凡々たる、煩々たる・・・

タイトル、変えました。凡庸な人間の煩悩を綴っただけのブログだと、ふと気付いたので、、、。

セクマイ講座についてふと思ったこと

2017-10-19 08:51:23 | 考え方
あちらこちらで、LGBTの講演会が流行っている。
私が講師をした地味な講座も、それなりに盛り上がった。

同じ日に、トランスジェンダー当事者を呼んだ講演会もあったようだ。

で、思うのだが、
LGBT啓発講座と言うと、
際立った当事者を連れて来て、話をさせる、という手法がやたら多い。

カミングアウトしているゲイの芸能人、
ドラァグクィーン、トランスジェンダーなどを並べて、
講座の目的は何なのだろう?
私のように、見かけが「普通」の講師であると、
畢竟、地味なお勉強講座になる。
が、私の最後の落としどころは、セクシュアリティは他人ごとではないこと、
誰もが当事者である、ということ、
これは、長い間の私の持論だった。
今、やっと、「性の多様性」ということを誰もが言い始めたが、
私は最初に、ある本に書かせてもらってからずっと同じことを言っている。
私のその本をバイブルみたいに持っていて、支えだった、と言ってくれるMTFの人もいる。
その人も地味だ。

華々しい活躍をしている、テレビなどに露出度の高い、見た目の派手な当事者を呼んできて、
それで、セクシュアリティは、私たちみんなの問題、と言えるのだろうか。
壇上にいる人々を、
自分たちとは線を引いて、「特別な人」、でも「差別しちゃいけない人」というように
受け取る人も多いだろう。

以前、授業に、現役の大学生と卒業生の当事者がゲストとして、
話をしに来てくれた。
本人たちが「話をさせてほしい」と言ってきたのだ。
これはよかった。
あまりにもプリミティブな反応ではあるが、学生の反応はこうだった。
「トランスジェンダーとか、レズビアンとか言っても、
普通の人でした」と。

そう、彼らはあまりにも地味で、カミングアウトしなければ、
セクシュアル・マイノリティとは、誰も疑わない。
だからこそのインパクトがあり、学生たちは、自分のこととして、
家族のこととして、また友人のこととして、
リアリティをもって考えるきかけになるのだ。

それなのに、派手なパフォーマンスをや服装をするような人を連れて来て、
セクシュアル・マイノリティの陳列会になってはいないか。
登壇者は、そのことを抗議した方がいい。
自分たちは、「見世物」ではない、と。
あぁ、それでも説得力は薄いだろう。
見られること、注目されることが仕事である人に、
「目立たないで生きていきたい」人の代弁をするのは難しいのではないか。

もちろん、登壇する当事者の人の問題とは思わない。
彼らを並ばせて、インパクトを狙う、企画者の問題だ。
「みんな多様な一人です」といくら言われても、
フロアの人は、自分のこととして、そのテーマをくみ取るのは難しいだろう。

昔、FTMのすらりと背の高い、いかにも女性にモテそうなタイプの若者がいた。
彼に出演要請をしたら、断って来た。
当時、まだカミングアウトして、上手に話ができる人が少なかった時代だ。
黙っていればイケメンの彼が、元女性だという事実はインパクトがあるだろう。
そう思えた時代で、結構、あちこちのセクシュアリティ講座で引っ張りだこだった。
彼は疲れていた。
「見世物」にされるのに、おそらく参っていたのだろう。
精神的に不安定になっていって、病院に通っている、とのことで、
最初の頃の元気良さがなくなっていた。
事情がわかって、そっとしておく必要があるのだとわかり、静かな応援だけをしていこうと決めた。
その時は、他に勢いのある、新たな登壇者が見つかって、出てもらった。
たまにそういうことに出くわす。
セクシュアル・マイノリティとして、自己確立をしている人の中には(全員では、もちろんない)、
とても自分をアピールしたい時期と、そっとしておいてほしい時期があるような気がする。
華々しく元気よく登場して引っ張りだこになって、やがて暗くなっていく。
それはそうだろうとも思う。
世間とは無責任なものなのだ。
「セクマイ」の際物として消費し、その人のセクシュアリティ以外には興味を持たない。
全人格的に人生を生きている人たちにとって、いつか消耗する日が来る。

ずいぶん前のこういう状況を経験して来て、
今、私はブームのように、テレビによく登場する人を陳列品のように、
壇上に並べるLGBT講座とかいうやり方には批判的だ。

まぁ、やる人はやるだろうから、おやりになればいいのだけど。

私を学校教職員の研修に呼んでくれた友人は、
カミングアウトしている当事者の友人ではなく、私をあえて選んだ。
個性的過ぎる当事者を呼ぶと、一般の教職員は、またセクマイに特別なイメージを抱いてしまうから、
ちゃんと「多様性」を理論的に学習したいから、と言ってくれた。
まぁ、私は見た目は世の常識中の常識を体現している。
これは私のやり方、というだけだが。

だが、こういう私が、「シスジェンダーではない」というカミングアウトをすると、
風当たりはきつい。
「だって、あなた普通じゃないの!」とくる。
新たなカミングアウトの苦悩、とも言えるだろうか。
まぁ、めったにそんなカミングアウトはしない。
理解できるだろう相手に限っている。
それでも、一度は、反発がくる。
自分には偏見がないと思い込んでいる人の、それが、「偏見」なんだよ! といらつく。

モテるとかモテないとか、、、

2017-08-27 09:40:02 | 考え方
もう一つ、よく更新しているブログがあるが、そちらは知り合いも読んでいるので、
さしさわりがあることは、こちらに書くことにしている。

そのさしさわりのある話とは、昨日、聞いた話で、新たに思ったこと。
あるSNSのサークルの女性Hさんから聞いたのだが、
男女混合でオフ会の飲み会で知り合ったうち、そのサークルの管理人から、
個人的にメールがあり、二人で会った、とのこと。
最初は、サークル内の相談事という口実なので、疑わずに会ったが、
連れて行ってくれたところが、とても素敵な店で恋人同士で行くような所であったこととか、
その後も二人で会おうというメールが来ることなどで、
次第に気が重くなってきた、というのだった。
私もそのサークルに参加していて、その管理人はなかなか節度のある男性だと思っていたので、
そうか、そういうやつだったのか、と改めてがっかり。

こちらはニュートラルに、礼儀正しくメールなどを返していたので、
その隠密行動に裏切られた感がある。
そして、興味深いのは、モテるとか、モテない、とか、それにまつわることだ。

昨日の話は、そのサークルの女性だけで集まる女子会(Hさん、私を含め4人)で、
Hさんが、言葉重めに言い始めた。
ほんとうは言うべきじゃないのだけど、と重い口を開き始めたHさんを見ていて、
これは、男がつけ入るだろうな、と思った。
Hさんには、妻帯者のその管理人と個人的に付き合う気はない。
だから、困っていて、だんだんサークルに行くのが気が重くなってきているのだ。

女性は、なんと気がいいのだろう、と改めて思う。
男は、こういうHさんだから、アプローチをするのだ。
秘め事を共有したい相手に、誰にでもあけっぴろげな女性は選ばないだろう。
誘った日に、「他の人も行かないかな」と言って皆に声をかけるようなタイプの人を誘ったりはしない。
Hさんには、ロマンチックな時間を共有できるかもしれない、と、期待させる風情がある。
いや、私だって、一緒にムードのあるバーで飲む相手を誘うとすれば、一番にHさんだろうと思う。
明るくて、かわいらしくて、女らしさを嫌味にならない程度に漂わせている。

断然、Hさんがモテるのはわかる。
4人のうち、Yさんはよくしゃべり、冗談を言い、「姉御」と呼ばれる。
この人は、共同管理人になってほしいと、声がかかっているそうだ。
Iさんは、女らしさをあまり出さず、だからと言って中性的でもなく、地味な服装に身を包み、程よい感じの女性だ。
ただ、Hさんのようなコケティッシュな感じがなく、地味めなので、男のロマンチシズムを刺激しないだろう。
で、私は、そのSNSでも、男性と間違われるハンドルネームをつけているし、基本、いつも仕事帰りでパンツスーツにパソコンリュック、話題は常に色気抜き、おそらく最も男性が敬遠する女だろう。

そうしたメンバーの中で、あらためてHさんを見ていて、
ある種の女性の典型かもしれないと思った。
かわいい、明るい、女らしい装いをして、男性との会話を楽しむことができる、
その上、個人的に誘われたことを他のメンバーになかなか言い出せない、言ってはいけないと思い込んでいる奥ゆかしさ、、、
実はこの奥ゆかしさが、問題なのだ。
男たちのセクハラがエスカレートするのは、女性たちのこの奥ゆかしさに元気づけられたためということがある。
最初は、男たちはセクハラをする気はない。
好意を持った女性とちょっと話をしたい、一緒にお酒を楽しみたい、という程度だ。
が、断わるどころか、相手も楽しんでいるように見えると、相手も自分との間柄を喜んでいる、と思うようになるようだ。
女性は、断っては悪いかもしれない、と気を使い、相手にも楽しい時間を持ってもらおうと努力をする。
が、相手に特別な興味はない、という場合がある。
むしろ、ただの友達同士でいられるなら、と望んでいる場合があるが、そういう場合は、本当は、そのことをすぐにメンバーに開いて、秘密の関係にしないことが肝要だ。
が、女性は相手の秘密を守ってあげよう、男性の面子を保ってあげようとする気遣いをしてしまう。

もちろん、その心理には、他の女性たちよりモテている自分を、ちょっと楽しんでいる部分もあるかもしれない。
モテないより、モテる方が気分はいいだろう。
女性の自己評価は、そういうところに依存していたりするので、無理もないかもしれない。
が、男たちはそこに乗じてくる。
自分との逢瀬を秘密にして守ってくれる女性を、ますます「もっとイケる」相手としてとらえるようになっていく。

Hさんは、管理人とのやり取りを皆にばらしてしまった自分に呵責を感じている。
だから、
「セクハラ男を守ってあげる必要はないよ」と伝えた。
管理人のプライバシーを言い触らしたのなら呵責に苦しんでも仕方がないが、これは管理人のプライバシーではない。
個人的に誘いをかけられて、本意ではない状況に持って行かれそうになった女性の悩みを仲間が聞いたという話でしかない。

どうして、こういう時に、黙っていないといけない、と思う女性が多いのだろう。
だから、男はさらに図に乗る。
二人だけの秘め事を進展させることができる、と踏むのだ。
二人の思いは、どんどん乖離する。
のっぴきならないセクハラ事件の多くがこういうところから始まる。

まぁ、私もわかったようなことは言えない。
職場に、病み上がりの私が久しぶりに出て行ったら、「よかった、よかった」と大感激して、
廊下で抱きしめてくる男性職員がいた。
この人は、二人きりだと私をファーストネームに「ちゃん」づけで呼び、人生の不幸に見舞われる度に、抱きしめてきた。
好意は確かにあって、他の人にもわかるようだったし、若い男性同僚たちが、「あの人は危ない」と私に言っていた。
が、私にはセクハラか本当に同情してくれているのかわからなかった。
この場合は、私はすでに年齢が高く(どうもそうは見えていなかったらしいが)、その男性がはるかに若いので、
まさか、そんな不埒な気持ちを抱かないだろう、セクハラのように言うのはかえって親切なあの人に悪いのではないか、と思って来た。
だから、抱きしめられたことが何度かあるのだとは誰にも言えなかった。

Hさんも、まだ個人的に誘いをかけてくる管理人男性を、セクハラ男と断じることにはためらいがあるだろう。
まだ、食事に誘われているだけで、抱きつかれたわけでもなく、紳士的な態度だから、セクハラ男呼ばわりするのはいけないと思っているだろう。
その気持ちの背景には、嫌われたくない、という思いもあるかもしれない。
興味を失われてしまうことへの寂しさもあるかもしれない。
そこが女性たちの弱点なのではないかと、私などは思う。(人のことは言えないけれど)
男に興味を持ってもらうことに未練がある間は、男に乗ぜられる。
男も女も関係なく友だちとしてやっていける仲間が欲しいの、とHさんは言うが、
男が自分に「女性として」興味を持つことをどこかで願っている間は、男の期待を引き寄せる。
そして、多くの女性はそのことを知っていて、且つ、相手が積極的にアプローチすると、困惑する。
男のまなざしがどこに向かっても興味がない、という女性には、男性は期待を持たない。
コケティッシュではなく、ニュートラルな女性は、男性の期待値を高めないのだ。

Hさんは、女性がおっさんになってはいけない、と言う。
女性らしさは残しつつ、男性と、男女を越えた友人関係を築きたいと言う。
まぁ、その関係のどっちつかずの危うさを楽しみたい、ということだろうが、それはいささか現実離れしている。

Hさんを見ていて、男に秋波を送ってしまう女性は、気構えがどうあろうとも、男に期待を抱かせてしまう、ということがよくわかる事例だ。
秘密を守ると、余計に男性を誤解させてしまうようだ、というのも改めてわかる。
だからと言って、男に秋波を送るな、とは言えない。
それが、彼女の魅力となっている。コケティッシュなのも、魅力だ。
コケティッシュに振舞いながら、男を誘惑しながら、男に誘われたら迷惑がるのも、こうしたタイプの女性たちの特権だろう。

尤も、全く女性としての色気のない女の人たちの集団に出かけるとき、全然喜びがわかなくて、
Hさんのような女性がいるグループには、つい胸がはずむという私のようなややこしい女もいるけれども。
そして、これも何らかの「期待」か「下心」かと言われれば、その管理人男性と近い心情があるのかもしれない。
くすんだ色の服を着て、化粧っ気もなく、美しさのかけらも感じない女性といると、何の楽しみもなく、早く帰りたくなる。
Hさんのような女性といる方が、心に活気が出てくるのは事実。
Yさんが、私たち4人を「みんないい女ばかり」と言っていたが、年齢の割には、確かに皆、おしゃれだ。
そして、それを喜び、味わう女たちが面白い。

自我って、何?

2017-07-19 12:47:05 | 考え方
 女の自我って、何なんだ? とは、よく思う。
いや、もちろん、脳のどこかで思考活動を行う人間として、「自我」意識は存在するのだけれど、
その「自我」の認識は、すでに、「女」という属性と切り離されないレベルで形成されてきたと思うと、
この社会の「女」が持つ「自我」とは何なのか? と問うてしまうのだ。

「女」という社会的存在が「自我」を持つ、などという状況は、すでに矛盾ではないのか。

こういう疑問を持つのは、もちろん、私の生育環境が大きいとは思う。
「女」の「子ども」が思考する、などということは、全く想定外であった父のような男に支配されてきたので、
自己肯定感を育成し損なった、という事情はあるだろう。
自己肯定感を育成し損なうと、「自我」という確固たる無前提の概念は、自分のものにしにくいのだ。

「自我」があるのはわかっているし、知識として認識できるが、
それが「主張」を持ったり、この社会での居場所を獲得しようとすると、
たちどころに、体感というか、実感というか、そういうレベルで理解しにくい。

だから、実は、私の中に、フェミニズムは根付かないのだ。
私が生きたいのであって、「女」の私が生きたい、という実感にはならない。

私は「女」ではないのか。
「女」とカテゴライズされて、「女」扱いされてきたが、
私の感覚的「自我」は、フェミニズムでは扱われないものなのだ。
それは、「女」を貶める価値観の中で、育み損ねた自我意識であり、
且つ、「女」の復権を目指すフェミニズムの中で、生きる場所を持たない自我意識なのだ。
「女」であることによって自己確立の機会を失い、失敗し、
「女」の復権を目指す価値観が広まった時には、もう、主張する「自己」を持たない。
「女」の自我の救済に、
私の自我は間に合わなかった。
それは、「女」だから貶められた悔しさを抱える女性たちとは違って、
「女」以前の自我の目覚めから、蹂躙された過去があるから。

かわいい娘として慈しまれながら、「女」だからお嫁さんにいきなさい、と親に言われた人は、
後の知識や情報をもとに、反発することができる。
しかし、慈しまれずに、自分の存在自体をうとましいと親に表明されてきた人は、
「女」だから貶められた、とは思えない。
「自分」だから疎ましいと思われたのだと、自己否定するより理解の手立てがない。

自分が貶められたのは、「女」だったから、という要素は多分にあったと思われる。
フェミニズムの文脈で、説明が可能な部分がある。
「女」だから、軽んじられ、将来への展望も閉ざされ、その気持ちなど一顧だにされなかったのは事実だ。
が、もう一つの要素がある。
「子ども」だから軽んじ、疎まれ、存在を否定されてきた。
さらに、「女」だったから、一層軽んじ、芽生え始めた「自我」をためらいもなく踏みにじられてきたのだ。

「女」である、という社会的立場の自覚以前に、蹂躙された「自我」は、フェミニズムでは救えない。

だから、私は、「女」である以前に、「人」として蹂躙されたと言えるのかもしれない。
と言うことは、
最初に立ち戻ると、「女」であって「自我」を持つ人は十分に存在し得ることになる。
否、そう感じている女性がいる、ということは想像し得る。
フェミニズムの担い手には、そういう人が多いような気がする。

が、それは、女たちの錯覚ではないだろうか。
この男たちの社会で、「女」の「自我」に用のある男はどれほどいるだろうか?
あるいは、「自我」を確立しそこなった、蹂躙されてきた男たちは、女の自我にも、畏敬の念を持つのだろうか?

健全な「それ」を持った自覚がない人は、男にもいるだろうし。

が、女は、男を救うために存在しているわけではないので、そういう男は、早晩、女にも裏切られるだろうけれど。

物心ついた時から、私は「女」だったが、
「女」の自覚なしに「女」だったが、
それ以前の自我など想像するべくもないが、
しかし、どうも、私の感覚では、
存在自体を否定され、蹂躙され、
「女」であることは、その理由づけに使われたような気がする。

憎しみを発散させるには、ターゲットが要る。
身近に、手のかかる子どもがいれば、ターゲットに定めやすい。
そしてそのターゲットを攻撃するには、理由が要る。
その理由の一つは、「女」であること。
主張する子どもは黙らせてよい。
ましてやその子どもが「女」であれば、徹底的に黙らせる必要がある。

私の「自我」の簒奪には二重の仕掛けがあるのではないか。
攻撃者にとって邪魔な存在であることと、それが「女」であることとは、二重構造になっている気がする。
私の自己確立は、二重に攻撃を受けて失敗し、「自我」というようなものが損なわれたのかな、と、そんな気がしてきた。

だから、確固たる「自我」というようなものが想定しにくく、
簡単に、その意味を無化できるのかもしれない。

まぁ、どうせ、出口のない愚痴なのだけれど。


いつの間にか2月

2015-02-08 10:34:22 | 考え方
 なんと言うか、私の周りの運動系はトラブルだらけだ。

 みんな我が強い。絶対、譲らない。だから、議論をしても空しいのだ。対立する意見は出し合って、すり合わせをして、止揚に至る、なんてことはない。
 私が見て来たのは、不毛なバトルばかり。

 バトルに入る人たちは、多くが自説を曲げない。自分こそが正義を体現しているという自負があって、これだけは譲れない、というような勢いがある。この勢いは、エスカレートすると、怒りや敵意の感情に発達する。怒りや敵意の応酬が始まったら、もう、他の考えの入り込む余地はない。

 私はどちらかと言えば、そうした愚痴や不満や怒りを、打ち明けられる立場になりやすい。わかってもらえる、と勝手に思われてしまう。悲しみや怒りをかかえている人の神経を逆なでするようなことは、基本的に言わないから。悲しみは慰撫したいと考えるし、怒りにも慰撫する思いで寄りそうことはある。ただし怒りを煽ることはしない。

 ネガティブな感情は慰撫される必要があると思っているからだ。

 ただ、その人の言い分が正しいかどうかについて、「判定」を求められたら、それは話は別。イージーな判断はする気がない。客観的な正しさ、を判定することは不可能だ。
 だが、自分こそが正しいと思い込んでいる人は、相手から来た批判や攻撃は、自分の正義を蹂躙する行為だと思ってしまう。だから、怒りを持つのだが、その人が正しいかどうかは、まったく別の話だ。
 そもそもの事件の発端は知らないのだが、今わかるのは、怒りに対して怒りの応酬をすることで、どんどん対立が激化している、ということだけ。
 こじれてしまってから、正しさの判定や、正しさへの同調を求められても困る。

 しかし、同調しないことで、今度は私が批判の的になる。同調圧力が働くのだ。

 今、大いに困惑している。その人をなんとか慰撫したい、そのネガティブな感情をなんとか緩和したい、という思いはあるが、それは友人ゆえにそう思うのであって、だからと言って、その人の敵を憎むように、同じように敵視するように望まれても、期待されても困るのだ。その人の敵に対して、その人に対するように同調する気はないし、付き合う気もない。
 それでも、その人の敵を、「悪」と断罪しない私は、その「悪」を擁護していることになるらしい。「断罪」しないが、「擁護」もしない立場、というのは成り立たないのか。
 「断罪」はしないが、共感も同調もしない。むしろ、批判的に見てはいる。距離を置いて考えている。そして、友人の方をケアしたい、という気持ちはある。
 それでも、相手を糾弾し、激しく論難する友人と比べて、敵視しない、怒りに燃えない、断罪しない、という温度差が、第三者の「すぐに同調する」タイプの友人から責められる。

 深く吟味することなく、わかりやすい「正義」、安全な「正義」のもとに集団の尻馬に乗って騒いでいた人を見てきたので、この愚は犯すまいと思っている。

 私は相談を受けた時に、報復もバトルも避けることをアドバイスした。相手は、百戦錬磨の、闘いが人生である、というようなタイプの人。運動家ではなく、「闘争家」なのだ。自分の趣味も「闘い」である人は闘えばよいけれども、そうでなければ、それは不毛な闘いであると、私には見えた。
 
 議論は成立しない。自説を信じて疑わない人同士の議論に、止揚の可能性はない。自説を相対化する力のない人に、議論は不向きだ。それら対立構造に、第三者の目があって初めて、止揚が可能になる。その第三者の目は、どちらにも感情的に引きずられないものだ。両者が、敵と味方の二分法でしか物事をとらえないのであれば、第三者は争いに巻き込まれるだけだ。

 さらに困ったことに、私は友人が敵視している人からも、好感を寄せられる。敵視しない私を、自分の味方と見るのかもしれない。敵とか味方とかではなく、友人に寄りそいたいだけのだが。

 人間を、敵と味方の二種類に分けて、冷静な判断を見失っている人というのは、まことに憂わしい。事実は複雑だし、人の激情はややこしくて正当化は困難だと思うが、第三者の判定を期待する場合がある。自分が正しいと信じているから、同調してもらえると信じて疑わない。だから、第三者の判定が、自分の側に寄与するものでなければ、たとえ「敵」にも寄与しない冷静なものであったとしても、さらに怒りに火が着くのだろう。
 今となっては、世界を震わせるテロリズムと、どう向き合うかという次元の話まで、事の性質は重なる感じすらある。

 せめて、言葉の応酬のレベルにとどまっている私の周りの事件では、早く怒りを鎮静化させてほしいと願う。しかし、鎮静化させる努力はなされていないようだ。怒りが怒りを呼び、「勝つ」か「負けるか」のぎりぎりまで持ち込んでしまった責任を感じてほしいが、あくまで相手が「悪」だと思っている間は、その責任すら自覚しないのだろうな。




裏切られるということ

2014-07-13 00:03:20 | 考え方
 もう何度も同じ失敗をしている。

 それは、同じ友人に裏切られた経験を繰り返して来たことだ。そして、何度も何度も、自分の不明に気づき、改めて来たのに、どうしても治らない私の癖。
 それは、「期待する」ということだ。「都合が合えば、一緒に晩御飯を食べましょう」と言う話をしたとして、私は、「だめかもしれない、都合は合わないかもしれない」と一方で思いながら、相手が合わす努力をしてくれる気がしてしまっている。そもそもそこからが、私の間違いだ。相手は、ほんとうに文字通り、「都合が合えば」と思っているだけだ。しかし、私は、自分が相手と晩ご飯を食べられたらよいな、と思っているために、勝手に期待を始めている。もちろん、都合が合わないかもしれないとは覚悟している。でも、合わせる努力をしてくれている、という勝手な思い込みのために、相手が予期せぬ行動に出た場合、たとえば他の友達と会うことにした、というような連絡を受けると、非常にショックを受ける。
 
 私は裏切られた感を持つ。でも、それは、私が私の期待に裏切られただけなのだ。そのことに何度も気づき、何度も考え方を修正してきたのに、やっぱりやってしまう。

 いいかげんに賢くならねば、と思うのに、少しも進歩しない。

やるせない

2014-03-20 15:57:47 | 考え方
 入っているSNSのある人のブログをなんとなく読んでいた。上品で美しく、知的な、私と同年輩の女性のブログ。書かれている生活風景とか、関心を寄せている植物や人の描写とか、私にはないものをたくさん持っている人らしい。ご立派そうで、あんまり関心を惹かれるタイプではない。

 が、一つの記事を読んで、愕然とした。数日前からニュースになっている、ネットで知ったベビーシッターの男に二歳と八カ月の子どもを二泊三日で預けたら、その子どもが一人は死亡し、一人(赤ちゃんの方)は低体重症を引き起こしていた、という話に言及していた。そして、母親が攻撃の的。ブログを書いている人も、コメントを書いている人も、母親の愚挙を責め、母親の資格なんかない、と容赦なし。大阪での子ども置き去り餓死事件にも言及して、鬼畜親だと、罵っている。

 こういう年配女性たちの若い女性への容赦のなさは、今に始まったことではないが、なんだかなぁ、という感じだ。私も、インターネットで知った素性もわからない男性に幼い子どもを預けた、ということには驚愕した。考えられないことだ。しかし、そのような愚挙に至った事情があるのだろうと、想像することはする。

 母親を責めるのは最も安直で、楽だ。そして、母親を責め、「鬼畜」と呼んで心痛まない人たちが、子どもの命だの、子どもがかわいそうだのと言っている。
 この若い母親たちをここまで追い込むのは、このような女性たちが「正しい」という顔をして恬として恥じない社会であるからだ。子どもを見知らぬ男に二泊三日も預けるというようなリスクをおかさねばならない状況に追い込まれている女性に、おそらく、このような人たちは助けの手を差し伸べたりはしないのだろう。自分たちは、「正しい」場所に安座して、批判だけをしているのだから。

 「母親としてがんばりなさい」「そんなことでいいと思ってるの?」などと説教されたり、批判的なまなざしばかり受けていたら、見知らぬ、うるさいことをごちゃごちゃ言わないネット上の伝手を頼りたくなるのかもしれない。お金さえ払えば、黙って必要を満たしてくれる相手を選んだのだろう。子どもの不幸な事件は、結果だ。

 こういうおばさん連中って、やっぱり苦手だなぁ。自分は、どんな状況にあっても、間違ったことはしないと思い込んでいる想像力のない女たち。また、こういう人は、そこまで自分が追い込まれる前に、確かにちゃっかりと、身の安全を確保する才覚がある。その際に、少々他人を踏みつけても気には留めない。かなわんなぁ。こういう人たちがいるから、生きづらいのだ、と、やるせない思いだ。

このブログのこと

2014-01-30 23:07:52 | 考え方
 このブログは、親しい一人の人を除いては、知っている人の誰にも教えていない。一人だけは、何を書いても、私のことを悪く思わないでいてくれるだろうと信じているところがある。よくうちとけて話が出来るので、説明できる機会もあるだろう、という安心感もある。
 まあ、しかし、それも、一生懸命そういう間柄を培う努力をしてのことだけど。

 で、他の友人知人にこのブログのことを伝えないのは、多くの人がちゃんと読んでくれるだろうと信じているけれど、それでも、私のことを誤認するだろうという懸念があるからだ。ここに登場する私は、私の一部だ。私は、実は明るい。年がら年中、冗談を言う機会を探しているところがある。冗談を言っているつもりでなくても、笑いを呼んでしまうことも再々ある。しかし、ここに登場する私は、暗いだろうと思う。いや、自分のことだからわからないけれども、他人が読むといやな人格として映るのではないかと想像する。実は、ここには、自分自身、あまり好きでないキャラクターの部分が出ている気がする。では、なぜ、そういう自分を全開して書くのか。

 私には、(おそらく私だけではないだろうけれど)、承認欲求が強い。よくここに書くように、私は親にとって「返品希望」だった子どもだ。父は、私のことを「欠陥品」のように罵っていた。それは、私を傷つけていただろうと思う。「私って、そんなにダメなの?」と自分に問う以外にない状況だった。私は自分のことを「出来そこない」と呼んでいた。
 しかし、親の目を外れると、私は決してそんなに悪くなさそうに扱われるのだ。近所の人からも学校でも、親戚からも、私はむしろ、褒められることが多いのだ。私は自分が良きものでありたい、という欲求を持っていた。しかし、評価は真っ二つに分かれていた。極端な出来そこないか、かなり卓越した資質を持っているものなのか。学校の成績は良い。しかし、家に帰れば、出来そこない呼ばわりだ。成績が良いことすら、家では良きことにカウントされない。「私って、結構、いけてるんでしょ?」と思いたいが、家にあっては冷水を浴びせられる。プライドの芽は、すぐに摘まれる。そのような揺れ動きの中で生長した。
 そして、成長して、自分の良き部分を自分で認めていきたいという欲求が湧き立って来る。親にくそみそに罵倒されたあの心の傷を、悔しさを、無念さを、消し去りたいのだ。私のキーワードに「無念」という言葉がある。自分で、多用するのには気づいている。
そう、私は、「無念」なのだ。
 「無念」には二つの意味があるが、無念無想の境地に行きたいものだ。

 得られなかった承認を得たい、それを自分で獲得しようとする。だから、私はその承認欲求の垣間見える文章を書いてしまう。それがこのブログだという気がする。
 それは、きっと他の人が読むと、醜い、いやな人格の、文章なのだろうと想像するのだ。だって、その自分を自分も、実は好きではないから。好きではないが、承認欲求を満たすために書く。世界の知らない人に向かって、書く。世界の、知らない人は、私を罵倒しないだろうと思うので。私のことを知らないから、「エラソーに言っても、お前なんか大したことないじゃないか」とからかったりしないだろうと思うから。
 そして、たった一人、このブログを読む親しい人は、たぶん、このいやな人格でない私のことも知ってくれていると思っているから。

 でも、それも願望だ。どこまでわかってくれているかはわからない。でも、自分のことなど自分でそれほどわかっているものでもないから、誤解しないで読んでくれると思えるその親しい人に託して、このブログを書き続けている。全世界に向けて、私のことを全く知らない人たちに向けて書いている。

 ちょっとペダンチックで、ナルシスティックで、承認欲求の強いこのブログを、自分でも好きでないキャラの部分を全開させて恥をさらしていく。
 それがこのブログ。

今、私が整理しないといけないこと

2013-07-10 21:13:03 | 考え方
 もう8年ほど前のことだ。私は、前任者が起こした訴訟の証人として証言台に立った。前任者は、自分が解雇されたのは、実質的な人事権を持っている行政が当時猛威をふるっていたバックラッシュ勢力に屈したからだと、その不当性を訴えていた。行政がバックラッシュ派と密約をして、自分は排除された、という主張だった。
 私は着任直前に引き継ぎのために彼女の話を聞き、大いに同情した。さらに、彼女が形式的に行われた採用のための面接を受けていたことを後で知り、行政が私には黙っていたことがわかって騙された感じを持ったので、さらに行政が卑怯なやり方をしたと思った。

 私は彼女の職名を受け継いだが、ただ私は彼女の役職だけではなく、行政の職員が行っていた役職も引き継いで兼職だった。そして、知った。行政職員がおこなっていた職務はまさに激務で、彼女の比ではない。彼女は、ほとんどお飾りの名誉職に等しいポジションだった。だから、私が求められたのは、実質は行政職員が行ってきた役職の後任だった。しかし、外部からは、それは見えない。行政職員が行ってきた職務は縁の下の力持ちの仕事である。彼女の役職は、華やかな目立つものであるが、実際は行政職員のサポートや後始末、他の職員の秘書的業務を必要とする目玉商品である。それは、市民の目にはきらびやかで彼女の能力の賜物に見えるが、実質は陰の地味な作業で成り立っている。彼女は、外部講師みたいなものである。

 それは、両方を引き継いですぐにわかった。行政職員は、さぞかし重責に喘いだだろう。そして、財政も人員も削減される中で、行政職員は、そのお飾りで手のかかる名誉職のポジションを廃止する方策に辿り着いたのだ。それは、本当に火を見るよりも明らかな熟考の末の結論だ。
 そして、そのポジションの彼女は、他の自治体の名誉職的な役職も引き受けていて、いつも「忙しい、忙しい」と飛び回っている人であったらしい。その彼女のポジション廃止の体制変更について、どれだけ、彼女をまじえて話し合いが行われたのかは知らない。彼女が訴えたところによると、寝耳に水の話で、彼女は騙され、突然解雇決定が告げられたということになっている。
 行政側は何度も話をしようとしたが「忙しい」ことを理由に拒否され、なかなかちゃんと話をできなかったが、一応は伝えた、と主張し、彼女の側は、何も話をしないうちに決められ、知らない間に後任探しが始まった、という主張をする。

 当時、現場の職員として勤務していた人が、最近、私に教えてくれたことによると、何度も行政の管理職から電話がかかっていたが、彼女はつながないでくれ、と電話に出ようとしなかった、とのことだった。そういうことは、裁判では全く明らかにされていないことだが、、、。

 とにかく、引き継ぎ時、事情が少しずつ見えてきてどうしてよいかわからなくなってしまった私に、彼女は、「あなたがいい人だということは他の皆さんから聞いています。あなたはここで頑張って下さい。これは、私と行政の問題です」と、実に潔いことを言った。それは、私には至極真っ当な言い方に聞こえた。

 でも、彼女は訴訟を起こした。私は、それでも彼女の立場に同情的だった。行政はずるい、と思っていた。ただ、彼女が言うようにバックラッシュ派に行政が屈したせいだとはどうしても思えなくなっていた。上に書いたように、これは、一つの下部団体を運営していく方策だったとしか思えない。バックラッシュ派に屈したのなら、私を採用したのは話がおかしい。が、それも、行政のずるさと言えば言えなくもない。私を採用したことによって、カモフラージュができる。

 真相はわからない。私には、見えない。見えるのは、当時の行政の下部団体の内部の大変さだ。これは、確かに、私だって、この名誉職(しかし、結構な人件費は使われている)の廃止以外に考えられない内部事情であったのだ。

 が、バックラッシュのために辞めさせられた、というストーリーがまかり通り、彼女の支援者がものすごく興奮していた。行政を敵視する人でいっぱいだった。しかし、それがだんだんエスカレートした時、私の証人尋問ですべてが明らかになる、という幻想がふりまかれるようになった。
 私に支援者団体の代表から「証言してくれ」と手紙も来た。あなたは、正職員なのだから立場は守られているから、証言してくれ、と。まるで私が自分の立場を守りたくて、証言を渋っているかのような直訴状に、怒りが沸点に達しそうだった。私はいつでも、自分の知っていることは何でも言うつもりであった。立場を守ろうという気は、微塵もない。立場などよりも、正義を守りたい、という気持ちが誰よりも強いつもりであった。私の証人尋問が実現しないのは、私の意向とは無関係だ。行政側の弁護士か、裁判長の判断であったのだろう。
 
 しかし、私の証言が決まった。支援者の人たちは、「これですべてが明らかになる」と大騒ぎだった。私はずっと違和感を持っていた。私が知っていることはすべて、原告の彼女に語っている。それ以上のことは何も知らない。が、私がそれを裁判で言えば、彼女の勝訴となるのか、と、よくわからないが、考えていた。私も行政の問題点はたくさん見てきた。彼女は気の毒な面があるし、怒るのも無理はない。行政の問題点を裁判の場で明らかにできることを望んでもいた。だから、どうしても、証言台に立つ前に、辞表を出したくて、理事長と話をして証言台に立つ日の前に、退職願も送った。そして、私は自分の知っているまま、わからないことはわからないと言い、覚えていないことは覚えていないと言い、わかっていることはわかっていることとして意見を言った。その内容は、おそらく、原告側の彼女にも、被告側の行政にも、都合の良い部分と悪い部分と両方あっただろう。が、それが私の真実なのだ。

 しかし、私はネット上で、支援者団体のブログで、誹謗中傷された。自分の立場を守るために、被告側とつるんで、ぼやかした証言をしたことになっていた。忘れていることを忘れている、と言ったこと、わからないことをわからないと言っただけだ。誹謗中傷しないまでも、「もっとはっきり言ってほしかった」と、私の証言を残念がる人もいた。何をはっきり言うのか? 覚えていないことは覚えていないと、はっきり言ったではないか。行政が、私を採用したことで体制変更の目的を果たしたか、という質問には、はっきり「そうはなっていない」と事情を説明したではないか。
 彼女や支援者は、私が、密約の現場を見たとでもいうのか? いったい、何を「はっきり」言わないといけないのか。私は、質問にはすべて明快に答えた。

 彼女や支援者は、結局、自分たちの望む通りの証言を私がしなかったことを批判しているのだった。自分たちの書いた筋書き通りの証言を、私がしなかったことを攻撃していたのだ。誹謗中傷は続き、私はただでさえ、困難な業務の果てに心身を病み、退職願の期限よりも少し早く入院して病気休暇に入った。その頃に、実名を出した誹謗中傷がネット上で展開された。

 その後、一審で彼女は敗訴し、控訴審で勝訴した。控訴審は、非常にうまい展開だった。彼女の人格権を侵害した、ということが訴訟内容だった。これは、否定できない。確かに、行政の粗雑なやり方は、彼女のみならず、多くの下部団体の職員や非正規の職員の人格権を無視し、蹂躙している。どの自治体もそれは同じような実態だ。
 が、私の人格権を蹂躙しきった彼女とその支援団体の罪はどうなるのか。その後、彼女は3回ほど、謝罪を申し出てきた。彼女自身の所業であるにもかかわらず、支援者の暴走について、彼女が謝罪してきた態になっている。私はいずれも無視した。ネット上で誹謗中傷して、嘘を並べ立てて、私の名誉を損なったのだ。ネット上で、あれは嘘だったと認め、撤回し、謝って、損なわれた私の名誉を回復すればいいではないか。なんで、内密に会おう、などと言ってくるのだ。

 今でも、私は辛い気持ちになる。今もこのことを思い出すたびに不幸な思いに襲われる。

 が、整理できていなかった、と思う。彼女が更新を打ち切られた(解雇ではない)出来事の客観的な判定と、自分が傷つけられたこととは、別立てで考えなければならない。

 どうしても、悔しさや酷い目に遭わされた怒りがあって、判断が狂い勝ちだが、彼女が置かれた状況は客観的に考えて、やはり行政の使い捨て体質の犠牲になったとしか言いようがない。仕組みの問題とは言え、やはり「人格権」の蹂躙であることに間違いはない。そこはしっかり考えるべきだろう。

 私が傷ついたことは間違いがないが、それだからと言って、支援団体の暴走気味のおばさんたちが悪いだけの人たちではないことも確かだ。嘗て、良い働きもしてきた人たちではある。
 友人がそういう、私を追い詰めた人たちを評価する発言をすると、どうしても辛い気持ちが先に立ち、心が滅入ってしまい、彼女たちを貶めたくなる私がいるが、分けて考える訓練は要るようだ。難しいが、ネガティブな感情がどうしても湧き上がるが、、、。

 組織も個人の感情で動く。行政のひどさをいくら責め立てても、個々の職員がびくともしないのは、組織が法的主体となるから、職員個人の責任は問われないからだ。このことは、組織のシステムの中で起こる力動や文脈が原因であるので、当然といえば当然なのだが、その力動や文脈を醸し出すのは個々の職員であるので、そこに自覚がないということは、この問題はずっと繰り返されるということでもある。
 
 やはり、個々の感情で動く組織の分析研究は必要だな、と思う。

 
 

 

短期記憶

2013-07-08 22:18:00 | 考え方
 亡夫の姉が短期記憶障害なのかどうかはわからない。

 もちろん、私にも、何かを隣の部屋に取りに行ったのに、何を取りに来たのか忘れてしまった、などということは再々ある。捜し物などしょっちゅうだ。が、姉の場合はそれとは違う。何か頭の中の構造が変化した感じだ。

 私のこういう経験から考えることはできるだろうか。

 以前、私は自治体の専門職として、女性のための「相談」の仕事をしていた。カウンセラーになるつもりはなく、あくまで「窓口相談」と自分で位置づけ、女性達の悩みを聞きながら、その解決法を自治体の持つ資源に結びつけたり、自治体の施策に反映させることを目的に精力的に動いていた。そして、人づてに聞いたが、私の相談はとても評判が良かったそうだ。辞める頃には、常連さんの他に新規も次々に入り、休みなしに動いていた。私を実にうまく活用した上司の力でもあるが、公務員の常識や思い込みを打破する衝撃力があったようだ。私の名前は近隣の自治体にも伝わり、始終、講演依頼が来ていた。

 その当時、私には特殊能力がついていた、としか言いようのないことができた。約一時間ほど相談者の話を傾聴し、一緒に真剣にその人の悩みを考える、しかし、その人が帰り、次の相談者と向き合ったとたん、私は先の人との話をすべて忘れ去るのだ。そのシリアスな重い、時には緊急性が高くて、役所内を突破口を探して走り回ったりするが、新たな相談者と向き合った途端、私の頭の中はその人の話を吸収するために白紙になる。見事に受け入れ態勢ができているのだ。
 自分で自分の力が信じられないくらい、そのわざが身についていた。毎回、リセットをかけるのだ。が、実はハードディスクにはちゃんとデータを残してある、というのと同じ状況で、ある人のデータが必要な時にはそのデータをきちんと呼び出し、再現できる。が、終わると忘れ去る。その繰り返しを続けた。限りなくその人の感情に寄り添いながら、冷静な分析をすることができていた。半分は醒め、半分は共感で埋め尽くされていた。そして、忘れ去り、必要なときは再現できて、最終的にはその地域の女性相談から見えてきた問題性を行政に政策提言のかたちで出すことができた。

 と言うと、自己肯定が過ぎる、というか、そんなに良くできたか、と嫌味を言われそうだが、自分としては最大限に頑張っていて、最大限に力を発揮した時期だと思う。40歳代後半だ。脂がのりきっていたのだろう。

 そして、その記憶の操り方が、我ながらスゴイと思う。ひょっとしたら、カウンセラーなら誰でもすることなのかもしれない。ただ、訓練を受けていない私にもそういうことが出来たのがスゴイと思う。
 そして、その忘れ方が気になるのだ。今は必要だからこの情報を手放さない、が、不要になった情報は手放す。そいうことで記憶のコントロールが可能なら、義姉は、くず餅をもらったという出来事に対して、私にお礼を言わねばならない間、そのことを心にとどめ、くず餅にとりたてて興味のない彼女は、すぐにその記憶をリセットしたのだろうか。

 昼食を食べた費用も、彼女は驕るという母に対して、自分の分は払います、と言い張り、結局、母の代わりに母のお金で支払いをした私に対して自分の分を支払った。それで、昼食代はもうけりがついたのだが、最後まで、何度も、「私、お昼ご飯を出してもらったままだわ」と気にし続けていた。「いや、ちゃんとはらってもらったよ」と答えると納得するのだが、何分か後には、またしても「お昼代、どうしたかな? 払ってもらったよね」と言い出す。何度も何度も間違えて気にしていた。66才の義姉がそういう状況であるのに対して、85才の母は、そういうことを確実に記憶している。ふと思い出そうとする仕草さえしない。思い出すまでもなく、覚えていることなのだ。
 この記憶の違いは何なのだろう?

 母の場合は、あまりにも記憶したり、気にかけたりすることが少ないので、ちゃんと記憶しておくことができる、と思える。姉の場合は、そのあたりがあやしい。中途半端に忙しいからだろうか。記憶が刻みつけられないらしい。
 それとも、私たちは気を遣わないで済む相手なので、覚えておこうという神経の立ち方がなされないのだろうか。それくらいゆるんでいられる私たちであるなら、家族を持たない彼女にとってよいことであるとは思う。

 記憶のメカニズムについて、もうちょっと知りたいような、、、。そんな感じ。


内と外

2013-07-06 08:36:23 | 考え方
 育った家庭がそうだったのか、多くがそうなのか、わからない。私が育った文化では、内と外が画然と分かれていて、内にあっては無茶苦茶な論理を振り回して君臨しようとする親が、一歩外に出ると、聖人君子のようであった。

 子ども時代、そういう親の下で育成されているから、私も同じように、家に帰ると弛緩しだらしなくなるのだが、外ではきちんとお利口さんでいられた。私の親は、私を内弁慶だとなじっていたが、実は、「内弁慶」なのは、親自身だったのだ。

 この二面性にいやけがさしたのは、いつの頃だったろうか。内でも外でも、同じようでありたいと切望した。今では、だいぶん改善されて、自分の暮らしはさほど二重性はないと思う。もちろん一人では弛緩するけれども、家族には一定の敬意と礼儀を忘れない。むしろ他人以上に気を遣っているかもしれない。

 弛緩すると、人は子どもっぽくなる。これも、何なのだろう?と思う。だだっ子のように、わからずやの子どものようになる。気まま全開になる。人中で自分を律するように、なぜ、家庭にあってもそれができないのか?

 DVはその象徴的な表れだ。相手に甘える甘え方が、わがままが何でも許されると信じる甘え方に変わる。思い切り弛緩して、なお受容されることを願っている。
 人は、ほんとうは赤ん坊のように、己が欲望のままに生きたいのを、どこかで無理をして、自分を律するのだろうか。だから、親密な間柄の人ができると、その人には、幼い頃にわがままをぶつけても受容し、あやしてくれた「母」のような(実態の母ではない)存在として期待が始まるのか。本来なら、限度がないほどに理解と受容が行われるはずだという期待を、相手に抱いてしまうのだろうか。

 私の親は、子ども時代の私に言いたい放題だったが、それはまだ人生経験が少なくて批判力のない子どもへの侮りもあるだろうし、自分の子どもであるならば自分の言うことは聴くものである、という関係性への絶対的な依存、という面もあったろう。反撃力もなく、他に自分を支援してくれる人を持たなかった私は、親の一方的な価値観に違和感を抱きながら、そして抗議もしながら、口論の末に身体への物理的攻撃力をもって口を封じられた。
 子どもに権威を示そうとする親は醜い、と思っている。だから、父が大嫌いだった。晩年、すっかり好々爺になって、一度は見直したこともあるが、最近は、やはり嫌いだと思う。自分の今の不遇も親のせいだと、どこかで思っているために、恨みが消えない。

 困難を乗り越えるのに、困難を総括することが意味をなすわけではない。困難を乗り越えるのは、今が良い状態であること、その後が好転すること、しかない、ような気がする。やはり、親は嫌いだ、と思う今日この頃。