michi のひとりごと

日々のつぶやき、あれこれ。

老々介護で 100歳になった母を見送りました。
こちらは重度の難聴。

「やまカン」当たって、思いました。    〔聴こえ〕

2011-08-21 07:08:55 | Weblog

最近、こんなことが。

わずかな、ひと場面なんですが。

 

私がPCやってたら、Fさんが入ってきた。

その用事は、一回聞き返しただけで すぐ済み、

Fさん帰りかけて、

そばにあったPCやプリンターの方を向いて、何か言った。

「&”▽#’$■」。

語尾は、「――だね。」という感じだな、ってことだけ分かった。

 

  (こういうことって、よくあるんです。

   なんのこと言ってるのやら。。

   まずは、その視線や状況など手がかりに、

   瞬間的に推測・想像ということになる。)

 

私、「あ、プリンター移動したこと? 」

Fさん、ちょっとそちらに足を進めて「いや、●&◎#”◇。」

私、「(PCの電源スイッチ部分が、結構明るく ) チカチカしてること?

   いつも、スリープにしてると、これが点いてるのよー。」

Fさん、PC本体の上部に触れて「これ、*&▽〇。」

私、「あ、PCが新しくなったこと? もうだいぶん前よ~♪」

Fさん、「あ、そう~

 

やっと当たったらしい。

  やれやれ・・・。

そう、『当たった』という感じ。

 

           

これまでの20数年間の難聴生活で、

とっさに推測する習慣がついてしまっている。

ほとんど『やまカン』に近いこともあるけど、

一々メモなど差し出して書いてもらったりしたのでは、

手間かかってしょうがないのです。

 

こういうような場面は、数かぎりなく体験してきて、

その都度(ひとりになってから)、

「でも、なんとか分かって良かったじゃない~」となったり。

「ああ、疲れるわねぇ。。」となったり、

「ナントカ カントカ だったけど、

 久しぶりに あの人と ちょとした会話が出来たね」となったり。

 

今回の場合は、こんな風に思えてきました。

「わたしの聴こえ具合、っていうか、どれだけ聴こえないか、

 分かってもらえたでしょうね。

 現状・実態を知ってもらえた。

 そういう意味で、良かったんじゃない?

 

   どんなことも、観る方向って、

   色々 さまざまに あるもんですね。

 

 

 

 

 

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