凡々たる、煩々たる・・・

タイトル、変えました。凡庸な人間の煩悩を綴っただけのブログだと、ふと気付いたので、、、。

親からのハラスメント

2010-05-29 21:40:03 | ハラスメント
 私は、あまり丈夫な子どもではなかった。いつも体調が悪かった。中学生になる頃には、ほとんど、鬱の症状を呈していた。
 今、思えば、それは当たり前だったかもしれない。私は、ほとんど毎日、朝から晩まで(正確には学校に行っている間は、違ったが)、親から叱られ続けていた。大人が、職場で朝から晩まで、上司から叱られてばかりいれば、当然、体調を崩し、鬱にもなるだろう。子どもだって、当然、朝から晩まで、叱られ続けていれば、不調をきたしてもおかしくはない。私の親は、注文した品が、思っていたのと違っていた、というような調子で、私に文句を言い続けた。私は、注文した品とは違っていたが、もはや返品はきかない、とても気に入らない品であったのだ。だから、ずっと、苦情を言われ続けた。
 一挙手一投足が、親の気に入らなかった。幼い子どもは、当然のことながら、何かと不器用だ。世間を知らないから、うまく世の中を渡れない。しかし、それらは、私の不具合であり、欠陥であり、私の親には許せないことだったようだ。
 ある程度の年齢になると、私は、理不尽な叱られ方に対して、抗議をする子どもになった。それはまた、親から見ると、注文通りの品でもないくせに、さらに逆切れするという、とんでもない不良品の子どもであったようだ。親は、私のような子どもを押し付けられた不運を嘆き、私を何とか矯正しようと躍起になり、私への不満を、息を吐くように言い続け、叱り続け、ストレス解消の方法として、私に説教し続けた。

 私は、鬱になり、表情が暗く、どんどん、心が病んでいった。しかし、私の親は、その私の暗さを、また、責め続けた。私は、もう、死ぬ以外に道はないような気がしていた。

 11歳の時に、初めて、死にたい、もう生きていたくない、という激しい自己憎悪の感情に駆られた。自分などは、ウジ虫のように殺されてしかるべきだ、誰かどうか、私を殺してほしいと、号泣した。生きる値打ちなど微塵もない、ウジ虫のような私。それが、私の自己意識だった。忘れもしない、11歳の時だ。

 生き延びたが、あの時、うまく自死していてもよかったのに、と思う。

 今も健在の母に、あの頃と同じような酷薄さを感じる時、あぁ、結局同じだった、と思う。何十年も生きたが、結局、私は不良品のままであるらしく、親と良い関係にはなれなかった。ただ、今はもう、母は、あの頃のようには、決して私を責めることはない。そろそろとしか歩けなくなった母をかばいながら歩く私を、母は、もう責めたりいじめたりはしない。と言うか、できない。頼らねばならないのだから。しかし、私の息子や娘が、頼りになると思える昨今、もう、私を選ばなくても済む、と思える昨今、私が彼らと結ぶ以上の絆を、彼らと結ぼうとする。

 私が大腸がんで入院したとき、私の娘に、「お母さんには悪いけど、また、ごちそうを食べに行こうね」と言った母だ。私の病気のことより、私に頼れなければ私の娘に頼ろうとする母だ。その話を聞いても、驚きはしない。そういう人だ。

 ただ、そういう親と一緒に暮さねばならない子どもは、救われない。からだを痛め、心を痛め、体調不良になり、人生を損なう。

 私は、親と完全に縁を切って暮らしていた頃、実は、人生で絶好調の体調であった。笑顔が出る、からだが軽い、どこもしんどくない、というような日々が、ほんのわずかの期間続いた。
 ひょっとして、人々は、このような軽い、どこも辛いところのない体で、日々を生きているのか、と思って、親しい友人に尋ねた。「そうよ」と、友人は答えた。私は、常時、どこかがだるかったり、痛かったり、重かったりしていた。絶えず、どこかに不調を抱えていた。人生のある時期、目がぱっと開かれた。友人に、「今日は目が大きい」と言われた。確かに、外界がいつもより明るかった。ぱあっと、目の前が開けていた。からだは軽く、どこも痛くも辛くもだるくもなく、飛び跳ねたいほど、元気な私がいた。これは、何だろう? と思った。もし、人々が、このような快適なからだで日々を生きているとしたら、私の今までの人生は何だったのだろう、と思った。私の丈夫で明るい時期は、短かったが、しばらく続いた。幸せだと思った。それは、何か良いことがあった、というようなことではなく、生命が味わうような幸福感だった。

 子どもの成育環境は、重要だろう。子どもとは、生きているだけで、幸福感に包まれているものだろうと思う。日々が生命エネルギーの躍動なのだ。それが、叱られたりすることで、暗雲がたれこめる。子どもは、一瞬、悲しみを覚え、泣くこともあろう。が、それはまた、次の瞬間には、からりと晴れて、本来の生きる喜びに浸されるものなのではないか。
 私にも、そのような幼い日々があったと思う。赤ん坊の、無邪気さが許される年ころまでは。
 しかし、それ以降、私の人生には暗雲が垂れこめていた。ずっと、叱られ、否定され、責められ、逃げ道なく、ただただ、泣き続ける日だった。
 子どもも鬱になる。体調不良になる。それは、当たり前の現象だ。放置してはならないと思うが、あまり気づかれてはいないと思う。






魂の叫び

2010-05-27 11:35:33 | 人間関係
いろんな人の魂の叫びがあって、いろんな人が聞いてくれ、と言う。
その魂の叫びたちは、それぞれがぶつかり合っていて、こちらの魂の叫びを聞いていると、もう一方の魂の叫びが、「わたしの叫び」は聞いてくれないの? と迫って来る。
どの叫びも必死で、どの人の叫びにも理由があって、いずれもその人の内面世界では筋が通っている。
いろいろな人の叫びを聞いた者は、誰の内面世界の物語に共感するか、ということを選ばなければならない。
客観的な真実などない、のだ。
でも、選べない。それぞれのストーリーがあるだけだから。
私には選べない。自己検証しない人たちの叫びなど、もう、聞きたくない。

結局、強い魂の叫びが勝利して、弱い魂の叫びは、黙殺される。

そして、この私の魂の叫びは、私自身が封殺する。