日々雑感 ~写真と思い~

今日と言う日は、二度と来ない。 
だから今日を大切に・・そんな私のデジカメ散歩 

* 親と言うものは・・ *

2013年02月17日 | 雑感

何曜日かもはっきり覚えていないけれど、上戸綾さんが見たくて何気に撮ってったので見た。

いつか陽のあたる場所へ

刑務所から出て都会で生活する娘を案じ、会いに来た父親が、田舎へ帰って行く日、見送りを同じ刑務所で知りあった友達に頼んだ。
介護している婦人に「普通の顔をして見送る自信がなかったから行けなかった」と言うと、婦人に諭すように言われた。 

「親に心配をかけないと言うことが、決して親孝行だとは思えない。 親と言うものは、子供の苦しみを一緒に背負いたいもの。
作り笑顔を見たって悲しいだけ。 親の前では、泣きたいときは泣いたらいい、それが親孝行な時もある」
その言葉を聞いて、親の見送りに走る。

3人の子育てをしている最中、母親に言われた事があった。
広島から就職して京都で5年、結婚してからは大阪で暮らすようになった。  
長女は小学校へあがるまで喘息性気管支炎が持病のように、帰省するたびに田舎の病院へ行ったりして、心配をかけた。  
3人の子供を大きくするまでには、色々な苦労があった。  今の我が家のように、親が近くにいる訳ではない。
離れているので心配をかけまい、言わなければ分からないし・・と思っていたが、何かの時大変だった事を話し、
それを知った母は、私に言い聞かせるように言ってくれた言葉がある。

「心配をかけないようにと気を使って黙っているより、親と言うのは大変なときは大変だと子供から言って欲しいもの。
 遠くで何もしてやれないけれど、大変なことを一緒に背負って心配してあげられる、励ましたり祈ってあげられるんだよ。 
子供が頑張って乗り越えようとしていることは、知っていたいし、よけいな気遣いはしないで話して欲しい。 
後で、こうだったと聞かされるのは親としたら寂しいよ、言ってくれる方が嬉しい、それが親子よ言うものなんだ」と。

今、母の気持ちが分かる。  
子供たちが、大丈夫変わりないよ、と言ってくれるより、何かあるのなら「今こうなんよ、大変」と言ってくれた方が嬉しい。
何もしてやれないかも知れないが、聞いてあげることは出来るし、頑張ってよと励ます事も出来る。
親は子供が苦労したり乗り越えようとしているとき、陰で自分の身を整えながら祈ってやることが出来る。
それでなくとも、日々所帯を頑張っていることが分かっているだけに、ささやかでもいつも応援してやりたいと思っている。

母も高齢なので以前のようには言えないが、私は「今ねこうなんよ、今度こんなことが・・お父さんに拝んでてね」
子供や孫が入院したりしたときも、隠さず甘えて「お母さん、お父さんにも拝んで頼んでおいてね」と頼むことがある。

***********************************************************************************************

【海遊館の生き物たち】  

「いつでも言ってよね・・励まし合って・・支え合って・・」


* ゆいちゃん *

2013年02月16日 | 子供

昨日はバレンタインで大安だったので、お雛さま関係の人形を玄関や部屋に飾った。
これは実家の兄嫁さんの手作り、昨年送って下さったものである。

あいちゃんから昨夜電話があり、ひろとの入学の買い物で友達と出かけるので、ゆいちゃんをあずかることに。
夫と市立中央図書館へ行く予定だったので、迎えに行ったその足で行った。 
おとなしくしているはずはないだろうが、とりあえず駄目もとで・・10時過ぎ・・

駐車場待ち、館内に入ってこんな時間から多くの人が来ているのには少し驚いた。 
ゆいちゃんは案の定パタパタ絨毯の上を走りまわり、読書している人が振り向き・・あわてて「シー!! 静かに」  
夫が借りるCDを選んでいる間、AVコーナーでゆいちゃんが選んだ「のんたん」のビデオを見た。

地下1階から地上3階まで、約30万冊の本、15日間で1人8冊借りられる。
ビデオやDVD,カセット等も多い。  館内でも視聴が出来るブースが沢山あってCDを聞いたりDVDを見ている。
港図書館しか行った事なかったので、これはまた来る価値大いにあり・・無料ですもの利用しなくては!
それに返却は地元の港図書館でもいいのだ。

市立中央図書館  大阪市西区北堀江4-3-27

夫が次に連れて行ったのは、我らの庭大阪港中央突堤のウッドデッキ。  ここは慣れているので、走りだしたら止まらない。
膝や腰やと健全ではない2人は、走ってついて行けない! ゆいちゃんは止まる・・と言う事が、まぁない。

<老人と海・・ではなく腰がちょっと悪い老人と孫 >

ここにある古い建物上屋の使用をやめて、美しい夕日を感じる緑地公園になるそうだ。
そうなったらもうみんなで釣り・・は出来ないだろうなぁ。  でもきれいな公園になるのは大賛成!

昨年の今頃は、子守で毎日一緒に遊んでいたが、入園してはや1年あまり・・随分と変わった。
しっかりと言うか、丈夫になったと言うか。  ひろとに鍛えられたのか、負けない位やんちゃである。

この前夫が、「愛ちゃんらうちへ泊まったことないやろ、一回泊まったらええのに」
愛ちゃんにんこの間伝えたら、笑いながら「ゆいちゃんだけお願いします」と言った。  正解かも? 

手をつないで無かったら、いつまでも走る、飛んだり跳ねたりしている。 ついとかないと危ない。
夫は結構のんびりだ、怪我でもさせたら・・と、私は神経を張り巡らせているのに。

しかし、声も良く通る、良くしゃべる、笑う、元気、これが一番!
せっかくの笑顔なのに、じっとしないのでぶれぶれ・・残念!

府民共済加入者の今年第6回の”こどもの笑顔”写真コンテスト、入賞を狙おうと思っている。 


* 90と70で・・ *

2013年02月15日 | 雑感

姉の誕生日であった。

少しばかり姉夫婦で食べるようにと、お菓子を送っていた。
届いたよと電話があった。  声がうわずっていたので「その位で感激せんでもいいよ」と言ったが、お菓子よりも
手紙に感激したようだ。  本当に姉は涙もろい、私以上に。

姉には朝一番、母からおめでとうの電話が入ったようだ。  
これは誰にもであるが同居の息子夫婦にはもちろん娘4人、そしてその旦那さんの誕生日にはおめでとうの電話、
結婚記念日にも必ずかけてきてくれる。
今年89歳になるが、この歳になっても忘れないでいてくれる、きっとカレンダーに書きこんでいるのだと思う、毎年。
感謝なのはもちろんだが、これはひとつの母自慢かも知れない。 

長びいた風邪の菌の影響らしいが、昨年から両耳が聞こえなくなっていた。 兄夫婦とは筆談で話していた。
耳に溜まった水を抜きに毎週、兄夫婦が交替で病院へ連れて行ってくれている。
補聴器がつけられるようになったので、電話で話が出来るようになったと言う。

姉は昨年、二回に渡る膝関節の手術をした。 
自分で歩くことが困難だったが、手術のお陰で杖をつきながら、スーパーへも手押し車で買い物に行けるようになった。
姉を案じ、いつもお仏壇に手を合わせ、祈り続けていた母、5人兄弟の一番上戦前生まれと言う事で苦労をかけたと言う
そんな思いをいつまでも残っている母である。 
母は還暦前に亡くなった父の分まで長生きをしていることの幸せを、いつも口にしている。
姉も身体の事では入退院を繰り返したりしながら、歩けるようになった今、その幸せを沸々と感じている。
そんな親子の話は、きっと有り難いと涙涙だったであろう。

母と2人で言い合ったそうだ。
来年母は6月、90歳の誕生日を迎える。  姉は2月に70歳になる。
最後には、「90と70、2人がお互いに元気でおめでとうが言えるように頑張ろうで」と言い合ったそうだ。

「そうやね、本当にそう、すごいね90と70で元気でおめでとうが言えたら、がんばってよ」
その後、2人で母の事を話した。 それはいつものこと、電話の終わりはいつも父のこと、母の事、
両親への感謝と、そして頑張ろうね!なのだ。

「今からはお互いに、母が目で見せて導いてくれたように夫婦が仲良く、親子も、兄弟も、みんなが仲良くを貫こうね、
兄弟夫婦、みんなが仲がよければ、いずれ私たち亡き後どんな事があってもきっと助けあって乗り越えて行けると思う。
私はそう念じながら少なからず努力をして今を過ごしているのよ」 姉も賛同してくれる。
「妹の分際で偉そうに言ってごめん!」 最後にはまた笑い合う。

世の中では毎日のように、人が人をあがめたニュースを聞く時代になった。
親が子を、子が親を、おじいちゃんが孫を・・孫が・・身内、他人、簡単に・・耳をふさぎたくなる信じられないニュース。
やはり「和」 母が子供の頃から、耳にたこが出来る位言い続けていた言葉「和」 この「和」が欠けたら・・。
父も電話や話の終わりには、いつも「兄弟仲ようにな」で締めくくっていた。

親から子へ、子から孫へ・・親の生き方「和」の生き方を継承して行くことが、親の願いに叶う生き方であろうと思っている。
両親を裏切らないように、子供や孫の前を歩く立場の者として責任を持って生きて行きたい。

「子供には美伝(財産)を残すな、人の道(無形な財産)を残せ」と聞いた事がある。 
残せない者のひがみかも知れないが、それが子供たちの自立へ繋がり努力する親の姿を見せる子供への教育だと思っている。


* バレンタインデー *

2013年02月14日 | イベント



当日にアップ出来なかったのですが・・。
我がブログへおいで頂く、紳士さま・・気持ちはありましてもさしあげたくとも、居所も分かりかねますゆえに・・
(いえ、そうでない人もおりますが)
おいでおいで頂くだけでも嬉しく光栄ですのに、コメントを残して下さる方々には尚更の事有り難く恐縮です。
それぞれ皆さまには心よりの感謝を申し上げます。 
タイムリーに更新出来ない怠けブログですが、今後ともどうぞよろしくお願い申し上げます。
お元気で、いつまでもおつきあい頂けますように・・。

***************************************************************************************
夕方4時半ごろだった。
コンビニに、荷物を持って行った。
途中自転車に乗った、3人の女子中学生にすれ違った。
前籠にはそれぞれ紙袋が,中にラッピングしたチョコらしきものがいくつか入っているのが見えている。
(いいなぁ・・渡すんやね男の子に)
「どうやって渡そうか」 「これあげるわってそっけなく言おうか」 笑いながら言っていた。

コンビニの帰り、マンションのそばで小学生の女の子が3人、また同じように紙袋を下げていた。
マンションを見あげながら「おるかなぁ」 「待ってるんちゃう?今日は」 3人とも楽しそうだった。
(本命さんに渡すのかな?)
和やかで微笑ましい光景である、私も笑顔になった、昔を思い出しながら。

バレンタインデー・・

6時頃、夫と次女親子を迎えに行き、息子宅に行った。
愛ちゃんと、ひろと、ゆいちゃんが降りて来た。
夫、それぞれの旦那さん、ひろと、かんた。  男性諸氏のバレンタインデーのものを渡しあう。
ひろとには、香港の長女、次女、なつめ、ばぁばから。 
ひろとが「これで9つや」 いっぱい抱えている。 ママやゆいちゃん、クラスの子からみたい。



なつめの園ではチョコOK,帰るまで先生があずかって帰りに男の子や女の子、先生に渡すそうだ。
なつめもママと昨日は夜遅くまで手作りで男の子、女の子、先生に渡したようだ。
「女の子のお母さん、大変やね」って、もらった男の子のお母さんが言っていたそうだ。

夫は殆ど身内、しかしいくつになっても、この日チョコを貰える男性は、ちょっとした優越感かな、義理でも何でも。
私もVセーターとチョコをプレゼントした。 
私の前で開けた夫は、手紙を見て気恥ずかしいのか、急いで箱の下に置いた(読んだのか読んでないのか)

3才のかんたに「かんちゃん、保育園でもらったん?」 「かんちゃんはまだ早いねん」 
担任の先生3人のうち、一番好きなの==先生とママと、同じ組のは==ちゃんと結婚するんだそうな。
「あ、ママはとうちゃんと結婚してるから、じゃぁの==先生と結婚するわ」  
「先生に指輪こうてあげるねん」 次女が「指輪高いで」と言ったら、「ばぁばの指輪もらうねん」
「あかん、これは(40周年記念で)じぃじが買ってくれた指輪やねんから」 
かんたも同じように、長女、愛ちゃん、ゆいちゃん、ばぁば、次女、なつめからもらった。
息子や展君にもみんなから贈った。

バレンタインデー・・
チョコが行き交う。  心をこめた、愛のおくりものが。

 

**************************************************************************************

【海遊館の生き物たち】

「赤い糸で・・あなたを」