日々雑感 ~写真と思い~

今日と言う日は、二度と来ない。 
だから今日を大切に・・そんな私のデジカメ散歩 

* 新しき年へ・・ *

2022年12月31日 | 雑感


いよいよ令和5年に向けてのカウントダウンである。

ゆっくりとふり返る余裕はなかったけれど、色々なことがあった。 本当に色々あった年だった。
あったけれど、その後は「でもおかげやね」がいくつも重なって、笑顔で言える「おかげさま」の言葉に繋がった。 
だって今こうして笑って生きているのだから。 間違いなくおかげさまなのである。
結婚記念日の翌日は大変な出来事、でも誕生日の翌日は本栖湖や日本平からの富士の絶景を眺められた幸せ。

家族のいない人はいない、自分がいると言うことは親がいたからと言うこと、子供のいるいないは別として。 
73歳、ここにきてなんだろう、人生って・・、これからの人生って。

やはり・・家族、いちばん身近な家族が、温かさを家庭に感じるそのことに・・家族が向かうその働き。
何が幸せかと言えばもうそこにつきる、私は。 でないと(色々あったけれどいい人生だった)と言えないと思うから。
家族みんながみんなを思い、それが嬉しくて楽しいと思える・・そんな居場所、その努力が人生の意味かな。

その過程の中でブログは私に、喝を入れてくれたり、励ましになったり、共感したり、笑ったり、ともに泣いたり。
年のはじめに復活したブログ、思うようには書けなかったけれど、私にとっては自分を温める居場所だった。
ここにきて一番申し訳ないのは、稚拙なるブログでありながらいいねを押して下さった方々にコメントが残せなかったこと。
書くコメントを頭に描きながら見せて頂き、読ませて頂いているのに。
新しい年にはせっかくのご縁である、少しでもコメントをさせて頂かなくてはと思っている。
やり残したことはそれだから。

外に出る事を増やそうと思う、自分が元気になるように、家族の為にも、そしてブログを楽しむ為にも。
それと、夫をはじめ家族や人々のいいところばかりが見えるようになりたい・

49年前の結婚式にご出席頂いた皆さんが書き残して下さった”ウェディングメッセージノート”がある。

力強い達筆で「健闘を 心から 祈る  静雄」ページいっぱいの。世界一好きだった亡き父のメッセージ。
私にはいっぱい言葉を残してくれたのに、端っこに小さく「今の気持ちを 大切にね  母より」

父の健闘を・・に涙が出る。 両親の願い あらためて 心にとめて今日から・・反省だらけだけど。

おいで頂く皆さま お心いっぱい・・の日々をありがとうございました。
そして令和5年も、楽しいおつきあいをいただきますように、どうぞ宜しくお願い致します。

年始のご挨拶は、喪中につき 控えさせていただきますね。

寒さ厳しき折ではありますが、どうぞ良いお年をお迎え下さいませ。           みく 


* 母は背に・・ *

2022年12月27日 | 雑感

 

 

 

 

 


11月の終わり 姉や妹たちは実家に集まった。

8月旅立った母、2年前に亡くなった兄、コロナ禍故に見送る事も出来ないままに、お墓参りを願っていたので。
それと、母の着られるものや、作品があればとお姉さんが帰省を了解してくれたのである。 
何しろ100歳である。 4姉妹、母へのプレゼントのもの洋服など、新しい衣類、箱のままの洋服もあるようで。
その夜カメラで「みっちゃんこれどう?」妹が画像を送ってくれた。 「皆がいいかなと思うものをお願い」

なんで私に声がかからなかったのかと内心すっきりしなかった、が・・。
母が亡くなる3日前退院したばかりの夫と危篤と聞き帰省し、窓越しにだが面会できる妹が母に声をかけて
母は反応してくれた。 兄のお墓参りも出来たし、夫の実家のお墓参りも兄夫婦にも会えた。
その時お姉さんも会ったから労いも感謝も言えた。
お姉さんが言うには退院したばかりの夫よりも、私の方が体調悪そうで案じ、帰省することを拒んだと。
そんな心配をして下さっていたのだ。 知らなかった。 すごいと思った。 

姉や妹が帰宅後、4人が毎日やりとりしているスマホのグループラインで申し合わせたように 
「ばぁちゃんのちゃんちゃんこ暖かい」と書いていた、(どんなんやろう)みんなの嬉しそうな顔が浮かぶ。
いいなぁ・・私も欲しいなぁ・・。 私の体調をかんがみて呼ばれなかった私は少し寂しかった
ちょっと羨ましかった。 お姉さんから電話があって、「みくさんのもとってあります」 

間もなくお姉さんから母の形見分けが届いた。 何枚かの洋服の中に、クリーム色のボアベストがあった。 
今すぐ着られるのはベスト、いわゆる皆が言うちゃんちゃんこ。 これはちゃんちゃんこ?
母は何度か袖を通したのだろうか。 私の好きなスタンドカラーのベスト。

昨日は4度目の母の月命日だった お姉さんを含めた5人のグループラインにメッセージを入れた
お姉さんはお嫁さんの具合が良くなくて、3歳の孫をあずかっていたが孫が発熱し、コロナだった。
自宅隔離。 お姉さんは翌日9度9分の発熱、検査の結果、コロナ陽性だった。
3年以上実家に帰られなかったけれど 大阪は感染者東京の次多いし、お姉さんはワクチンが出来ないので
母の為に私たちを警戒して、「帰らないで下さい」と言われていたのだ。 元気なうちに会わせてあげたい、
ご近所さんにも気を使うので断られたが、どんな思いでどんなに言いにくかったことだろう。
ワクチンしてない自分が感染してもしや母に・・もし母が感染したら・・、ひたすら母を守ってくれたのだ。
どんなに苦しかった事だろう。
母がいなくなって・・、自分だけならと安心されたのだろうか。

大晦日に向かう残り少ない日々、寒さがいよいよ加わって来た・・母のベスト・いえちゃんちゃんこ、
着たらすぐに暖かい、 ヒーター入っている? 厳しくも暖かい・・母の声を背に感じる、顔が浮かぶ。
姉妹4人。 毎日母を背に・・きっと冬・・元気に越せるに違いない。
母の言動には説得力がある、感謝がある、愛がある、お姉さんには・・ありがとう。 

良く、叔母や友人にも言われた。 「お母さんが生きているうちに、実家には帰りなさいよ」と。 
母も兄もいなくなって1人、お姉さんとは前より距離が近くなった気がする。 4姉妹そう思っている。

(分かった?) 母が編んだわんちゃん・・に言われた。


* クリスマス変遷・・ *

2022年12月25日 | イベント


我が家はみんな車でも15分程の所に住んでいた(過去形)息子のお休みが日曜だけなので、クリスマスは日曜。
息子家族は今は、お嫁さんの実家のそばに住んでいる。

4軒が持ち寄って料理、息子は料理人、お嫁さんはパティシエ、毎年クリスマスや誕生日のケーキは買う事はない。
帝塚山のお店で任されて、パンやケーキを作っていたので。 私達はとても幸せだ・・といつも感じた。 

子供たちが考えたクリスマス、私らは招待される。 
メインはおなかいぱいの食後の、サンタさんからプレゼント。 次女の婿がサンタさんの役目である。
いつの間にか部屋からいなくなり、隣の部屋で着替え、あちこちへプレゼントを届けベランダからやってくると言う、
そしてひと言もしゃべらない設定、本当のサンタさんと思っているので、サンタになりきって会話は息子が言う。
小学校になっても不思議そうにサンタさんの顔を見つめながら、ジェスチャーに真面目に答える。 
「いい子にしてたかい?」「はい」固まっている。 プレゼントをもらうと一気に笑顔、大人が一番笑える時間である。
「サンタさんはお父さんやん」分かったのはいつだったろうか。




娘んちに大きなツリーあるので引っ越すとき、処分しようかと思ったが、孫達が大きくなった分かさばるので、
飾る気配もなさげ? なのに2日前「飾らへんの?」ときた。 (え? 私がすんの? ロフトに母登らすんかい)
ツリーに欲しいもの書いて吊ってたなぁ、過去を思い出しながら全員が出かけた後1人で飾った、嬉し気に。


若い時は皆仕事なので行事ごとの料理は殆ど私。 もう世代の交代である。 
今年は有難い事に日曜日、ウィークデーなら私がしてしまうが、日曜は娘たちがしてくれる。 
オーブンで焼くローストチキンだけは、毎年私の役目。 今年は日曜で助かった=! 


孫が大きくなるとリアル、「かんはバレーボールが欲しいと思う」と娘が言うのでネットで注文。
包装してプレゼントしたら大喜び・・部活からの帰宅友達と公園で遅くまでバレーボールしている。
高一の孫娘は夫に聞く「じぃじ予算はいくら?」自分でネット注文。「じぃじ有難う!」 あっさり。
婿から息子へはゲーム買うカード、娘には できるリーダーは、「これ」しかやらない メンバーが・・・・・の本だった。
鹿児島チームには、娘たちと考えてみんなにプレゼント、パパママにも1年間ご苦労さまと、お年玉も添えて。
「ひとりで行ける?」大きな箱を夫がコンビニへ(最近頼むようになり行ってくれる)過保護解禁。
私たちもプレゼント交換をした。 いいよいいよと言いながら、年を重ねてもプレゼントは嬉しい。 
やはり行事、食は家族を繋ぐカテゴリ。 サンタと思っていたことさえ、話しにも出なかった今年のクリパである。

🍰を食べた後、今日までだと言う中之島の・・、大の出かけたい派の孫娘がやいやい言うのでみんな出かけた。
お出かけ大好きな夫のDNAだろう、大の苦手な私は、ひたすら片付ける人。 

みんなが集まる・・食べる・・賑やかに出かける後ろ姿・・それで私は満足。 

 


* 寒くても暖かい・・ 冬至 *

2022年12月23日 | 行事


今朝4時玄関の外に出たら、あられが降ったんだろう‥アスファルトが街灯に照らされてキラキラ光っていた、
見あげたら雪 さらさらっと落ちてきた。 冷たい! 今日は全国的に大雪に見舞われたりとか極寒のようだ。
岸田さんが不要不急の外出は控えるようにと言っている。 三年近く何度耳にしてきたことか、コロナ禍に。

一昨日の夜、22日は冬至・かぼちゃは必ず炊くが、晩ご飯はブロガーさんが美味しそうにおでんを煮込んでいたので、
(これにしよ!)と決めていた。 昨日朝孫たちが学校へ行く前、いつもより早くリビングにあがった。
「おはよう! 今日は冬至やから今夜はおでん!」 娘が「このあいだしたし」「そやねんけど、んがつくのん
色々あるしさぁ、ダイコンやろ、こんにゃく、ゴボウテン、はんぺん、餅きんちゃく・・おでんあかん?」
「うどん!」中一の孫息子が言った。「おうどん?」 何しろ、丼物大好きでカツ丼、牛丼、豚丼、親子丼・・、
年中おうどん大好き人間。 「ん、がつくやん!」 なるほど。 しかし夕食におうどんは不評だ。
「冬至に、ん、がつくもの食べたらいいことやって来るねんよ」 「なんで?」 「昔はいろはにへと・・やったやろ、
ん、で終わるから終わりの後はいいこと来るんだって。 冬至を境に運気を上向きにさせる為に厄除けにかぼちゃを食べる」
学校で先生が「今日は冬至、誰か知ってる人」とか聞くかもなのでしっかり聞いてくる。
今日は夜が一番長くて、昼間が一番短いんよ」
特に賑やかな朝だった。 風邪をひかないように血行促進のゆず湯は当然している。
「そう言えば、お風呂のバブさぁ、昨日ゆずを買ったわ!」と娘。「良かったね!」別に褒めるものでもない。
「かぼちゃには、んがつかへんで」「ナ!」
孫息子に押し切られ夜は”ん”のつく、おうどに決まった。 後は稲荷ずし、巻きずし、んがない!
スーパーでレ、糸こにゃくを買って、きぴらをした。 

かぼちゃを炊いてるの忘れて荷崩れしそうになった。 おうどんには肉とかき揚げのテプラ添え。 ゆず七味。
公園で友達とバレーしてて少し遅くなって帰った孫息子、走って帰ったので暑い暑いと裸になって食べている。
孫娘は生まれる前から5年同居していたからか、和食を好む。 かぼちゃもきんぴらも翌日のお弁当の一品にと娘。
「裸って元気やなぁ・・ナンキン、絶対食べなあかんよ、運気が上昇するねんからね」「何で知ってるん」
「そりゃぁネットのお陰よ、かぼちゃを食べるのは厄除けだって」

冬至でにぎわった夜、寒くても暖かい夜だった。 たわいないことでも盛り上がる我が家。
みんなが、病気をせずに(病気持ちいるけれど)それなりに、元気でまた一年を過ごせます様に・・。

私がこの様に行事ごとをずっと欠かさずやって来たのは、母を見てきたからだと思う、まさに親の背を。 
物の豊富でない昔、”家族の和が大事”と言いながら5人の子育てをしてきた母は、年中行事はこまめだった。
色々と工夫しながら行事ごとをしてくれた母、我が家のエンゲル係数はかなり高かったと思う。

祖母もいたが夕食の後はみんなでテーブルを囲み、駄菓子をつまみながら今日一日を話す、いわゆる団らん。
年中行事に至っては思うに、家族で集まる、同じものを食べる、みんな笑顔になる、笑顔にするのだ、食は。
母を見てきたし、いつか嫁ぐであろう娘達にも、見せておかなければいけないとの思いでやって来た。
今時ひいらぎに鰯・・なんて、飾っている家を見ることが無い、七夕飾りも。 

思えば母が行事を大切にしてきたのは、”家族の和”作り作戦だったかも知れない。 
ナンキンだのゆず湯だの・・家族でわいわい言いながらの冬至の日の一日だった。 

今日はあられが何度となく吹雪いたりして、とても冷たい一日だった。 今夜もゆず湯をした。
京都の夫の友人から、北野天満宮の新年御祝いの大福梅、大原にわざわざ出向いて下さった
”志野さんのゆず味噌ドレッシングが届いた。
ゆず、ゆず、ゆず・・荷物をあけたとたん笑顔になった。 有難い贈り物である、感謝!


* 焦っている・・ *

2022年12月21日 | 雑感


焦る・・焦っている。

昭和48年結婚した当時、近くに産科の医院があって募集していたので面接に行った。
院長先生が「大丈夫か? 結婚したら女の人は勤め始めても、すぐできちゃいましたやからなぁ」
「大丈夫です、働かないといけないのですからせめて一年くらいは」
「鍵かけとっても泥棒は入るんやで」意味わからなくてポカーンとしていた私。

2週間後つわり・・いわゆる。 先生が笑いながら「なんや・・まぁ産むまでサポートするから頑張って来てや」
先生を始め、仲間も患者さんも好意的で、何しろ産婦人科・・産むまで勤めた。
夫は毎日麻雀、布団のあげおろしもしてくれなかった。 と言うより、母を見てきたし「尽くしなさいよ」と言われてたし。
毎日靴磨いて、アイロンかけたハンカチ、お風呂あがりは着るものから順番に置き、帰りが遅くても起きて待っていたし、
起きない夫の靴下まではかせたことも。 お弁当作りも欠かさなかった、おなか大きい時くらいと思いしも妻のつとめ。 
遅い帰りを待つとき、帰宅した夫の顔をみるなりほっとしたのかはたまた不足からか、つわりでいつもトイレにかけこんだ。

長女が生まれ生後に2ケ月にして「うちで寝かせてたらいいから」と言われ、泣いたら母乳やおむつ替え、分娩室にいるとき、
鳴き止まぬ娘を背中に負ぶって「もう少しですよ、頑張って!」患者さんのおなかさすっていたりした。
奥様が乳母車で散歩や、待合室の患者さんも相手したり面倒をみてくれた。 長女は沢山の人の愛情いっぱい受けて育った。
2つ離れて長男が生まれた。 さすがに退職、お弁当作りも欠かさなかった。 してあげたいし、夫は私がして当たり前、
悪気はないけど夫のすべき・・が気がつかないし分からなかったのだと思う。 頼めばしてくれたのだろうけど。
ついに目の前のつま楊枝さえ「取って」と言う人になった、妻の用事・・爪楊枝。

以前”夫のトリセツ”に、男は昔から今日は何の獲物を採って家族に食べさせようかそればかり考えていて気がつかない。 
家庭の用事の大変さを見て気がついたらやってよと言う妻に「言ってくれたらやったのに」が夫らしい、そうかうちもそうだ。
洗濯機壊れた直すの私、家のことあちこち破損、やるの私、私の方ができる人になってしまった。
「それくらい気がついてやってよ」「言ってくれたらやったのに」

ある時娘達から言われた。 
「今の時代、どっちが先にどうなるか分からないよ、お父さんも家のこと出来るようにしないと困るよ後で」いいこと言う。 
レンチンもまともに出来ない、魚はさばくけど。 洗濯機も使えない、蕎麦は打つけど。 チェストに下着とかシールを貼った。
少しづつ家事に参加、お風呂掃除を頼むようになった。「ありがとう!助かったわ」そのくらいで私べた褒めするのに、
”人には愛想するくせに 妻には言えない ありがとう” なんで? いえ、思っていても言えないのがその時代の人、仕方ない。
心根の優しい人なのに・・言葉にしたらもっと素敵なのにね。 

・・・て、最近同居の娘が言う、言いだした。 
「母さんが何もできひん父さんにしてきたんよ、手がかかる父さん面倒用見ないよ、お母さんが後に残ってよ」と。
もっとも。夫が残ったら娘の用事が増え負担が大きい大変である。 私はどんなに足腰が・・と言っても家事が少しは出来る、確かに。
そう言いつつ娘の夫への心遣いは私より純粋のような気がしている。 人の悪口言わないし、お年寄りも子供も大好きで優しい。

8月4回目のワクチンの翌日から40度近い熱が下がらなくて、歩くことも食べることも出来なくなり、声もかすれてきた。
サポートセンターに何度電話しても、「もう一日様子を見てください」 三日目思い余って真夜中に救急車、玄関に座り込み
「受け入れ先時間かかりますよ」折れ線グラフの夫の熱や症状を書いた紙、お薬手帳やら見せた。 一発でかかりつけの大きな病院が
受けてくれた。 ここには何度も入院手術した夫の全てのデータがある。 
病院でもすぐに熱下がらず病院から説明しますの連絡に出向くとき死ぬんじゃないかと娘達と泣いた。 
1週間で退院できた幸運な夫であるが、体重が8キロ落ちた、筋肉も。 誰よりもしっかりありますと言われていた夫なのに。
ゴルフも飛距離がでなくなった。 一気に減った食が今やっと戻った。 嬉しそうな夫・・私も嬉しい。
体重が落ちた分、目がへこんできた。 「亡くなったお母さんにそっくりになったね」と娘と笑う。

落ちた体力「悔しいなあ・・」とつぶやきながら、一生懸命筋肉をつけたいと、ストレッチや素振りや運動をしている。 
カウンターの中で夕食の準備をする私の目の前で、ふうふう言いながらチェストに手をつき体操している。
熱しやすく冷めやすいB型の私と違い、やると決めたら即実行、コツコツと継続する几帳面なA型の夫である。
(負けられない! 私が残るんだ!)そう思いながらも、やったりやらなかったり、私ちゃらんぽらん。
ハルメクの菊池体操何ページも切り取ってラミネートしてファイリング見ながらしているのに、続かない!
「母さんが残ってよ」いつか夫のいる目の前で娘が冗談めいて笑いながら言った。 
「そうやなぁ、わしがおっても手をかけるばかりやからなぁ、その時は施設に入るわ」苦笑いする夫。 複雑な私。

焦る・・だからと言って真面目に続けもせずに・・だから、焦っている! 
夫の方が、生きたい・・気持ちが大きくてすることして頑張っている。 同居して二年半になった。
みんながみんなの一日を把握しながら、孫たちともしっくり頼りにもされながら楽しく暮らせるようになった。
今その事が嬉しくてたまらない、が喜んでばかりおれない。 私には目的があるのだ、夫を見送ると言う。
露骨に言わずに、こっそり足腰鍛えよ、自分を労われよ、障害もないのに転ばぬように、階段から落ちないように。

6時を過ぎた。 私の背で夫の寝息が聞こえる、時々何か言っている。 (長生きしたい・・)って夢見てるんかなぁ。
夫は一生懸命に頑張っている、私より頑張っている、レンチンできなくていい、私が残れば・・いい。
夫は”生まれ変わったら、今度は可愛げのある女と一緒になる”と言った、40代に。 私には宿題が残っていた!
反省だらけの毎日、反省だけなら猿でも出来る。

焦る・・、焦っている。
人と過去は変えられないけれど、自分と未来は変えられる。 
12月は・・まだ・・10日もある。 
今からでも自分は変われる・・今日一日くらいは。 それを重ねて行けばいいのだ。 
夫と競争だ。