凡々たる、煩々たる・・・

タイトル、変えました。凡庸な人間の煩悩を綴っただけのブログだと、ふと気付いたので、、、。

いらっとした昨日の話

2014-05-18 10:48:33 | 性格
 亡夫には姉が二人いるが、下の姉が最近、記憶があやしい。しかも行動もふわふわしていて頼りないことこの上ない。長姉は70歳を超えてもしっかりしていて、社会事象や歴史的なことに好奇心が強く、地域の趣味のサークルなどに参加して、京都などを探訪するツアーに参加する。いろいろ資料を読んで知識も蓄えているし、話す内容もジョークもはさんで面白い。こちらよりもテンポも速いくらいだ。が、下の姉は、もともとおっとりした性格で穏やかな人だったのだが、その穏やかさが「ぼんやり」に変わってしまったようなところがある。そして、もともとそうだったのかもしれないが、話題がとても狭い。

 昨日、ちょっといらっとしたこと。義理の長姉と次姉と私の母を伴って、息子の運転でお墓参りに行った。息子は、私を含め、四婆の引率だ。が、昔から年寄りの女性に受けの良い息子、今回も、最高のホストぶりを発揮して、四婆の中で最も若い私を大いに助けてくれた。
 で、次姉の話なのだが、話題にいらっとすることが生じた。もともと、誰かの性格、行動様式、容姿、癖などを話題にしたがる人だったが、しかし、ネガティブなことは言わない。基本的に褒めている事が多い人だ。それから、自分の行動様式、性格、容姿、癖を語ることも非常に多い。「わたしって、○○やねん」とか、「△△おばちゃんって、こういう感じやねん」とか、非常に多弁なので、その手の話を延々と聞かされる事が多い。そして、その傾向が増すばかりだ。
 正直なところ、彼女がどのような食べ物が好きだとか、たくさん食べるとか食べないとか、そんなことは私にはどうでもよい。長姉は、食べ物の話になっても、最近軟骨がすり減ってきたから、小松菜とリンゴとバナナをスムージーにして毎朝飲んで、その後10分間は何も口にしない、という習慣を一年続けたら骨密度が上がった、という話をする。その話題であると、一つの食生活の参考になるし、しかも姉はその話を1回だけする。が、次姉は、自分がたくさん食べられない話、どういうものが好きかという話を繰り返しする。この姉と喋っていると(喋るのは一方的に相手なのだが)、いい加減めんどくさくなる。

 昨日の昼は、ホテルのバイキングだった。それぞれが、好きな物を皿に取り、席で談笑しながら食べる。息子の食べっぷりを見ていて、
「バイキングを選んでつくづくよかったと思う瞬間」だと正直に伝える。彼は健康な笑顔を返してくれる。長姉は、そのレストランのセンスと味の良さを褒めて喜んでいる。母は、バイキングをやめて、簡単なコースを機嫌良く食べている。そして、次姉だ。とても機嫌良くしているのだが、相変わらず、自分がどのような物を好きか、というような話題が好きだ。そして、デザートの頃、私は、フルーツと和菓子のみたらしだんごを取って来た。フルーツを先に食べて、最後に極小のみたらしだんごに箸を入れた。とたんに、次姉が言った。
「あなたは、おやつが好きなのね。私はフルーツが好き。私って、つるんとした物が好きなの」と。直前まで私がフルーツを食べていたのは見ていなかったのか、わけのわからない発言にいくつかの点でいらっとする。
 一つは今述べたように、たった今までフルーツを食べていたことは無視して、みたらしだんごに箸を入れた瞬間に発せられたその発言内容のでたらめさ。そして、それを以て、私の嗜好を決めつけたことへのいらだち。さらに、彼女の嗜好をこれまでさんざん聞かされてきたことの再現へのいらだち。そして、最後に、「私はつるんとした物が好き」というのは、私の母がさんざん言ってきたもの言いだったからだ。

 次姉へのいらだちは、私の母へのいらだちを再現して、さらに増幅されたようだ。母と次姉の話題は、全く育ちも環境も違うと思えるのに、酷似している。
 常に、自分の話と他人の噂話。しかも決して悪し様に言わないところも似ている。そして、落としどころは自分の嗜好、自分の傾向の開陳だ。

 思うに、母も次姉も、容姿への言及の多い人たちだ。母はずっと「美人」と言われ続けていたが、屈折した自己意識であったようだ。だから、「私は美人」とは決して言わずに、他の人の容貌に言及して、最終的に自分の容貌への高い評価を確認する、という手順を踏んでいたような気がする。もちろん、最大の犠牲者は娘である私だ。父の容姿を貶めた上で私が父に似ている、ということに言及するという手の込んだ順番で、結果的に母が美しいという結論に辿り着く。その場合、いくら私が幼くても、自分が似ているとさんざん言われている人の容姿が劣っているということを聞けば、劣等感を抱くだろうという想像力は働かない。母は、自分が良い気分になれる瞬間を模索し続けるので、そこまで想像するキャパはないのだ。

 次姉も同様だ。彼女は、美人顔ではない。が、背が高く痩身でとびきりの色白だ。そして、美男の父親がいて、そのきょうだいは全員美形ということだ。要するに、美にこだわる人たちがいたのだ。彼女の父、すなわち私の亡夫の父親は痩身で端整な顔立ちの人だ。その弟で早世した人がいるのだが、早世した分、思い出は若い美しい容姿で時間が止まる。残っている写真は、まるで映画俳優のプロマイドのようだ。亡夫の親戚が集まると、よくそういう話題で盛り上がる。つまり、容姿自慢の一族なのだ。その中で、次姉も育っている。シルエットが父に似ている。
 栄養過多の時代、ダイエットなどとは無縁で、痩身でい続ける彼女を、しかも決して日焼けしない肌の色の持ち主であることを、褒めそやす周囲の傾向は目に見えるようだ。集まれば、ダイエットの話題になる女性をたくさん見てきた。その中で、次姉は、たぶん常に、「A子さんは、ほんとにいつもおきれいね」「スタイルが良くて羨ましいわ」と言われ続けたのだろうと思う。
 私には、次姉は栄養が行き届いていないという印象の方が強いけれども、多くの女性はそういう言い方はしない。だから、彼女の体型は良きものとして賞賛される。スーパーモデルのような職を獲得すればそれもまた資源として活用できるだろうが、私の目には次姉はポパイに登場するオリーブのイメージだ。彼女は、その彼女の持っている天性の長身痩身色白の姿態を良き物と自己認識していて、そこに最終的に話題がいくことを無意識に望んでいるように思う。が、そのために、やはり他の人間を使う。「あなたって、○○ね」と言って、最後は自分の痩躯に話を持って行き、良き気分を味わいたいのだ。
 それにいらっとする。

 私は太っていないが、幼い頃からの母の言葉の綾によって、相当にトラウマが出来ているから、その手の話題が好きではない。しかもその母や次姉の無意識の願望が目に見えるようで、それに利用されると感じるので、いらっとするのだ。
 長姉などは、もう次姉の話に反応もしない。相当、うんざりしているのがわかる。長姉も今やスリムな体型を持っているが、次姉のように父親の特徴を受け継いではいないので、きっと幼い頃、この手の話題に嫌気がさしていた可能性がある。
 息子の運転する車に乗っている時、後ろの席に隣り合って座っている二人の会話に少しはらはらするが、長姉の気持ちもわからなくはない。次姉がどうでもいいことをだらだらと話しかけ、長姉は返事もしない。あまりにもどうでもいいことをしゃべり続ける次姉に、昔、義母が生きていた頃は、「あんた一人、喋ってるね」と穏やかにたしなめていた。義母と次姉を家まで送り届けた後、息子と私は、今日のA子さんのマシンガントークは勢いが増していたね、というような会話をし、次姉のおしゃべりから解放されてホッとしたものだった。今回、この次姉のおしゃべりは長姉が受け止めてくれるかと期待したが、長姉の方がすでにギブアップしていたようだ。

 母も、私が何と思おうが、自分が喋りたいこと、しかも私にとってはあまりにもどうでもよいことを一人で喋り続けて、恬として恥じない人だった。今は耳が遠くなって、ほとんど喋らなくなった。耳が聞こえないと、話すきっかけも失うようだ。

 次姉は、決していやな人ではない。が、その劣化ぶりはこちらが不安になるような状況だ。もともとの傾向が増しただけなのだろう。そして、人は衰えると、持っているものを際だたせながら他の要素を取り落としていくのだろうか。
 目の前で老いの凋落をまざまざと見るのは切ない。