日々雑感 ~写真と思い~

今日と言う日は、二度と来ない。 
だから今日を大切に・・そんな私のデジカメ散歩 

* 神戸は今日も雨だった・・♪*

2010年06月26日 | 雑感
雨である、こんなに降るとは思っていなかったのに。  半ドンの夫が帰宅し出かけたのが1時過ぎ、
神戸の夫人の住まい近くに来たのが1時40分くらいだった。

雨の中にあちこち深緑の中に、紫陽花が色を添えていた。
 
 
今日は写真は無理だな・・そんな気持ちが、車の中の私にシャッターを押させる。
「もう着きますよ」そう言うつもりの電話をかけるが出ない・・何度しても。  何かあった?心配になる。
昨日、「回転寿司やめてお昼ごはんお弁当作るので家で食べましょうか?」毎回回転寿司もなぁ・・と思っていたが、
「ううん、回転寿司でええよ」 3度目だが、お気に入りのようで喜んでおられたからほっとする。

2時過ぎだが、いっぱいだった。 夫人は前の時より良く食べたので嬉しい、食欲があることは安心である。
ゆっくりと会話しながら長いこといたら帰る頃には1/3ほどになっていた。
回転寿司になって、おじいちゃん、おばあちゃん、孫まで小さい子供にも食べられるものがいくらでもあるので、
家族の関係にはこれはいい発想、ヒットしたのが分かる。 その陰で時価のお寿司屋さんには厳しい現状。
 
 
「おかん、日本丸がメリケン波止場に来てんねん」 そんな話をしながら神戸港に向う。
停泊中の日本丸を見せてあげたかったのに・・雨の上、波止場は工事中で門が閉められていた。
私だけ降りてパシャ。
 
 
晴れなら、練習生の姿も 見えただろうし、まじかで見えたのにね。
 
 
それからは、大学通りや花鳥園、神戸空港と雨の中音ドライブ。 おトイレや水分補給やと私は気になるが、
夫は出かけることのない夫人をあちこち見せてあげよう気晴らしに・・とその思いでいっぱいだ。
 
私たちを降ろすと、夫は近くの温泉に行った。 しばし色んな話を聞いてあげる。
その間にお友達2人が別々に来られた。 「誰がきてくれるんよ、いつもいつも。 感謝せな」
 
夫は1時間して戻ってきた。 「なんでそないに汗かいてんの」「おかん、温泉へ行ったんやで、汗かかいでか」
ときおりそんな会話を聞くと、何処へ行ったか分かってるのかな・・ふと思ったりする。
 
雨なのでベランダから手を振る婦人、帰りはなんだか寂しい。
 
 
帰宅途中、何度も激しく降ったり少しはましに・・・を繰り返した。
電話をしたときには、持参したおかずでで食事をしておられた。 明るい声だった。
 
 
車の窓越しに撮ると、油絵のよう。
ブログ友のまほさんが、行けなくとも 写真を入れて葉書をだされたら・・そう提案してくれた。
今の私なら、思うだけでも楽しいが、80歳を過ぎるとぬくもりを感じていたい、人の気配が欲しいのだと。
昔は筆まめとか言われたのに、段々と遠のいて・・もうほんと無精になった私。
自分がもらっても嬉しいのに、夫人はもっとそう感じるであろうなぁ。
よし、これからそうしよう。
 

* きゅうりのQちゃん漬けの季節! * 

2010年06月24日 | 料理・その他食

暑い、口に出しても仕方ないけど、口に出しても涼しくなるわけではないけれど暑いが口に出る。
知った人に会うと挨拶の後には「暑いですね~」が必ず。 大のつく苦手な季節がやってきた。

暑いこの季節、欠かせないお漬物と言えば我が家で作る、”きゅうりのQちゃん漬け”
長女の友達、今は休止中だがritsuちゃんの義母さん直伝、きゅうりのQちゃん漬け   を知ってもう2年目である。 
近所のお店”いせやさん”で見事な大きな胡瓜1本28円、今まででは最安値だった。
飛びついて10本購入し即効作った、るんるんで。 冷やすとほんと美味しい、あっと言う間になくなった。

無いと寂しい、暑い日々が続く中でやっぱ欲しいきゅうりのQちゃん!

改めて”胡瓜のQちゃん漬け”の作り方を。  
 胡瓜1キロ(大体10本) しょうが一片 好みで白炒りゴマ
 調味料:醤油120CC ・みりん 80CC ・お酢 40CC  

我が家で使うお醤油は三重県のはさめず醤油、人さまにいただいてから気に入って以来ずっとこれ。

大鍋にお湯を沸騰させ、洗った胡瓜を入れて火を止めて冷ます。 
胡瓜を取り出して、もう一度新しいお湯を沸騰させ胡瓜を入れ、火を止めて冷ます。 決して炊かないこと。
分量の調味料を沸騰させて、しょうがの千切りを加え、好みで少し白ごまを入れる。
胡瓜を5ミリ位の輪切りにし、ふきんで水気を絞り調味料の中へ入れて冷蔵庫へ。
 
朝、作って夜にはもう食べられるけれど、日が経てばもっと美味しい、だけど日が経つまでもたない!
簡単なので、どうかお試しあれ! 食べた後の漬け汁は、冷奴などのかけ汁や、調味料を足してまた使える。

大の苦手な夏、きゅりのQちゃんで元気に乗り切ろう私!

マッシー母さんから久しぶりに電話があり、喫茶店で待ち合わせ、7月9日締め切りの花履歴の応募、
写真の編集の依頼された。 これから彼女が写真を選んで、私は香港から帰った翌日打ち合わせになった。 
翌日なんてね、でも夫だって仕事に行くわけだし、断れない性分なおよね私、いいかこしい。
そうそう先月のひまわりフォトコンテストの賞品の商品券をいただいた。 こんな臨時収入は嬉し~い。
モデルさんにもおすそわけしなければ!


* 頂きもの・・ *

2010年06月23日 | 料理・その他食
 
 
船長から出身地、淡路島のびわをいただいた。
毎年この季節にいただく、そうなるとなんだかいつの間にか心待ちしている私がいる。

子供の頃、実家にもびわの木があって食べ頃が待ち遠しく、まだ熟れてないときに食べたりした事があった。
昔は腸チフスになるとかどうとか言われたり、おなかをこわしたこともあった、そう言えば。

びわと言えば、”まどみちおさん”の歌、♪   ≪ びわ ≫  作詞:まど・みちお / 作曲:磯部俶

♪~びわはやさしい 木の実だから  だっこしあって うれている
うすい虹ある ろばさんの  お耳みたいな 葉のかげに

♪~びわは静かな 木の実だから  お日にぬるんで うれている
ママといただく やぎさんの  お乳よりかも まだあまく

毎年思い出しながら口ずさんでいる懐かしさよ。 昨年より、色も味も濃かった。

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昨日京都の姉からクール便で、茹でた破竹がいっぱい届いた。 前日メールで「これには深い話が・・届いたら電話でね」
(深い? 深イイ話かな)

 

昔昔 きこさんの旦那さんが昼勤だったころ、朝は3時半に起床5時の始発に乗る旦那さんを見送ったそうな。
家の周りを掃除していると、おばあちゃんが道端に腰かけていた、そのそばには今時珍しい大八車が。
月のうち何度か、おばあちゃんは同じ場所で座って休んでいたそうな。

「おはようさんです。 おばあちゃんどこからきてはるんです?」 きこさんは、思い切って声をかけたそうな。
京都とは県境に近い奈良県の方からきてはるそうで、お話を聞くとここからもう半分ほど離れた距離の、
息子さんのところに、家で作っている新鮮な野菜を届けているんだそうな。 
大八車に野菜をいっぱいのせて、1時間以上をかけて運んでくる、その中間地点で休憩をしているらしい。

そのうちきこさんも、旦那さんを送り出しているものだから、おばあさんと話し込むようになったんだって。
お茶をよばれたり、そこがおばあさんには話の出来る楽しい休憩場所となったわけでありますな。
きこさんはいつからかお礼にとお野菜をいただくようになったけど、丹精のお野菜を一生懸命運ばれるおばあちゃん、
いただくのが申し訳なくて「おばあちゃん、買わせていただくわ」その方が気が楽だからと思ったようで、
以来おばちゃんが来るときは、お野菜を買うようになった、強制ではないけれど必然的に。
おばあちゃんも別な楽しみになったに違いない。

息子さんが車でとりに行けばいいのにと思うけれど、面倒かけずに持って行ってやろうとする親心。は
1か月前には膝の手術をされたそうで、そんなときもおじいちゃんが自転車にいっぱい積んで運んでいたそうな。
それならおじいちゃんが自転車で運べばいいのにね、そうも思ったりしたものだそうだが自分で届けたいおばあちゃん。
お嫁さんが待っているのか、置いて帰るのかどんな風なのか。 今73歳らしい。
旦那さんが夜勤になって、きこさん自身も新鮮な野菜を分けてもらい、おばあちゃんに会うことが楽しみになっていたのかも。

先日雨が良く降ったので筍が伸びてねと、破竹をいっぱい持って来られたそうな。(こんなに沢山食べきれない!多すぎる・・)
そう思ったけれど、きこさんは時間をかけて歩いて運んで来られたことを思うと、断れなかったそうで、全部買ったそうな。
みくさんなら「おばあちゃん、そんなには食べられへんし半分だけもらうわ」と言ったかな、いや断るの苦手なので全部もらただろうな。
他の野菜もきこさんは断れず勧められるままに買ったので、「食べて!頼むから!」みくさんにSOS送ったんだとさ。

写真の3倍もの量。 皮つきはかさばるし送料もかかるし皮を剥いて大鍋で二度も茹でたそうな。
「縦、横、高さやもんね、荷物の送料」「そうやのよ」「こっちはとっても有難いわ、丁寧に茹でてくれてすぐ炊けるし~」

けどみくさんは破竹をもらった嬉しさよりも、心に感じたのは、きこさんが話す事がらだった。
きこさんは昔からゆっくり話す人なので、「どんな家に住んでいるのやら、大きな家なのかどうなのか、
どれだけのお百姓さんなのかどうか、家族構成も何も知らへんのよ」 そうのんびりと話したきこさんの言葉。
長い年月の付き合いになっているのに、おばあちゃんが家のことや息子さん夫婦のことを愚痴るのでもなく、
聞けば答えただろうが、きこさんも人の悪口を言ったり人のことを根掘り葉掘り聞きたがったりする人でない。
みくさんにすれば(そんならいつもどんな会話してたん?)電話のあとで聞いてみたら良かったわ、そう思ったのだ。

あたりさわりのないようなおばあちゃんの話を、気持ちよく聞き役になって接していたきこさん。
相手のことを立ち入らずにいる、しかし普通な世間話がお互いのいい関係を保てている原因かなぁと思う。
穏やかな和やかな二人の楽しそうな場面を想像しながら、暑いさなか爽やかで心地いいものを感じたみくさん。
みくさんなら家族は?家は?仕事は?聞いてみたに違いない、おばあちゃんのことをもっと知るために。
なんで時間をかけてまで運んでいるのか、お嫁さんともどんな風な関係なのか、聞いてみたくなるはず。

きこさんらしいわ、きこさんの温厚な性格に(これは私への無言の教えやわ)ほのぼのと感じたそうな。
せっかちで偉そうで思いやりにかけていて・・きこさんの姿に、ちょっぴり反省のみくさんでしたなぁ。
それにしてもこの破竹はあっという間に、筍ごはんや煮物やみそ汁や・・ご近所さんや神戸の夫人へと
色んなところへとお嫁に行ったとさ。   
おばあちゃんの愛情がこもったお野菜、それは甘くてやさしくてやわらかくてほんに美味しかったとさ。 29日記

* 定期診察&関空へお出迎へ *

2010年06月22日 | 雑感
午前10時の予約を入れて、月に一度の定期診察に行く。
本来なら月曜の夜7時15分が決まりだった。 予約ながら、いつも1時間半は待つそして診察は10分足らず。
具合が悪ければ診察に時間がかかるだろうが、10分足らず・・身体はいいのだろうけど。
月曜特別用事があったわけではないが、昨日朝都合悪くなったと言うことで火曜に変更してもらった。

月曜は院長先生、火曜は院長先生ともう一人、その先生は糖尿病専門の先生ですがいいですかと言う。
ずっと私の経過を知ってくれている院長先生、う~ん・・まいっか変えてみようか。
院長先生はいつも聴診器をあてない。 「特別変わりはないですか?」「はい」 そう言ってしまうから、だから?
別にむさくるしい巨体、聴診器あてていただかなくともいいんだけど、でも同じ再診料かかるんだろうにね。

院長先生以上に優しそうな先生だった。 聴診器をあてられた。 (初対面だからかも?)
糖尿の薬が先月から半錠になったが、(もし、あがっていたらどうしよ)数値に変化なし、結構ですよとのこと。 
来て40分で終えた。 のに喫茶コーナーでご近所さんと世間話をして結局はお昼前になった。

検査の後は無性になんでも食べた~い! 冷蔵庫の処理よろしく手当たりしだいに? 
いやそんなことはないが、しかし今日はご法度、食べることがメッチャ嬉しくてたまらない、美味しい。
 
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2週間ぶりに長女が中国、香港滞在を経て一時帰国するので迎えに行く。
19時45分着までに1時間あるので、関空手前の展望ホールスカイビューへ立ち寄る。 
なつめやかんたが喜ぶゾーンもあるが、残念ながらそこやショップはタイムリミット。
展望ホールで世界50社もの航空会社の離発着を轟音を聞き眺められる楽しみやすごさは格別である。
昼間は大きなカメラをかまえたおじさまが多い。 一日過ごす人もいるようだ、さまざまな会社の飛行機は魅力。
7時でもこんなに明るい。 最近はコンデジ画像が殆ど。
 
 
そのコンデジは私の愛機、オリンパスCAMEDIA C-760 ウルトラズームはもう7年になる。 
昨年破損したときネットで修理可能な機種かどうか調べたら、最後尾に載っていたが案の定
「もう来年破損した場合は、修理は不可能ですからどうぞ大切に・・」と忠告を受けている。
製造打ち切りから5年間しか部品は保存されない。
家族が持っている新しいコンデジと違って手ぶれ機能はないし、画素数も少ない。 
しかしながら写真を撮り始め、ブログに載せるようになって、私も生き生きになりブログを美しく彩ってくれて
私とまるで一緒に歩んできたような、とても愛着のある必携のカメラである。 良くぶれぶれなんだけど。
 
 
私はシャッターを押し終わると同時にカメラを移動してしまう変なくせがあり、ぶればかりの写真の時がある。
せっかちな性格は未だ治らない。
 
 
 ウッドデッキには関空をバックに写真を撮るスポットあり。 
 
 
 「あれは写真学校の人やね、きっと」駐車場で大きなカメラを持った5、6人のかたまりを見てそう言っていたが、
フジテレビのカメラさんたちだった。 子供と関空の写真を撮りたいらしく、なつめやかんたにお姉さんがしきりに、
「ばいば~いって手を振って~」そう要求していたが、思いがけない時間だった。

到着20分後、長女は元気に顔を見せた。 セイ君はまだ中国である、もう2週間足らずで2カ月の滞在になる。
そのセイ君が香港にいる間にと、セイ君のお母さん(残念ながらお父さんは行かないらしい)と私たちを、
香港旅行へ招待してくれる。 1日から4日間の予定で。
海外旅行は長男の結婚式でハワイに、飛行機苦手な私だけ(もう行かない)と5年にしていた。
長女夫婦の挙式は孫が小さいのでグアム、これはセーフだったが、まさかの香港、パスポートは期限切れ。
私たち還暦夫婦に、またまたこんな楽しみがいただけるなんて。                                25日記
 

* 一人と言うこと・・・ * 

2010年06月21日 | 雑感

昨日神戸の夫人の携帯から、夫へ電話があった。 
夫は「こっちからかけるって言うて」って言うから、そう言って切った。 電話代がかかるので。
夫が携帯から電話をする・・ 「1回、2回、3回・・・7回、8回・・出んぞ・・」 「携帯へかけてる?」夫は返事をせずに
「14・・15・・出た!」 「おかん、なんですぐに出えへんねん」 「家の電話にかかってるさかいに」 「え?そうやった?」
(だから言うたやん、そうや思うたわ) 「すまん、おかん! もう一回かけなおすわ」  なんのこっちゃ。
別に用事はなかったのだが、つい押した・・と言う。 そう言えば、少し電話をしていなかった、気になりながら。
83歳にして先月携帯を持ったが、日が経つと忘れてしまうと言う。(当然、夫だって履歴から登録まだ出来ない)
マニュアルを作ってあげる為に写真を撮りに行って、作って先月末に持って行って練習した。
人に言うために夫人の番号や、色々A4サイズで表裏に5枚分作成した。
今はエコの為、小冊子でなく使い方はネットで検索、何ページにも渡って詳しく書かれてあり初めてみた。
同じソフトバンクのお隣さんも呼んで、何度もやったりしたんだけど、そりゃ仕方ないわ、私だってすぐ忘れる。

 
「電話持ったこと後悔してるわ」本心ではないのが、言葉のニュアンスで分かる。
公衆電話のない今、いざというとき持っていいと一人なんだし、よけいに必要なのであるが。
夫人にしてみれば、そばに置いている鳴らない電話は持っていても返って寂しいのだろう。
 


私が上の階で用事をしているとき、電話があったそうだ。 普段でも自分からかけてくることなど殆どないのに。
つい押してしまったと言ったらしい。 短縮ダイヤルも本来なら1番は身内だろうが、1は夫に、2は私に、
3は一番近しいお隣のお友達。 親兄弟はなく一人いる弟のお嫁さんも高齢で、もう何もしてあげられないから
電話をしてもらっても・・と言われているらしい。
1を押した・・昨日に続いてまた今日も。 なんか胸が・・痛い。
「おかん、土曜日半ドンやからお昼から行くわ。 ええとこ連れて行ったる」思わず夫はそう言ったらしい。
2日も「つい押してしまった」夫人の心情を思うと、言わずにおれなかった夫の気持ちが良く分かる。
いいところ、練習帆船日本丸が今年もまた、神戸港に停泊している。
7月の3日までらしいので、帆船の好きな夫人にそれを見せてあげようと二人で話していたのだ。

震災後は神戸市北区のひよどり台の仮設住宅にいた。 
その時は共に被災した同士、何度も訪ねていた私たちは本来なら前途を思うと
暗くても当然なのに
皆さんの顔は明るかった。 助け合いながらはつらつと生きていた。 神戸の方たちの地域柄、人柄を見たようだった。
あの頃の夫人は何にでも興味を持っていて、積極的に吹奏楽の演奏を聴きに行ったり、帆船を見に行ったり、
講習会があると聞きに行く、プールへも水中を歩くんだと通っていた。
会ったときの会話は明るくて、消極的な私は見習わなければいけないと思うほど、お年のわりに実に快活であった。


仮設の撤去から、一般の住宅、現在の新しい復興住宅に移り住むようになって、次第に心が萎えて行くのを感じた。
仮設の時の沢山の友達とも離れ離れになり、あるいは亡くなられたり・・それに無二の親友も亡くなり、
謡いの友達も先月山口へ引っ越した。 本当に寂しくなられた。 
何をする気力もなくなっている。 まるで老いにも加速がついたように・・。
何の血の繋がりもないが、会社で定年まで夫と働いていたと言うことで結婚前からずっと続いている縁。
家庭を持たなかった夫人への思いやり、夫ならばこそである、まるで息子のように。 
だから私も、息子のお嫁さんよろしくお付き合いをさせていただいて今に至っている。
寂しいのであろう、多分。 伺ったときも、周りはどんどん発展していくのにエレベーターでもあまり人に合わない。 
復興住宅故に高齢で一人住まいの方が多いからである。
足もおぼつかないので歩き回ることなく、お隣さんがいなければ、一日一言も言葉を発しないかも知れない。
周りにも、このような方はいくらでもいるが、なんとも言えない気持ちになる。
前にかかりつけの病院のヘルパーさんが、会話をしないと記憶力の低下が早い、特に一人暮らしの方はと言われた。 
夫人だって同じだ、外へ出なければ人が来なければ電話でもしなければ一日言葉を発することがない。
だから電話で話すとき、「頭が悪うて、悪うて」を繰り返す。 今何をしているか分からなくなる時があると言う。
そんなことは私も日常茶飯事(なにをしにこの部屋へ来たんだろう)思いだすために部屋へ引き返したりする。 
夫人も記憶がおぼつかなくなっているのだきっと、日増しに。

今記事を書いているのは24日朝、実は昨日もお昼夫にかかっていたが、会社では受信不能、
昨夜かけたらいつ来るって言っていたか分からなくなって、聞こうと思ってかけたのだそうである。
「おかん、土曜日やで印しとき」夫は何度も言った。 電話を切った後私たちは少し無言だった。
自分たちに出来ることを・・と思いながらも、つい我が生活で忘れる日さえある。
夫や私の母は実家の兄嫁さんたちに手厚く面倒をみてもらっている、核家族で申し訳く思うからせめて
日々夫人に心を通わせようと、そう思いながらも日常生活に埋もれてしまったりしている。
土曜日何を作っていこうかと、娘とそんな話をしたりしているのだけれど。

「これから大変やね、本当に分からなくなってきたら・・」 「なりゆき上しゃぁないな」 がんばろうか・・。