凡々たる、煩々たる・・・

タイトル、変えました。凡庸な人間の煩悩を綴っただけのブログだと、ふと気付いたので、、、。

ついでに、、、

2011-07-20 09:11:43 | 自分
 セクシュアルネタついでに、ちょっと浮き加減の話を。

 私も、若い頃には、恋心というものを抱いたことが、もちろんある。この恋愛感情というものの解明はなかなか難しそうだ。若い頃に読んだイタリアの研究者の話だったかに、革命と恋愛の話があって、革命に身を捧げていると恋愛はあまりしなくて、それがないと、恋愛が増えるとかなんとか、、、、。もうずいぶん昔に読んだので、正確ではないと思うが、私なりに「なるほど」と思った。恋愛とは、心の空いている部分に起こるものなのか、と。
確かに、何かで必死の時に、そういう感情は起こらないような気がする。ふと心のゆるんだ時、何か満たされないとき、不覚にも陥るもののような気がする。
 尤も、最近は、アセクシャル、というありようも認知されていて、誰にも恋愛や性的欲望を感じない人も結構いるのだということが認識されている。また、人は年をとると、アセクシャルになる傾向があるようだ。
 私は、恋愛というものは、成就への希望が引き起こしているような気がしている。だから、多くの人が、ふられるとショックは受けるが、そのうち立ち直って、相手に執着しなくなる。手に入らない物を欲しがらなくなるのは、たぶん、何においても同じだろう。

 私がある機関のトップ管理職として就任した時、「今度就任した人は、バイセクシュアルらしい」という噂が、その機関の外であったそうだ。内部でどう言われていたのかはわからない。それこそ、トラブルが激しくて、そのような浮いた噂をしているゆとりがなかったのかもしれない。
 だいたい、フェミニストには、その傾向(つまりバイセクシュアル?)のある人が多い。もともとそうだったわけではなく、理屈で考えていくと、なぜ、女なら男と恋愛をする、ということになっているのか、わからなくなってくるのだ。海外の情報などに接すると、女性同士の恋愛もあり得るという選択肢の広がりができる。アメリカではリブ全盛のころ、レズビアン女性たちがフェミニズム運動を牽引していると言ってもいいほど、レズビアンに勢いがあった。また、フェミニズムを体現しようとすると、愛し合うのは女性同士の方が思想的にかなっている。シスターフッドとレズビアンの連続性を主張した本なども読まれ、「精神的レズビアン」を自称する女性たちもたくさんいた。
 日本人のある女性は、ただの一度も女性とつきあったことも恋愛をしたこともないけれど、レズビアン宣言をした、という人がいる。そう言えば、私の知り合いの中にも、夫と子どもと共に暮らす主婦だが、そして女性と恋愛関係になったことはないが、レズビアン・アイデンティティを持っている人がいた。
 無理やり自分をしつけ直してレズビアンになった、という人の著述もあったが、今の若い人たちから見れば、70年代のフェミニズムの珍妙さに笑えるだろうな。

 何かにつけて、一途で必死だった時代だ。暴走もあったけれど。

 で、私の正体は、と言えば、ここで詳しく書くつもりはないが、自分をレズビアンやバイセクシュアルや、ヘテロセクシュアル、というような類型にあてはめる気はない。
ただ、なんとなく惹かれる女性のことを書いてみよう。もう、60歳だし、今やアセクシャル的だけれど、思い出話とともに、自分の正体に自分でも興味があるので。
 スカート派でショートカットの女の人に惹かれる傾向がある。それこそ、なぜだかわからない。しかも、比較的体格の良い人に。ある日、コトッと音がするように恋に落ちたのに気付いたことがある。しかし、その人は、仕事上しょっちゅうからまないといけない相手だ。そのような感情を持っていると、いちいちややこしい感情に翻弄されるのは目に見えていたので、気づくや否や、すぐさまその恋心をもみ消しにかかった。恋心というものは、私の経験上、必ず消える。火種を小さい間に消した、という感じだ。逆に放置していると育つ。しかもややこしく育つことが結構多い。
 男の人に多いようだが、自分の恋心がかなわないとわかると、逆恨みする人がいるが、(その一つの厄介な表れがストーカーだ)、この手の感情のややこしさは、放置しておくと本人の制御不能になるところだ。
 「恋のかけひき」などと、ドラマのネタになったりするが、話を余計ややこしくするだけだ。早いうちに何とかした方がいい、というのが私の持論。なぜなら、恋心は、全く根拠のない、一時的な気分の迷走だからだ。何かの脳内物質が、対象を自分の空き領域にはめ込んでしまうのだろう。

 私は、長く一緒に住んでいて、やがて情を育んで仲の良い夫婦になっていった、昔の見合い結婚をした人たちの絆の方を、よほど信用する。今、そのような高齢者夫婦をよく見かけるようになった。お互いが頼りなくなればなるほど、お互いを大切にしあっているようなカップルを見ると、いいものだなと思う。むしろ、人間にはこういう絆しかないのかもしれないと思う。

 で、私の好きなタイプの女性たちだが、比較的体格の良い、ショートカット、スカート派、という女性像が何を意味するのか、自分でもわからない。男の人みたいな女の人は苦手だ。長い間、私のことを好きだと言い続けていた人がいるが、誰もが男性と間違えるような人だ。今では良いパートナーを得て安定したので、私を見ると「ずっと惚れてたけど、相手にしてもらえなかった」と、笑って言うようになっている。良い友人の一人ではあるが、こういうタイプの人には、全くといっていいほど惹かれない。興味のかけらもわかない。それも何なのか。

 レズビアンには、男のような人も多い。私は、そういうタイプの人に嫌悪感すら抱くこともある。私の外見がフェミニンに見られるので、男のようなタイプの人に好まれるのかもしれない。でも、ハンドルネームが虎之助であるように、私自身はアイデンティティがフェミニンな方向に傾いていない。私のことをよく知る友人たちは、「中身はおじさん」だと笑う。

 類型化するとろくなことはない、ということがこの一事をもってしてもわかる。トートロジーに陥るのだ。が、男女の類型、セクシュアリティの類型、、、これらを離れて、私たち自身を語れない、という因果な話だ。
 ため息。

 やっぱり、あんまり浮いた話にはならなかった。 


 

思い出した、、、

2011-07-08 22:28:23 | ハラスメント
 セクハラについて書いていて、思い出した。もう少し若い頃、(今ではさすがに私も年をとったのでそれはないが)、学生からのセクハラもあったことを思い出した。セクシュアルなジョークで、教員をからかってくる。セクハラ・オヤジさながらだった。中には、レポートに、読むに堪えないセクハラ文言があった。

 私は「女」をアピールしないタイプだし、若い頃から、よく「色気がない」と言われることがあった。(ほっといてほしいけど、、、。)そのような私ですら、こんな経験が多々あるのだ。私よりも、女性であることをアピールするヘテロ女性はたくさんいるはずだから、もっと凄まじいいやがらせを受けてきているのだろう。

 そう言えば、私の友人の一人も、昔、上司からのセクハラで、結局仕事を辞めざるを得なくなったことがある。それは、絵に描いたようなセクハラだった。代表的なセクハラ事例、みたいな出来事で、呆れたものだ。

 男性のセクハラは、多くは、支配欲、征服欲と連動している。だから、性的なアプローチをして断られた上司が、断った女性をプロジェクトからはずしたりして、腹いせをすることはよくある。断られたら、ただがっかりして諦めればよいのに、報復をするのだ。セクハラ事件は、その報復から問題化されることがよくある。断られた時点で諦めればそれで済んだのに、報復に出たために、仕事上の不利益を被った女性が腹に据えかねて訴え出ることで、すべてが明るみに出る。男性の方は、仕事上の不利益が女性に与えるダメージを過小評価している。仕事に来ている女性をセクシュアルに扱い、それに失敗すると、仕事上で不利益を与える、という勘違いの連続。女性にすれば、セクシュアルに扱われたことは断ることで終わっているが、仕事上の不利益を被ればこれは我慢できない。なにしろ、「仕事」をしに職場に来ているのだから。

 そのあたりのことは、男性も同じ筈なのに、女性はやっぱり違う生き物だと思われているとしか、思えないのだ。早くそういう男性は、絶滅してほしいなあ、、、。



今一度、セクハラネタ

2011-07-08 21:34:11 | ハラスメント
 子どもの頃、おじいさんが好きだった。自分の祖父を慕っていたので、その延長上にあったと思うのだが、人間の中で一番好きなのが「おじいさん」だった。思春期の頃もそうだった。思春期の頃には、その理由を一応、言語化していた。「おじいさん」は、もう枯れていて、生臭い男ではない、からだった。祖父と同じように、痩せ型のおじいさんが特に好みだった。笠智衆なんて、もろ好みだった。今も、その好みは変わらないようだ。

 では、なぜ生臭い、男臭い男性がいやなのか。実はそういう女性は多い。今は、「草食系男子」という言い方をするが、昔は、「男らしくない」男と格下の扱いだった。しかし、実は、この、草食系を好む女性は、私にかぎらず結構多い。
 先日、友人二人と、NHKの朝の連続ドラマ『お陽さま』を見ていて、3人で一致したのは、主人公陽子の夫の父親がいいね、ということだった。おとなしくて明るくて、邪魔にならない、この人はいいね、と私が言ったら、二人ともそう思う、と、乗ってきた。私たちが変わり者、ということもあるのかもしれないが、、、、。
 あの人なら、セクハラもしないような気がする。

 ヘテロ男性の女性に向けるセクシュアルなジョークは聞くに堪えない。性的対象として、女性を絶えず値踏みする目で見ながら、気を引くようなきわどいジョークを出してくる。また別のオフ会では、もっと年齢が上だったので、私が一番若かった。私の次くらいに若い男性が私の隣に座ったが、他の人が自己紹介をしているのに、私だけに話しかけてくる。「とても60歳に見えない」「熟女が悶々としているように見えるよ」などと、ちょこちょこと二人だけの会話に持って行こうとする。私が悶々としているように見えたとしたら、その人のその言動にイライラしていただけなのだが。二次会をパスして帰ったが、帰りがたまたま一緒になった人は、小柄で、まさに草食系の、「おじいさん」。ホッとして、少しの間、話をした。もともと大学で教えていた人で、今も研究をしているらしく、私がわりに見慣れているタイプの人。セクシュアルな話題は当然一切ない。

 大学の非常勤講師の控え室で出会う講師仲間の男性も、皆そういう感じだ。もちろん、私生活になればそれぞれがセクシュアルな暮らしもあるだろうし、若い人も多いから「草食系」とは限らない。しかし、彼らの関心は一様に、研究テーマや知的好奇心の向かうところにあるので、相手が異性であるとか同性であるとか、そういうところに関心が向かない。

 最近は、マナーを教える科目などがあるらしく、時々企業から派遣されてきたような女性が来ることがある。だいたい、女性講師なんて、皆、地味な人種だ。「女」をアピールしている人は一人もいない。そこに企業から派遣されてきた女性が入ってくると、男性だけでなく、女性も、一瞬目を奪われる。華やかなのだ。同じスーツを着ていても、全く違う。彼女たちは美しく装うことを何よりも優先しているのだろう。しかし、講師控え室ではそれだけだ。一瞬目を奪われても、それ以上は何も起こらない。男性講師も、特に話しかけることもしない。女性達は、男性のセクシュアルな眼差しになれているとしたら、むしろ拍子抜けするだろう。セクシュアルな空気の漂わない場所なのだ。
 それが私の慣れている世界であるし、好む世界だ。

 いちいち、「女」を意識させられるのはうっとうしい。興味は他にある。

 ま、しかし、大学で教授によるセクハラが横行する現実もあるものな。たいていは、女子学生は、意識は私と似たようなものだろうと思う。教授の研究を尊敬している。できれば、自分もその研究世界に入りたい。教授にセクシュアルな興味は一切感じていない。それなのに、教授側は誤解をする。自分自身、あれだけ業績をあげることに血道を上げてきたのだから、相手もそこに興味があることくらいわかりそうなものなのに、なぜか、相手が女性の場合は、自分を「男」として慕っていると勘違いをする。女性とは、性的で恋愛に向いている生き物だと思いこんでいるせいなのか。自分の研究を尊敬して近づいてくる男子学生にはそのような誤解を起こさないのだから、女子学生も全く同じように扱って間違いはない。女性を何か、男性とは異なる生き物だと思いこんでいるから、そのような間違いを犯すのか。とにかく、大学の中でもセクハラは絶えないから、「草食系」に見えても、女性観は、多くのヘテロ男性と同じなのかもしれない。

 女性と言っても、いろいろだから、私や私の友人たちのような女の方が少数派なのかもしれないけれど、、、。


セクハラ文化?

2011-07-02 07:33:02 | ハラスメント
 SNSのオフ会というものに行ってみた。女性ばかりのに行って、悪くなかったので、今度は、男女混合の集まり。お酒が入るせいか、いや~、びっくり。年寄りが多いので、全く想像していなかったが、ヘテロの男女が秋波を送り合うムード満点。
 
 勘弁してよ~の状態で、早々に退散することにした。が、一人、一緒に帰ると言う男性が現れ、家の近くまで送ってくれたが、お腹が空いたから何かご飯食べよう、という再三のお誘い。幹事さんに挨拶して帰る前から、ご飯食べようと何度も誘われていたから、ご飯くらい、いいかなと思ってつきあうことにしたが、まぁ、ヘテロの男性というのはこういうもの?
今まで自分が、いかに特殊な世界に生きていたか、ということを思い知った夜だった。

 思えば、若い頃、なんかこういうのに嫌気がさして、男の人には次第に近づかなくなっていたのだったが、60にもなると、忘れてしまっていた。

 人と人としての交流というのは、やっぱり成り立たないのか? もう、枯れてきている年齢だから、やっとそういうめんどくさいことから抜けだしたと思っていたのだが、、、。誤算だった。

 いい人なのだろうと思う。乱暴なところもないし、優しいし、、、、でも、ヘテロの男性なのだとつくづく思い知る。
 いい人そうだから、悪く言いたくはない。思いたくもない。でも、ヘテロの男性の限界とはこういうものなのか。女はやっぱり「女」としか見えない。彼らにとって、女とは、男の性的対象である、ということに尽きるのだ。
 さんざん親切にしてもらっただけに辛いので、「ごめんなさい」という気持ちがわく。でも、勘弁してよ~、なのだ。

 この社会は、女にとって、セクハラ的ムードが蔓延した社会なのだ。一般の感覚から見れば、おそらく、「セクハラ」などという行為はなかったと思う。たぶん、彼(ら)は、セクハラオヤジではない、だろう。しかし、私には、限りなくセクハラに近い言動だらけだった。女の人もそれに麻痺している。人と人が普通に交流するのに、それはないよ、という言動に充ち満ちている。でもそれは空気のように普通にあるので、女性達も気づかないし、気にしない。
 この社会がセクハラ文化社会だということに、あらためて気づいた次第。

 特に団塊の世代は、性が解放された世代だから、性や恋愛にとりわけ思い入れが強いのかもしれない。

 う~、しんどかった~。せっかくの良い出会いなのに、残念だ。やっぱり、女の人だけのオフ会にしようと思う。女の人は、同じ世代でも、ほんとうにさわやかだ。