凡々たる、煩々たる・・・

タイトル、変えました。凡庸な人間の煩悩を綴っただけのブログだと、ふと気付いたので、、、。

病気をしました

2008-01-10 20:11:06 | 自分
 昨年3月末に、退職しました。退職する半年も前から、ずっと調子が悪く、よく職場に行けなくて休むことがありました。部下の総務課長から、「どこがお悪いのですか?」と尋ねられても、答えられませんでした。ずっと下血があり、便秘もひどいのですが、病院では対症療法しかなく、下剤をもらうくらいでそのときは一瞬ですが症状が緩和されるのです。でもまた具合が悪くなり、自分の生活の仕方が悪いから便秘をして、それで気分も悪いのだと思い、生活をあらためようとするのですが、仕事がきつくて改善できないのです。そして相変わらず具合は良くなくて、はっきりした病名もわからないまま、いくつかのクリニックや病院を巡りました。最終的には自分で心身症と判断し、神経科に行きました。そこで、ストレスによる自律神経失調症、鬱傾向、適応障害などの診断名が出て、2月の末から入院しました。そこに入院したことは、あらゆる意味で、正解でした。確かに、本当に精神的に参っていたのだと思います。極度の緊張と不安が、少しずつ緩和されていきました。でも、回復してくると、自殺願望のある人や拒食症の人などと共にいると、場違いな感じがして違和感が強く、その人たちが静かに、でも激しく放出している「私は辛い」「救われたい」というような心の叫びのようなものが負担になってきました。まだまだ、私自身がしんどいのですから、当然だったのですが、かと言って他の患者さんのように、患者さん同士の連帯感がわかないのです。患者さん同士で、話し合ったりしている人は多く、私にも「お話させてください」と向かいのベッドの人が来られるのですが、その人のお話は、自力で境遇を変えられない人の悲しみに充ち満ちていて、病院にいて病気でいることがその人を救っているということがわかるので、どういう話題も共有しにくかったのです。自分をさらけ出して本音でものを言っていたため、そのせいで陰湿ないじめを受けた私とは違って、その人は自分で自分を偽って、病気になるくらいしか、自分に許さないのです。「子どもなんかいやだ」「母親はうるさいからどっか行け」と思っているのに、誰のことも受け容れるべきだと思っていて、「死にたい」と泣いているなんて、私には辛すぎるのです。その人が、「もうやってられるかっ」と啖呵でも切らないと楽にはならないと思うのですが、「良妻賢母」をやめないゆえの繰り言を聞き続けるのは勘弁して欲しくて、ずっと本を読んでいました。
そこを3週間で退院し、医師と相談して自宅療養に切り替えました。そして退職しました。退職後は、友人と旅行に行ったり、いろいろ元気になれるようにしていたのですが、そして精神的にはずいぶん変わってきて、快活さを取り戻していったのですが、でもやっぱり体調の悪いのは治らず、私は何かどこかが、絶対悪いに違いないと、誰にも言わず1人で不安と闘っていました。そして、とうとう昨年の9月、尋常ではない便秘があまりにも続くので、決心して大腸の内視鏡検査を受けに行きました。結果は、大腸ガン。ガーン、でした。(しゃれのつもりか^^;)
 ガンがS字結腸の部分に出来ていて、7割以上も腸を塞いでおり、ほっとけば腸閉塞になる、という状態で、検査をした医師が急ぐようにと紹介してくれた大学病院で、手術を受けました。思えば、退職する半年も前から下血が続き、頑固な便秘に悩まされ、苦しんでいたのですから、そのときからガンができていて、ずっと成長を続けていたのですね。それでも、腸を塞ぐということがなければ、もっと発見は遅れたと思います。どうにもならなくなって、自ら大腸の内視鏡検査を求めたのですが、下血だけだったらまだ検査には行かなかったように思います。
 大腸の外壁ぎりぎりまで浸潤していて、もう早期ガンではなく進行ガンになっていたそうです。でも、転移はしていなくて、良い時期に手術ができた、とお医者さんが言ってくれました。無事、手術も成功し、傷による痛みも日一日と回復し、年明けも元気にしています。
 一時は自分の人生を諦めたので、生きて新しい年を迎えたことに不思議な感慨を抱いています。なにしろガンですので、当分は、風邪が治るように「治った」とは言い難く、経過観察が続くのですが、根が続くようなら、私を見舞ったこの間の出来事をいろいろ総括し、整理し、自分なりにつかんでおきたいと思っています。