話を因果関係の問題に戻す。
それでは、「pあればqあり」という命題からすると「対偶」の関係にあるといえる、
「現に生じたqという人の死を避けるには、pという行為があってはならない」
という条件式に、二人同時致死量の事案を当てはめるとどうなるか。
非常に単純に考えることができる。すなわち、qという死をさけるには、p1という毒を盛る行為があってはならないし、また、p2という毒を盛る行為もあってはならないはずである。つまりは、対偶証明的に説明すれば、p1という行為もp2という行為も、qという人の死に条件的因果関係を持っていることがそのままの図式で説明できてしまうのである。
通説的説明(「p1がなくてもp2がなくてもqはあるが、p1もp2もなければqなし」)は、複雑な説明方法となっているが、結局は、「p1」との関係でも「p2」との関係でも対偶証明が成立することを、無意識のうちに別の言葉で置き換えたものと理解できそうである。あるいは教科書によっては、対偶関係をそれと知らずに無意識に使っている教科書もあるかもしれない。
結局、二人致死量の例で条件関係の定式を修正して理解すべき理由は、そもそもが「pなければqなし」という条件関係の定式そのものは最終的に証明すべき命題ではなく、本来証明されるべき命題である「pあればqあり」の「裏」でしかないということであり、「裏」の条件式では、事案によっては必ずしも命題が成立することを説明しきれる条件式ではないということなのである。そして、対偶証明的方法(「qなしとするにはpがあっってはならない」という定式)を用いれば、二人致死量の例でも、その条件式を修正する必要なく、条件関係が満たされていることが理解できるのである。
不作為犯における条件式も「pあればqなし」と言い換えられるが、これも、そもそもの命題が「pがなかったからこそqがある」という命題になるはずなので、その「裏」もしくは「対偶」を考えれば、当然のことである。
私は、学問というものは様々な分野の学問がいろいろに応用できるものだと考えている。法律学を理解するのに数学の知識も決して無駄ではないのである。そう思うからこそ、私はいろいろな分野の本を読む。もっとも、自然科学的論理法則が社会科学にそのまま当てはまるかどうかはよく分からないが、少なくとも「pなければqなし」という「裏」の条件式を「qなければpなし」という「対偶」の条件式に言い換えることが可能で、この方が二人同時致死量の例でもそのままで条件関係が説明し切れてしまうことは間違いないと思われる。
ただしおもしろいのは、私の目から鱗を落としてくれた、とある刑法総論の教科書は、この条件関係を修正する通説に反対の立場のようである。なぜであろう。
それでは、「pあればqあり」という命題からすると「対偶」の関係にあるといえる、
「現に生じたqという人の死を避けるには、pという行為があってはならない」
という条件式に、二人同時致死量の事案を当てはめるとどうなるか。
非常に単純に考えることができる。すなわち、qという死をさけるには、p1という毒を盛る行為があってはならないし、また、p2という毒を盛る行為もあってはならないはずである。つまりは、対偶証明的に説明すれば、p1という行為もp2という行為も、qという人の死に条件的因果関係を持っていることがそのままの図式で説明できてしまうのである。
通説的説明(「p1がなくてもp2がなくてもqはあるが、p1もp2もなければqなし」)は、複雑な説明方法となっているが、結局は、「p1」との関係でも「p2」との関係でも対偶証明が成立することを、無意識のうちに別の言葉で置き換えたものと理解できそうである。あるいは教科書によっては、対偶関係をそれと知らずに無意識に使っている教科書もあるかもしれない。
結局、二人致死量の例で条件関係の定式を修正して理解すべき理由は、そもそもが「pなければqなし」という条件関係の定式そのものは最終的に証明すべき命題ではなく、本来証明されるべき命題である「pあればqあり」の「裏」でしかないということであり、「裏」の条件式では、事案によっては必ずしも命題が成立することを説明しきれる条件式ではないということなのである。そして、対偶証明的方法(「qなしとするにはpがあっってはならない」という定式)を用いれば、二人致死量の例でも、その条件式を修正する必要なく、条件関係が満たされていることが理解できるのである。
不作為犯における条件式も「pあればqなし」と言い換えられるが、これも、そもそもの命題が「pがなかったからこそqがある」という命題になるはずなので、その「裏」もしくは「対偶」を考えれば、当然のことである。
私は、学問というものは様々な分野の学問がいろいろに応用できるものだと考えている。法律学を理解するのに数学の知識も決して無駄ではないのである。そう思うからこそ、私はいろいろな分野の本を読む。もっとも、自然科学的論理法則が社会科学にそのまま当てはまるかどうかはよく分からないが、少なくとも「pなければqなし」という「裏」の条件式を「qなければpなし」という「対偶」の条件式に言い換えることが可能で、この方が二人同時致死量の例でもそのままで条件関係が説明し切れてしまうことは間違いないと思われる。
ただしおもしろいのは、私の目から鱗を落としてくれた、とある刑法総論の教科書は、この条件関係を修正する通説に反対の立場のようである。なぜであろう。
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