最近、こんなことが。
わずかな、ひと場面なんですが。
私がPCやってたら、Fさんが入ってきた。
その用事は、一回聞き返しただけで すぐ済み、
Fさん帰りかけて、
そばにあったPCやプリンターの方を向いて、何か言った。
「&”▽#’$■」。
語尾は、「――だね。」という感じだな、ってことだけ分かった。
(こういうことって、よくあるんです。
なんのこと言ってるのやら。。
まずは、その視線や状況など手がかりに、
瞬間的に推測・想像ということになる。)
私、「あ、プリンター移動したこと? 」
Fさん、ちょっとそちらに足を進めて「いや、●&◎#”◇。」
私、「(PCの電源スイッチ部分が、結構明るく ) チカチカしてること?
いつも、スリープにしてると、これが点いてるのよー。」
Fさん、PC本体の上部に触れて「これ、*&▽〇。」
私、「あ、PCが新しくなったこと? もうだいぶん前よ~♪」
Fさん、「あ、そう~」
やっと当たったらしい。
やれやれ・・・。
そう、『当たった』という感じ。
これまでの20数年間の難聴生活で、
とっさに推測する習慣がついてしまっている。
ほとんど『やまカン』に近いこともあるけど、
一々メモなど差し出して書いてもらったりしたのでは、
手間かかってしょうがないのです。
こういうような場面は、数かぎりなく体験してきて、
その都度(ひとりになってから)、
「でも、なんとか分かって良かったじゃない~」となったり。
「ああ、疲れるわねぇ。。」となったり、
「ナントカ カントカ だったけど、
久しぶりに あの人と ちょとした会話が出来たね」となったり。
今回の場合は、こんな風に思えてきました。
「わたしの聴こえ具合、っていうか、どれだけ聴こえないか、
分かってもらえたでしょうね。
現状・実態を知ってもらえた。
そういう意味で、良かったんじゃない? 」
どんなことも、観る方向って、
色々 さまざまに あるもんですね。