凡々たる、煩々たる・・・

タイトル、変えました。凡庸な人間の煩悩を綴っただけのブログだと、ふと気付いたので、、、。

人との関係の取り方

2014-01-03 09:51:40 | 人間関係
 まことに難しいものだと思うのは、これだ。他の人はそれをどういうように処理するのだろう。確かに多くの人が、人間関係で悩んでいる。私自身、「女性のための相談」というようなことを仕事にしていたこともあるので、それは、よくよくわかっている。
 近所付き合い、職場の人との関係、、、最も多いのは夫との関係の悩みだった。

 この世を生きるのに、人との関係を拒否しては生きられない。誰かが要るように思う。しかし、希薄な、時候の挨拶だけの関係ではなく、もっと豊かな関係を求め始めると、苦悩も始まる。

 私の経験で言えば、親たちは、配偶者と子どもとの関係だけは不動のものと思い、甘え切っていた。世間に対しては極端なほど遠慮をし、「身内」意識が強い。が、身内を守る、というより、身内なら守ってもらえる、という片務的な愛を要求していた人たちのように思う。配偶者は大人なのでまだ気を遣う面もあるが、子どもにだけはとてつもなく甘え、支配し、限りない権利を持っているかのようだった。今思えば、精神的に未熟な人たちが大人になり、子どもを持ったというだけのことで、今もなお多くの家庭でDVや虐待が起こるのは、そういうことなのだろう。相手を支配する、思い通りにする「権利」を持っていると思うと、支配できなかったり思い通りにできないと、「権利」を侵害されたと思って怒るのは当然だ。

 私の見知った人間関係はこのような関係だったので、どうしても親しくなると、甘えが出てくる。子ども時代の経験が、今の人間関係の基礎であるから、親しい人につれなくされると、今度は見捨てられたと思いこむ。母が私についてはほとんど興味を持たず、ネグレクトに近かったので(もちろん、母は自分の趣味や周囲からの称賛のために、私に手をかけいつもかわいらしい手作りの洋服を着せ、行き届いた母親を演出していた。が、私が泣こうが悲しもうが、怪我をしようが病気になろうが、人目のないところでの私には全く興味を示さなかった。)、母にはほとんど見捨てられていたようなものだが、それは私の子どもへのまなざしにもあるようで、子どもは干渉されなくてよいだろうが、もう少しかまってほしい、という欲求はあったかもしれない。

 そして、私自身、未だに心の芯からわいてくる寂しさに、打ちのめされそうになる。誰かに傍にいてほしい感じがたまらなくわき起こる。が、そういう人を「募集」したとして、自分の心が満たされるとは思いにくい。寂しい時間つぶしのために、人と出会うというのは、確かに相手も同じ考えでいるときはイーブンな関係でよいのだろう。
 これまでの経験で自分が相手から気に入られる可能性は高いと思う。なぜなら、どうやら私は「寂しい人」をとてもうまくケアしてしまうようなのだ。自分がすることは、自分がしてほしいこと。相手の意を汲み、その人が何を欲しているのかを理解して、その場合自分なら何をしてほしいだろうと想像する。そしてそれを行為に転換すれば、多くの人の寂しさは癒される。「私をわかってくれるのはあなただけ」ということになってしまう。しかし、私は決してわかってもらった実感がない。多くの寂しい人は不器用で、相手の意を汲むことができない。私には、その人がなぜ寂しいのかがわかる。「下手くそ」だからだ。寂しい人の多くは、自分の寂しさにかまけて、他人のニーズに疎い。だから、ずっと寂しいままなのだ。「唯一、自分をわかってくれる人」であるはずの私のような人間に逃げられるから。なぜなら、私はその人といても少しも癒されない。少しも、わかってもらえない。だから、結局、好きになれないから、一定の距離を縮める気になれない。いつまで経っても、私は「お友だち」でいましょう、というスタンスを変えない。
 そして私も寂しいままだ。もっと親しくなりたい、でも、そんなに一方的に私から良きものを得よう、なんて思う人と親しくなりたいという欲求がわかない。そのような人に末期の水をとってもらいたいとは思わない。

 だから、この人生で私は寂しいまま、人々と適度な距離をとりながら、生き続けるしかないのだ。それでも、倒れそうになるほど寂しいことがある。正月は特にだめだ。気を紛らわせる場所すらない。

 仕事に生きようにも、もはや仕事からも見放され始めたから、年を取るのは本当に困難だ。一人で、生きる覚悟ができていたはずなのに、少し親しい人ができると、期待してしまう。依存してしまう。依存してはいけないのだ。他の人は、自分の都合で距離を縮めるが、私のニーズを汲むことはない、ということを、幼い頃からもう見知っていたはずなのだけれど。

 

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。