日々雑感 ~写真と思い~

今日と言う日は、二度と来ない。 
だから今日を大切に・・そんな私のデジカメ散歩 

* さっぱり~! すっきり~! *

2009年07月30日 | 雑感


この暑いときに、少しでも伸びかけた髪はもうたまらない暑くて暑くて、夏特に苦手なんだもの。
明日は行こう明日は・・と思いながらかなりな日が経った。 
あ~、髪が伸びるとなんで気分もすっきりしないんだろう。 あ~、いやだ。
髪の長い人を見ると、よほどの精神修行の出来た人って思ってしまう。 7年前は延ばしてたけど。
我慢の限界で、思い切って美容院へ行く、苦手な電車で。 心斎橋まで。

札幌生まれと言う男性だった。 ご両親は私たちと同じような年齢、いつかは帰りたいと言っていたが、
見た目はがっちりしていたが、話も落ち着いていて内容が合うしで、時間がいい具合に過ごせた。 

きれいになったぁ~、パーマも自然な仕上がり次回は指名してもいいかなと思ったくらいいい感じ。
満足、自分で言うのもなんだけど、不細工な私でも昨日よりはずっと美人だ、うん美人だ。

娘が「やっぱり頭をすると違うね」そうなんだよね、気分爽快、そうかい良かった。
さぁ、間もなく月も替わる・・心切り替えてがんばろう! から元気でもなんでも気合入れて!
やり残したこといっぱいあるけどまいっか。 明けない大阪の梅雨、これからが夏本番だ。     31日記


* 子供は親の言うことは聞かなくても 親のするようにする *

2009年07月27日 | 雑感


食事は家族が揃って・・が理想。 
TVなどで、子供に家族の食事の様子を絵に書かせたら、一人で食べている絵を描く子もいるとか聞く。
朝食から、一人。 家族がそれぞれの時間、自分時間に合わせてばらばらだったりするのだろう。

昔は丸いちゃぶ台、みんなが揃っていただきます、だった。  丸いちゃぶ台・・すなわち輪、和。 
家族が一同に介し一緒に同じものを食する・・そこは和やかな、そして自ずと和が生まれる。
母がいつもくちにしていた”家族の和” 今思えば、それを提唱し続け位置づけるなんてすごいことだ。
私に、母が言ったりしていたようなこんなことってあるだろうか。 

夜、みんなが揃えばいいのだが、夫がゆっくりお風呂前におトイレで本を読んだりす帰りの遅いものもいたり。
小さいのがいると、どうしても出来ればその間に娘やなつめと先に食べ初めよっかと言うことがある。
夫がいれば「お先にいただきますね」と声をかけ。

先日夕食の用意は出来ていたが、男性陣は帰宅していなかったときがあった。 「食べる?」娘に言った。
「さぁ、おさきにいただこうかね。 かんたのご機嫌のいいうちに・・」そう言いながら、なつめが自分の席に座った。
淡々と言った突然の言葉に、娘と大爆笑をした。 なつめは笑いながら、その言葉を繰り返した。
「さぁ、おさきにいただこうかね。 かんたのご機嫌のいいうちに・・」

私と娘は毎日ではないのしても、一言も違わないその言葉を言っているのだ、そう言えば時々。
「怖いね」「遊んでいるようでも、聞いてるんやね」 「子供ってね、親の言うことは聞かなくても、
親のするようにするのよね」まさに、子は親の鏡、親の背を見て育つとは良く言ったものだ。

お仏壇はないが、義父の遺影にお花、炊き立てのご飯や水を備えている。 そして頂き物など。
ご飯はいつからか「自分がする!」と習慣になった。 その出来たてご飯をつまんでいたりするのだが。
いつだったか、しゅうまいが供えてあってびっくりした、まさかこれは供えなくてもいいよね。
お土産にいただいた横浜シュウマイ。 いつの間にかお皿に入れてなつめが供えていたのだ。
少しやられた!って微笑ましく感じた。  頂き物は、お供えする習慣があるがまさか・・シュウマイまでは。

お仏壇はないので、子供に身につけさせようと義父の遺影を飾りお供え物をするようにして育てた。
手を合わせると言う事をさせたかったから。 
なつめがお地蔵さんがあると、手を合わせ「みんなが元気でいますように」と手を合わせていたと次女が言う。

いいことは子や孫に伝え、良くない事は消去して行く、これが家庭の親子の継承ルールかなぁ、大切な。
孫の姿から教えられ、反省させられている私である。                       31日記


* 涙が出るほどに 嬉しかったこと・・ *

2009年07月26日 | 雑感

 

我が家の玄関のもみじが、なぜか何枚か紅葉していた。

昨日、獅子噛みのひと騒ぎが終わった頃、展君のご両親が見えた。
お中元や前日の次女の誕生日、今日のなつめの誕生日のお祝いを持って。 展君は仕事で不在。
孫を連れて行きなさいよと良く言うのだが、ご両親の仕事の関係上展君の実家へは月に一、二度くらい。

なつめは我が家のじいじやばあばと、天王寺のじいじぃとばあばぁ、イントネーションを変えて呼んでいる。
娘たちがそう教えたのだろうか、早くからじいじばあばを使い分け事柄を理解しているようだ。 
そんなに会っているわけではないのに、来られた途端にご両親にべったり甘えている、驚くくらいに。
子供をあやすのが上手なお母さんに、かんたもとても良く笑った。 そんな孫たちに内心ほっとした。 
あまりなつかなくても仕方ないかもしれないのに、まるで毎日いるような感じで、お父さんの膝に座りっぱなし。 
我が家にいる以上の甘えっぷりには、私も嬉しくなった。 (なっちゃん、えらい!)




夫には来られる前に、毎日いるのだから自分が一生懸命抱かないように、ご両親に抱かしてあげてよ、
そう言ってあった。 言ってあっても「お父さん・・」って一度注意したくらい、可愛いのは分かるんだけど。
実家に連れて行ったときなど、「一日一緒に遊んでいたい・・」と言われたりすると言う、無理もない。

なつめがお父さんの膝でシャツのボタンをかけはじめた、小さな手で小さめのボタンを。
子供番組を見ながら最近覚えたばかりのボタンかけ、今興味のあるボタンかけ。 
先日など、お店のディスプレイの人形のシャツのボタン「はずれてる~」一生懸命にかけていたりする。
ひとつひとつ一生懸命にかけている、なかなかなのをじっと待ちながらがんばれと嬉しげに見つめるお父さん。
正直いって嬉しかった、泣けるほどに嬉しかった。 いや、泣けた。
嫁いでいる娘ではあるが同居と言うことで大変な面もあるが、毎日孫の顔を見て過ごせる幸福。
そう思うと(毎日遊べてごめんなさい、もっともっと遊びたいでしょうがごめんなさい)そんな気持ちになる。

だから猫かわいがりはしない、実家へ連れて行ったとき(もうこの子は・・)等と思われたら傍にいながら
申し訳ないと思うし、もしかしていつかご両親のもとへお返しするときが来るかも知れないと思うと、
そのときには少しでも喜んでいただけるように、気負いはないがそんな責任のようなものを少し感じている。

「やったぁ! 出来たぁ!」 嬉しそうなお父さんとなつめ。
なつめの姿に(なんであなたは、そんな風にみんなを喜ばせるようなことが無心に出来るの? でもありがとう)
喜んでおられるご両親を見るにつけ、短い時間の全てにちょっと感動した。

私がご両親へ送って差し上げようと撮った写真の中に、そのことを思い出させる一枚があった。
本当のじぃじぃ・・と、孫の姿・・微笑ましい姿、涙が出るほど嬉しい場面だった。 


誰にでもこんにちはと言って、話しかけて困惑するときもある。 危険がいっぱいのご時世なのに。
でもたいていのおじいちゃんおばあちゃんは、にっこり喜んで微笑みを返して下さる。
小さな子供を見ると「一緒に遊ぼう、仲良くしよう」と近づいていく。 私たちの存在をを忘れて。
喜んでいいのか、あかんやないのと言い聞かせなければいけないのか。

今文章を打ちながら思った。 奇跡的に命をもらった子。
家族や身内多くの人の祈りや願い、救急、病院・・・何人もの人たちの働きをもらってこの世に生まれて来た。
もしかしたら・・なつめの行為は、それらの人々への”感謝”の姿なのかもしれない、”ありがとう”が形を変えた。
素直に喜んでやりながらもわきまえることも教えていけばいい、ふとそう思った。
もしかしたら、私たちにも(感謝を忘れないでね)そう教えているのかもしれない。      31日記


* 大阪天神祭り・・なつめが生まれた日 *

2009年07月25日 | 雑感

 


大阪は天神祭り、我が町も天満宮、三年前の今日出産を控えた娘に異変があった時間、家の近くへ来た。
その日、お神輿の行列を撮らんがために私は近所にいたと言うタイミングの折。 

笛太鼓の音、なつめが走り回る、元気過ぎるほどに。
あの日の(30分遅ければ母子共に命がなかったと思います)救急車のピーポーピーポー、遽しい院内、
血の気のひいた次女の姿が鮮明に甦ってくる。
何度記事にも書いただろうか、それだけ鳥肌がたつくらいに生命の神秘を感じている。
人一倍おしゃべりで明るく振舞うさまには、命とは・・生きていることの尊さを感じてしまう。

おひねりを包んで獅子噛みをお願いした。 なつめはわぁわぁと怖がって泣き顔、かんたは平然。
朝からなつめに「獅子噛みしてもらおうね、頭が良くなるねんよ」と言ってあった。
「ばぁばも獅子噛みしてもらう?」

毎年恒例の大阪天神祭り花火大会へは、夫、長女、ひろとママとひろと、次女となつめの6名。
午後に降った雨も止んで、三時前から場所取りでみんな出かけていった。
私はかんたと留守番。 天神祭りの中継が始まる前展君が帰って来てくれたので助かった! 
行くのをためらっていた次女だが、なつめの誕生日だし花火を見せてやりたいし、大丈夫よと私。
そんなに甘くはなかった、いくらおなかがすいていても母乳のかんたはミルクをどないにしても受け付けず、
大泣き、私も泣けてくるぐらいに反りくって大粒の涙。 スプーンでやっと少しあげられただけ。
ひたすら展君も抱いてあやした天神祭りの夜。

TV中継では見たが、涼しい家の中とはいえあの音と夜空いっぱいに広がる花火はやはり味わえないなぁ。
毎年(おそらく)花火のあがるお祭りの日、花火がなつめの誕生日に花を添えてくれる、らしい・・かな。
次女は昨日天神祭りの宵宮、そう言えば子供の頃から「チエらしい誕生日やなぁ」と言っていたような気がする。
                                                              31日記


* 訃報に接し・・ *

2009年07月24日 | 雑感

再び中国へ出張のセイ君を、関空へ見送り長女がやってきた。
買い物があったので次女&孫と出かけた、ヨドバシ梅田。 混まない内にと早い目のランチ、ベーカリーレストラン。

買い物をし、鶴見のダイアモンドシティへ。 なんと買い物に来ていた夫の姉と姪っ子に会ってびっくり。
お互いに相手のことを話していたと言う偶然、嬉しくってお茶をした。 
初誕生を過ぎたばかりのちっちは笑顔いっぱいで反応、子供は幼いほどに、会うとその成長ぶりに驚く。 
いとこ同士でいつも情報交換できる環境にいること、本当に幸せ。
足は大丈夫? 何処へ行っても娘から労わりを受ける。 何しろこう言うのは結構歩くのでこたえる。
本日のメイン、今日が誕生の次女への洋服のプレゼント選び。 
子育ての最中は、自分のものをゆっくり買うことがなくて、こんなときの娘の顔はほんと楽しそうだ。 

6時前帰宅、夫の方が先に帰っていて、なんだか様子が変。
「氷上のあの奥さんが亡くなったんやて・・」「え・・!」絶句、一気に気持ちが落ちた。
覚えている方もおられるだろうか、夫の会社の仕事をしてもらっていた氷上郡のご夫婦、年に一度は
夫に付き合って、寄せて居ただくようになった。 夫が仕事の事を話している間、付近の写真を撮っている。
夫の用事が済むとお料理上手な奥さまが色々な季節感のある料理を用意してくれていていただいている。
帰り際にご夫婦の写真を撮り、アルバムにして差し上げる・・いつの間にかそんな習慣になっていた。
ご夫婦からたいそう喜ばれて、お仲間に見せてまわったり喜んでいただいていた。
年賀状も交換させていただくようになっていた。 いつも達筆な奥さまの毛筆だった。
お米や季節のお野菜が会社に届き、おすそ分けをしてもらっている。

笑顔の素敵なやさしい御主人に添うような奥さま、写真に収めるたびに(こんな夫婦になれたらいいな・・)
美男美女・・羨ましくも思えたご夫婦だった。 
2月にお会いしたとき、奥さまの顔色が悪くてこれは普通でないと察しとても心配だった。
案の定昨年心臓の具合が悪く、入院もされたらしい。 そんな話を聞いたし、いつもとは違った顔色で、
おこがましいとは思ったが、夫と御主人が仕事の話をしているとき、「どうかご無理をなさらないように、
お身体が大切ですから、仕事がご負担になられるようでしたらお断りされたらいいですよ」
夫に叱られるかも知れないと思ったがそう話した。 「仕事があると思うと、気持ちに励みにもなるんでよ」
そうは言われたし、お気持ちも分かる何十年もして来られた仕事だ。 迷っておられたような気がした。 
少しの仕事を残し、5月には作業所の反物や材料などある程度引き取って来たばかりだった。 

あのときは食事の用意がなかったので、よほど体調もすぐれなかったのかなあと思っていたが。
それに「写真はええでよ」と言われたが初めてお化粧をしておられなかった。  
「記念ですから」と何枚か撮って、ツーショット写真を2L版で台紙にのせ、送ってさしあげた。 
いつもお二人は笑顔で、奥さまは一歩ご主人の後ろに並ばれていて・・このときが私たちには最後となった。

相思相愛・・ご主人さまの悲しみを思うと、急な旅立ちに立ち上がられるだろうか・・案じられる。
夫が亡くなっても、妻は寂しくとも生き生きとしてくるが、それに反して夫は2、3年が勝負だと言う。
亡くなられたが、医者であり作家であった斉藤茂太さんが本に書いておられたがそんな人を何人も見ている。
それは家事一切ばかりでなく、心の。 妻がいればこそ、夫は安心して働ける日常なのであると。 
言葉にはしなくとも、相手の存在を思っているのは夫側の方がウェイトが大きいかもしれない、うちはどうか。
布団に入っても、お二人の笑顔が浮かんできて・・。

8、9年前兵庫県の山奥、佐用郡でも仕事をしてもらっていた老いたご夫婦があってご主人が亡くなられ、
最後の作業場のものを引き取りに行くとき、夫に同行したことがあった。 
良くつきたてのおもちやお花やお野菜をもらったりしていて、氷上のご夫婦に通じるところがあるのだ。
お線香をと部屋へあげていただいたとき、広い家の中には、奥さまの趣味の絵や詠まれた句が描かれていて、
お供えのものやお庭の花がいっぱいで、随分とにぎやかな愛情のあふれたお仏壇だった。 

あの時玄関に掲げてあった句 ”いつまでも お前といたいと 言いながら 夫は逝きたり 我を残して”

エッセイ:「佐用の思い出

この思いはそのまま、氷上のご主人と重なっているように思う。 
この奥さまと違い、きっと・・何も手につかなくて遺影の前に座っている姿ばかりが浮かぶ。

「明日主人がいないと思い、今日を尽くすのよ」知人の言葉がまた思い出された。
私なんか・・全然そんな日が送れていない、夫に対しては。
今度夫と「お線香あげさせてもらいに行こうよ」 私にはもったいない感動のご縁だったから。  28日記