凡々たる、煩々たる・・・

タイトル、変えました。凡庸な人間の煩悩を綴っただけのブログだと、ふと気付いたので、、、。

「被害者」「弱者」という切り札

2016-03-06 10:13:06 | 組織・集団
 以前、トップ管理職であったとき、職階から言えば、部下にあたる人にいじめられ尽くしたことがある。
私は新参者で、古参の中間管理職にとって、自分たちの言うことをきかない目障りな人間だったのだろう。
私の前任者は、行政からの派遣職員で、中間管理職を専門家としてうまく持ち上げていたようだ。
が、ヘッドハンティングされてその職に就いた私は、その分野では、それら中間管理職以上にキャリアがある。
だから、前任者のように、それらの人たちを見え透いたセリフで持ち上げたりはしなかった。
私には私の方針が明確にあった。
そして、それが、気に障ったのか、危機感を生んだのか、実にひどいいやがらせを受けた。

中間管理職の忠実な部下(力関係は、部下なのかどうかはわからない)は、私を責め上げ、
最後に「弱者」の態度を取る。

そうなのだ、私は管理職だから、絶大な「権力者」だ。(ということになっている)。
全てを私の責任に帰し、私が反論すると、「こわい」「気分が悪い」と弱弱しげになる。
今、良識のある管理職は、パワハラなどとそしられないために、極端に気を遣う。
あることになっている「権力」に縛られ、言うことも言えず、私は実にダメな管理職であった。
挙句に、大病をして退職しているのだが、
この経験で、職場のダイナミズムについて、ずっと考え続けることになった。

その後また、別の組織で、「被害者」を切り札にする人の感情の渦に巻き込まれたことがある。
それはNPO法人だったのだが、
事務局長が理事長にパワハラされた、ということになった。
嘘ではなく、ほんとうに理事長は、相手の立場を考慮する配慮に欠けた人だったかもしれない。
だから、私を含め、理事はそのことを解決しないといけないと思い定めていた。
理事長の問題にも気づいていた。
が、事態は、私たちの想定よりも早く進み、
パワハラ被害者の事務局長は、「傷つき」、理事長に反撃し、
私たち理事の名前を見るだけで「からだが震える」状態になり、
自ら辞めていった。

理事は茫然とした。
本人から「パワハラ」の訴えがきていない状態で、
どう対処するのか、理事長を抜いて、話し合った。
訴えがきていたらすぐに動けるのだが、
まだ私的に理事個人が愚痴をきいている段階で、理事会が動く理由が成立しない。
私的な会話はあくまで私的な会話であって、お酒を飲みながらの愚痴のレベルである。
事務局長の愚痴をたくさん聞いた私も、理事会として動く大義名分が要ると思っていた。
動き出すきっかけを探しているときに、
事務局長が、他の団体の会議の場で、「理事長のパワハラ」ということを言ったと知り、
それが正式な場での発言だと確認したうえで、
ニュースソースも確認して、それをきっかけとして動き出すことにした。
が、それに対して、事務局長は、
「他の団体で言われて、体面を保つために、理事会が動き出した」ということを言いだした。
この曲解に、理事たちは唖然としたが、
そう曲解したとたん、事務局長にとって、
理事会は自分の味方ではない、というように見え始めたのかもしれない。
一つの解釈が、その後のストーリーを決めてゆく。

そして、事務局長は退会し、
「被害者」として、さまざまな場で、発言をし始めた。
被害者意識が募り、ネガティブな感情を蓄積させた人には勝てない。

確かに理事長が職階上、事務局長の上司になる。
が、そうした運営体制をつくったのも、その理事長や理事に就任要請をしたのも全部、当の事務局長である。
実質は、事務局長の方がパワーを持っている。
そして、他の運営委員に対しては、文字通り、「パワハラ」的なきつい語調で対応していて、
みな、ピリピリしていた。
だから、事務局長が「辞める」と言ったとき、
ついていく人はわずかだった。
それにも事務局長は傷ついたようなのだが、
徹頭徹尾、自分が「被害者」でい続けるその人にとって、
世の中の風景は、「正しい」自分と、「正しくない」他人とで出来上がり、
自分の味方になってくれる他人だけが「正しい」のだろうか。
その「正しい」他人とも、ちょくちょく仲間割れしてきているのだけれど。

こうして、「弱者」「被害者」を装う人に出会うと、
額面では、確かにこちらが「権力者」であるので、
もう、勝ち目はない。

ほんとうに、「弱者」「被害者」としか言いようのない人たちもいるだろうに、
この、「権力」『パワー」を逆行使する人を何と言おうか。

無念過ぎて、情けなくて、
自分を襲った理不尽としか思えない過去の出来事の謎解きに、残りの人生を賭けたいくらいなのだ。