凡々たる、煩々たる・・・

タイトル、変えました。凡庸な人間の煩悩を綴っただけのブログだと、ふと気付いたので、、、。

母を見送る

2015-07-23 19:16:50 | 
 母を見送った。信じられないけど、もう、母はこの世にいない。

 亡くなる少し前、寝たきりになってしまった母は、どんどんかわいくなっていた。思い出したのだ。
 私はこの人が、とてもとても好きだ、ということを思い出した。私の女性への気持ちの原点は、この人だった。女性性を余すところなく身につけて、仕草もものの考え方も表情も、何もかもが「女性」だった。ちょっと幼い、かわいらしい、思わず守りたくなるような、そのような女性性に満ちていた。この人に、男のような部分を感じたことがない。恬として恥じずに、この人は「女」なのだった。

 迷いなく「女」として存在する人は、ジェンダー文化の中で、魅力を発揮する人なのだろうか。私もまた、このジェンダー文化の中で、ジェンダー表象に魅力を感じるように社会化されてきたのだろうか。

 亡くなる数日前に、まだ母が死ぬとは思ってもいなかった時に、私の家の近くまで友人たちが来てくれて、一緒に夕食をとった。友人たちに、私はこう言った。
 「まるで、恋をしているみたい」なのだと。母のかわいらしさに、愛しいという気持ちがふくらんでいて、自分でも困っていた。
 小さくて、幼い感じがして、女のつつしみというようなものもまだ残していて、なんとも魅力的だった。

 ああ、この人を好きだった、と思い出した。
 大きくなって、男になれたら、このような女の人と結婚したいと思っていた子どもの私。自分が「女」であることが、とても残念だった。
 「女」であることは、無念なことだった。

 「男」になりたい女性は、往々にして、男の仕草を身につけていたり、中性的な風貌であったり、という人をよく見かける。が、私は、「女らしい」のだ。
 高校を卒業して私服に身を包み始めると、私は、男の人に関心を持たれやすい女の子になった。母は、こう言った。
 「あんたも私も、女らしいタイプやから、男の人に好まれる」と。
 母が男の人に好まれるのは知っていた。が、私も、母と同じだと母は言った。私には、それは喜ばしいコメントだった。なぜなら、母に似ていたかったから。

 しかし、母とは似ていなかった。似ていないし、だんだん、母とは異なる道を歩み始め、遠くなった。すっかり遠くなっていた。母のように、自分の身の周りのことだけに関心を抱いて生きる女性は魅力がないと思っていた。もっと、社会に開かれた自分でいたい。
「かわいいおばあちゃんになりたい」と、言い続けた母は、ほんとうにかわいいおばあちゃんになった。
 しかし、私はかわいいおばあちゃんになりたいとは思っていない。最後まで、理性を保ちたい、知的な活動がそれほど衰えない状態でいたい、と思うばかりだ。しかも、それを、自分の子どもには言わない。

 母のかわいらしさ、愛らしさは、完全に私を頼りにする依存的な態度からも来るのだろう。頼られると、がんばってしまう私の心性がある。
 私は、守りたいと思うたちだ。守ってもらいたいという気持ちがとても希薄だ。

 私の人生は、「無念」で始まったのかもしれない。「女」である無念さ。しかも、女らしい外見としぐさと物言いがある。女性ばかりが集まっても、他の誰よりも「女らしい」と受け止められるようだ。しかし、その私が、「女」アイデンティティが薄い。「女」でいることは、落ち着かない。頗る残念な事態だ。

 私にとって、「女性」はずっと他者だった。「女性」は、私にはとてもミステリアスな存在だ。もっと近づいてわかりたい、と思っても、近づけず、つかまえておけない、そういう存在だ。ジェンダーに彩られたこの社会で、私はそういう「女性」観がある。だから、断じて自分ではない。
 男性に好まれたり誘われたりすると、苛立つ私がいる。相手が私を「女」と見ていることがわかるので、不快になる。年を取ると、無視されることが多くなった。それも不快だ。男には、見られても無視されても不快になる。

 それは、男の人のせいではない。「女」を表現してしまっているにもかかわらず、「女」アイデンティティが持てない私自身への苛立ちだ。
 無念だ。私の人生は無念に始まり、無念に終わるのかもしれない。