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実務家弁護士の法解釈のギモン

弁護士としての立場から法解釈のギモン,その他もろもろのことを書いていきます

相手方訴訟代理人の忌避(1)

2017-11-08 10:19:07 | 民事訴訟法
 民事訴訟における訴訟代理人が、弁護士法25条1号に違反していた場合にどうすべきかという議論がある。

 弁護士法25条は、次に掲げる事件については、その職務を行ってはならないとし、その1号に、「相手方の協議を受けて賛助し、又はその依頼を承諾した事件」というのがある。つまり、一方当事者から協議を受けて賛助したり依頼を承諾した場合は、他方当事者から当該事件を受けてはいけないというのである。一旦賛助あるいは依頼の承諾をした当事者と利害が対立する相手方の依頼を受けようというのだから、許されていいはずがない。
 それでは、もし弁護士法25条1号に違反して訴訟代理人となった弁護士(例えば、貸金事件について債権者側から協議を受けて賛助していた弁護士であるにもかかわらず、途中から関わらなくなったため、債権者は別の弁護士を訴訟代理人として債務者に対して貸金請求訴訟を提起したところ、賛助していた弁護士が被告の訴訟代理人として訴訟行為を行ったという事案で考える。)がいた場合に、被告訴訟代理人の訴訟行為の効力如何というのが、伝統的に問題とされてきた。
 判例は、異議説を採用していると言われ、弁護士から裏切られた原告が異議を述べれば裏切った弁護士の訴訟行為を排除しうるという。

訴え取り下げ合意の法的性質(6)

2016-12-15 10:24:13 | 民事訴訟法
 判決理由中の判断に訴訟法上の意思表示の擬制を認める点で、かなり論理の飛躍があることは否定しがたいが、登記手続のように、意思表示があったことを他の機関に示すことを目的としておらず、裁判体たる受訴裁判所内で完結する問題であり、義務有りと判断されれば訴え取下げですべてが完結し、その後の訴訟法律関係が積み重なっていくわけでもない。そうだとすれば、受訴裁判所の理由中の判断で義務の存否が判断されるだけで、意思表示の債務名義性にこだわらなくてもいいという理解はできないだろうか。

 あるいは、訴え取り下げの合意が私法行為だと考えるから意思表示の強制執行を問題とせざるを得なくなってしまうというのであれば、訴訟行為だと考えて、強制執行を問題とする必要がないと言う解釈は可能であろうか。
 要は、訴え取り下げ合意が成立した後に原告が任意訴えを取り下げない場合に、それでも受訴裁判所に対して原告が訴え取り下げの意思表示をしたとみなして訴え取り下げによる訴訟終了宣言が可能であるという解釈が採用できればよいのであって、別に私法行為説にこだわる必要はないだろう。ただ、考え方の筋道として、私法行為説を前提に、意思表示をする義務の履行の強制という側面から考えて見た。

 うまく説明が出来ていないかもしれないが、少しは議論を整理してみたつもりである。が、返って混乱する議論となってしまっただろうか。

訴え取り下げ合意の法的性質(5)

2016-12-08 13:47:11 | 民事訴訟法
 そもそも、意思表示の擬制という執行を、既判力を持って確定する必要がある理由は、当該意思表示を求める訴え以外の場面(例えば、登記手続に用いるなど)で当該意思表示の擬制の効力を対外的にも争えないものとなったことを明確にしておく必要があるからであろう。
 しかし、訴え取り下げの意思表示は、当該訴訟手続内で完結する問題である。したがって、訴え取り下げそのものの効力やその義務(訴え取り下げ合意がされた場合)の存否について、わざわざ別訴で争わせる意味に乏しいと言えそうである。だとすれば、訴え取り下げそのものの効力については、基本的には当該訴訟手続内で判断するだけで不都合はなさそうである。
 そうだとすれば、訴え取り下げ合意であっても、端的に、私法上の義務として原告には訴えを取り下げる義務が生じたことの主張・立証を、当該訴訟手続内で認めてもよいのではないだろうか。これが認められた場合、判決理由中の判断として訴えを取り下げる義務があることを判断することになる。そして、判決理由中の判断ではあるものの、原告の訴え取り下げの意思表示を擬制してしまうのである。民事執行法174条の趣旨を類推するといってもよい。
 そうすれば、私法行為説でも、訴え却下ではなく、訴え取り下げによる訴訟終了宣言で終わらせることが出来そうである。もちろん、訴え取り下げ合意による取り下げ義務が認められなければ、そのまま訴訟は続行されて本案判決をする。

訴え取り下げ合意の法的性質(4)

2016-12-01 09:58:23 | 民事訴訟法
 私法行為説は、私法上の権利義務に過ぎないから、訴えの利益を介在させてることによりようやく訴え却下という結論を導くのであるが、そもそも、そこでいう私法上の権利義務の内容は何であろうか。おそらく、原告には訴えを取り下げる私法上の義務が生じるというのであろう。しかし、この義務は不代替的作為義務のように感じるので、直接強制に親しむ義務ではなさそうに感じるし、仮に間接強制が可能だとしても、端的に訴訟を終了させるような効果を認めないと、著しく迂遠であることも当然である。だからこそ、訴えの利益に結びつけるのであろう。

 しかし、訴えを取り下げる義務が、本当に不代替的作為義務か否かはもう少し検討してみる余地がありそうだと思っている。訴えを取り下げる私法上の義務とは、もっと正確にいえば、裁判所に対して訴え取り下げの意思表示をすることを内容とする、相手方に対する私法上の義務ではなかろうか。そうだとすると、純粋に論理を詰めれば、裁判所に対する意思表示をする実体法上の義務であろう。そうであるならば、その義務の履行を強制することが可能なはずである。つまり、理論だけで考えれば、登記請求訴訟と同じように、被告は別訴で、「被告(もとの訴訟の原告)は、○○事件の訴えを取り下げよ。」という、意思表示を求める訴えとして訴訟を提起することが可能なはずである。
 この訴訟に勝訴すれば、確定判決をもって原告の意思表示と擬制されるので、被告が確定判決を受訴裁判所に提出することによって訴え取下げの効果が生じる、という説明ができそうである。これが可能であれば、訴え却下ではなく、文字通り訴えの取下げで訴訟が終了する。そして、この場合の取り下げの意思表示をする義務は、被告に対する私法上の義務といっていいだろう。
 ただし、すぐに気づくように、別訴を提起しなければならないとすれば、著しく迂遠であることは当然であるし、別訴の結論が出るまでは、本訴の進行を止めることは、論理的には不可能である。
 別訴ではなく反訴ではどうかとも考えられるが、反訴を提起すること自体が、被告にとっては面倒ではある。

訴え取り下げ合意の法的性質(3)

2016-11-24 09:45:40 | 民事訴訟法
 判例が訴訟行為説を採らない理由は、単純に任意訴訟の禁止という大命題を前提としているからだと言えるだろう。現実問題として、訴え取り下げの方式は、裁判所に対する訴訟行為として行われる。訴えの取下げは、法律上はあくまでも原告の裁判所に対する訴訟行為として規定されている以上、判例は当事者の合意のみで訴訟係属の遡及的消滅を導くことを認めないし、だからといって、訴訟行為説を採る学説からしても、合意に基づいた取り下げ行為があった場合と、取り下げ行為がなくても訴訟は終了するという場合とを合わせた理屈として、スマートな説明ができずにいるのではないかと思うのである。

 もっとも、任意訴訟の禁止という大命題があると言っても、あくまでも原理原則に過ぎず、処分権主義や弁論主義が妥当する領域では、条文に規定のある訴訟契約以外の一切の訴訟契約の効果を認めないということには決してならない。
 訴え取下げも、処分権主義から導かれる問題であるから、訴訟外での訴え取下げ合意も、処分権主義の問題である以上、訴訟契約として捉えたいという学者の気持ちも分からないではない。しかも、私法契約説で説明すると、訴えの利益という訴訟要件を介在させて説明されてきたが、このような考えが便宜的に過ぎるのもよく分かる。合意の効力が争われたけども合意の効力が認められるという時に、訴え却下ではなく訴え取り下げによる訴訟終了宣言で終わらせたいという、学者の考える論理的なスマートさもよく分かる。なにしろ、訴え取り下げに合意したのであるから。