日々雑感 ~写真と思い~

今日と言う日は、二度と来ない。 
だから今日を大切に・・そんな私のデジカメ散歩 

* oh.no! *

2022年02月26日 | 風景・お出かけ

私、可愛くない。

昨日夫が、ウォーキングと、かして、自転車で出かけた。 運動不足、筋肉の衰え、歩行も年寄り臭くなった、腰まげて、それは私も。
(スマホで写真撮ったら、ブログの画像フォルダに入れてあげる) 恥ずかしながら、先達て初めてそれをやってみたのだ。
せっかくのスマホ、PCに向かわなくてもスマホの写真で画像がとりこめるし、便利。
夫が画像さえあれば部屋でぼつぼつ更新できるので、夫のノーパソ、18ケ月ぶりにデータだけ残し、初期化して使えるようにした。 
(いつも占領されている私のPC、使いたいから)

二年ぶりの卓球仲間に会い、立ち話に花が咲いたようだ、そのままの笑顔で帰ってきて嬉しそうに話してくれた。
良かった、楽しいことあって。 私、足腰今は一緒に歩くの無理だし。

昼下がり「さぁ今日も行って来よ」夫のつぶやきが聞こえたので言った。 「友達に届けるものがあるから、送ってもらえない?」
海遊館近くまで、自転車で行くつもりだった。 実のところ半分頼もうと思っていた、いいよと言うのが分かっているし。
「ええよ、帰りあんたも歩くか?」「私は・・車に乗って待っとく」「そうか」 
可愛くない! 夫のブログ見て(菜の花咲いてる・・撮って見たいわ)と思ったくせに。
「じゃあ行くで」「うん」 私、とっさにカメラをカバンに入れた。  
助手席で、(歩くわ一緒に、撮りたいして、なんで素直に言わへんかったん私、普通にそれくらい言うやん)カメラ持ったくせに。

車から降りて先に歩いた、夫の方はすぐに追いつくと思ったので、振り返りもせず。 (冷たい!それ何?)
勝手知ったる庭、八幡屋公園。 ぽかぽか陽気でコロナ禍でもすごい人、家族連れ。 そりゃぁみんな外の空気吸いたいよね。
もうひと月もしないうちに公園は・・桜満開の時を迎える。 
長男家族がお嫁さんの実家のある鹿児島へ引っ越す前の日、お別れのお花見をした、桜の下で。
もう7年になる。 そんなことを思いだしながら、菜の花・・水仙。 夫の事は忘れて撮っていた。

「何回ここへ来たか?」てっぺんのベンチに座った夫が声をかけた。
「何を言ってんの、数えられないくらい来てるよ」一緒に座って気持ち良い陽ざし浴びながら、心地よい風を楽しみながら話した。

なんで一緒に登らへんかったん?私。 もともと私とは歩幅違うし、前から夫は私を待って歩かないし。
写真撮りに出かけたときは、夫は風景を撮り、私は花を撮る。 自ずとすぐにばらばらになる。
カメラを構えた、が・・やってしまった! カメラが違う! ミラーレス・・ファインダー覗くぶんではないのだ。
ファインダー覗いて花と向き合う瞬間が好きなのに。 

帰宅後、PCにとりこんだ。 トップに載せられるのが一枚もない! すごいわ、おてんとうさまは。 私を見抜いて反省させたわ。
「私、菜の花撮りたいわぁ、一緒にあるく乗せて行って」なんでこんなひと言が言えなかった?

30代の頃世間で言うあれ「もし、生まれ変わっても私と一緒になってくれる?」お決まりの言葉を聞くんだと思っていたら、
「いいや、今度は可愛げのある女と一緒になる」(うっそー!!)
けど、可愛げのある、そんな女になりや・・と言う私への愛情だと思ったのに。私どう! たまにそれを思いだす。 

今日の写真、アウト。 素直じゃない、可愛げのない私・・車に先に着いて撮った歩道の木の写真、見たら・・
oh! no! と、左の木。 右の木も(あんたはん、なにそれ)私に言う人のジェスチャーに見えた。

   たのしみは まだ健全な アッシー君 私のせ余裕な 顔をみるとき  
  (よく言うのだ、いつまで乗れるかなぁ・と)


* がんばらない (草稿中だった過去ブログをアップしたら・・) *

2022年02月25日 | 雑感


お医者さまで、作家でもある私の好きな鎌田實さんの笑顔が入った写真の広告が新聞に載っていた。
残しておこうと思って切り取ったので書いて見た。

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がんばらない。 がんばりすぎないのが、いいんです。

からだの衰えや、病気、それにまつわる介護。
誰にでもやってくるものだからこそ、
すべてを前向きにとらえた方が
いいと思うのです。

シニアになっても、自由に外に出かけたい。
介護する人、される人になっても、
笑顔を忘れずにいたい。

そんな毎日を実現させるコツは、
「がんばりすぎない」こと。

人やモノに頼ったり、
ちょっとした工夫をすることで、
からだや心の負担は、ずいぶん軽くなるものです。

自分らしく、豊かな人生を楽しめるように、
肩の力を抜いた「がんばらない」生き方。
もういちど、考えてみませんか。                 

・・エールの・・ントの広告より転載。

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これは「がんばらない介護生活」を応援するメーカーさんの広告にあった言葉。
大切な言葉であろうと思う。
誰もがそんなに強くはないけれど、でも対処して行かなくてはならないときには、やはりこのような思いは大事だと思う。

東北の人たちに「がんばって」と言うのは酷だ、充分にがんばっているのにとかを良く聞いた。
すでに日々病気と闘いがんばっている人に、更にがんばってと声をかけるのにはためらいがある。

しかし・・人によって事がらによって、場合によっては「がんばって」は励ましのかけ声になる。
母は電話の後必ず「がんばろうで」を言う。 あんたもがんばりなさいよ、母さんもがんばるから・・の思い。
私も良く言う「がんばろうね」 それは人に言いつつ、私もがんばるよと自分に言い聞かせている思い。 
自分にも言う「がんばろう」とガッツポーズ(ガッツは死語?)かな。 良く言う、心の中で。
昔から、がんばろう・・の言葉は好きだ。  自然に言える、今は。  

でもいつか、この広告のように言い聞かせることがあるかも知れない。

先日、今は亡き高齢の神戸の夫人のことや日々することが溜まって行くことを半分嘆きながら夫に話していた時、
「そんなにがんばらんでもええやん、肩の力抜きいや」 
                 (2018年)

   たのしみは 予定無き朝 麻雀の 誘いににやりの 夫を見るとき  

(今は 不謹慎です・・が・・元気で留守が嬉しい私です)


* バレンタインに寄せて *

2022年02月14日 | イベント


一番下の妹の手作り 「バレンタイン」 因島公園内にあるホテルいんのしま(旧いんのしまロッジ)に飾ってあるそうだ。 
毎月、季節や行事で彩る趣味の、折り紙細工である。 
姉もすぐ下の妹も、三人とも手先が器用、母はとても器用、なのに私だけ不器用。 嘆かわしい・・女らしくない。

白のマーガレットの花のハートの中にポッキーが見える。 スマホで送って来た画像だったけど私、見つけた。
バレンタインに寄せて・・アップする写真、ないので借りた。

昔々から、バレンタインにもらうチョコ、嬉しげに自慢げに喜んで並べていた夫。(えへん!) まるで勲章でももらったかのように。
男性にとっては、チョコが苦手でも、もらうのは嬉しいようだ、たとえ飲み屋のおばちゃんであろうが、義理チョコであろうが。
年々老々、数は少なくなってきた。 しかし欠かさない年中行事、家族だけだけでもあるから嬉しいに違いない。

かつては・・



夫婦あちこ傷みやほころび、膝や腰や腕や手や・・少々向き合っている。
同病相哀れむ・・。 自分に痛みがあればこそ、相手の痛みも分かる・・、良かった。 
が、目が見える、耳が聞こえる、しゃべられる、歩ける。  これが幸せと言うものだ。 
チョコレート、今年ももらえて良かったね、夫。 勲章だよ、家族の為に働いていてくれたんだもの。
家族は贈るよ、いつまでも、バレンタイン。 


 たのしみは 今年も並べて チョコを撮る 夫のゆるんだ 顔をみるとき *


* 橘 曙覧(たちばな あけみ)と言う人 *

2022年02月12日 | 詩・エッセイ・短歌・小説


私はなぜか、マーガレットの花が一番好きである。 花は大抵はなんでも好きなんだけど。 高貴な薔薇も道端に咲く花だって。
艶やかでなく可憐で質素に見えて、それでいて何かしら目立たないようではっとさせ、惹きつけるものがある気がして好き。

先日8日の朝だった、月刊誌清流(1995年)の本の中「心のヒント」に上廣栄治先生が書かれてある「家族そろって食事をしてますか?」
ー家族と個人ー のページ。 歌人、橘 曙覧の事が書かれてあった。 

橘 曙覧 福井の街きっての富豪家に生まれ乍らにして35歳で財産も家業も義弟に譲り、山里に藁家を構えて、清貧のなかでと歌道に専念した   と書いてあった。
彼は歌で特に「独楽吟(どくらくぎん)」52首でのみ、名を知られている歌人だそうである。

たのしみは 艸(くさ)のいほりの 筵(むしろ)敷き  ひとり心を 静めをるとき
   
  この一首で始まり、あとの51首が、みな「たのしみは」で始まり、「~するとき」で終わるのだそうである。

たのしみは 妻子(めこ)むつまじく うちつどひ 頭(かしら)ならべて 物をくふ時

  私が心動かされたのは この句である。 財産も捨てて・・のお方にしてなんとほのぼのとした食を囲む妻子の姿を 楽しんでいるさま
 彼はそんな光景の頭ならべて・・の言葉の中に、なんともいえない家族の
幸せを感じているのであろう。 
   
 たのしみは 機(はた)織り立てて 新しき ころもを縫ひて 妻(め)が着するとき

 たのしみは 昼寝目ざむる 枕べに ことことと湯の 煮えてある時
 
妻が織ったばかりの新しい衣を嬉しそうに見にまとう姿を嬉しげに眺めている自分 それを楽しみとして・・なんと愛情深い歌であろうか。
そしてまた昼寝から目覚めた心地よいときの家の音・・ことこと湯の煮えている何気ない音の中に なんとも言えぬ家の穏やかさと平和。
日常の中に、家族のありかた、家族の和を彷彿とさせる温かな心が溢れている気がした。 好きだなぁ・・こんな歌。
”たとえ「ひとり」と言ったときでも、家族全員を前提としての「獨楽」獨楽吟52首はすべて家族の団欒の歌といってもいいと書かれてあった。
生涯、慎ましい暮らしを続け、57歳で世を去ったと言う曙覧に マーガレットを重ねたのかも知れない。

昔日本の国は「大和」と言われていた。 そして子供の頃食事は丸いちゃぶ台だった。 
家族がこの丸いちゃぶ台を囲み、家族みんなして食を囲む、みんなの顔が見えた。 それが「大和」の和、
私もそんな時代に育ったので情景が浮かぶ。
その頃母が「家族の和が大事」と日常良く口にしていた。 なんとなく聞いて育った私だけど、子育てをし、年を重ね72年になるけれど
今、人として一番大切な事柄、心って「和」でないだろうかと思っている。 親子、夫婦、兄弟姉妹、友人知人、縁ある人々・・人の和。

私はこの曙覧の短歌を読んだときひらめいた。 この家庭的な句、温かい歌、この方は生きていく中でそんな一句を詠み上げている訳で、
それっていつもポジティブに生きているのではない? そんな気がしたのだ、それって自分をそのような生き方に誘って行くのではと思った。
我が家も今は全員でほぼ毎日、夕食を賑やかに囲んでいる。
私も詠んで見ようかな・・無理無理! いや、努力せずにやめるのもね。 気づいたと言う事は挑戦? 行けるところまで。

迷う時は五段活用様・・やろう やらない やります やるとき やれ 

そしてその夜、一句

 たのしみは 家族で囲む 夕げどき 笑顔と美味しいの 声をきくとき 

と書いた。 一日は早い、!!昨日抜けた!(早!) 追いかけないと・・ 追いつくかな、逃げる二月の速さに。 挑戦は続いている。


* 針? 張り詰めた・・ *

2022年02月08日 | 雑感


新型コロナオミクロン株。 感染拡大に歯止めがかからない。 
昨年まで周りに無かったのに、身近に感染者の声を聞くようになった。 迫ってきている、確かに・・間違いなく。 

受験生には、無情のコロナ・・三年目である。 

北京五輪を時々横目に、いえしっかり見るときがある。
この時の為に四年をかけて練習に練習を重ね自分を磨き高めて来た選手たち。 それぞれの結果に、悲喜こもごも。
「四年間一度も楽しいと思える日はなかった」何がそう言わせるのか、言葉が出ない。
厳しいのは分かっている、誰よりも選手は。 自分が選んだ好きな道なら乗り越えられるか・・と思うが・・背に負うものの精?
「楽しくやって来た」と言う。 厳しいからこそ、その中には喜びもあり楽しい時もある・・はず。 それを見つけながら成長していくのでは。

とにかく四年間の最終章、スタートを待つ張り詰めた瞬間。 スタートの合図、私も緊張する。
緊張している、コロナに感染しないように。