アッピア家の地味でのんびりしたGWも終わり、昨日からそれぞれ始動です。
会社に、学校に、私は学校のボランティアやら用事やらに動き回っていたら、自転車が壊れました。
後ろのタイヤが脱落して、取り換えになりました。2700円也。初っ端からガックシです。
体調は、GW中は、タイケルブ夜飲みの影響かどうかはっきりしませんが、下痢気味・腹痛・倦怠感があり
今ひとつすっきりしませんでしたね。やはり体調管理は大切です、かといって思うようにならないこともあるから、
そういう時は自分に心地よくのんびりと、ね。
体調管理ということで、今日の午前中エアロビに行ってきたら、プログラムが少々キツくて、
術側&浮腫&しこり&骨転移の左側が痛くてしんどかったのと、無理したのか、終わったら頭痛がして
具合悪くなってしまった。あ~、本末転倒。明日は筋肉痛必至。
さて、先々週の精神科診察の件でちょっと書いておきますね。
月1の精神科診察でも、最近は特段話すこともなく、ちょっとつまらない感があったので、
私から話題を振ってみました。
私 「普段は病気を忘れそうなくらいです。でもふとした時に、これがいつまで続くんだろう、
また病状が悪化したり症状が出たりしたらと思うと、やはり怖いし、不安になります。
でも一過性でまた普段の生活に戻れます。」
(あれーこれ、以前も言ってたよね、また同じこと言ってる、ネタが無くなったか。)
精神科医「普段は日常生活を送っていて、でもときどき病気の事で不安になる、それでもまた気持ちを
切り替えて普段通りの生活を楽しめる、そういうことが『ちゃんと病気と向き合う。』ことだと
思うよ。そういう態度、心持ちでいいと思うよ。病気と向き合って不安を抱えながらも生きる、
ということができている。」
私 「でも私は、少しでも不安や恐怖は感じたくないです。病気の進行があっても、不安や落ち込みがない
状態というのはできないのでしょうかねえ?」
(せっかくお褒めの言葉らしきものをもらえていたのに、屁理屈こねて先生を困らせている私。)
もうひとつ話題。これはあるがん友さんの話。
転移したがんが進行して、主治医から
「来年のお子さんの誕生日は祝えないかもしれないので、今年は存分にお祝いしてあげて下さい。」
て言われたとか。もうびっくりです。主治医自ら諦めモードでどうする?
本人はまだままだファイティングスピリット満々で、既に次の一手を検討中のよう。
でもこういう前向きな態度には、助けたい、と言う気持ちが周りに働くのか、
担当の精神腫瘍科医が
「私は奇跡と言われる人がどのうように治ったか、などを研究しています。主治医に否定的なことを言われたら、
私のところにいらっしゃい。私とあなたとの間では良くなる、という前提でやっていきましょう。」
というようなことを言われたらしい。
携帯のアドレスや番号まで教えてもらっているとのこと。これもびっくり。
翻って私の主治医は、決して否定的な事を言わないことを信条といているけど、
逆に精神科医の方は、以前にも「死を覚悟しているか?」的なことを言われ、がん友さんの場合と逆だ。
いやあ、面白いね、もう正解はないんだから、何でもアリと言えばそうかもしれないけど。
主治医は、その主治医の性格によって話し方に大きな差が出そうだが、精神科医の場合は、
患者の性格を見て言い方を変えているのではないか、と私は思うのだ。
そういえば、ウチの精神科医はこんなことも言っていた。
「治らない病気を前にして、あくまでもアグレッシブに治療法を探したり、あるいは治療を続けながらも
自分の病気と向き合って最後までどう生きるかを考えたり、または医者にすべてを任せたり・・・、
人それぞれだけど、どれもその人らしさ、自分らしさ、なんだよ。正解はない。・・・・」
ふむふむ。自分で納得して選ぶ治療もしくは闘病姿勢がすなわち、自分らしさなのだろうか?
自分らしさ = 性格?個性?
がんになっても自分らしく生きたい、なんてよく言われるけど、つまりは気持ちががんに支配されると、
自分らしさがなくなるということで、それは自分を生きていないこと・・・?
なんだろうな。だって自分らしく生きている時(と思う時)は、充実しているし、私の場合、
充実 = 満足 = 幸せ につながっていると思う。
問題は、病状が進行しても、その自分らしく状態が維持できるか、だ。
それは、自分で考えて、工夫して、実践してくしかないんだろうな。
こういう内容の記事は、書きながら考え込んでしまって、少々時間がかかります。でも考えが整理できるので、
これからも思ったこと・感じたこと、書いて行きますね。クリック頂けると、励みになります。
会社に、学校に、私は学校のボランティアやら用事やらに動き回っていたら、自転車が壊れました。
後ろのタイヤが脱落して、取り換えになりました。2700円也。初っ端からガックシです。
体調は、GW中は、タイケルブ夜飲みの影響かどうかはっきりしませんが、下痢気味・腹痛・倦怠感があり
今ひとつすっきりしませんでしたね。やはり体調管理は大切です、かといって思うようにならないこともあるから、
そういう時は自分に心地よくのんびりと、ね。
体調管理ということで、今日の午前中エアロビに行ってきたら、プログラムが少々キツくて、
術側&浮腫&しこり&骨転移の左側が痛くてしんどかったのと、無理したのか、終わったら頭痛がして
具合悪くなってしまった。あ~、本末転倒。明日は筋肉痛必至。
さて、先々週の精神科診察の件でちょっと書いておきますね。
月1の精神科診察でも、最近は特段話すこともなく、ちょっとつまらない感があったので、
私から話題を振ってみました。
私 「普段は病気を忘れそうなくらいです。でもふとした時に、これがいつまで続くんだろう、
また病状が悪化したり症状が出たりしたらと思うと、やはり怖いし、不安になります。
でも一過性でまた普段の生活に戻れます。」
(あれーこれ、以前も言ってたよね、また同じこと言ってる、ネタが無くなったか。)
精神科医「普段は日常生活を送っていて、でもときどき病気の事で不安になる、それでもまた気持ちを
切り替えて普段通りの生活を楽しめる、そういうことが『ちゃんと病気と向き合う。』ことだと
思うよ。そういう態度、心持ちでいいと思うよ。病気と向き合って不安を抱えながらも生きる、
ということができている。」
私 「でも私は、少しでも不安や恐怖は感じたくないです。病気の進行があっても、不安や落ち込みがない
状態というのはできないのでしょうかねえ?」
(せっかくお褒めの言葉らしきものをもらえていたのに、屁理屈こねて先生を困らせている私。)
もうひとつ話題。これはあるがん友さんの話。
転移したがんが進行して、主治医から
「来年のお子さんの誕生日は祝えないかもしれないので、今年は存分にお祝いしてあげて下さい。」
て言われたとか。もうびっくりです。主治医自ら諦めモードでどうする?
本人はまだままだファイティングスピリット満々で、既に次の一手を検討中のよう。
でもこういう前向きな態度には、助けたい、と言う気持ちが周りに働くのか、
担当の精神腫瘍科医が
「私は奇跡と言われる人がどのうように治ったか、などを研究しています。主治医に否定的なことを言われたら、
私のところにいらっしゃい。私とあなたとの間では良くなる、という前提でやっていきましょう。」
というようなことを言われたらしい。
携帯のアドレスや番号まで教えてもらっているとのこと。これもびっくり。
翻って私の主治医は、決して否定的な事を言わないことを信条といているけど、
逆に精神科医の方は、以前にも「死を覚悟しているか?」的なことを言われ、がん友さんの場合と逆だ。
いやあ、面白いね、もう正解はないんだから、何でもアリと言えばそうかもしれないけど。
主治医は、その主治医の性格によって話し方に大きな差が出そうだが、精神科医の場合は、
患者の性格を見て言い方を変えているのではないか、と私は思うのだ。
そういえば、ウチの精神科医はこんなことも言っていた。
「治らない病気を前にして、あくまでもアグレッシブに治療法を探したり、あるいは治療を続けながらも
自分の病気と向き合って最後までどう生きるかを考えたり、または医者にすべてを任せたり・・・、
人それぞれだけど、どれもその人らしさ、自分らしさ、なんだよ。正解はない。・・・・」
ふむふむ。自分で納得して選ぶ治療もしくは闘病姿勢がすなわち、自分らしさなのだろうか?
自分らしさ = 性格?個性?
がんになっても自分らしく生きたい、なんてよく言われるけど、つまりは気持ちががんに支配されると、
自分らしさがなくなるということで、それは自分を生きていないこと・・・?
なんだろうな。だって自分らしく生きている時(と思う時)は、充実しているし、私の場合、
充実 = 満足 = 幸せ につながっていると思う。
問題は、病状が進行しても、その自分らしく状態が維持できるか、だ。
それは、自分で考えて、工夫して、実践してくしかないんだろうな。
こういう内容の記事は、書きながら考え込んでしまって、少々時間がかかります。でも考えが整理できるので、
これからも思ったこと・感じたこと、書いて行きますね。クリック頂けると、励みになります。