凡々たる、煩々たる・・・

タイトル、変えました。凡庸な人間の煩悩を綴っただけのブログだと、ふと気付いたので、、、。

セクマイ講座についてふと思ったこと

2017-10-19 08:51:23 | 考え方
あちらこちらで、LGBTの講演会が流行っている。
私が講師をした地味な講座も、それなりに盛り上がった。

同じ日に、トランスジェンダー当事者を呼んだ講演会もあったようだ。

で、思うのだが、
LGBT啓発講座と言うと、
際立った当事者を連れて来て、話をさせる、という手法がやたら多い。

カミングアウトしているゲイの芸能人、
ドラァグクィーン、トランスジェンダーなどを並べて、
講座の目的は何なのだろう?
私のように、見かけが「普通」の講師であると、
畢竟、地味なお勉強講座になる。
が、私の最後の落としどころは、セクシュアリティは他人ごとではないこと、
誰もが当事者である、ということ、
これは、長い間の私の持論だった。
今、やっと、「性の多様性」ということを誰もが言い始めたが、
私は最初に、ある本に書かせてもらってからずっと同じことを言っている。
私のその本をバイブルみたいに持っていて、支えだった、と言ってくれるMTFの人もいる。
その人も地味だ。

華々しい活躍をしている、テレビなどに露出度の高い、見た目の派手な当事者を呼んできて、
それで、セクシュアリティは、私たちみんなの問題、と言えるのだろうか。
壇上にいる人々を、
自分たちとは線を引いて、「特別な人」、でも「差別しちゃいけない人」というように
受け取る人も多いだろう。

以前、授業に、現役の大学生と卒業生の当事者がゲストとして、
話をしに来てくれた。
本人たちが「話をさせてほしい」と言ってきたのだ。
これはよかった。
あまりにもプリミティブな反応ではあるが、学生の反応はこうだった。
「トランスジェンダーとか、レズビアンとか言っても、
普通の人でした」と。

そう、彼らはあまりにも地味で、カミングアウトしなければ、
セクシュアル・マイノリティとは、誰も疑わない。
だからこそのインパクトがあり、学生たちは、自分のこととして、
家族のこととして、また友人のこととして、
リアリティをもって考えるきかけになるのだ。

それなのに、派手なパフォーマンスをや服装をするような人を連れて来て、
セクシュアル・マイノリティの陳列会になってはいないか。
登壇者は、そのことを抗議した方がいい。
自分たちは、「見世物」ではない、と。
あぁ、それでも説得力は薄いだろう。
見られること、注目されることが仕事である人に、
「目立たないで生きていきたい」人の代弁をするのは難しいのではないか。

もちろん、登壇する当事者の人の問題とは思わない。
彼らを並ばせて、インパクトを狙う、企画者の問題だ。
「みんな多様な一人です」といくら言われても、
フロアの人は、自分のこととして、そのテーマをくみ取るのは難しいだろう。

昔、FTMのすらりと背の高い、いかにも女性にモテそうなタイプの若者がいた。
彼に出演要請をしたら、断って来た。
当時、まだカミングアウトして、上手に話ができる人が少なかった時代だ。
黙っていればイケメンの彼が、元女性だという事実はインパクトがあるだろう。
そう思えた時代で、結構、あちこちのセクシュアリティ講座で引っ張りだこだった。
彼は疲れていた。
「見世物」にされるのに、おそらく参っていたのだろう。
精神的に不安定になっていって、病院に通っている、とのことで、
最初の頃の元気良さがなくなっていた。
事情がわかって、そっとしておく必要があるのだとわかり、静かな応援だけをしていこうと決めた。
その時は、他に勢いのある、新たな登壇者が見つかって、出てもらった。
たまにそういうことに出くわす。
セクシュアル・マイノリティとして、自己確立をしている人の中には(全員では、もちろんない)、
とても自分をアピールしたい時期と、そっとしておいてほしい時期があるような気がする。
華々しく元気よく登場して引っ張りだこになって、やがて暗くなっていく。
それはそうだろうとも思う。
世間とは無責任なものなのだ。
「セクマイ」の際物として消費し、その人のセクシュアリティ以外には興味を持たない。
全人格的に人生を生きている人たちにとって、いつか消耗する日が来る。

ずいぶん前のこういう状況を経験して来て、
今、私はブームのように、テレビによく登場する人を陳列品のように、
壇上に並べるLGBT講座とかいうやり方には批判的だ。

まぁ、やる人はやるだろうから、おやりになればいいのだけど。

私を学校教職員の研修に呼んでくれた友人は、
カミングアウトしている当事者の友人ではなく、私をあえて選んだ。
個性的過ぎる当事者を呼ぶと、一般の教職員は、またセクマイに特別なイメージを抱いてしまうから、
ちゃんと「多様性」を理論的に学習したいから、と言ってくれた。
まぁ、私は見た目は世の常識中の常識を体現している。
これは私のやり方、というだけだが。

だが、こういう私が、「シスジェンダーではない」というカミングアウトをすると、
風当たりはきつい。
「だって、あなた普通じゃないの!」とくる。
新たなカミングアウトの苦悩、とも言えるだろうか。
まぁ、めったにそんなカミングアウトはしない。
理解できるだろう相手に限っている。
それでも、一度は、反発がくる。
自分には偏見がないと思い込んでいる人の、それが、「偏見」なんだよ! といらつく。

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