凡々たる、煩々たる・・・

タイトル、変えました。凡庸な人間の煩悩を綴っただけのブログだと、ふと気付いたので、、、。

いらっとした昨日の話

2014-05-18 10:48:33 | 性格
 亡夫には姉が二人いるが、下の姉が最近、記憶があやしい。しかも行動もふわふわしていて頼りないことこの上ない。長姉は70歳を超えてもしっかりしていて、社会事象や歴史的なことに好奇心が強く、地域の趣味のサークルなどに参加して、京都などを探訪するツアーに参加する。いろいろ資料を読んで知識も蓄えているし、話す内容もジョークもはさんで面白い。こちらよりもテンポも速いくらいだ。が、下の姉は、もともとおっとりした性格で穏やかな人だったのだが、その穏やかさが「ぼんやり」に変わってしまったようなところがある。そして、もともとそうだったのかもしれないが、話題がとても狭い。

 昨日、ちょっといらっとしたこと。義理の長姉と次姉と私の母を伴って、息子の運転でお墓参りに行った。息子は、私を含め、四婆の引率だ。が、昔から年寄りの女性に受けの良い息子、今回も、最高のホストぶりを発揮して、四婆の中で最も若い私を大いに助けてくれた。
 で、次姉の話なのだが、話題にいらっとすることが生じた。もともと、誰かの性格、行動様式、容姿、癖などを話題にしたがる人だったが、しかし、ネガティブなことは言わない。基本的に褒めている事が多い人だ。それから、自分の行動様式、性格、容姿、癖を語ることも非常に多い。「わたしって、○○やねん」とか、「△△おばちゃんって、こういう感じやねん」とか、非常に多弁なので、その手の話を延々と聞かされる事が多い。そして、その傾向が増すばかりだ。
 正直なところ、彼女がどのような食べ物が好きだとか、たくさん食べるとか食べないとか、そんなことは私にはどうでもよい。長姉は、食べ物の話になっても、最近軟骨がすり減ってきたから、小松菜とリンゴとバナナをスムージーにして毎朝飲んで、その後10分間は何も口にしない、という習慣を一年続けたら骨密度が上がった、という話をする。その話題であると、一つの食生活の参考になるし、しかも姉はその話を1回だけする。が、次姉は、自分がたくさん食べられない話、どういうものが好きかという話を繰り返しする。この姉と喋っていると(喋るのは一方的に相手なのだが)、いい加減めんどくさくなる。

 昨日の昼は、ホテルのバイキングだった。それぞれが、好きな物を皿に取り、席で談笑しながら食べる。息子の食べっぷりを見ていて、
「バイキングを選んでつくづくよかったと思う瞬間」だと正直に伝える。彼は健康な笑顔を返してくれる。長姉は、そのレストランのセンスと味の良さを褒めて喜んでいる。母は、バイキングをやめて、簡単なコースを機嫌良く食べている。そして、次姉だ。とても機嫌良くしているのだが、相変わらず、自分がどのような物を好きか、というような話題が好きだ。そして、デザートの頃、私は、フルーツと和菓子のみたらしだんごを取って来た。フルーツを先に食べて、最後に極小のみたらしだんごに箸を入れた。とたんに、次姉が言った。
「あなたは、おやつが好きなのね。私はフルーツが好き。私って、つるんとした物が好きなの」と。直前まで私がフルーツを食べていたのは見ていなかったのか、わけのわからない発言にいくつかの点でいらっとする。
 一つは今述べたように、たった今までフルーツを食べていたことは無視して、みたらしだんごに箸を入れた瞬間に発せられたその発言内容のでたらめさ。そして、それを以て、私の嗜好を決めつけたことへのいらだち。さらに、彼女の嗜好をこれまでさんざん聞かされてきたことの再現へのいらだち。そして、最後に、「私はつるんとした物が好き」というのは、私の母がさんざん言ってきたもの言いだったからだ。

 次姉へのいらだちは、私の母へのいらだちを再現して、さらに増幅されたようだ。母と次姉の話題は、全く育ちも環境も違うと思えるのに、酷似している。
 常に、自分の話と他人の噂話。しかも決して悪し様に言わないところも似ている。そして、落としどころは自分の嗜好、自分の傾向の開陳だ。

 思うに、母も次姉も、容姿への言及の多い人たちだ。母はずっと「美人」と言われ続けていたが、屈折した自己意識であったようだ。だから、「私は美人」とは決して言わずに、他の人の容貌に言及して、最終的に自分の容貌への高い評価を確認する、という手順を踏んでいたような気がする。もちろん、最大の犠牲者は娘である私だ。父の容姿を貶めた上で私が父に似ている、ということに言及するという手の込んだ順番で、結果的に母が美しいという結論に辿り着く。その場合、いくら私が幼くても、自分が似ているとさんざん言われている人の容姿が劣っているということを聞けば、劣等感を抱くだろうという想像力は働かない。母は、自分が良い気分になれる瞬間を模索し続けるので、そこまで想像するキャパはないのだ。

 次姉も同様だ。彼女は、美人顔ではない。が、背が高く痩身でとびきりの色白だ。そして、美男の父親がいて、そのきょうだいは全員美形ということだ。要するに、美にこだわる人たちがいたのだ。彼女の父、すなわち私の亡夫の父親は痩身で端整な顔立ちの人だ。その弟で早世した人がいるのだが、早世した分、思い出は若い美しい容姿で時間が止まる。残っている写真は、まるで映画俳優のプロマイドのようだ。亡夫の親戚が集まると、よくそういう話題で盛り上がる。つまり、容姿自慢の一族なのだ。その中で、次姉も育っている。シルエットが父に似ている。
 栄養過多の時代、ダイエットなどとは無縁で、痩身でい続ける彼女を、しかも決して日焼けしない肌の色の持ち主であることを、褒めそやす周囲の傾向は目に見えるようだ。集まれば、ダイエットの話題になる女性をたくさん見てきた。その中で、次姉は、たぶん常に、「A子さんは、ほんとにいつもおきれいね」「スタイルが良くて羨ましいわ」と言われ続けたのだろうと思う。
 私には、次姉は栄養が行き届いていないという印象の方が強いけれども、多くの女性はそういう言い方はしない。だから、彼女の体型は良きものとして賞賛される。スーパーモデルのような職を獲得すればそれもまた資源として活用できるだろうが、私の目には次姉はポパイに登場するオリーブのイメージだ。彼女は、その彼女の持っている天性の長身痩身色白の姿態を良き物と自己認識していて、そこに最終的に話題がいくことを無意識に望んでいるように思う。が、そのために、やはり他の人間を使う。「あなたって、○○ね」と言って、最後は自分の痩躯に話を持って行き、良き気分を味わいたいのだ。
 それにいらっとする。

 私は太っていないが、幼い頃からの母の言葉の綾によって、相当にトラウマが出来ているから、その手の話題が好きではない。しかもその母や次姉の無意識の願望が目に見えるようで、それに利用されると感じるので、いらっとするのだ。
 長姉などは、もう次姉の話に反応もしない。相当、うんざりしているのがわかる。長姉も今やスリムな体型を持っているが、次姉のように父親の特徴を受け継いではいないので、きっと幼い頃、この手の話題に嫌気がさしていた可能性がある。
 息子の運転する車に乗っている時、後ろの席に隣り合って座っている二人の会話に少しはらはらするが、長姉の気持ちもわからなくはない。次姉がどうでもいいことをだらだらと話しかけ、長姉は返事もしない。あまりにもどうでもいいことをしゃべり続ける次姉に、昔、義母が生きていた頃は、「あんた一人、喋ってるね」と穏やかにたしなめていた。義母と次姉を家まで送り届けた後、息子と私は、今日のA子さんのマシンガントークは勢いが増していたね、というような会話をし、次姉のおしゃべりから解放されてホッとしたものだった。今回、この次姉のおしゃべりは長姉が受け止めてくれるかと期待したが、長姉の方がすでにギブアップしていたようだ。

 母も、私が何と思おうが、自分が喋りたいこと、しかも私にとってはあまりにもどうでもよいことを一人で喋り続けて、恬として恥じない人だった。今は耳が遠くなって、ほとんど喋らなくなった。耳が聞こえないと、話すきっかけも失うようだ。

 次姉は、決していやな人ではない。が、その劣化ぶりはこちらが不安になるような状況だ。もともとの傾向が増しただけなのだろう。そして、人は衰えると、持っているものを際だたせながら他の要素を取り落としていくのだろうか。
 目の前で老いの凋落をまざまざと見るのは切ない。
 


人のエネルギー

2013-05-01 09:55:11 | 性格
 どうしても、人が持っているエネルギーというところに関心が向く。義姉がこのあいだ言っていた。「胃腸の弱い人は、頭も弱いような気がするねん」と。胃腸と直結するかどうかはわからないが、確かに体調と頭脳活動は、我々凡人は密接につながっている印象がある。体調が悪いと、体調の管理だけで精一杯、それ以上の頭脳活動はできない。だから、天才と呼ばれる人のことはわからないが、多くの頭脳活動の活発な人は丈夫な人が多い。少なくとも私の知っている人たちはそうだ。

 才色兼備などと言うが、文化的な環境があまり変わらないなら、確かに、美と健康と才知は相関関係があるような気がする。健康な人の健康美と才知は結びついている。だから、虐待を受けて育った人は、自分の生存条件を整えることに多大なエネルギーを使うから、余力があまりない。当然、学力にも響いてくる。

 偶然、ジョン・バロウマンというイギリスの俳優でミュージシャンというタレントを知った。陽気でパワフルなイケメンで、オープンリー・ゲイだ。これほどの陽気でパワフルなゲイを見るのは初めてかもしれない。否、ここまでエネルギッシュな人は、日本人にはいないだろう。
 何を言いたいかと言うと、パワーは自信から来ると思っていて、自己肯定感が強くなければ、エネルギッシュになれないと思っているのだが、そして、それはこの世のメインストリームを歩けるヘテロセクシュアルでなければ獲得するのは難しいと思っていたので、このジョン・バロウマンのエネルギッシュな態度に驚愕し、且つ、感動したのだ。

 日本のTVに登場するゲイは、たいていおネエ系タレントだ。彼らは、そのいかつい容貌にミスマッチな過剰な女言葉と仕草で笑わせる。ゲイは、芸ネタだ。それら一つのキャラクターとして売り出している人以外に、日本のTVでゲイ男性を見ることはほとんどない。実際は、映画評論家やお笑いタレントやミュージシャンなど、特におネエ系キャラではないゲイは結構存在すると思うが、ほとんどがクローゼットだ。レズビアンも、笹野みちるのようにカミングアウトした人は既に芸能界から消えていて、ローカルな活動をしている。カミングアウトしたら終わり、と思えるような状況だ。だから、多くのゲイと思しきタレント、レズビアンと思しき女優は、セクマイの人たちの間ではそれなりに有名だったりするが、決して公言しない。むしろ、ネタとしてバラエティ番組でつつかれても、否定したり、ジョークにしてしまうことで、結果的にはクローゼットにこもることになる。

 そういう日本にいて、ジョン・バロウマンを見ると、ヘテロ男性と同様の行動様式を身につけているイケメンがゲイセクシュアリティ全開でハイテンションのパフォーマンスを繰り広げることに、ただただ驚愕する。歌も上手い、顔もいい、そして役者としても成功している。彼が持たないものは何もない、というように思えるマルチタレントだ。それがあのエネルギーを生み出すのだろうか。だからこそ、セクシュアル・マイノリティであって、あれほどステージの真ん中で光り輝くことができるのだろうか。さらに、少し年上のパートナーは、彼に劣らぬ美形で、すでにイギリスでシビル・ユニオン(異性間の結婚と同様の法的権利を与える制度)に署名し、結婚式も行ったとか。
 セクマイカップルに制度的承認を与えるのは、今の社会には必要かもしれない。異性愛だけが正統だという思い込みを再生産しないだけでも、制度化の意味はあるような気がする。私自身は、性愛を法的制度に持ち込むこと自体全く賛同できないのだが、今の日本の状況を打破するには必要かもしれないと思う。
 ジョン・バロウマンは、ある種、セクマイの希望の星、というところだろうか。おそらく、英米のセクマイにとって、ジョン・バロウマンは大きな光となっていることだろう。彼自身、そういう社会的意義も感じているように見える。
 フリークではないセクマイ、、、その社会的印象づけのためには、美貌の、社会的ステータスのある、人々の尊敬を集めることのできるセクマイが要るのだ。

 昔、私がセクマイの活動をしていた頃、ヘテロの女性から何度かアプローチされた。「わたし、レズビアンに対してずっと偏見を持っていたのだけど、虎之助さんとならつきあってみたい」などと。私が誰よりも良識的で、フリークではなかったからだろう。確かに、私がセクマイの活動をすると、ある種の効果があるだろうというのは想像できる。ヘテロセクシュアル文化に、適応しきっていたからだ。「女らしい」女として、良識のある言動に終始する社会人として、生きていたからだ。
 今、疲れてきたから、それをやめようとしているけれど。でもまぁ、長年培った行動様式が突然変わることはないだろう。私が男性ホルモンを投与して、髭でもはやさないかぎり、今のままだろう。そして、その私が果たせる役割はあるのだろうという気はするが、、、。

 しかし、ジョン・バロウマンのようなエネルギーはないからな。この人の映像を見ていて、でも、切なくなる瞬間があった。ある女性のインタビュアーの質問がセクシュアルマイノリティのことに及んだとき、説明する彼の目は少し翳り、シリアスになったように見えた。いつもジョークで相手を笑わせ、自身もはしゃぎ回っている陽気な人なのに、一瞬、哀愁をたたえたように、真面目に少しも笑わずに話し始めた。「誰でも、他の人間(another person)と恋に落ちるでしょ?」というような感じのことを答えていたと記憶している。この期に及んで、まだ説明を求められる苛立ちもあったかもしれない。相手の中年女性に興味がなさ過ぎたか、嫌いだったか、そういうこともあるかもしれない。いつも楽しそうな彼には、珍しい映像だった。

 多くのセクマイは、このトーンダウンする瞬間が、ずっと続くのだ。時々、何かのきっかけで鼓舞されて、立ち上がる意欲に襲われるが、すぐに冷や水を浴びせられる瞬間が来る。
 この遠い国の、このエラくテンションの高い男が、とにかくセクマイのイコンとして健在であり続けることを願ってしまう。
 

長所と短所

2013-03-24 23:33:40 | 性格
 先の日記にも書いたように、人の美点と欠点は表裏一体だと思う。

 DVの被害者と話をすると、たいていの人が、彼の力強く引っ張ってくれるところが好きになった、と言う。それは、今の「俺の言うことを聞け」という強引な態度につながる。リーダーシップがあると見える人は、他人に自分の言うとおりにさせたがる人でもある。

 友人Aは、子どもらしいかわいらしさを感じる面があり、私はそこが好きなのだが、一方でひどく未熟で自己中心的な面を持っている。後者が目立つと、こっちはお手上げだ。逃げるしかなくなる。

 私は細かいことが気にならない。他人の言動もあまり気にならない。それは若い人たちになつかれる面だが、一方で他人に無関心とも言える。何をしていようと気にならないので、かまって欲しい人は、物足りない。時には「冷たい」とも言われる。
 子どもの頃は、母によく、気配りができないと叱られた。叱られても叱られても、気持ちが向かないものは向かない。
 複数の人間で鍋をつついても、他人が何を食べようが、気にならない。私はマイペースだ。が、いつの間にか私の分もよそってくれる人もいる。「ほら、お肉が煮えているから、早く食べなさいよ」と口うるさく勧める人もいる。そういうのがちょっとめんどくさい。自分のペースでいきたいのだ。

 愛した人の良いところは、別れる時は一番いやなところになっている。

 人に疲れ、人を求め、人から逃げ、人に逃げ込む。全き孤独で生きるのは難しい。愛を求めて一緒に暮らし、傷つけ合い、ずたずたになる。それはあまりにも苦痛なので、一人を選んでいるが、程よい距離を保ち、全き孤独に陥らないように気をつけている。程よい距離というものは、実は寂しいものだ。が、この孤独を埋める他人などいない。たぶん、誰かと一緒に暮らして、癒されているように思えるのは、紛らわせているだけ。もちろん、紛らわしでよいのだけれども、それが傷つけ合いのリスクを含むものなら、代償は大きすぎる。どっちをとるか、バランスの問題だろう。

気むずかしい人

2012-08-07 18:17:37 | 性格
 団体の長など、社会的権威のある人が気むずかしいと、力のない者はとても困る。昔は、それは多くは男性だったのだろうが、私の関係する団体や組織は、皆女性の長を戴いている。そして、フェミの思想が入っているから、どの人もどの団体も、平場や平等というコンセプトに基づいて動いている。
 という筈なのだが、なぜ、どの人も権威主義に見え、権力を恣にしているように見えるのだろう。

 まず、多くのエライさんは、周りに気を遣わない。周りが気を遣う。何でもフランクに言って、と言われて、うっかり言おうものなら嫌われる。平場主義と言いながら、自分がルールである。

 昨年亡くなった人は、ほんとうに、感性の優れた能力の高い人だった。私は尊敬していたし、その人の下で論文を書いたが、その人の下で論文を書けたのはよかった、と思った。私の研究分野は非常に新しくて、海外には先行研究が多かったが、日本では学術論文はほとんどない状態だった。私は英語の文献を中心に論文を書いたが、その人だからこそ、理解し、評価してくれたと思う。他の教員だったら、そこまで理解できなかったのではないかと思う。だから、とても感謝していたのだが、如何せん、非常に気むずかしい。年を取るに従って、その気難しさはエスカレートし、私はだんだんその人に会うのが辛くなっていった。もちろん、それでもその人を尊敬しているし、恩義も感じているので、仕事であまり会う機会がなくなっても、入院されたと聞いて病院に行ったり、何回目かの時には入院の手続きをして保証人になったりもした。そのうち、私自身が病気になったので、しばらく全く会いに行くことはなかったが、元気になったらまたお見舞いに行こうと思っていた。
 しかし、その人に寄り添っているのが、私が仕事で辛い思いをした人とつながっている人だったので、その人がいると思うと、足が遠のいた。そうして、何年も過ぎた間に、その人の訃報が舞い込んだ。

 あまりにも寂しい別れだった。私は、お別れ会にも偲ぶ会にも行けなかった。その人に付き添った人たちと会うのがいやだったので、一人でひっそりとその人を追悼することしかできなかった。しかし、その人と、若いときに私よりももっと親交のあった人たちが、つながりを断っている。その人の偉大さに比すると、あまりにもわびしい扱いだった。

 その人の気難しさには皆が閉口していて、慕っていくことが出来なくなっていたのだろうと思う。なぜ、そんなにその人は気むずかしかったのか。とても孤独だったのではないかと思うが、口を開けば容赦ない批判、攻撃、そして何が作用するのか、とても楽しそうにニコニコすることもある。そのニコニコが見られるのか、攻撃が始まるのか、その瞬間までわからない。その人を慕って近くにいることに疲れてくるのだ。

 だんだん人々が遠ざかって行った。私自身は、別の理由もあって遠くなってしまったが、親しかった人がどんどん傍にいなくなる。
 私よりはるかに年上で、その人と互角に交流できる人は最期の方までお見舞いに行っていたそうだが、もう誰のこともわからなくなっていたと言う。早いボケ方をしたのだ。人々との縁に希望を持とうとしなかったのかもしれない。だから、人々のことを早く忘れたのかもしれない。孤高の人は、孤独に亡くなったような気がする。

 入院しておられて見舞いに行ったとき、まだ元気そうではあったが、それでもだいぶん弱っている感じだったとき、私は不覚にも涙を落としそうになった。でも、あの人は、そういう私の気持ちなど考えないだろう。私は、誰かにしがみついて頼りにすることはしないが、尊敬と恩義は忘れない。人を慈しんだり愛しむ気持ちはある。しかし、その人はそれは理解しなかったと思う。誰にも頼らないで自立する、それがあの人のポリシーだったのだろう。

 人は、生きたように老いるのだろうな。

 

SNSの一つに入ってみた

2011-06-05 15:57:55 | 性格
 比較的年齢の高い人がメンバーになっているSNS に入ってみた。私と同じような年齢の女性たちの日記を読んでいると、とっても明るくてさわやかな人たちがいるとわかる。理屈っぽくはないが、しかし、賢明な人たちだ。

 職場で、私より若い人に、「フェミニズムって、どうしてあんなに暗いんですか?」と、遠慮がちに尋ねられた。「恨みと怒りの思想ですからねぇ、、、」と、思わずため息まじりに答えてしまったが、それだけでは誤解を生むかと思って、さらに、「フェミニズムを牽引した人たちのキャラクターもありますから」とつけ足したが、余計に誤解を生んだかもしれない。
 今の自分の実感でもあるので、用意していない時に、そういう質問が来ると、つい、本音が出てしまう。

 リブで鳴らした人たちから、手ひどい目にあったので、どうしても、ネガティブな総括が続いてしまっていた。実際、リブ隆盛の同時代に、リブで傷ついて、日本を去った人さえいる。今思えば、リブが問題なのではない。どこの運動体にもある、牽引力のある人たちとその人たちに追随する人たちの、強引さ、唯我独尊の姿勢、他を押しのけて勝ち抜いて行く馬力、そういったものが、リブにも存在しただけだ。
 日本の田舎に引っ込んで、女性二人で頑張って、崖っぷちのような生活を何十年と積み重ねてきた人たちもいる。尊敬に値する生き方であるし、応援もしているが、ちょっと距離を置いてしまうのは、彼女たちの苦難を共感することからしか交流は始まらず、時折それが負担になることがあるからだ。私には私の苦難があって、他人のことどころではないことがある。しかし、客観的に見ると、どう見ても、彼女たちの方が、リブの主張に適合した生き方をしているし、苦労も見えやすい。私には私の苦労があるのだが、彼女たちの前に出ると、ひたすら、彼女たちの苦労をねぎらう人にならないといけない感じがして、少し辛い。

 ずっと、ルサンチマン・フェミニズムと言われてきた。その言説は、恨み節に聞こえるのだろう。被害者のフェミニズムと言ってもいいかもしれない。そして、ひとたび、さらに困難な立場にある人の前に出ると、自虐的フェミニズムになる。これでは明るくなれない。

 そして、暗くないフェミニストは、攻撃的なフェミニストになってしまう。数年前に、その攻撃的フェミニストのターゲットになってしまってすっかり参っていたわけだが、このたび、出会ったSNSでの女性たちのさわやかさ、賢さ、やわらかさ、明るさに目が開かれる思いだ。そろそろ、新しい出会いが必要な時期なのかもしれない。


ゆるいキャラ?

2010-08-06 19:25:44 | 性格
部下にあたる人や年下の人から、私は、ものわかりのいい、受容的なタイプだと思われることが多い。以前、勤めていた職場で、私の指揮下で仕事をしてくれていた人たちと久しぶりに会って食事をしたとき、私の後任の人が抑圧的で困る、と盛んに愚痴っていた。そのとき、私のやり方は、『太陽と北風』の太陽だったということがわかりました、と言われた。確かに、根幹は全部私が組み立てているのだが、担当として活躍できる場所を常に残しておき、最後の仕上げをやってもらったり、彼女たちのアイデアや価値観を極力生かすような企画をしていた。基本は私が握っているのだが、彼女たちが仕事を通じて、自信をつけ、元気になってくれることを目標にしていたので、実に機嫌よく、働いてくれていた。また、一人ひとり、やり方さえ工夫すれば、実際にちゃんと自分の持っている力を発揮できるのだった。が、私の後任は、そういう思いで就任していないので、自分の求める水準を彼女たちに期待し、期待が裏切られたと思った頃には、彼女たちとの軋轢は、すでに大変なものになっていたのだった。

 その後任を「北風」と呼び、私は「太陽」だったというわけだ。言われてみればなるほど、と思う。
 私は確かに、基本的に太陽タイプの人間だ。誰に対してもそうだ。子どもの頃、『太陽と北風』を読んで、このような人にならなければならない、と思ったのも事実だが、しかし、私の太陽タイプは、もっと別のところに根ざしているのだろうと思う。

 実は、私は目標を設定できない、計画を立てられない、という弱点がある。目標に向かって、という言葉の意味が、基本的に理解できない。「北風」タイプの私の後任は、それが出来る人のようだ。だから、目標値に到達するために、「がんばる」タイプなのだろうと思う。が、私は、がんばれないタイプなのだ。だから、当然、他人にもそれを求めない。毎日、少しずつ、良かれと思う方向に向かって仕事をしていけば、そのうち、少しは前進するだろうと考えるタイプだ。いわゆる「ゆるい」タイプなのだ。
 もっと言えば、近い将来に良きことを期待するほど、希望的なタイプではない。とても長いスパンで見て、前進すればよいと思っている。否、それしかないと思っている。目標など設定して、うまくいくはずがなく、うまくいかなかったときの苦しみを考えると、初めから目標など立てたくないのだ。

 だから、部下に当たる人にも、今日、明日の仕事が、機嫌良くこなしていけることを望む。機嫌良くこなしていければ、それほど悪い結果が生まれるとは思えない。機嫌の良い仕事は、やる気を生むし、他の人にも良い影響を与えるし、充実感がわいてくる。その機嫌の良い仕事環境を整備するのが、上司である私の役割だと心得てきた。

 もちろん、それはそれなりに、苦労はある。まず、厳しさが足りないから、時には気のゆるみで、失敗が起こる。私は自分にはゆるくしていないので、失敗はたいてい、織り込み済みのことの方が多い。実は、失敗が取り返しのつかないレベルにはならないように、最も重要な部分は任せていなかったりする。だから、たいてい、すぐにフォローが効く。フォローした上で、失敗に目をつぶる。たいていは、失敗した本人が、自分で自分を責めている。それ以上、責めても仕方がない。基本が機嫌よく自己責任で仕事をしていると、充実感もあるので、責任を他人になすりつけることもしなくなる。必要以上に叱責を受けないので、潔く自分のミスを認めて、次から気をつける、という自己責任感の強い人でいてくれる。そうして、少しずつ、職業人として成長していく。

 性善説は、私は、基本的には正しいと、経験上も思う。信頼されると、人はその信頼にこたえようとする。任されると責任感を強める。得意分野を任されると、とりわけ、がんばる。そうして、経験を深め、成長していくと思う。

 そこには、私の仕事の目標など不要だ。仕事の目標は、現場の皆が、充実感を持って、やりがいを感じて、意欲的に仕事に取り組んでくれること。そうすれば、おのずと、現場では、「次はこうしよう」「今度はあんなことに取り組みたい」と、どんどんアイデアがわく。ほうっておいても、自律的な現場になる。私は、彼女たちをそういうように、方向づけようとして来て、ある程度、成功していた。彼女たちの得意分野を生かして、プロジェクトを任せると、いろいろな人に会い、交渉して、面白い展示をおこなったりする。私は、そこにコンセプトをつけていく。彼女たちの仕事に、本来の理念をくっつけて味付けをするのだ。それは、私は、彼女たちを養成している、という意識さえなく、自分にはないものを彼女たちは持っているのだから、それを生かしてもらおう、としか思っていなかった。
 私の指揮下にいた時は、「下手ながらも、参画している意識があって、仕事をしている実感があった」と、彼女たちは言っていた。

 たぶん、私はずっとそういうやり方だろう。が、世に言う「出来る」タイプの人たちは、そういうのが嫌いなようだ。目標を掲げて、着々と成果を上げていく。そういう仕事の仕方が正しいとされていて、私のようなやり方、私のような人間は、進歩も何も見えない、単にゆるいだけの存在なのだろう。

 どちらが良い、ということはないのだろうが、ゆるく、しかし、芯は通っていたいと思うけれど、、、。  

生き方の癖

2009-11-08 21:30:24 | 性格
 生き方の癖、というものがあるように思う。
人は、なくて七癖、などと言うけれど、そもそも思考、行動、生き方そのものの癖があるように思うこの頃。

 人の幸せを喜べない人がいる。人の災難が好きな人。それも癖と言えば癖だろう。たぶん、自分自身の不幸感がぬぐえなくて、他人の幸せには関心がいかないのだろう。逆に、他人の不幸には心が動く。自分よりも不幸せな人を見つけると、うれしくなって、支えようとする。カウンセラーにもこのタイプが結構いる。不幸な人の役に立っている自分に恍惚となる。目の前の苦悩する人が、カウンセラーを元気にするのだ。
 
 あるカウンセラーが、DVから逃げて駆け込んできた女性を、しかるべき機関につないだことがある。公立の女性センターのカウンセラーだ。その女性が、機関の人といっしょにお礼を言って立ち去るのを見送りながら、カウンセラーがこぼれる笑顔を苦労して隠しているのを私は見てしまった。当然、そのような満面の笑みで見送れるような状況ではない。その女性は、まだこれからが大変なのは、相談にかかわる者なら、誰にでもわかることだ。私はしばらくびっくりして、その隠れ笑顔から目が離せなかった。
 後日、そのカウンセラーが、他人の不幸に自分のアイデンティティを見出すタイプの相談員だとわかって、その時の笑顔のわけがわかった。(誤解のないように言い添えておくが、もちろん、カウンセラーが全部このタイプだというわけではない。私自身が信頼を寄せている、尊敬できるカウンセラーもたくさんいる。)

 上に述べたカウンセラーは、あまりにもお粗末なので、この際、除外しておこう。昔の相談員や調停委員にはこのタイプの人は多かったようだが、最近はここまで古典的なタイプの人は減少していると思う。

 私の知人の、他人の不幸を好きな人は、情緒の安定している人を好きではない。情緒の安定した人には、「軽い」とか「浅い」という言葉で低い評価を与えたりして、興味を示さない。
 こういう人には、重病の時には、特に会いたくないと思う。回復を願ってくれそうもないからだ。私が不幸であることを歓迎しているので、何か災難に巻き込まれたのを知ると、誰よりも親身になってくれるのだが、はしゃいでいるのが垣間見える。本当は近づかない方がよいタイプの人なのだが、しかし、こちらの不幸を実に上手にかぎつけて、弱っている時に、「心配して」駆け寄って来てくれるので、なかなかうまく避けられない。特に、このタイプの人は、最初は、こちらが参っているときに手を差し伸べてくれるので、思わず頼ってしまい、信頼を寄せてしまう。が、実は危険な人物だ。

 もちろん、このタイプの人には自覚的な悪意はない。自分はとても大事なことをしていると、信じている。が、たとえば、ある人の災難について語りながら、自分がその人にいかに貢献したかをとうとうと報告する様子などを見ていると、この人の関心は、自分自身にあるのだなとわかってくる。自分の優しさ、自己犠牲的行為に、陶酔している。そのことで、自己評価を高めているのがよくわかる。つまり、このタイプの人にとって、他人の不幸は、自己評価を高め、自分のアイデンティティを支える栄養みたいなものだ。
 私は、この、親切でいつも私のことを気にかけてくれる人が、私が窮地に陥ったとき、うれしそうに真相を聞こうとしていることに気づいた。「喜んでる」と、わかった。その瞬間に、この人の心理のからくりに不信感を抱くようになった。
 
 この奇妙な性格の人を見分ける一つの目安に、最近気づいた。一見、クールに見える人の方が、普通だ。誰かの不幸を知ったとき、「何かできることがあれば、言ってね」で終わるような、あっさりした人は、他人の不幸が好物ではない人だ。他人の不幸を好餌にしている人は、他人の不幸にはとびつく。頼まないでも駆け寄って来てくれる。いつも、不幸な人と一緒にいる。東に病気の人あれば、駆けつけて看病し、西に泣いている人があれば「私がついている」と励ます。
 この人は、情緒の安定している人を、「魅力がない」という評価をして、一顧だにしない。それはそうだろう。その人にとって元気の素である「不幸」をかかえていないのだから。
 

ふと、苦笑い

2009-11-07 22:08:37 | 性格
 世の中には、自罰型の人と他罰型の人がいるような気がする。他罰型の人は、自分にいやなことがあると、何でも他人のせいにするので、はた迷惑この上ない人たちだ。
 そういう人こそ幸せでいてくれて、他人を攻撃するのをやめてくれたらいいな、と、思うことがあって、ふと気づく。自分を攻撃する人の幸わせを願っている自分がいる。苦笑いする瞬間。

 「許し」という行為の効用がよく言われる。許しは、癒しだ、と。が、私はいつまでも、その境地に到達できない。
 ずっと、引きずっている。これほど、しつこくハラスメントの被害にこだわり続けるのは、何なのか? 
 一つは、ハラスメントを指摘したことで、反撃が来ること。これは、引きずる。こちらも「何を開き直ってんだ! 謝れよ!」という気分になる。だが、今思えば、ハラスメントをする人は、そもそも反省しない人なのだから、指摘したり、抗議をすれば、「逆切れ」するのは、むしろ当たり前の反応だったのだろう。自らを省みることの出来る人は、ハラスメント行為が続かない。相手の意見、異見に、何らかの自己省察が行われるだろうから、ハラスメントにつながっていかないのだ。ハラスメントをする人は、自己を省みることがないから、指摘されたことで、余計に腹を立てたり、反撃に出る。結局、さらなる攻撃、ハラスメントを受けることになり、こちらもずっと引きずることになる。いわば、傷の上に新たな傷を受けるのだから、深傷になるし、治りも悪い。いつまでも疼くようなことにもなる。

 もう一つは、受けたダメージの結果が、私の場合、病気をして失業する、ということであった。で、今も失業状態が続いているから、ハラスメントの被害は甚大だ。忘れる、とか、許す、とか、そういう境地になれないのは、この境遇から来ている。もし、新たな職を得ることができ、生活や精神の安定が得られれば、そのとき、このハラスメントのダメージを乗り越えることができるのだろう。
 人が、恨み続けるのは、自らの不遇ゆえだろう。幸運にめぐまれたら、ハラスメントによる被害も、試練として総括されるのかもしれない。 「あの苦労があったから、今の自分がある」とは、よく聞く成功者の言い方だ。

 「終わりよければすべて良し」とは、よく言ったものだ。結果が良ければ、すべては良きこととして総括される。

 苦難を乗り越えるためには、今の幸せが不可欠だ。苦難を乗り越えて幸せを掴むのではなく、幸せになれば、苦難は乗り越えられるのだ。
 と言うことは、過去に受けた苦い出来事を反芻するばかりでなく、新しい、楽しそうなことに心を向けて、幸せ気分を味わう機会を増やす方が、被害を乗り越える早道かもしれない。

 案外、平凡な結論になってしまった。またもや、苦笑。
 


ADD診断

2009-07-14 11:45:36 | 性格
 友人が、以前から、私のことをADDではないか、と言っていた。複数の人にそう言われてきた。一番目立つのは、私が「かたづけられない女」であること。私の仕事場の机の上は、目に余るものらしい。立場上、私の机は、他の人と並んでいなくて、奥まった所にどんと大きな机を置いてもらって目立つので、さぞかし、顰蹙ものであったろうと、今思えば恥ずかしい。いっそ、専用の部屋を与えてもらったらよかったのだが、そこまでは偉くない。中途半端な人間だったのだ。

 最も親しい友人のNが、私をネットのADD診断表を使って診断してくれた。20問中、15問が当てはまるとADDだそうだ。私の場合、14問が○で、4問が△だった。1問だけ、全く当てはまらない項目があった。
 いくつか、思い当たることがあった。集中力が持続しない、ということ。これが病的だと、自分でも感じたことが何度もある。どんなに重要な会議でも、対話でも、途中で避けがたく頭の中が他方面へ浮遊し始めることがある。今この場では絶対だめだという場面で、集中力が切れる。肝心の大事な話を聞き逃す。何を言われていたかが、そこで空白になる。何をしているわけでもない、ただ、頭が逃げていくのだ。これは、辛かった。
 責任のあるポジションにいて、ここで責任を果たさなければならない、という時に、それまで集中していた神経が突然眠ってしまうかのようになる。高校のときなど、先生の説教を聞いているときにこれが起こって、非常に辛い思い出があったりする。だいたい先生の話は前置きが長い。最後の方で、結論を言う。前置きの段階ではちゃんと集中して聞いているのに、結論の頃に突然、神経が逃げる。そして、肝心の話を聞き逃す、というような悲劇があった。
 これを克服することができはじめたのは、最近のことだ。自分のその傾向がわかってきたので、(あまりにも避けがたく起こるので、単に私の怠慢ではないと気づいたのだ)、できるだけ集中するように努力している。ある程度、努力は効果がある。それでも、ほんの一瞬、意識がなくなったかのように空白になる。が、取り返しのつく程度の空白で済んでいるように思う。

 もう一つ、これは結構早い間に克服したのだが、階段を最後まで下りられなかった。子どもの頃、家は平屋だったので、階段はあまり経験がなかった。学校や、他人の二階建ての家で、階段を下りていて、しょっちゅう踏み外して落ちていた。それも、もう階段が終わる頃に、踏み外す。上から落ちる、ということはあまりない。幼い頃は、そのままころんで、泣いていたこともある。大きくなると、高い所からでなくてよかった、という程度のアクシデントだった。しかし、それでも落ちることは落ちるのだから、中学校だったか、高校だったか、このままではまずいと思った。そして、なぜ落ちるのか考えた。そして、階段を下りるリズムが、一定続くと、必ず狂ってしまう、ということに気づいた。一定のリズムが続く作業は、必ず、リズムが狂う瞬間が来る。持続できない。その私の「癖」のようなものだけはわかったので、階段が終わる頃に神経を集中させる、ということを必ずするようになった。それで、階段を落ちる、という障害を克服した。今でも、階段は、一定のところから緊張して、精神を集中させる。無意識には下りられない。

 思えば、これまでの自分の生きがたさは、こういうところにあったのかもしれない。障害を負っている人の生きがたさは、障害そのものではなく、障害がもたらす人間関係の困難さ、そのことからくる苦悩など、二次障害とよばれる部分が大きいだろう。

 最近、アスペルガーだと思える人と話をした。明らかに変わっているのだが、でもその人は、とても優れた知能によって、ずいぶん、克服したのだろうと思えた。それでも、変さは残る。変さは残るが、その人の、裏表のなさ、真面目さ、優しさには感動さえ覚える。しかも、非常に優れた記憶力、思考力の持ち主だ。この人は、「忘れる」ということがないのか、と思うほど、知識がため込まれ、無限に出てくる。この人の良いところが、活かされることを願わずにはいられない。

 Nも言う。私が、彼女と話していると、いつの間にか聞いていない、ということがあって、ずっと不思議だった、と。でも、私の分析というか、検証を終えて、やっと納得できた、と言っていた。
 私は、自分がなぜ、一定のリズムを突然失ってしまうのか、なぜ、何もないのにいきなり自転車でバランスを失うのか、なぜ、突然頭の中が空白になるのか、わからなかったが、これが一つの、器質的傾向だと思うと、納得がいく。
 ADDは障害の一つのタイプとして名付けられた。私は、このような発達障害の類型は、細分化して、これからもどんどん、生まれてくると思う。早い話が、細分化した究極は、すべての人の「発達障害」化だ。が、世の中はそうはならないだろう。たまたま、器質的に、この社会が求めるものを具備している人は、健常者の位置を占有するだろう。
 器質的に傾向があるのは、その通りだと思う。その傾向の強い人が「障害」として、ラベリングされるのだろう。この類型を増やすことがよいのかどうか、私にはわからない。

 恰も、インターセックスのタイプを次から次に名付けてきたように、特殊化していくやり方が、あたっているのだろうか。おそらく、男と女とインターセックスの境界など永遠に見いだせないように(全部、地続きなのだから)、発達障害を特化していく作業も空しい気がする。「健常」と「障害」の線引きなど不可能なのだから。