凡々たる、煩々たる・・・

タイトル、変えました。凡庸な人間の煩悩を綴っただけのブログだと、ふと気付いたので、、、。

愚痴なので、読んだ人が良い気持ちにならないブログを書く

2017-06-16 08:49:27 | 日々の雑感
年を取ってきて、仕事も減ってきて、
いろいろな面で劣化を自覚するようになって、
80歳を過ぎてから母が言っていた
「長く生き過ぎた」ということばを、もう、つぶやいている私。

そう。
もう、おまけの人生、という気がする。
お金もないし、仕事ももうなくなるし、
共に暮らす人もいないし、
今はすでに、余計な人生という気がしている。

まだ、時々必要とされることがある。
私を頼る人、時間潰しに誘えば断らない私を誘う人、
、、、 、、、 、、、
話を聞いてもらいたい人、
いざとなったら助けてもらえると思っている人、
そういう人ならいないわけではない。

そして、もうそろそろ、そういう役割も降りたいのだ。
親も、私から、
愛や尊敬や恭順や、そういうものを得ることを期待し、
自分たちの役に立つ子であれ、と望んでいた。
母の目論見は成功し、
私は寝たきりになった母に誠実に仕える娘だった。
母は、ケアマネに、
私のことを、
「わりに、ええ子に育ちましてん」と言っていた。
若いケアマネは、私のことを「子」と呼んだことの方に反応して笑っていたが、
私としては、
ほとんど生まれて初めて、褒められた、という感じだ。

正確には、もう少し前に一度。
父の葬儀の時に、遺族代表で挨拶をしたのだが、
後で、娘に、
「お母さん、挨拶、上手やねぇ。うれしかった」と、褒めていたことがある。
葬儀社の人に、
「マイクで挨拶してください」と言われていて、
母は、
「わたし、そんなんようせんわ。あんた、して」と私に言ったので、
ふだんから仕事で挨拶をしている私が引き受けたのだが、
母にとっては、自分に回ってくるところだった役割が私に回ったことで、
いつになく、注意深く、耳を傾けていたのだろう。

母に褒められたのはそれくらいだ。
子どもの頃に、褒められたことはない。
いつも叱られてばかりだった。
主に父からは文句ばかり言われていた。
父に言わせると、
「お前は不良品や。ほんとやったら、返品するとこやけど、
返すところがないから、家に置いてやってるんや」ということだった。
今思えば、なんという虐待的発言かと思うが、
それが通用してしまう養育環境だった。

だから、誰かから慈しまれた思い出がない。
ほんとうに幼い頃、母に抱っこされて守られていた記憶はある。
そのほんの幼い頃の記憶が、私を支えているらしい。
カウンセラーに言わせると、その愛は確かに受け取っている、とのことだった。

実際、後年、児童虐待などについて調べていると、
それさえ受け取ったことのない被虐待児がたくさんいることを知った。
そういう意味では、私はまだ受け取っている。
だから、共感能力も、弱い存在への情愛のようなものも、なんとかあるのかもしれない。
否、過剰なほどに、それを求めるために、通常よりそれに対する感応が強い気がする。

が、この年になって、
弱って来て、
新たに思う。
慈しまれた経験が少ない、
もはや慈しまれることはない、
与えるばかり、
与えられない、、、、
そんな感じが強まっている。

認識に歪みが生じているのだろうか?
そうかもしれない。
悲哀が止まらないのだが。


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