなく、乗り越えて行く。あまりにもひどい状況になったり、その人と一緒にいることで不幸感ばかりが続くことに気づいたとき、つまり耐性が限界に達した時、やっと関係のおかしさに気づく。この関係は不幸な関係だ、ということに気づいてしまう。それから、逃げ出す方向に切り替えても、その関係で良い思いをしてすっかり図に乗っている相手は、そう簡単には放してくれない。

 それでも決意堅固に、逃げ出すしかない。不幸な環境に鈍い人は、相手にほだされやすいが、もとに戻ればまた不幸な毎日だ。とにかく、逃げることなのだ。
 不幸な環境で育って来た人は、不幸の中にも小さな幸福を見つけ、自分を励まして生きてきたようなところがある。DV夫から逃げ出さない妻も同じだろう。彼の良いところを探して、彼をなかなか見捨てられない。DV夫もたいてい悲しみをかかえているから、そこに同調してしまうと、なかなか見限れない。で、自分の人生を差し出して、相手の束の間の感情のはけ口になってしまう。が、それで彼は悲しみを払拭できるわけではない。いくら、夫を見限らずに夫を支えようとしても、彼は決して幸せになれたりはしない。相手の憂さ晴らしのためだけに、自分の人生をささげるのはやめた方がよい。それは不毛な忍耐だ。

「感謝している」と、相手は時に言うかもしれない。その一言を聞くためにだけ、自分の人生を捧げるのは、文学のネタとしては妖しくて美しいが、現実にはあまりにもバランスの悪い話だ。「感謝している」というDV夫の一言は嘘ではないだろう。しかし、気まぐれな一言でもある。すぐに別の感情に支配されるに違いない束の間のため息のようなものだ。その一言にすがりついても、意味はない。

 DV夫や悪妻という言葉を、パートナーに置き換えてもよいし、同性間の親密な間柄に置き換えても、同じことが言える。
 不幸に慣れていると、相手の理不尽さにはなかなか気づかない。が、気づいたら、距離を置いた方がよい。いつまでがんばっても、その相手と共にいて、幸せになれないのは確かだ。

これは、今、この瞬間の私自身の心境だ。

猫のこと

2009-12-25 13:45:43 | 
 逝ってしまった子のことを考える。ずっと、予定が立て込んでいて、用事をこなしながら暮らしていたので、平常通りに行動している。が、本当はパニックを起こしたいのだ。のたうちまわりたいのだ。
 しかし、平静だ。なぜなら、「猫」だから。

 多くの友人が、ペットを失う悲しさを共感してくれる。それは本当に有り難い。家族も、共感的だ。私は、本当に恵まれていると思う。
 それでも、まさか、仕事を休むわけにはいかないだろう。仕事に穴は空けられない。普通の顔をして、仕事をする。

 以前、友人が、私の職場の近くで、講座の講師に呼ばれたので、受講者の一人として聞きに行った。いつも通りに友人は講義をし、いつものように質問を受け、終わって一緒に電車で帰る中で、自分の飼っている猫が今朝、亡くなっていた、という話をした。私は、自分も猫を飼っているのに、何かそれを人ごとのように聞いた。辛かっただろう、とは思ったが、彼女の胸の内の深い部分に届くような受け答えはしなかったと思う。
 今回、私は、前日まで授業があった。その前日は、講座だった。もし、当日にあの子が死んでしまったら、、、と思うと、怖かった。私は、それでも授業に行くだろう。講座をするだろう。胸がえぐられるような思いだった。

 思えば6年前、彼が亡くなった日、私は講演に行った。朝、主治医から電話がかかってきた。「もう、危ない」と。私は、「えーっ」「講演の穴は空けられない」と、私はパニックだった。嘘だろう? そんな馬鹿な! 何が、そんなにパニックだったのだろう。私は、彼が死ぬとは、心のどこかで信じてはいなかった。医師から何度言われても、絶対彼は生き延びて、医師が「奇跡だ」と言うのだと、思いこんでいた。だから、なのか。私は、「そんな馬鹿なことは言わないでくれ!」というような勢いで迫っていたのかもしれない。若い主治医は、「すぐに、どうこう、というようなことはないです。お仕事に行って下さって、大丈夫です」と、言った。「そうよね、当然、そうでしょう」と、私は、講演に出かけた。講演が終わって、病院に駆けつけたとき、彼はもう、虫の息だった。「なぜ、こんなことになっているのか?」と、私は付き添っていた息子や友人に、詰問するように訪ねた。「いつから? いつから、こんなふうに?」と。息子も友人も、悲しげに目を伏せるだけだった。

 起こっては困ることを、否認するのだろう。医師にすれば、何度も告知したのに、この人は聞いていなかったのか、と、呆れたかもしれない。が、私は受け容れなかったのだ。決して、受け容れなかったのだ。

 猫も、何度も、複数の医師から、言われていた。セカンド・オピニオンを求めた医師は、猫は食事をとらなくなってから一週間です、と明言した。私は、意地になって、ミルクを与えた。が、猫は、少ししか摂取しなかった。栄養さえ与えれば、生命はつなげるのではないか、と言ったが、その手段がほとんどないに等しいと言われた。
 猫のための薬や点滴や検査機械は、まだまだ未整備らしいと知った。小動物専用の器具も薬もないので、人間ならもう少し手段がある場合でも、猫は困難だということだ。特に、人間は自覚症状があるが、猫の場合、治療は飼い主が変だと気づいた時に始まるから、相当進行していると考えられる。ペット医療に向けて、今後はビジネス化が始まるのかもしれないが、延命することがよいのかどうかも、わからない。

 亡くなる直前に、ソファの後ろに隠れた。抱こうとする私をふりきって、入って行った。息を引き取るとき、孤独を選んだかに見える行動に、私も居合わせた息子も友人も、茫然となすすべがなかった。猫が動きをやめたときに、初めて、ソファの後ろから抱いて連れ出した。何がその子にとって良いのか、最期までわからなかった。最後まで、無策で無為の、愚かな飼い主だった。



 

猫のこと

2009-12-23 21:57:56 | 
14年間、一緒に暮らした猫が死んだ。
わけがわからない。
なぜ、あの子がここにいないのか。
なぜ、あの子がこの世に存在しないのか。

わけがわからない。
なぜ、こんなことが起こるのか。

嘗て、自分が癌だとわかったときは、自分の死について考えた。自分の死という実体は、自分には無関係だと思った。生とは、未来に向かう意志だと思った。私にとって、私の生とは、未来を指向する意志でしかない。だから、死は、それを失うことだと思った。

が、愛する者の死は、もっと様々な感情を呼び起こす。それは、私の外部で起こり、私はそのことを客観的な事実として、受け止める立場にある。私は、「実体」を目撃する。猫がどれくらい、意識的に生きたのかは、想像の域を出ない。快・不快の原則に則った行動原理で生きていたのだろうと、私は想像している。しかし、それでも、猫に仮託した思いは、それほど、淡泊ではなかった。私の情動を乗せて、いつも猫の姿を目に入れていたようだ。そして、猫は、その私に、変わらぬ受動性で、応えていた。
 小さくて、無心で、無抵抗で、とても優しい存在としてあった。何も言わずに、そっと寄り添ってくる存在だった。どれほど、その存在に慰められただろう。どれほど、生活を優しく彩ってくれただろう。
 なのに、病気の猫に対して、私は無力だった。ごめんよ、ごめんよ、何もできなかったね、ごめんよ、と、亡骸に泣きつくだけ。無力だった私を責めるでもなく、ただ、そういう事実であることを、そのまま示して、猫は生きるのをやめた。ただ、そういう事実があるのだ、と、あらゆる解釈を無意味にして、あの子はさっさと逝ってしまった。



つながる

2009-11-05 22:55:12 | 
コメントをいただいた。そうか、ひっそりと、共感をもって読んでくれている人がいたのだ。なんか、ほろりとなる。

今まで、攻撃にさらされて心くじかれることの方が多かったので、味方として読んでくれている人がいる、ということがなかなか想像できなかった。

コメントをくださった方、公開してよいかどうかわからないので、保留にしています。公開してもよかったら、また、教えてください。

応えてくださって、ありがとうございました。気持ちが救われました。