時々、娘と話をしていて、こんなにも理解されていないのかと驚く事が多い。ということは、私も、母を理解していない可能性が高い、ということだろう。
昨夜、娘と話したとき、娘は、仕事があればどこへでも行く、と言った。つまり、今私の住まいの近くに住んでいるが、そこを離れて遠くへ行く気持ちがある、という意味だ。そう言ったとき、私は、当然そうだろう、と思った。現役世代でない私でもそう思っているからだ。が、娘は、「仕事があれば、どこでも行くよ」と言った後、「ごめんね」と付け加えた。それに驚いた。娘は何を謝ったのか。傍を離れる意思がある、と言明したことが、私を悲しませるとでも思ったのだろうか。
私が、若くてエネルギーのある間に、できることは何でもやって、行きたい所にはどこでも行った方がよい、といつも言っているにもかかわらず? 娘の中には、私の実像よりも、常に「母親」「女性」というもののステレオタイプがあるのかもしれない、と思うと、やはりちょっとがっかりする。
まぁ、娘が母親を自分の願望を入れ込んで見ている可能性はあるし、自己イメージを裏切っているパフォーマンスを、こちらがやっている可能性もあるけれども。母親らしくしなければ、とどこかで思っている私がいるのも確かで、その意識があるために、どこかで常識的であろうとする私がいるのは確か。こう生きてしまったので、来世でもなければ、ありたい私にはなれない。
女でありたくなかった、とか、結婚したり子どもを生んだり、そんなことはしたくなかった、とか、、、そんなことを思っていてもね、、、。でも、案外、そういう女性は多いと思う。「もし、生まれ変わるなら男性と女性とどちらがいい?」という質問に対して、「生まれ変わるなら男性」と答える女性が、1960年代なら90%を超えていた。その後、だんだん「生まれ変わっても女性がいい」という回答が増えていくから、女性でも居心地が良いという環境が整いつつある、ということだろうけれども。
私はやはり、女でありたくない、と今も思う。が、今では、男でなくて、命拾いした、という思いもある。男の世界は過酷そうだ。そこでサバイブするのは、なかなか厳しそうだ。男の寿命が短いのは、男の方が女性に比べて苦労しているせいだとか、よく言われるけれど、私はそれは男社会の問題だろうと思っている。女性は守られる側で、男性が守る側だから厳しい生き方を要請されているのではなく、男達は互いに競い合い、息が抜けない環境に身を置いているからだ。男性同士のやり取りを見ていて、唖然とすることがある。女性の私が問いかけたことに対して、とても優しい返答をしていたにこやかな男性が、同じ問いかけを男性からされた時、イライラした様子でにべもなくはねつけているのを見て、男達は互いに受容し合わないものらしいと感じた。利害がからむと態度は変わるのだろうが、利害が関わらない相手には、基本的に友好的ではないような気がする。(無論、例外はたくさんあるとしても、だ。)サバイブするには、それなりの苦労がありそうだ。
一方、多くの女性は、どういう相手にも互いに友好的で互助的だ。これは、オンナ社会での生きやすさをつくる。サバイブしやすい環境だ。
事あらば一戦交えんと肩をいからせて歩いている人たちと、機会さえあれば友好関係を築こうとキャンディをバッグに入れて歩いている人たちとの、ストレスの違いは大きいだろう。
それでも、私はなんとなく、キャンディを持ち歩く人ではないような自己イメージがある。が、肩をいからせて歩く人にはなれないとも思う。それは怖い。ジェンダーのステレオタイプから限りなく遠ざかりたい感じだ。
突き詰めれば、そんな気分の人の方が多いようには思うけれども。
しかし、ジェンダーステレオタイプをなぞろうとする人が多いのは、それが安全で安直だからだろう。思考が単純になって、そこにエネルギーをとられないで済む。
娘相手に、それほど込み入った話をしないので、娘もステレオティピカルな話題に終始する。母娘というのはそんなものなのか、、、。
昨夜、娘と話したとき、娘は、仕事があればどこへでも行く、と言った。つまり、今私の住まいの近くに住んでいるが、そこを離れて遠くへ行く気持ちがある、という意味だ。そう言ったとき、私は、当然そうだろう、と思った。現役世代でない私でもそう思っているからだ。が、娘は、「仕事があれば、どこでも行くよ」と言った後、「ごめんね」と付け加えた。それに驚いた。娘は何を謝ったのか。傍を離れる意思がある、と言明したことが、私を悲しませるとでも思ったのだろうか。
私が、若くてエネルギーのある間に、できることは何でもやって、行きたい所にはどこでも行った方がよい、といつも言っているにもかかわらず? 娘の中には、私の実像よりも、常に「母親」「女性」というもののステレオタイプがあるのかもしれない、と思うと、やはりちょっとがっかりする。
まぁ、娘が母親を自分の願望を入れ込んで見ている可能性はあるし、自己イメージを裏切っているパフォーマンスを、こちらがやっている可能性もあるけれども。母親らしくしなければ、とどこかで思っている私がいるのも確かで、その意識があるために、どこかで常識的であろうとする私がいるのは確か。こう生きてしまったので、来世でもなければ、ありたい私にはなれない。
女でありたくなかった、とか、結婚したり子どもを生んだり、そんなことはしたくなかった、とか、、、そんなことを思っていてもね、、、。でも、案外、そういう女性は多いと思う。「もし、生まれ変わるなら男性と女性とどちらがいい?」という質問に対して、「生まれ変わるなら男性」と答える女性が、1960年代なら90%を超えていた。その後、だんだん「生まれ変わっても女性がいい」という回答が増えていくから、女性でも居心地が良いという環境が整いつつある、ということだろうけれども。
私はやはり、女でありたくない、と今も思う。が、今では、男でなくて、命拾いした、という思いもある。男の世界は過酷そうだ。そこでサバイブするのは、なかなか厳しそうだ。男の寿命が短いのは、男の方が女性に比べて苦労しているせいだとか、よく言われるけれど、私はそれは男社会の問題だろうと思っている。女性は守られる側で、男性が守る側だから厳しい生き方を要請されているのではなく、男達は互いに競い合い、息が抜けない環境に身を置いているからだ。男性同士のやり取りを見ていて、唖然とすることがある。女性の私が問いかけたことに対して、とても優しい返答をしていたにこやかな男性が、同じ問いかけを男性からされた時、イライラした様子でにべもなくはねつけているのを見て、男達は互いに受容し合わないものらしいと感じた。利害がからむと態度は変わるのだろうが、利害が関わらない相手には、基本的に友好的ではないような気がする。(無論、例外はたくさんあるとしても、だ。)サバイブするには、それなりの苦労がありそうだ。
一方、多くの女性は、どういう相手にも互いに友好的で互助的だ。これは、オンナ社会での生きやすさをつくる。サバイブしやすい環境だ。
事あらば一戦交えんと肩をいからせて歩いている人たちと、機会さえあれば友好関係を築こうとキャンディをバッグに入れて歩いている人たちとの、ストレスの違いは大きいだろう。
それでも、私はなんとなく、キャンディを持ち歩く人ではないような自己イメージがある。が、肩をいからせて歩く人にはなれないとも思う。それは怖い。ジェンダーのステレオタイプから限りなく遠ざかりたい感じだ。
突き詰めれば、そんな気分の人の方が多いようには思うけれども。
しかし、ジェンダーステレオタイプをなぞろうとする人が多いのは、それが安全で安直だからだろう。思考が単純になって、そこにエネルギーをとられないで済む。
娘相手に、それほど込み入った話をしないので、娘もステレオティピカルな話題に終始する。母娘というのはそんなものなのか、、、。