凡々たる、煩々たる・・・

タイトル、変えました。凡庸な人間の煩悩を綴っただけのブログだと、ふと気付いたので、、、。

ブランド大学を出ているということ

2018-02-23 00:15:44 | 日々の雑感
今日の食事会は、初めての人も多かった。
で、ブランド大学の出身者ばかり。

60歳にもなって、昨日のことのように大学時代の話をする。
考えてみれば、そういう人は多い。
三流大学を出て、昨日のことのように大学時代の話をする人はいない。
どちらかといえば、忘れたいことだから。

できれば、大学のことには触れたくない。
私もそうだ。
大学受験の頃まで、自分が大学に進学できるとは思っていなかった。
父親が、「お前を大学に行かせる金はない」と言っていたし、
中学生の頃から、大学なんか行くことはない、と言っていたし、
近所に、大学に通う女性なんかいなかったし、
しかし、学校に行けば成績は良いし、、、

どうしてよいか、将来像が結べなかった。
父は、高校を卒業すれば銀行に勤めて、見合い結婚させる、と確定事項のように語っていた。

私の心はうろうろしていた。
父の語る将来像は全く受け入れたくなかった。
しかし、それをはねかえすだけの馬力も、想像力も、自信もなかった。
親の言うことに背くだけの力はなかった。
親に背いて生きていけるとは思えなかった。
しかし、父の言う将来像は、私に何の喜びも与えなかった。
が、当時の親たちは、娘の将来に「喜び」など邪魔だと思っていた。
娘が喜ぶことなど、あってはならない。
忍耐して、苦労を堪え忍んで、良い子を産むこと、それが娘の務めだと思っていた。
子どもを幸福にしたい、などとは考えていなかった。

私が離人症のような状態になって、
母は、娘がおかしくなったのかとおろおろし、
父は、おかしくなるくらいなら、大学くらい、どこでも行け、と言い出した。

高校3年の最後の方である。
さんざん、自信をくだかれ、メンタルをやられてからの「許可」である。
私はとにかく、地元の国立大学に入った。
二流だが、進学率の低い、当時の私が住んでいた地域では、賢い子が行く大学なのだった。

しかし、私はそこに行く気はしなかった。
ちゃんと将来に向き合いたかった。
が、父の言うような生き方があまりにも無理そうだったので、モラトリアムで大学に入ったのだ。
もっと優秀と言われる大学に行けそうだったのに、全然、勉強などしていなかったし、
きっと、ブランド大学に行けたはずなのに。
絶対、行けたはずなのに。

そういう悔しさを抱えている。
無念で仕方がない。
娘の将来を、自分の古臭いイメージだけで判断し、振り回されて、人生を壊された私。

いつもいつもそう思っている。
だから、ブランド大学に無事に入り、卒業し、60歳になっても大学時代のことを話す人たちを見ていると、
屈託がないねえ、、、
結構だねぇ、、
と思う。

親の愛やら、大学の話やら、仲の良い夫の話やら、
結局、今日はつまらんかった・・・

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