凡々たる、煩々たる・・・

タイトル、変えました。凡庸な人間の煩悩を綴っただけのブログだと、ふと気付いたので、、、。

被害者という武器

2012-05-29 08:31:16 | 考え方
 私の行動範囲がおそらく特殊で、社会全体から見ると少数派なのだろう。しかし、日々、その中で暮らしていると、そこの常識が社会全体の常識と思えてしまっている。その、相対的な視点を忘れないようにしたいと思いつつ、繰り返し、思うところを書くと、、、。

 私の動く業界では、広い社会全体とは逆の価値体系に貫かれている。まず何よりも、「不幸」を背負っている人が「幸福」な人に比べて、地位が高い。当然、稼ぎ手の夫がいて子どもや孫のいる人は、シングルマザーで貧乏な人の前に出ると、肩身が狭い。年金額の高い人は、年金額の低い人の前で身を縮める。フルタイムの職を持っている人は、非常勤職の人の前では、無口になってうなだれている。
 私は、嘗て働いていた職場で、管理職、常勤、当然その職場では高給取り、だった。そして、一番頭が上がらないのは、その職場で一番不安定な身分のパートの人。パートの人は、思う存分、私を罵り、ターゲットにし続けた。なぜなら、権力を持っている人はいくら攻撃しても良い、という暗黙の了解があって、容赦ない怒りを全部こちらにぶつけてくるからだ。そして、こちらは一切の抵抗ができない。抵抗しようものなら、パワハラと言われてさらに糾弾される羽目になりかねないからだ。

 こうした価値観の世界では、最も強いのは、「被害者」の立場になること。パワハラは、その立場に立つのに、すっかり便利なツールになってしまった。
 一つ前の記事に書いた、団体を辞めた人の手法もこれだ。その人は事務局長。パワハラをした、と名指しされたのは理事長。団体の職制から言えば、確かに理事長は団体の責任者でトップ、事務局長は理事長の命を受けて事務局の業務を行う立場だ。見かけ上の権力は、理事長にある。しかし、実態は、事務局長がその人の名前を利用するために理事長を招聘したのだし、実権はすべて事務局長が握っている。それでも、その理事長がやる気を出して、あれこれ、アイデアを出し、提案していたことで、事務局長は追い詰められていった。「それは、出来ません」「人手が足りません」と言えばいいものを、理事長の提案に応えないといけないと思ったのか、自分もやりたいのに出来ない苛立ちがあったのか、とにかく、提案型の理事長は「パワハラをした」ということになった。事務局長の彼女は、パワハラの被害者になったのだ。
 そこからの彼女の言動の不思議さは書いている通りだが、それまで普通に起こっていた出来事が、すべて、彼女の被害事実として跡づけられていった。自分を被害者として位置づけることによって、すべてそのことを証明する出来事として、解釈し直されていったのだ。
 過去の出来事は、現在にとって「解釈された」出来事に過ぎない。解釈抜きの過去などないのだ。そして、一旦「被害者」としての現在から振り返ると、すべて「被害事実」を構成する過去物語となる。

 裁判に巻き込まれて知った。裁判で争われる「事実」とは、原告と被告の主張を補強するためのツールだから、どれだけ整合性をもって解釈を展開できるか、にかかっている。「正義」が追求されるのではなく、言い分がどれだけ「尤もだ」と思われるか、ということだ。だから、舌戦、論戦だ。そこでは「正義」など証明されないし、そこで「正義」を信じているのは、自己検証をしない思い込みの人だけだ。

 思考とは、解釈のことだ。学問が、客観性を追求することを至上価値とするのはわかる。所詮、全き客観性などないけれども、限りなく客観性を追い求める領域というのはここにしかないのだろう。

 とにかく、「被害者」になる、ということは、私の動いている業界では、最強の立場になる、ということだ。誰も「被害者」になった人を責めたり攻撃したりは出来ない。だから、と言うべきかどうかわからないが、もともと武器を持たない女性たちは、「被害者」という武器を持つ。「女の涙は武器になる」という言い方、私は大嫌いだが、まぁ、真理ではある。

 でも、これを武器にする女、嫌いだなぁ。私自身、実際に「被害」を受けた時に、まわりが腫れ物にさわるように大事にしてくれて、その心地よさは知っている。そこに行きたい気持ちもわかる。が、それを武器に使う女を見ると、やっぱりいやだと思う。





 

イメージは自分でつくっている?

2012-05-21 10:11:43 | 考え方
 先に書いた「二つの物語」を綴りながら、もう一つ思っていたことがあった。

 それは、人は、自分をどのように他人に印象づけようとするのか、ということ。

 先に書いた訴訟を起こした派手な人 ―仮にAさんとしよう― は、誰もが超多忙な人だと思い込んでいたと思う。もちろん、VIP待遇で働いていた職場でも、常に「忙しい、忙しい」と言っていたそうで、他の自治体でも名誉職のような仕事に並行して就いていた時期だから、彼女を忙しい人だと思っていない人はいないだろう、と思われる。実際、最近会った、他の自治体の元職員も、「Aさんといえば、とにかく忙しい人という印象だったわ」と言っていた。いつも、忙しがっていた記憶がある、と。彼女の訴状に名指しされていた自治体の管理職も、「Aさんと話をしようと思っても、とにかく、忙しいから、となかなか話をする時間をとってもらえなかったんですよ」と、困り切っていた。

 それで、私も引き継ぎの時に、「ここを辞められても、他のお仕事でお忙しいのでしょうね」と言ったら、意外な答えが返ってきた。「いいえ、私はここだけですよ。ここを辞めたら、何もありません」と。聞いていた話とずいぶん違う、と思った。全国の、否、世界のあちらこちらを飛び回っている、という印象だった。
 だから、常勤職は無理だと、その職場の誰もが思っていたのだと想像する。

 が、ひょっとすると、それがAさんの自分の威光を示す一つのやり方だったのかもしれない。とにかく目立つ人だ。引く手あまたの自分が、ここにも来てあげているのだ、という感じが漂っていたのかもしれない。そういうように自分を見せる、ということを無意識のうちにやっていたのが、裏目に出たのかもしれない。とにかく、その職場では、常勤職として、何よりもそこを優先する人材が必要だったのだ。極端に言えば、全生活をそこのために犠牲にする管理職を必要としていた。私自身も、勿論そこまで望まれているとは考えていなかった。非常勤で勤めている大学の仕事を続けていたくらいだ。だが、病気になって辞める頃には、からだも心も私生活をすべて犠牲にしていた。床に就くのも遅く、しかも仕事のことを考えて、朝まで一睡も出来ない日が続いた。当たり前のように、からだをこわしたのだ。
 そういう激務に耐える人材が求められていた。だから、Aさんがする仕事だと、誰も思わなくても不思議はない。辛抱仕事の続く、激務だったのだ。そして、そのことを一番よくわかっていたのは、Aさんが後に、自分を裏切ったと敵視することになる行政の出向職員の管理職だった。その人が内部の業務を全てこなした上、手のかかるAさんの世話も尻ぬぐいも行っていたのだった。その人は、3年の任期のあけるのを首を長くして待っていただろう。規定では、本人が希望すれば任期は5年まで延長できるのだが、そのような激務をさらに2年も延ばすなど、考えられなかっただろう。

 私は、その手練れの職員の後任で、且つ、Aさんの後任でもあったのだから、内実がわかっていれば、当然、受けなかった仕事だ。

 Aさんは、自分の有能さを示すことに、裁判でも必死だった。が、職というものには、適性ということがある。自分の立派さを示せば示すほど、「そんな立派な人は要らない」ということにはなるだろう。内部では、辛抱強く、地味な仕事をこなす人でないと困る、という判断はなされていただろうと思う。立派な自分が選ばれなかったのは不公正が行われたからだ、という主張は、とても奇妙に聞こえていた。

 もう1人の、団体を辞めさせられたと思いこんでいる人 ―仮にBさんとしよう― は、先のブログでも書いたが、お金については頓着しない自分を見せていた。「そのお給料で、生活は成り立つの?」と私も尋ねたが、他の人も、それぞれに尋ねたそうだ。私への答えはこうだった。「家賃は安いし、着る物はみんなもらい物だし、やっていけるのよ」と。へぇ、そんなものか、と思っていた。生活の達人と言おうか、仲間としょっちゅう飲みにも行くし、私などよりも遙かによく旅行にも行く。上手に暮らしているのだなと思うばかりだった。さらに、時々、母親から○百万円振り込まれた、などと言っていたので、お金に困っていたのに、団体のメンバーの誰も気にかけてくれなかった、と、後で本に書かれるとは思いもかけなかった。お金には極めて淡泊な自分を見せていたのだ。「お金のことはいやがらせで、後から言い出したことだ」と言うメンバーもいるくらい、その人のお金問題は、唐突だった。おそらく仲間内の誰もが驚いただろう。

 しかし、そのお金の問題は、外部の人には説得力がある。そんな低賃金でこき使っておいて、辞めさせてしまうなんて、ひどいわねぇ、という話になる。その団体は、その人に酷いことをした団体、ということになってしまった。
 給料を決めたのもBさん自身、「辞める」と言ったのもBさん自身、権力を行使してBさんにパワハラをした、と名指しされた人も、Bさんが呼んで来た人、自分は権限がなかったと言うが、決定権のある役員にならないと決めたのもBさん本人、すべてBさんが決め、Bさんが運んできたことだ。そして、自分でしんどくなったのだ。
 Bさんは、自分のホンネは言わなかったのかもしれない。Aさんと同様、見せたい自分があったのだろう。お金に淡泊で、タフな自分。メンバーはそのBさんを見ていた。さらに、メンバーが異なる意見を持つと、自分の側に意見を変えるまで説得する。優しく、理を尽くして、結局相手が自分に折れるまで「説明」し続ける。そして、自分の「正しさ」を検証することはなかったのだ。彼女と最後まで折り合わなかった人は、出て行った。
 今回初めて、Bさんの方が出ることになってしまった。自分は何もかも辞めると言い、折り合いの悪いトップが、そのままトップでいる方がこの団体にとって一番よいのだ、と、主張していた。いつものように、メンバーは、その彼女の言い分に従ったのだ。

 が、違っていたようだ。本当は、「辞めるなんて言わないで。あなたに辞められたら、困るのよ。あの人を辞めさせるから、あなたは残って」と、皆が泣いてすがりつくとでも思っていたのだろうか。しかし、誰も泣いてすがりつかなかった。実権を握っていたのはBさんであったし、バランスを崩していたBさんは不機嫌で突然怒り出したりして、会議でもメンバーはぴりぴりしていたのだそうだ。そのBさんが「辞める」と言い出したのだから、皆はホッとして、「とりあえず、休んでちょうだい」ということになったとしても、そう理不尽なことではない。まして、私の知るメンバーは皆、Bさんがしばらく休んで、また復帰することを念頭に置いていた。が、Bさんは、「辞める」と言うのを誰も止めない、と誤解をしたのだろうか。なぜか、どんどん、自分自身で「辞める」という方向へ持って行き、最後は、追い出された、というような被害者意識でいっぱいになった。
 呆気にとられているのは、残ったメンバーだ。とんでもなく大事になっていくのに茫然としていた。
 
 Bさんは拗ねているだけ、としか思えない。しかし、拗ねても拗ねても、誰も謝りにもなだめにも来てくれないので、とうとう引っ込みがつかなくなった、というようにしか見えない。まるで「だだっ子」だというのが私の印象だ。幼い。いっぱしの理屈を言うので、賢そうに見えていたが、その正体は、我を通したいだだっ子なのか?
 それなのに、彼女の見せたいイメージにすっかり幻惑され、誰もが賢くて優しくて正しい彼女を見ていた。そして、その彼女の言い出したことを真に受けたのだ。わけもわからないうちに、恨まれ、怒りの対象になり、誹謗中傷される。

 AさんもBさんも、いろいろな面で共通点があるように見える。目立つ、自己検証しない、自分が一番正しいと思っている、そして物語をつくる。その物語が正しい物語と信じている。

 私が今思うのは、自分も、人に見せてしまう自分のイメージが一人歩きして、そうではない自分が理解されることはあまりないのだろうということだ。一人で生きることが実は辛い、寂しい、と思うが、なかなかそうは言えない。一人で平気な顔をする。寂しがっている自分なんて、人に知られたくないのだ。
 ふと思うことがある。鬱で自死したとして、周りの人は言うのだろう。「直前まで、元気で笑ってたよ」「そんなに悩んでいるなんて知らなかったわ」などなど、、、。

 ドジな自分を隠さない。と言うか、ドジな自分を笑う傾向がある。それを結構、吹聴する。「天然」というのは、よく人に言われることだ。それでからかわれる。
 が、実はそれでからかわれるのは好きではない。「なんで、あんたにそんなこと言われないといけないのよ」と、実はムッとしている。
 多くの人が自分の失敗を隠そうとする中で、なぜ、それを吹聴してまで自分を戯画化するのか。そして、恰好のからかいネタを提供する。からかわれるのは大嫌いなのに。
 たぶん、自分のミスを吹聴しながら、実は本当はきちんと出来ている自分を見て欲しいのだと思う。「自分ではそう言いながら、本当はちゃんとした人よ」と思われていたいのだ。自分でドジな自分を強調する癖の裏側には、対比的にそんなにドジではない、という自分に気づいて欲しい、という願望がある。しかし人は、そこまで私を観察しているわけではない。本人が言うのだから、ドジなんだ、という印象だけを持つ。自分で言うくらいだから、それをネタにからかってもいいんだ、というように思われる。そして、見せている自分通りの自分が、一人歩きするのだ。

 見せている自分、見せたい自分、というものは、どうもいろいろ思惑に満ちたもののようだ。自分を裏切っているのは、本当は自分だったりする。


 

 
 

私を取り巻く二つの物語

2012-05-21 06:57:35 | 考え方
 最近、二つの出来事から、つくづく思うことがあった。私と因縁のある出来事について、私と因縁のある人二人が、(この二人はそれぞれは全く無関係)、本を上梓した。どちらも共著だが、一つは、その人の名前が一人歩きするくらい有名な人で(その人が有名人なのは、その人の行動の仕方だということが最近はわかる。とにかく、目立つのが好きな人なのだ)、その本を読まなければ、その人の単著かと勘違いするような勢い。で、その本は私と因縁のある出来事について総括した本らしいのだが、読んだ人たちの話によると、私の実名が出まくっているそうな。「でも、悪くは書いてなかったわよ」とのことだが、「当たり前でしょう! 私のことを悪く書いたら、それこそ、訴訟を起こすわ」と思わず息巻いてしまったが、まことに迷惑千万な出来事だったのだ。
 以前からその人の言い分の自己チューぶりには呆れてものも言えなかったが、そしてその人の言い分に首をかしげる人が多かったが、その人はその自分の言い分の通りの悪さが気に入らなかったのかもしれない、結局、本を上梓して自分の言い分を徹底させたという感じだ。私はそんな胸くその悪い本を読む気にはならないが、読んだ人の話からは、その人の前からの言い分が、時を経て、凝固してしまったようなイメージだ。
 ただの一度も自己検証をせず、自分に引きつけたストーリーをほとんど創作した挙げ句、訴訟を起こして、あの手この手で物語を完成させた。その自己チューぶりがあまりにも見事なので、もう、こちらはお手上げだ。

 この人にまつわる出来事から私が得た教訓は、いわゆる「歴史」を信じないということだ。どのような歴史物語も本気に出来ない。たとえ写真が残っている近代史であっても、表層の出来事は確かにあったかもしれないが、ひとたび「真相」や「真実」と冠した歴史物となると、眉唾だと思うようになった。まぁ、それが当たり前の態度なのだろうけれど、NHKなどが好む人物を中心とした歴史物は、「物語」としか思わない。そこにあるのは、一つの解釈、という注釈が、いつも私の頭の中に起こる。それは当然なのだが、その意識がとても濃くなった。同時代の、身近にあった出来事すら謎に満ち、いくつも解釈が成り立つのだから、まして限られた資料から読み解く歴史など、読み手の自由気ままな創作物だ。

 私自身が巻き込まれた出来事も、その人の手にかかると、とんでもない物語に仕立て上げられている。将来、その本が読まれるとすれば、その人は正義を貫いた悲劇の人で、私は無垢の力のない女で、もう一方に卑怯者の役人どもと、その役人を操った黒幕がいることになる。極端に単純な物語だが、その単純さゆえに賛同した、思考停止した烏合の衆がいる。お手上げ!

 もう一つは、複数の人たちの共著で、上述した人よりは奥ゆかしいが、私が関わった団体のある出来事で、やっぱり悲劇のヒロインとして自らを語る「正義の人」。その人は、自分が長年やって来た団体の中で、死ぬほど働いていたのに、権力の構造によって追い出されたと言っていたし、本にもそう書いている。その本も読む気はなかったのだが、その人によって権力を行使した張本人とされている人が、私にその本のコピーを送ってきて、どうしたらよいか相談したいと言ってきた。また、メールをします、と書いてあったが、メールはまだないので、放置している。権力を行使したと言われているその人は、悪しき噂を多方面で流されて、怒り心頭に発しているのだ。
 
 そして、私も団体の役員だったのだが、役員達の冷静な対応が、本を書いたその人には辛かったようだ。自分に同情し、自分と同じように憤慨してほしかったのだろう。が、当時、本人自身がとても冷静を装っていた。周りが思考停止して自分の怒りを代弁してくれることを願ったのかもしれないが、こちらの人たちは、そういうタイプの取り巻きはほとんどいなかった。否、一人ふたりはいたのだが、結局、その人と一緒に団体を辞めた。彼女は自分が団体を辞めた時、私にも一緒に辞めてほしかった、と共通の友人に語ったそうだが、それを聞いて、こっちが呆れた。自分中心も大概にせぇ、という感じ。その団体の役割の大切さを一番強調していたその人が、自分が不利な立場に置かれたとたんにその団体を貶めることをする。私はその団体の法的に登録してある役員だったので、未解決な問題を放置して、友だちが辞めるなら私も辞めるわ、というようなわけにはいかない。「そんな子どもみたいな事が出来るか!」と、その共通の友人に答えたら、共通の友人は、「彼女は乙女なのよ」と笑っていた。

 権力構造のために団体を去らざるを得なかったと、いかにも自分を悲劇の人のように描いているが、自分が実権を握っていたことには全く無自覚なのだ。給料が安かったことなども書いているが、その給料の額を決めたのも彼女、そして、その低額を心配する私たち友人に、やりくりすればやっていけるものだと事も無げに説明し、お金のことなど意に介していないふうを装っていたから、周りもそうだと思いこんでいた。

 自分が表現することを周りは真に受ける、ということに気づかなかったのかもしれない。自分の真実に、言わなくても周りが気づいてくれると思っていたのかもしれない。自分が行使した力、自分が及ぼした影響の大きさに無自覚なまま、悲劇のヒロインとして、挫折し、(私の目には、すべて本人が招いたこととしか思えないが)、その恨み辛みをかかえ、吐き出してなお足らずに本にも書く。

 彼女の言い分も、ずいぶん自分の側に引きつけた物語が創作されている。本を読むと、その言い分が時と共に凝結した感じだ。もはやどんな検証も入り込む余地はない。こちらもお手上げ! 権力を行使した張本人として言われ続けた、私に本のコピーを送って来た人には、「もう、ほっときましょう。何をどうしても、あの人の物語は変わりませんよ」と伝えるしかないと思っている。 

 上記の二人の、我田引水ぶりには、もう脱帽だ。そこから見えるのは、先に結論があって、それまでの過程はその結論を導き出すためだけに説明される、という論理の組み立てだ。

 私がこの二人から学ぶのは、私もこの人たちのようなおかしなことをしていないだろうか、今後もしないだろうか、という自己検証の重要さだ。

 ゆくゆくは、どこかで、私の目からどう見えたか、ということは公にしたいと思っている。特に私の実名が頻出する最初のケースについては、その人の勝訴に終わっているし、その勝訴のために愚かな人たちや遠い人たちは、だからその人は正しいのだという判断をしてしまうだろう。
 外形的には、私も勝訴でよいと思っている。その人の言い立てる理屈とは全く別に、その人が受けた扱いは、不親切で雑だ。ただ、不親切で雑、ということを言い出せば、この私自身も、非常に不親切で雑な扱いを受けたから、訴訟を起こしたいくらいだけれど。実際、その人の弁護士が、私も訴訟を起こせばいいのに、と言ったそうだ。(本当か嘘かは知らない。)が、そのことを聞いた時は、自分たちの裁判を有利に運ぶために、私も同じように訴えればいい、と言ったのだろうと想像がついたので、不快になった。まぁ、私の場合、辞めさせられたのではなく、(それどころか、向こうは辞められては困るので私の辞意を無視していたくらいだが)、病気になって自ら辞めたので訴訟を起こす理由が成り立たなかったのだが。

 いつか、どこかで、私の見立てを発表して、組織構造というのは、その人が主張するような、わかりやすい悪者のいる、単純な物語にはならない、ということを言いたいと思っている。その人は、組織の責任者でありながら、自分が辞めさせられた理由について、組織構造の問題としては一片の言及もしていない。まるで、外部の人が外形をなぞるように、外形についてしか語っていない。それがその人の物語の全てだ。
 なぜなら、その人は、組織の内部業務に一切関わっていなかったから。その内部業務と構造にこそ、その人が辞めさせられる原因となった問題が山積していた。そこに一言も言及できないのは、まさに、その人が、その組織の要の仕事を一切していなかったということなのだ。あの人が悪い、この人が悪い、と組織の目立つ人を悪者として特定していくことで物語を構築していくやり方があまりにもアホなので、返す言葉が見つからない。
 その内部の業務と無関係に、華々しい事業を下働きの職員を一人つけてもらって展開し、準備や後始末は彼女が後に敵視する彼女の部下で実質責任者であった人が全部やっていたことも知らずに、機嫌良く、VIP待遇で職場に来ていたのだ。だから、「看板」だと言われたのだが、それも失礼だと怒っていたようだ。

 我田引水と言おうか、牽強付会と言おうか、もう、こういう人に勝てるとは思えない。ただただ、呆れるばかり。


 

人が遠くなる

2012-05-10 09:25:26 | 日々の雑感
 自分でもなぜだかわからないのだが、否、自分のことだからわけがわからないのかもしれないのだが、最近、古いつきあいの人たちと肌が合わない感じがしてしかたがない。なぜだか、長年、気が合うと思い込んでつきあってきた人たちに、考えの違いを強く感じたり、距離を感じたり、「こんな人だったのか」と思うことが多い。

 しかも、私は、その人たちをとても大切に思ってきたので、辛い。人と絶たれる危機感もある。
 それでも、合わなさは強く感じてしまい、以前のように、平たい気持ちで話したり、応答したりができない。

 これは、私が変わったのだろうと想像はしている。相手が変わったのではなく、私の変化だ。が、何が私の中で起きているのか、わからないのだ。

 想像できるのは、ただ一つ、老い先が短くなってきて、がまんしなくなってきたこと。言い換えれば、今までは相手の身勝手さや価値観の違いにも寛容に接してきたが、その寛容さがなくなったことだ。基本的に全方位外交で、人を選ばないできた。もちろん、それでもウマの合う人合わない人はいて、私が気に入ってつきあっている人、気に入っているわけではないが向こうが気に入ってくれてつきあっている人、向こうから離れていく人、などがいた。私自身は、自分から人を切らないタイプで、多くは、来る者は拒まず、去る者は追わず、できた。
 個人的なつきあいを自分から仕掛けるのはとても苦手なので、多くはサークルなどに呼びかけたり、誘われたり、という中でつきあいが続いてきた。

 しかし、この頃、その人たちとの間がうまくいっている感じがしない。多分、私の方の問題だろうと思うが、まず、好まれている感じがしない。利用だけされている感じ。好意は伝わって来ない。
 ま、しかし好意とは何だろう? 私はお節介なタイプではないが、頼まれるといやとは言えず、むしろ、その人の役に立ちたい、喜んでもらいたい、と思うタイプなので、割合に親切だ。が、それもなんだかいやになってきた。一応、頼まれたらやるけれども、私の側に喜びがない。喜んでもらいたい、という意欲がわかない。

 たぶん、寛容ではなくなったのだろう。今まで、我慢してきたのが、その我慢が困難になってきたのだ。

 昔、父は、時々むかっ腹を立てる人だった。普段、おとなしいのに、時々癇癪玉を破裂させるような時があった。そして、私もそれに似たところがあって、若い時はそれを制御するのに、かなり意識的でなければならなかった。そして、性格が似る、とはどういうことか、と悩んだ。忍耐力の限界が来ると、突然怒り出す、ということをやってしまうのだ。そしてその堪忍袋の緒が切れる瞬間は、とるに足りない些細な出来事をきっかけに起こることが多い。だから相手にはわけがわからないだろう。何がそれほど怒らせたのか、理解不能だろう。限界まで我慢して閾値を越えた瞬間であるので、怒りの理由は、そのきっかけとなった出来事が原因とは言えないのだ。

 父譲りのこの癖から抜けた、と思えて久しい。ようやく私は、癇癪玉がなくなった、とまで思えるようになっていた。たぶん、自分を解放して、伸び伸びし始めたからだろう。しかし、まだ、隠し持っていたようで、最近、これがうずうずする感じがある。

 私の人生のうまくいかなさについて、その不満や怒りを溜め込んでいる気がする。誰も私を慰撫してくれない。誰も私の悲しみに気づかない。相手は、いつも通りなのだ。いつものようにちょっと礼儀が足りず、いつものように自分の都合で私とつきあい、いつものように横着だ。たぶん、相手は変わらない。私には、それが癇に障る。なぜなら、私の人生はうまくいっていないのだから、私の先行きはこんなに不安なのだから、私がこんなに失意をかかえているのだから、もっと気を使ってくれてもいいじゃないか、もっと私に敬意を払ってもいいじゃないか、と思ってしまう。

 たぶん、何でも話し合えるパートナーのいる人はそんなことも話し合う。「○○さん、横着だよね。礼くらい言って来てもよいのにね」「若いと、そういう気遣いはできないんだろうね。若いって、ほんとに無礼なことだよね」なんて、会話を交わして、その場でおさまる気持ちが、一人でいるので、おさまる機会を持てない。

 「このあいだ、△△さん、なんか機嫌悪そうだったね。何か、気に障ること言ったかなぁ」
 「たぶん、こっちの問題じゃないと思うよ。職場でうまくいっていないみたいだから、それでふさいでるんだと思うよ。気にしなくていいよ。また、次はケロッとしてるって、、。」
 「そうかなぁ。まぁ、そうかもね。結構、態度に出るタイプだもんね」


 そんな会話を交わす日常の中で、やり過ごせることが、一人でいると、溜まりに溜まる。どいつもこいつも、自分勝手にふるまいやがって、、、、どいつもこいつも、私をこけにしやがって、、、。
 そんな思いが募る。

 アカン、危険信号だ。自分で自分を腐らせてしまいそうだ。結局、自分の身を滅ぼすのは他の誰でもない、自分自身だからね。

 何で自分を救いあげるか、年を取るにあたっての課題だ。若い時には耐えられた孤独も、年をとれば身にしみる。特に大人になってから、努力して他人との関係をつくってきた私には、やっと身につけた幸福感だから付け焼刃だ。いつはがれてもおかしくない、根っこのない幸福意識だ。過酷だが、年を取ると、なお一層の努力を必要とするらしい。
 
 もう、自然に、自分の意のままに生きていきたいが、それは一人ぼっちの孤独と表裏一体だ。もちろん、孤独死を見据えて、誰にも我慢しないで生きるのも一つの道。

 どっちを選ぶか、、、なのかな。
  
  

 

悲しみばかり見えるから、、、

2012-05-02 15:00:10 | 日々の雑感
 悲しみばかり見えるから、この目をつぶすナイフが欲しい、、、、
 そうしたら、闇の中から、明日が見えるだろうか、、、

 このところ、中島みゆきの「友情」の歌い出しが頭の中を流れている。彼女の若い頃の歌だ。若い時に聞いた時より、今の方が身にしみる。天才という人は、若い時に、すでにある種、到達しているのだなと思う。60歳を過ぎた自分が、今、中島みゆきの若い時の歌に感情移入しているのだから。

 本当に、悲しみばかりが見える気がするのだ。

 意気盛んな時は、否定したり、拒絶したものまでが、今の私に報復するかのように、降伏を迫って来る。

 そうね、何もかも、間違っていました、と首を垂れる時が来たのかもしれない。拒否も拒絶も、思い上がった行為でした、と、反省を迫られているのかもしれない。

 批判も非難も、私がわが身を顧みない傲慢さのせいだった。

 それで、今、報いが来ている。私が嘗てネガティブに評したことが全て今、私に撤回を迫る。迫られている私は、それだけの者だったのだな。

 父と母の、年老いて勢いをなくしていく様、何にも逆らわず穏やかな老人となり、にこにこと呆け、「そうやねぇ」と肯定しかしなくなった姿、、、それは、エネルギーをなくし、静かに存在を細めていく姿だ。
 活力も能力もそれなりにしかない者は、そうして少しずつ生きるのをやめていく。
 
 私もその仲間入りかな。

いやな感じ!

2012-05-02 14:42:19 | 日々の雑感
 高見順の小説のタイトルを拝借。

 某市の某男女共同参画センターの存続が危うい、ということで、例によって、フェミニストを自称する人たちが集まって、批判している。

 男女共同参画センターに「男女共同参画施策」のミッションのほとんどを背負わせて、そこを看板にし、ゲットー化して、それで肝心の男女平等施策など推進しなかった行政の怠慢を、助けることにしかならなかったことを看過したまま、また、騒いでいる。
 男女共同参画施策は、センターで実践するものではない。むしろ、施策のバックラッシュ化を受けて、センター運営までどんどん汚染されている。この汚染されたセンターを、残さないといけないと、皆さん一生懸命だ。
 存続中は、センターのありように対して、全然問題意識もなく、現状維持派だった人たち。そんな体たらくだったから、センターが堕落して、結局要らないだろう、と、ターゲットにされたのだ。

 そうだね、行政を叩いて、また日ごろのうっぷんを晴らすのね。問題がどこにあるかも考えないで、フェミニストを自称する一部の女性たちが自分たち内部だけで、盛り上がる。
 男女共同参画センターは、多くの女性市民に、何も意味がなかった。そこで傷ついた人もたくさんいる。問題はずっと、山積みだったのに、、、。

 私は、今回もこの手の運動に乗る気は、全くない。こんな打ち上げ花火に参加する気は毛頭ない。もっと、地道で意義のあることをしたい。

 フェミニストを自称して、こういう運動になると大騒ぎする人たちは、ふだん何をしているのだろうね。夫や子どものためにご飯を作ったり、パートナーと懇ろになっていたり、小さなグループ内でパワーゲームをやっていたり、集まってビールを飲んで気炎を上げているだけ。
で、大口だけをたたくのだ。

 あぁ、昨日の自分を見るようで、嫌悪感が募る。

 もうやめよう。フェミニストの看板も下ろしたくなる。フェミニストの看板を掲げてきた人たちが、同じ女の足を踏むのを何度も見て、うんざりしている。

 フェミニストのマスタベ―ション的運動は、もううんざり。