凡々たる、煩々たる・・・

タイトル、変えました。凡庸な人間の煩悩を綴っただけのブログだと、ふと気付いたので、、、。

娘の母イメージ(2)

2013-05-08 10:56:37 | 
 時々、娘と話をしていて、こんなにも理解されていないのかと驚く事が多い。ということは、私も、母を理解していない可能性が高い、ということだろう。

 昨夜、娘と話したとき、娘は、仕事があればどこへでも行く、と言った。つまり、今私の住まいの近くに住んでいるが、そこを離れて遠くへ行く気持ちがある、という意味だ。そう言ったとき、私は、当然そうだろう、と思った。現役世代でない私でもそう思っているからだ。が、娘は、「仕事があれば、どこでも行くよ」と言った後、「ごめんね」と付け加えた。それに驚いた。娘は何を謝ったのか。傍を離れる意思がある、と言明したことが、私を悲しませるとでも思ったのだろうか。
 私が、若くてエネルギーのある間に、できることは何でもやって、行きたい所にはどこでも行った方がよい、といつも言っているにもかかわらず? 娘の中には、私の実像よりも、常に「母親」「女性」というもののステレオタイプがあるのかもしれない、と思うと、やはりちょっとがっかりする。

 まぁ、娘が母親を自分の願望を入れ込んで見ている可能性はあるし、自己イメージを裏切っているパフォーマンスを、こちらがやっている可能性もあるけれども。母親らしくしなければ、とどこかで思っている私がいるのも確かで、その意識があるために、どこかで常識的であろうとする私がいるのは確か。こう生きてしまったので、来世でもなければ、ありたい私にはなれない。

 女でありたくなかった、とか、結婚したり子どもを生んだり、そんなことはしたくなかった、とか、、、そんなことを思っていてもね、、、。でも、案外、そういう女性は多いと思う。「もし、生まれ変わるなら男性と女性とどちらがいい?」という質問に対して、「生まれ変わるなら男性」と答える女性が、1960年代なら90%を超えていた。その後、だんだん「生まれ変わっても女性がいい」という回答が増えていくから、女性でも居心地が良いという環境が整いつつある、ということだろうけれども。
 私はやはり、女でありたくない、と今も思う。が、今では、男でなくて、命拾いした、という思いもある。男の世界は過酷そうだ。そこでサバイブするのは、なかなか厳しそうだ。男の寿命が短いのは、男の方が女性に比べて苦労しているせいだとか、よく言われるけれど、私はそれは男社会の問題だろうと思っている。女性は守られる側で、男性が守る側だから厳しい生き方を要請されているのではなく、男達は互いに競い合い、息が抜けない環境に身を置いているからだ。男性同士のやり取りを見ていて、唖然とすることがある。女性の私が問いかけたことに対して、とても優しい返答をしていたにこやかな男性が、同じ問いかけを男性からされた時、イライラした様子でにべもなくはねつけているのを見て、男達は互いに受容し合わないものらしいと感じた。利害がからむと態度は変わるのだろうが、利害が関わらない相手には、基本的に友好的ではないような気がする。(無論、例外はたくさんあるとしても、だ。)サバイブするには、それなりの苦労がありそうだ。
 一方、多くの女性は、どういう相手にも互いに友好的で互助的だ。これは、オンナ社会での生きやすさをつくる。サバイブしやすい環境だ。

 事あらば一戦交えんと肩をいからせて歩いている人たちと、機会さえあれば友好関係を築こうとキャンディをバッグに入れて歩いている人たちとの、ストレスの違いは大きいだろう。

 それでも、私はなんとなく、キャンディを持ち歩く人ではないような自己イメージがある。が、肩をいからせて歩く人にはなれないとも思う。それは怖い。ジェンダーのステレオタイプから限りなく遠ざかりたい感じだ。
 突き詰めれば、そんな気分の人の方が多いようには思うけれども。

 しかし、ジェンダーステレオタイプをなぞろうとする人が多いのは、それが安全で安直だからだろう。思考が単純になって、そこにエネルギーをとられないで済む。

 娘相手に、それほど込み入った話をしないので、娘もステレオティピカルな話題に終始する。母娘というのはそんなものなのか、、、。
 
 

娘の母イメージ

2013-01-20 10:24:54 | 
 母娘関係というと、年配の女性であって成長した娘がいる人でも、多くが自分の娘との関係ではなく、自分と母親との関係について語るそうだ。

 かく言う私も例外ではない。娘との関係にはもちろん悩むことはあるが、今の自分を育成したのは母との関係においてであると思うので、自分についてあれこれ考えるのに、娘との関係については分析しようとしない傾向がある。

 しかし、私の娘にとって、母娘問題といえば、まさにこの私との関係のことなのである。

 私は、抑圧的な母親なのだろうかと自問することはずっとあった。そもそも「親」というだけで権力である。その権力が、実際にものを言い、指示を出し、時には格闘(精神上)をするのだから、娘側にはたまったものではない存在だろう。

 そもそも娘は私にとっては二番目の子どもなので、私という母親は「子ども」という不可思議な存在に少し慣れてから遭遇している。だから、息子の時とは違い、生まれた時の迎え方は、季節やその時の生活環境とも相俟って、全く異なる。息子の時は、私は幼い人間に不慣れでその行動の理不尽さにこちらがおかしくなりそうだったが、幸い両親と同居していたので、私自身は恐ろしく精神的に参っていたが、息子にとっては良かったろうと思う。多くの大人の目が子どもを見守るので、未熟な母親と密室に置かれなかった、という点ではほんとうに助かった。

 娘の時は、既に子どもにだいぶん慣れていたので、息子の時のように理不尽とも不可解とも思わなかった。「かわいがる」ということが当たり前のように出来ていたし、実際いとおしい存在だった。美人ではないかもしれないが、子どもらしいかわいらしさにあふれていて、なんともチャーミングな存在だった。その面影は今もある。ちょっと幼さの残るチャーミングなところのある娘だと私の目には見えている。ま、わがままなところもあって、それは私に向かって出やすいのかもしれないかな、と思うこともあるが。

 が、娘には私はどのように見えているのか。子どもは、子どもの目線で見えるところしか見ていない。
 娘がまだ子どもの頃、驚いたことがある。
 オイルショックで、トイレットペーパーがなくなる、という奇妙なパニック現象が世の中に起きたことがある。娘の年齢からいくと、第二次オイルショックの時だろうと思うのだが、第二次の時にも、田舎ではトイレットペーパーがなくなる、という噂が飛び交っていたのかもしれない。
 私は第一次も第二次も、トイレットペーパー騒ぎには動じなかった。トイレットペーパー如きで何をそんなに狂奔するのかと不思議だった。食糧が不足するなら深刻だが、トイレットペーパーくらい、何とかなるではないかと、二十歳代の私は泰然としていた。
 それにも関わらず、娘の数年後の記憶では、家の戸棚を開くとトイレットペーパーが落ちてくるほどに詰め込まれていた、というものなのだ。これには驚いた。そんな事実はない。私の推測では、当時、人なつっこくいろいろな家に遊びに行っていた子どもだったので、たぶんそのうちのどこかの家がそうだったのだろうということだ。が、娘の小学校時代の「私」像は、典型的な主婦像に合致するのだ。彼女が思い出に語る私は、「それ、誰?」と尋ねたくなるほどに、私の事実にはないことが織り込まれている。

 一つには娘の特性もあるかもしれない。早い時期から漫画にはまり、思いもかけない難解な言葉や社会的事象に通暁していたりするから、その世界で獲得した情報と現実との融合が起こっていたのかもしれない、ということがある。
 子どもの事実認識は時折、物語や想像の世界と混然一体となっていることがあるから、(私の場合もそうだったらしく、よく親に「そのような事実はない」と否定されて、きょとんとした覚えがある)、リアルと想定の世界との峻別は意識的に行われなければ、結構混淆するものなのかもしれない。だから、年をとって、この世に用事が減ってくると、またもやリアルと想像や夢の世界との峻別が行われなくなるのだろう。

 リアルの世界と四つに組んで日々の用事をこなし続けていくのは現役世代の特性なのだが、この現役世代の特性だけで人間を測ってはいけない。現役世代はリアルな社会を担う頼もしい人たちなのだが、それ以外の人々の特徴を軽視すると、「人」というものを見誤るような気がする。現役世代の厳密な現実認識は、必要に応じて身につけた能力であって、夢と現の境目など、実はなだらかなぼやけたものなのだろう。

 まぁ、だから思うのだが、娘は娘の文脈、記憶、感性、興味、理解力等々で世の中を見、その中の風景の一つとして私を見る。たぶん、私から見れば誤解だが、単に彼女の世界観で私を測っているのだろう。
 私が私の母を「誤解」もしくは「解釈」しているように、彼女も私を「誤解」もしくは「解釈」している、ということなのだろう。