関わっている活動の流れで、女性達が職場でつらい思いをしている話を聞くことがよくある。いじめ、モラハラ、パワハラの類だ。たいていは、パートや有期雇用の現場で、働いているのはほとんど女性という職場。
女性達は、心を疲れさせ、日々、病気になりそうなほど悩んでいる。
電話での相談などを受けると、そもそもその人が働いている職場が何をしている職場か、そのこと自体が全く語られないことがある。「その会社はどういう業種の会社ですか?」と尋ねても、曖昧だ。言いたくないのか、よくわかっていないのか、どちらかだが、よくわかっていないのではないか、と思えるケースも多い。
女性達は、自分の目の前のことしか見えていないのだ。自分の隣の席の人と向いの席の人だけが世間であったりする。自分の配属されたグループの中だけが、世界だったりする。パワハラやモラハラについて、「上司に相談は?」と尋ねても、もう上司すら遠いところにいる。本社の管理職など、雲の上の人らしい。相談者のほとんどは、大企業ではなく小さな地域の事業所で雇用されているのだが、それでも、少し上のポジションになると、もう、雲の上のように届かない存在らしいのだ。
思うに、女性達のこの日々の小競り合いは、おそらく、責任や権限とは無縁で、末端の現場でルーティンワークを行う中で生み出される。自分の仕事が工程のどの部分であり、どういう意義があり、ひいてはそれがどういう流通機構で世の中に出ていくのか、それは社会の中でどういう意味があるのか、考えることはない。つまり、仕事の意味を考えないのだ。考える必要もない。考えることは他の人が行うので、自分たちは言われたことをすればよい、というようになっている。
だから、関心事は、一緒に働く人との関係だけになる。うまくいかないと、ただただそれが辛い。
仕事の効果を考えたり、この仕事は会社の業務理念と不整合を起こしていないか? などを考えていれば、小競り合いはうれしくはないが、そこにエネルギーがいかない。仕事上の対立は起こるが、言い方がいやだとか、挨拶してくれなかった、とか、感じが悪い、とか、そういうことは関心の後景に退く。皆が一定の権限と責任で仕事をしていれば、同僚をシカトしている余裕はない。出来うる限り情報を共有して、効率よく仕事を進めることを最優先する。
つまり、人間関係のトラブルが尽きない職場というのは、乱暴に言ってしまえば、仕事をしていない、ということなのだ。ルーティンワークの中で、関心は隣で働いている人の虫の居所になり、エネルギーは周りで仕事をしている人との関係作りに注がれる。気が合わない、ものの言い方が気になる、そぶりがいやだ、となる。
私が上司の立場であった頃、中間管理職の質の低さに手を焼いたが、この人達は、優秀な部下が多い中で、自分の威厳を保つのに躍起になっていた。だから、相手の出鼻をくじくようなもの言いをする、情報を自分で抱え込む、お気に入りとそうでない部下をつくる、など、まことにお粗末な言動を繰り返していた。私は「何とかしてくれ」と平のスタッフから求められたのだけれど、ほんとうに手を焼いた。
今振り返ると、この中間管理職は揃いも揃って、権力に従順な人たちだった。だから、自分でものを考えない。責任もとらない。まぁ、能力的に無理があったのだろうとは思うが、その能力不足も、ずっと責任をとらない、権限もないポジションで仕事をしてきて、そういう仕事の仕方しか身についていなかったせいだとも言える。
女性達はずっと、責任も権限もないポジションで働いてきた。何年も同じポジションで、同じ給料で、責任は誰か雲の上の人がとるもので、自分は叱られるか叱られないか、それはどういう上司が上に来るか、で決まってしまう、ということでしかなかった。年をとれば、自分の息子ほどの年齢の上司が来ることもあり、現場の仕事に習熟している自分は便利な存在であるが、何一つ決めることはできない立場であり続ける。
しかし、これまで、男性が正社員として採用されると、少しずつ仕事に習熟しながら少しずつ責任が重くなっていく、というコースが用意されていた。なだらかな道ではないかもしれないが、一定の方向性が決まっていた。新人を迎えれば先輩として、一つ昇進すれば上司として、責任と給与がついてきた。自ずと心構えも出来ていく。もちろん、言うほどたやすくないのはわかっているが、ある方向性は見えていたはずだ。
だから、上司の立場から言うと、職場では女性は扱いにくい。個人的な感情レベルでものを考える。責任を取る気ははなからないが、権利意識だけは強い。こういう人たちの前では、職場の指示命令系統など意味がない。「権力」は悪いと思っているから、上司の指示すらきかない。それで、組織的な混乱を招く。職場の機能不全を招く。
もちろん、女性達自身に責任を帰するよりも、女性に対して「気配り」や「和み」や「職場の飾り」のような役割しか期待せずに、真剣に働く人としての訓練機会を怠ってきた社会的構造と意識の問題として考える方が妥当だろう。
それで、女はダメになったのだ。職場に出ると、不自然なほどにいたわられ大事にされるか、過酷なほどに冷遇されるかのどちかだ。当たり前の労働者としての扱いを受けることなく来ている。
職場の一人ひとりのモラールを高めるのに、今更、何が要るのだろう? モラールも高まらず、社会人として鍛錬もされず、ただただ小さな職場内で人間関係のいざこざに神経をすり減らして心療内科にかかる女性が増え続けるのは、ほんとうに生産的でない、と思うのだが。
女性達は、心を疲れさせ、日々、病気になりそうなほど悩んでいる。
電話での相談などを受けると、そもそもその人が働いている職場が何をしている職場か、そのこと自体が全く語られないことがある。「その会社はどういう業種の会社ですか?」と尋ねても、曖昧だ。言いたくないのか、よくわかっていないのか、どちらかだが、よくわかっていないのではないか、と思えるケースも多い。
女性達は、自分の目の前のことしか見えていないのだ。自分の隣の席の人と向いの席の人だけが世間であったりする。自分の配属されたグループの中だけが、世界だったりする。パワハラやモラハラについて、「上司に相談は?」と尋ねても、もう上司すら遠いところにいる。本社の管理職など、雲の上の人らしい。相談者のほとんどは、大企業ではなく小さな地域の事業所で雇用されているのだが、それでも、少し上のポジションになると、もう、雲の上のように届かない存在らしいのだ。
思うに、女性達のこの日々の小競り合いは、おそらく、責任や権限とは無縁で、末端の現場でルーティンワークを行う中で生み出される。自分の仕事が工程のどの部分であり、どういう意義があり、ひいてはそれがどういう流通機構で世の中に出ていくのか、それは社会の中でどういう意味があるのか、考えることはない。つまり、仕事の意味を考えないのだ。考える必要もない。考えることは他の人が行うので、自分たちは言われたことをすればよい、というようになっている。
だから、関心事は、一緒に働く人との関係だけになる。うまくいかないと、ただただそれが辛い。
仕事の効果を考えたり、この仕事は会社の業務理念と不整合を起こしていないか? などを考えていれば、小競り合いはうれしくはないが、そこにエネルギーがいかない。仕事上の対立は起こるが、言い方がいやだとか、挨拶してくれなかった、とか、感じが悪い、とか、そういうことは関心の後景に退く。皆が一定の権限と責任で仕事をしていれば、同僚をシカトしている余裕はない。出来うる限り情報を共有して、効率よく仕事を進めることを最優先する。
つまり、人間関係のトラブルが尽きない職場というのは、乱暴に言ってしまえば、仕事をしていない、ということなのだ。ルーティンワークの中で、関心は隣で働いている人の虫の居所になり、エネルギーは周りで仕事をしている人との関係作りに注がれる。気が合わない、ものの言い方が気になる、そぶりがいやだ、となる。
私が上司の立場であった頃、中間管理職の質の低さに手を焼いたが、この人達は、優秀な部下が多い中で、自分の威厳を保つのに躍起になっていた。だから、相手の出鼻をくじくようなもの言いをする、情報を自分で抱え込む、お気に入りとそうでない部下をつくる、など、まことにお粗末な言動を繰り返していた。私は「何とかしてくれ」と平のスタッフから求められたのだけれど、ほんとうに手を焼いた。
今振り返ると、この中間管理職は揃いも揃って、権力に従順な人たちだった。だから、自分でものを考えない。責任もとらない。まぁ、能力的に無理があったのだろうとは思うが、その能力不足も、ずっと責任をとらない、権限もないポジションで仕事をしてきて、そういう仕事の仕方しか身についていなかったせいだとも言える。
女性達はずっと、責任も権限もないポジションで働いてきた。何年も同じポジションで、同じ給料で、責任は誰か雲の上の人がとるもので、自分は叱られるか叱られないか、それはどういう上司が上に来るか、で決まってしまう、ということでしかなかった。年をとれば、自分の息子ほどの年齢の上司が来ることもあり、現場の仕事に習熟している自分は便利な存在であるが、何一つ決めることはできない立場であり続ける。
しかし、これまで、男性が正社員として採用されると、少しずつ仕事に習熟しながら少しずつ責任が重くなっていく、というコースが用意されていた。なだらかな道ではないかもしれないが、一定の方向性が決まっていた。新人を迎えれば先輩として、一つ昇進すれば上司として、責任と給与がついてきた。自ずと心構えも出来ていく。もちろん、言うほどたやすくないのはわかっているが、ある方向性は見えていたはずだ。
だから、上司の立場から言うと、職場では女性は扱いにくい。個人的な感情レベルでものを考える。責任を取る気ははなからないが、権利意識だけは強い。こういう人たちの前では、職場の指示命令系統など意味がない。「権力」は悪いと思っているから、上司の指示すらきかない。それで、組織的な混乱を招く。職場の機能不全を招く。
もちろん、女性達自身に責任を帰するよりも、女性に対して「気配り」や「和み」や「職場の飾り」のような役割しか期待せずに、真剣に働く人としての訓練機会を怠ってきた社会的構造と意識の問題として考える方が妥当だろう。
それで、女はダメになったのだ。職場に出ると、不自然なほどにいたわられ大事にされるか、過酷なほどに冷遇されるかのどちかだ。当たり前の労働者としての扱いを受けることなく来ている。
職場の一人ひとりのモラールを高めるのに、今更、何が要るのだろう? モラールも高まらず、社会人として鍛錬もされず、ただただ小さな職場内で人間関係のいざこざに神経をすり減らして心療内科にかかる女性が増え続けるのは、ほんとうに生産的でない、と思うのだが。