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実務家弁護士の法解釈のギモン

弁護士としての立場から法解釈のギモン,その他もろもろのことを書いていきます

判例は形式的表示説?(1)

2016-06-08 10:15:56 | 民事訴訟法
 民事訴訟の当事者が誰であるかを決める理論を、当事者の確定という。
 通常は訴状に原告と表示され、あるいは被告と表示された者が訴訟当事者であることは論を待たないが、氏名冒用訴訟や当事者(特に被告)が死亡していたような事案の場合に問題となりやすく、被告たる法人がどの法人かといったことでも問題となる場合があり得る。

 この当事者確定の問題について、意思説、行動説、表示説などがあり、その他の有力説として規範分類説などもある。教科書レベルの話では、判例は意思設や行動説を採っていると説明され、表示説、それも訴状の当事者欄の記載のみならず、請求の趣旨、原因も含めた訴状全体の記載から当事者を確定すべきという実質的表示説が通説的な見解と解説されているだろうか。

訴訟上の和解の既判力(6)

2016-06-01 10:14:49 | 民事訴訟法
 もう一つ、別の側面から考えられる批判として、結局のところ、和解の効力についての意思表示の瑕疵を理由とする争いを認める以上、実質的に制限的既判力説と変わらないのであって、それを言葉巧みに言い換えているに過ぎないという批判である。
 しかし、私は和解の効力問題ではなく、和解の成立問題として捉えているのであり、言葉だけの問題ではなく、次元が異なると思っている。仮に言葉を言い換えているに過ぎないとしても、それにより理解しやすくなるのであれば、言葉を言い換えた方が望ましい。そして、私は、本来存在するか存在しないかのいずれかでしかないはずの既判力について、和解の場合はその効力があったりなかったりするような制限的な既判力と説明するよりも、「有効な意思の合致」を「和解成立要件」として捉えて和解意思に瑕疵があれば和解不成立、瑕疵がなければ和解は有効に成立し、完全な既判力が生じるという説明の方が理解しやすいと思っている。
 もちろん、請求の認諾、放棄も全く同様であろう。

 以上が私の考えなのであるが、和解の既判力の有無についてやや混乱気味の議論に対し、一石を投じることができているであろうか。

訴訟上の和解の既判力(5)

2016-05-25 10:46:14 | 民事訴訟法
 以上の考え方に対しては、おそらく二つの方向からの批判が考えられそうである。

 一つは、錯誤無効を和解成立要件といってしまうと、確定判決であっても、例えば錯誤によって事実関係を自白をしてしまった結果敗訴したような場合に、錯誤無効を判決成立要件として捉えることに繋がり、結果、確定判決の錯誤無効の主張を許すことに繋がってしまうのではないか、という点であろう。
 しかし、私が言いたいのは、あくまでも訴訟物に関する処分意思の場面(つまり処分権主義が問題となる場面)を問題にしているのであり、個々の争点についての自白の場面(つまり弁論主義が問題となる場面)は関係がない。あくまでも訴訟物たる権利関係そのものの処分意思が問題なのであり、判決に至った場合は、たとえ部分的な争点について自白をしている場面があったとしても、訴訟当事者は訴訟物についての処分をしてはいない。
 したがって、確定判決の場合に処分意思の瑕疵の問題が入り込む余地はないと考えていいのではないかと思うのである。

訴訟上の和解の既判力(4)

2016-05-18 11:16:11 | 民事訴訟法
 しかし、私は、既判力肯定説からも錯誤無効等による和解無効の主張を許す理論的な説明ができそうな気がしている。

 どうすればいいかというと、和解の成立は、有効な処分意思の合致があることが要件だと説明すればいいのではないかと思うのである。
 この説明だけでは堂々巡りをしているだけになってしまいそうだが、要は、訴訟上の和解の成立要件は、単に互譲による訴訟当事者の「訴訟上表示された意思の合致」と表示主義的に捉えるのではなく、「有効な意思の合致」が必要だと捉えるのである。そして、錯誤がある場合のように瑕疵ある訴訟物に関する処分行為は無効であって、そもそも和解の成立要件を欠いていると考えるのである。このように考えることができれば、錯誤無効によって和解をしてしまったとしても、和解の無効を主張することは和解の既判力に抵触するか否かという問題にはならず、そもそも和解が成立しているか否かという、前提問題として処理できるのではないだろうかと思うのである。

 以上のように考えた場合、もし、和解意思に錯誤無効等の瑕疵があれば、そもそも和解は不成立であり、錯誤無効を主張することの既判力との抵触云々を議論する前提を欠く。和解意思に問題がなければ和解が成立し、全面的な既判力が生じる。

 以上のように考えることができるのであれば、和解に全面的な既判力を肯定しつつ、その和解の成立要件の問題として錯誤無効等の意思表示の瑕疵を争うことができることになる。

訴訟上の和解の既判力(3)

2016-05-11 10:24:33 | 民事訴訟法
 ところで、法が和解や請求の放棄、認諾を認める理由は、当事者による訴訟物である権利義務の処分意思に基づく。いわゆる処分権主義の表れであり、当事者の私的自治の訴訟法的反映である。ただ、訴訟外での当事者の合意ではなく、訴訟上での解決である以上、紛争の蒸し返しを許すわけにはいかないので、確定判決と同一の効力を生じさせることとしたのである。

 もっとも、和解や請求の放棄、認諾が当事者の処分意思の表れだとすると、たとえ紛争の蒸し返しを許すべきではないといってみても、処分意思そのものに瑕疵があった場合に、それでも、もはや紛争の蒸し返したる和解無効の主張を許さないというのは、据わりが悪いのも確かである。
 他方で、だからといって既判力否定説でいくと、処分意思の瑕疵とは無関係な場面でも紛争の蒸し返しを許すことにもつながりかねず、そうなってしまうと、何のために訴訟をし、訴訟上の和解をしたのかが分からなくなってしまう。

 だからこそ、理論的なあまさをともかくとしても、学説としても制限的既判力説が有力になってきているのだろうと想像する。