毎日、少しずつ毒を盛られていたら、こんなふうに少しずつ衰弱するのだろうか、と思えるような全身的な疲労感が尋常ではない。病院で検査を受けても、何も見つからない。が、どんどん衰弱する。友人にも、「とても弱っている、という感じだ」と言われた。その通り、まさに弱っている、という実感だ。
で、思うに、これはやはり精神的な問題ではないかと。もちろん、6年ほど前、心療内科を受診して、精神的なものからきていると思いこんでいたら、大腸癌だったということがわかり、手術をして治ったというようなこともあるから、油断はできない。と言うより、精神的な弱りが、身体的な問題を生み出すのだろうと思う。
私の今の弱りは、過去の亡霊に脅かされるせいだろうと思っている。ほんとうに辛い、いやな出来事の連続だった。だからこそ、大きな病気を引き起こしたのだが、身体の病が癒えて、今度は精神的に蝕まれている実感がある。
私へのいやがらせ、故ない攻撃、八つ当たり、そのようなものにどっと見舞われた数年。そして、それをおこなった人たちは、全く自覚がない。なぜなら、彼女たちは、ただただ生き残るために必死だったり、ただただ自分が正しいと信じておこなっただけだからだ。だから、加害者意識はない。また、こういうタイプの人は、決して自分を省みない、という特徴がある。常に、自己肯定で生き抜く。この男社会で、自分は被害者であった、という一貫した信念で生き抜いてきているから、そこから一歩も出ない。自分に不都合な人は全員、批判、攻撃してかまわない相手になるのだ。だから、この人達が気づく事への期待は一切ない。決して、自分のしたことを振り返らない人たちに、何の希望も持っていない。
だから、苦しい。絶望が私を苛む。誰も優しくない。誰も、私を理解しない、という孤独感、絶望感、無念に苦しむのだ。
私が私のことばで自己弁明できる力があればやりたいのだけれども、その前に、体力が失われている。衰弱している。
こういう経験をして、あらためて思いを馳せるのは、自己弁明できず、斃れていった人たち。埋もれていった人たち。生き延びて、自己主張を貫いて、勝利をかちっとった人たちは、やはり強者だ。
親に侮られ、貶められ、攻撃を受けた子ども時代があって、(私が育ったのは、多くの親が子どもを理解せず、子どもに手厳しかった時代だが、それぞれの親の個性、組み合わせによって、死ぬか生きるかの闘いに至る親子もある。不幸な組み合わせ、タイミングだ)、そのせいで、今うまくいっていないと思うことが、さらに絶望感を強める。子ども時代はもう取り戻せないから。
現状の既存の条件に、少ないストレスで適応できる人が、最も良く生きられるのだろう。厳しい時代に厳しい条件下で育ってしまった者が、自分の望む心地よさを得られない不遇感に参っている、というのが私の現状なのかもしれない。
で、思うに、これはやはり精神的な問題ではないかと。もちろん、6年ほど前、心療内科を受診して、精神的なものからきていると思いこんでいたら、大腸癌だったということがわかり、手術をして治ったというようなこともあるから、油断はできない。と言うより、精神的な弱りが、身体的な問題を生み出すのだろうと思う。
私の今の弱りは、過去の亡霊に脅かされるせいだろうと思っている。ほんとうに辛い、いやな出来事の連続だった。だからこそ、大きな病気を引き起こしたのだが、身体の病が癒えて、今度は精神的に蝕まれている実感がある。
私へのいやがらせ、故ない攻撃、八つ当たり、そのようなものにどっと見舞われた数年。そして、それをおこなった人たちは、全く自覚がない。なぜなら、彼女たちは、ただただ生き残るために必死だったり、ただただ自分が正しいと信じておこなっただけだからだ。だから、加害者意識はない。また、こういうタイプの人は、決して自分を省みない、という特徴がある。常に、自己肯定で生き抜く。この男社会で、自分は被害者であった、という一貫した信念で生き抜いてきているから、そこから一歩も出ない。自分に不都合な人は全員、批判、攻撃してかまわない相手になるのだ。だから、この人達が気づく事への期待は一切ない。決して、自分のしたことを振り返らない人たちに、何の希望も持っていない。
だから、苦しい。絶望が私を苛む。誰も優しくない。誰も、私を理解しない、という孤独感、絶望感、無念に苦しむのだ。
私が私のことばで自己弁明できる力があればやりたいのだけれども、その前に、体力が失われている。衰弱している。
こういう経験をして、あらためて思いを馳せるのは、自己弁明できず、斃れていった人たち。埋もれていった人たち。生き延びて、自己主張を貫いて、勝利をかちっとった人たちは、やはり強者だ。
親に侮られ、貶められ、攻撃を受けた子ども時代があって、(私が育ったのは、多くの親が子どもを理解せず、子どもに手厳しかった時代だが、それぞれの親の個性、組み合わせによって、死ぬか生きるかの闘いに至る親子もある。不幸な組み合わせ、タイミングだ)、そのせいで、今うまくいっていないと思うことが、さらに絶望感を強める。子ども時代はもう取り戻せないから。
現状の既存の条件に、少ないストレスで適応できる人が、最も良く生きられるのだろう。厳しい時代に厳しい条件下で育ってしまった者が、自分の望む心地よさを得られない不遇感に参っている、というのが私の現状なのかもしれない。