波乱万丈 乳がん転移ライフ!

39歳で乳がん ステージⅢ告知。術後1年経たずに肝臓、骨に転移。そこから始まる長い転移ライフ!

8年前乳がん発覚時のこと【6】・・・衝撃の術後病理結果

2012-01-25 11:45:32 | 8年前乳がん発覚時のこと
手術が終わり麻酔から起こされた後、痛みは感じなかった、というか術側の左胸は感覚もない。

しばらくして病室に運ばれる。家族が迎えてくれるが、私はまだ寝る。誰とも話したくない。
ダンナがそばにいることはわかっているが、ひたすら目をつぶってそのうちにまた寝る、の繰り返し。
そう、ふて寝していたのだ、というか怖かった。リンパ節転移がレベル2まで広がっていたのでは、という恐怖。
だから何も聞きたくなかった。寝ているふりをして話しかけられないようにしていたのだ。
「もうお話になれますよ。」とダンナは看護師に言われたが、私が起きようとしないので、
その日はろくに話もせず家に帰っていった。罰当たりな私。

手術翌日の朝、起きあがり、管をはずしてもらったりいろいろ処置してもらい身軽になると、
朝食も普通食が出てきて、同室の胃全摘の人は「へぇーーー。」と驚いていた。
左腕は、脇からドレーンも出ていたし腕も上がらないが、胸は痛くない、やはり感覚もない。

午後になり母が来てくれて、洗濯物やらいろいろ世話を焼いてくれる。
その日には、執刀したベテラン女医やチームのドクターや看護師が入れ替わり立ち替わり様子を見に来てくれる。
「手術お疲れ様でしたね。きれいに取れましたからね。」と口々に言ってくれるが、リンパ節のことは
だれも触れない。そんなこんなで不安を残しながら2日間が過ぎ、土曜日になり、ダンナが見舞いに来てくれた。
私、怖々「結局リンパ節はどこまで取ったの?」
ダンナ 「え?まだ聞いてないの?」
私   「だって誰も言わないから、聞くのも怖くて。」
ダンナ 「レベル2にも転移があったから、レベル3も取ったよ。」
・・・・やっぱりか!ダメだったか。最悪のがんなんだ・・・。

同時期に入院し私の2日後に全摘手術をしたKさんも、管がはずれて元気になってきた。
またデイルーム(兼食堂)に行くようになって、がんベテランのおじさんおばさんやおばあさんからも、
さんざんいじられる。39歳でがんなんて超若手(消化器がんの世界ではね)。

リンパ転移の心配はなさそうなKさん、いったい何個転移しているか想像すらつかない私。
自ずと表情に明暗が出てしまうのだ。

「そんな暗い顔していると治るものも治らないよ。」
「Kさんは目に力があるけど、アッピアさんはそんなんじゃダメだなあ。」
「私なんて10年前に胃全摘で、リンパにもたくさん転移していたのに、今こんなに元気よ。
 抗がん剤の吐き気なんて気持ちの問題なんだから、絶対負けない、という気持ちを強く
 持ちなさいよ!」

言いたい放題である。なんでそんなにデリカシーないの?
私も「そうですよね。子供のためにも頑張るしかないですよね。」とか合わせるしかなかった。
心では泣いていた。それならデイルームに行かなければいいのだが、何か変なコミュニティが
出来上がっていて、そうもいかない雰囲気だったのだ。今思えばバカらしいが。

朝と夕方、乳腺チームの回診がある。ドクターたちがKさんのところに来ると、明るい話し声や
笑い声が聞こえてくる。Kさんが終わって、ドクターたちが私のところに来ると、優しい態度では
あるがどこかよそよそしい、と感じた。
「リハビリは順調ですか?傷の方もキレイですよ。」
でもリンパ転移や予後のことは聞いてくれるな、オーラ満載?
なんかこちらもいたたまれなくなり、悲しくなる。ますます暗くなる私の表情。

(また思い出して辛くなってきた。エアロビ行ってこようかな。)

なぜかこの病院は、術後に骨シンチをやる。
この時間のかかる検査はかなり恐怖だった。緊張しっ放しで終わったらぐったりだった。
(今では寝てしまうのにね。)
結果は問題なしで、心底ホッとした。

それでも辛い気持ちを抱えていることが多く、精神科受診を申し出てみた。
精神科はあいにく若手の医師で、どうも合わなかった。私が今の不安を吐き出したのだが、
「そうですよね、子供の成長が見られないかもしれないと思うと辛いですよね。」
と言い放ったのに私がキレて、『それじゃあ私は助からない、て言いたいのね。』と心の中で
叫んだ。今なら普通に受け止められる言葉でも、当時いかに気持ちがささくれだっていたか。

術後の病理検査の結果が出たので、ベテラン女医先生と面談。母親とダンナが同席。
いよいよ、私の最悪のがんの詳細が告げられるのだ。
女医先生のオペが終わるのを夜まで待つ。外科医の仕事は本当に過酷だ。
呼ばれて3人で部屋に入る。
「あ、どうもこんばんは。」とにこやかに対応してくれる。
そしていよいよ本題。

「・・・しこりの組織の結果ですけど、やはりリンパ節は鎖骨下のレベル3にもしこりの影響
 がありました。(“転移”という言葉は使わないでくれる。)
 ホルモンは、少しですが陽性が出ています。それからHer-2が陽性なので、再発した場合に
 ハーセプチンが使えます。これは効きます。
 リンパに影響があったということで、これからしっかり予防していきましょうね。
 ○日から抗がん剤をはじめていきますので、その説明をします。・・・・・・・・。
 今のところ術後の経過も順調なので、○日に退院の予定にしましょう。
 退院したら普通の生活して問題ありません。注意することは・・・・・。
 それ以外は、アクティブに、明るく、温泉旅行なんていいかもしれないし、自分の免疫力
 上げて治していきましょう。・・・・・・・。」

病理については、私があまりにも知識ないために、何も質問できなかかった。リンパ節転移の数は、
やはり怖くて聞けなかった。とにかくすごく進行していたことだけはわかった。
ハーセプチンなんて薬よく知らないけど、やたら進行の早いがんなのだろう。
明るく過ごせ、なんて言われたって、多分無理。

・・・詳しい病理結果は、数ヶ月後に民間療法のクリニックに行く際に作ってもらった、
診療情報提供書に、病理診断書の紙が同封してあり、封を破いて見たのが最初である。

 ステージ:3A
 しこりの大きさ 5.8×3.8センチ 
 硬がん、グレード3、
 リンパ節転移 レベル1+2+3 合計 27/38(27個に転移)
 エストロゲン(±)、プロゲステロン(±)、Her2 3+

これを見たとき、27/38の意味がわからず、まさか転移数が27個だんなて考えられなかった。
多くても10個以内だと思っていた。2ケタの人ってほとんど聞かないし。
後で事実を知って衝撃を受けた。もう絶対ダメだと思った。再発しないワケがない、と思った。
ちなみに、Ki-67なるものを当時計っていたら、とんでもない高値だったはずだ。
 
そして、初めての抗がん剤が始まる。CEF4クール → タキソールの予定。
その時は抗がん剤の名前もわからず受けていた。
(今ならハーセプチンも併用して、再発予防に大きな効果が期待できるだろうに)
どうせ副作用でボロボロになるんだ、もうどうにでもなれ。
しかし、受けてみると幸い酷い副作用はなく、きもちわるーい、ぐらいで1回目は済んだ。

そういえば、Kさんの方は、病理の結果も良く、晴々した顔で
部屋から出てきた。もちろん抗がん剤もなし。いいなあ。助かるんだ・・・・。

退院の日が来た。みんないろいろな言葉で励ましてくれる。いっしょに輪になって歌まで歌った。
ありがとう、頑張るからね、みなさんもね!
とは言ったが・・・・はやく家に帰りたい・・・・まだやさぐれているかも・・・・。

母といっしょにタクシーで家に帰った。家では義母が待っていた。
そしてそして、3週間ぶりに会う、生後8か月の息子が迎えてくれる・・・・。

しかし、本当の苦悩は、退院後からはじまった・・・・。

つづく・・・・。




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4 コメント

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Unknown (マナママ)
2012-01-29 14:59:28
昨日、乳がん宣告されました。38歳と2ヶ月です。2歳の子供がいます。分からないことだらけなので、ブログ参考にさせてもらいます。
返信する
一緒に (ながなが)
2012-01-29 20:29:59
不安ですよね 怖いですよね でもね でもね 安易に大丈夫と 軽々しくは言えないけど、いろんな手立てがあるから 1人で悩まないで 私もブログにすごく助けられた一人だから(^O^)私もまだまだ勉強不足ですが、一緒にかんがえましょう~
返信する
マナママさん (アッピア)
2012-01-31 17:31:50
はじめまして、マナママさん、告知されたばかりなのですね。大丈夫ですか。お辛いですよね。
2歳のお子さん見て涙が出てしまいますよね。
今は仕方ないですよ。

人間は意外に強いので、気持ちは徐々に浮上して、前を向いて治療がんばろう、と思える時が遠からずきますよ。
今は辛いけど、決して不幸なことばかりではないですからね。

お子さんが力になってくれますよ、きっと。

いつでも遊びにきてくださいね。
ここにはいつも仲間がいますから!
返信する
ながながさん (アッピア)
2012-01-31 17:33:58
ありがとう。
当時の不安な時に、こうしておしゃべりできていたらなあ、なんて思いますよ。

やっぱりこのころからメンタル弱かったんだなあ。
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