選挙の結果に落胆。結局、この国はこういう国だったのね、という落胆。
別に、特定の党派を支援しているのではないが、結果を見ると、なんか、強いリーダーに守られて引っ張って行ってもらいたい国民性なのだな、と思ってしまう。
民主党政権になって、この未曾有の事態に見舞われてしまって露呈したことがたくさんあるが、元はといえば、信じられないほど長い自民党の覇権の下に、築き上げられてきたことばかり。まだ、不慣れな民主党が、右往左往しながら懸命に対応しているから、実情が見えてくるが、自民党政権下だったら、巧妙に隠蔽されて、国民は何も知らずに危険地域にだってのんびりと居続ける状況だったかもしれないのだ。知らぬが仏状態で、、、。それでも、この国の人々は、「騙すなら上手に騙してね」と、偽りの平和と安定を求め続けるのか。
私の母が、まさにその人生観だ。知らない方が幸せ、いろいろあるかもしれないけど、私には聞かせないでね、今、平和なんだから。徹底した被保護者根性とでも言おうか。だから私は、この母と辛いことを分かち合えるとは思わないから、常に母は蚊帳の外だ。言えばパニックになるから、ややこしいことは言わない。パニックになられて、慰めないといけない分余計手がかかるから、何も困ったことはない、全てはうまくいっている、という話になっている。
国がそうなったのは、国民がそれだけ不甲斐ない、ということだったのか。真実を明かせば、政権を責め、批判するだけ。あるいは、パニックになって大騒ぎになるだけ。だから、「難しいことは我々に任せておきなさい。あなたたちは、何も考えなくてよろしい」ということになったのか。それで、さらにあなた任せの国民性が助長され、さらに政府は国民を愚民扱いにして、情報を隠蔽し続けたのか。
私が以前いた職場も同じだった。非常勤職員は、決定事項に関わらせない。それだけではなく、何も知らせず、適当にごまかした説明だけに終わらせる。特に、中心となる正職員がそういう態度で一貫していたので、非常勤のスタッフは、常に自分の働く職場に対して、信頼感も抱けず、かといって情報がないから、明瞭な批判もできず、もやもやした不信感と不満が漂っている職場だった。そこに途中から管理職として入った私は、情報を開示して事に当たろうとしてきたが、ことごとく、古い正職員に阻まれ、いやがらせを受けた。元市職員だったパート職員などは、事情を説明しようとする私に対して、「そんなことは私たちに聞かせないでください。それは、そっちの話です」と、抗議してきた。尤も、この人は、私を潰すことが目的だったから、まだ私の所にも事情がわかっていない時には「事情をつまびらかにせよ」と迫り、私が事情を説明しようとする時にはそれを拒否する、という、一貫しない態度をとり続けたが、それはまぁ、私を攻撃するのが目的であれば、その目的では一貫していたのだけれど、、、。
それは、さておき、下々には情報を与えない、というやり方は、私の嫌いな権威主義の特徴だ。が、その程度の民意であった、ということなのか? と、今ふと思う。確かに以前のその職場でも、私のやり方に賛同してくれる人たちは、与えられた情報から自分の考えを導き出すことができる開明なタイプだが、情報をもらえばそれだけ負担に感じるから迷惑だ、というタイプの人がいたのも事実だ。と、言うより、そのように教えられた人たちだろうが。最初に出会った上司がそういうタイプだと、それが身につくらしい。強い人の意のままになって、身の安全をはかろうとする傾向の人が、どうも多いような気がする。
戦時中のようになって拷問でもされたら、私は自分の意思を貫く自信はない。でも、せめて、ものが言える間は、自分の意思は明瞭にしておきたい。昔、平時の間に、精一杯反戦を訴えたい、平和を維持したい、自分はいざとなったら巻き込まれる弱い人間だと思うから、せめて言える間は声を大にして訴えていく、と言っていた女性がいたが、私はその人に心から賛同している。
しかし、平時から、我が身を守ることに汲々としている人たちは、よほど心配性なのか。そして、平時から、大きな権力に易々と自らを明け渡し、平伏して生きていくことは、結果的に、大きく方向を誤らせることに手を貸しているのだということに、なぜ気づかないのだろう。
暗澹たる気分。
別に、特定の党派を支援しているのではないが、結果を見ると、なんか、強いリーダーに守られて引っ張って行ってもらいたい国民性なのだな、と思ってしまう。
民主党政権になって、この未曾有の事態に見舞われてしまって露呈したことがたくさんあるが、元はといえば、信じられないほど長い自民党の覇権の下に、築き上げられてきたことばかり。まだ、不慣れな民主党が、右往左往しながら懸命に対応しているから、実情が見えてくるが、自民党政権下だったら、巧妙に隠蔽されて、国民は何も知らずに危険地域にだってのんびりと居続ける状況だったかもしれないのだ。知らぬが仏状態で、、、。それでも、この国の人々は、「騙すなら上手に騙してね」と、偽りの平和と安定を求め続けるのか。
私の母が、まさにその人生観だ。知らない方が幸せ、いろいろあるかもしれないけど、私には聞かせないでね、今、平和なんだから。徹底した被保護者根性とでも言おうか。だから私は、この母と辛いことを分かち合えるとは思わないから、常に母は蚊帳の外だ。言えばパニックになるから、ややこしいことは言わない。パニックになられて、慰めないといけない分余計手がかかるから、何も困ったことはない、全てはうまくいっている、という話になっている。
国がそうなったのは、国民がそれだけ不甲斐ない、ということだったのか。真実を明かせば、政権を責め、批判するだけ。あるいは、パニックになって大騒ぎになるだけ。だから、「難しいことは我々に任せておきなさい。あなたたちは、何も考えなくてよろしい」ということになったのか。それで、さらにあなた任せの国民性が助長され、さらに政府は国民を愚民扱いにして、情報を隠蔽し続けたのか。
私が以前いた職場も同じだった。非常勤職員は、決定事項に関わらせない。それだけではなく、何も知らせず、適当にごまかした説明だけに終わらせる。特に、中心となる正職員がそういう態度で一貫していたので、非常勤のスタッフは、常に自分の働く職場に対して、信頼感も抱けず、かといって情報がないから、明瞭な批判もできず、もやもやした不信感と不満が漂っている職場だった。そこに途中から管理職として入った私は、情報を開示して事に当たろうとしてきたが、ことごとく、古い正職員に阻まれ、いやがらせを受けた。元市職員だったパート職員などは、事情を説明しようとする私に対して、「そんなことは私たちに聞かせないでください。それは、そっちの話です」と、抗議してきた。尤も、この人は、私を潰すことが目的だったから、まだ私の所にも事情がわかっていない時には「事情をつまびらかにせよ」と迫り、私が事情を説明しようとする時にはそれを拒否する、という、一貫しない態度をとり続けたが、それはまぁ、私を攻撃するのが目的であれば、その目的では一貫していたのだけれど、、、。
それは、さておき、下々には情報を与えない、というやり方は、私の嫌いな権威主義の特徴だ。が、その程度の民意であった、ということなのか? と、今ふと思う。確かに以前のその職場でも、私のやり方に賛同してくれる人たちは、与えられた情報から自分の考えを導き出すことができる開明なタイプだが、情報をもらえばそれだけ負担に感じるから迷惑だ、というタイプの人がいたのも事実だ。と、言うより、そのように教えられた人たちだろうが。最初に出会った上司がそういうタイプだと、それが身につくらしい。強い人の意のままになって、身の安全をはかろうとする傾向の人が、どうも多いような気がする。
戦時中のようになって拷問でもされたら、私は自分の意思を貫く自信はない。でも、せめて、ものが言える間は、自分の意思は明瞭にしておきたい。昔、平時の間に、精一杯反戦を訴えたい、平和を維持したい、自分はいざとなったら巻き込まれる弱い人間だと思うから、せめて言える間は声を大にして訴えていく、と言っていた女性がいたが、私はその人に心から賛同している。
しかし、平時から、我が身を守ることに汲々としている人たちは、よほど心配性なのか。そして、平時から、大きな権力に易々と自らを明け渡し、平伏して生きていくことは、結果的に、大きく方向を誤らせることに手を貸しているのだということに、なぜ気づかないのだろう。
暗澹たる気分。