日々雑感 ~写真と思い~

今日と言う日は、二度と来ない。 
だから今日を大切に・・そんな私のデジカメ散歩 

* 橘 曙覧(たちばな あけみ)と言う人 *

2022年02月12日 | 詩・エッセイ・短歌・小説


私はなぜか、マーガレットの花が一番好きである。 花は大抵はなんでも好きなんだけど。 高貴な薔薇も道端に咲く花だって。
艶やかでなく可憐で質素に見えて、それでいて何かしら目立たないようではっとさせ、惹きつけるものがある気がして好き。

先日8日の朝だった、月刊誌清流(1995年)の本の中「心のヒント」に上廣栄治先生が書かれてある「家族そろって食事をしてますか?」
ー家族と個人ー のページ。 歌人、橘 曙覧の事が書かれてあった。 

橘 曙覧 福井の街きっての富豪家に生まれ乍らにして35歳で財産も家業も義弟に譲り、山里に藁家を構えて、清貧のなかでと歌道に専念した   と書いてあった。
彼は歌で特に「独楽吟(どくらくぎん)」52首でのみ、名を知られている歌人だそうである。

たのしみは 艸(くさ)のいほりの 筵(むしろ)敷き  ひとり心を 静めをるとき
   
  この一首で始まり、あとの51首が、みな「たのしみは」で始まり、「~するとき」で終わるのだそうである。

たのしみは 妻子(めこ)むつまじく うちつどひ 頭(かしら)ならべて 物をくふ時

  私が心動かされたのは この句である。 財産も捨てて・・のお方にしてなんとほのぼのとした食を囲む妻子の姿を 楽しんでいるさま
 彼はそんな光景の頭ならべて・・の言葉の中に、なんともいえない家族の
幸せを感じているのであろう。 
   
 たのしみは 機(はた)織り立てて 新しき ころもを縫ひて 妻(め)が着するとき

 たのしみは 昼寝目ざむる 枕べに ことことと湯の 煮えてある時
 
妻が織ったばかりの新しい衣を嬉しそうに見にまとう姿を嬉しげに眺めている自分 それを楽しみとして・・なんと愛情深い歌であろうか。
そしてまた昼寝から目覚めた心地よいときの家の音・・ことこと湯の煮えている何気ない音の中に なんとも言えぬ家の穏やかさと平和。
日常の中に、家族のありかた、家族の和を彷彿とさせる温かな心が溢れている気がした。 好きだなぁ・・こんな歌。
”たとえ「ひとり」と言ったときでも、家族全員を前提としての「獨楽」獨楽吟52首はすべて家族の団欒の歌といってもいいと書かれてあった。
生涯、慎ましい暮らしを続け、57歳で世を去ったと言う曙覧に マーガレットを重ねたのかも知れない。

昔日本の国は「大和」と言われていた。 そして子供の頃食事は丸いちゃぶ台だった。 
家族がこの丸いちゃぶ台を囲み、家族みんなして食を囲む、みんなの顔が見えた。 それが「大和」の和、
私もそんな時代に育ったので情景が浮かぶ。
その頃母が「家族の和が大事」と日常良く口にしていた。 なんとなく聞いて育った私だけど、子育てをし、年を重ね72年になるけれど
今、人として一番大切な事柄、心って「和」でないだろうかと思っている。 親子、夫婦、兄弟姉妹、友人知人、縁ある人々・・人の和。

私はこの曙覧の短歌を読んだときひらめいた。 この家庭的な句、温かい歌、この方は生きていく中でそんな一句を詠み上げている訳で、
それっていつもポジティブに生きているのではない? そんな気がしたのだ、それって自分をそのような生き方に誘って行くのではと思った。
我が家も今は全員でほぼ毎日、夕食を賑やかに囲んでいる。
私も詠んで見ようかな・・無理無理! いや、努力せずにやめるのもね。 気づいたと言う事は挑戦? 行けるところまで。

迷う時は五段活用様・・やろう やらない やります やるとき やれ 

そしてその夜、一句

 たのしみは 家族で囲む 夕げどき 笑顔と美味しいの 声をきくとき 

と書いた。 一日は早い、!!昨日抜けた!(早!) 追いかけないと・・ 追いつくかな、逃げる二月の速さに。 挑戦は続いている。


* 素敵な置き土産 ちょっと長いお話し *

2014年06月22日 | 詩・エッセイ・短歌・小説


「子供を産んだんやで、黒と茶色二匹お父さんは黒、お母さんは茶色見たんやで」
「逃げませんね、人が来ても。 たいていさーっと逃げるはずやのに」
デーサービスから帰ったお向かいのおばあちゃんと立ち話。
梅雨の晴れ間、さつきの木陰で猫ちゃん一家四人、いえ四匹は寝転んでいる。

高校時代、夫の家では猫を飼っていて夫は一緒に寝るとか言っていた。
結婚したとき猫はいなくて犬を飼っていた。 コロ。 年取って死んだ。
姪っ子がいたとき、犬を飼い始めた。 パピヨン種のラピちゃん。
愛くるしい顔のラピちゃん。 義兄さんはさほどでもなかったし、義姉さんもあまり好きそうでもなかった。
それがそれが、一端家で同居となると・・愛着が湧くもの、声もかけるし食べさせもするし、生き物だから。
そのうち義兄さんも毎日散歩するようになり、仕事から帰っても話しかけたり・・我が子と同じだ。
義姉さんにしても、段々と情がわいて散歩までしたりすると言う。 
姪っ子が結婚して、ラピちゃんはますます義兄夫婦に可愛がられている。

私はいくつだったか、子供の頃犬にかまれたことがあった。 狂犬病の注射もしていないと言うし、大変だったことが。
身体が弱く良く医者に通っていた今では考えられないような弱かった子供時代。
以来犬には構えてしまうと言う拒否反応を示した。 見るぶんにはいいが、抱けない。 
だからペットを飼うと言うことは、住宅事情もあったし飼うことがなかった。

たった一度、一緒に勤めていた看護婦さんから”パンダウサギ”をもらって欲しいと頼まれ飼ったことがある。
次女がまだ幼稚園へ行く前の頃だったと思う。 もうそれは可愛がっておなかに乗せたり、ウサギは泣いて近所に迷惑をかけることもなく、
夫や子供たちの本当にいいおもちゃのようだった。
1年半くらいで死んでしまった。 死んだことは知らせないで返したと言おうと言った私に、生き物には死と言うものがあること、
それを教えなくてはいけないと、帰宅した夜遅く寝ている子供を起こし、死んだことを話した。 子供たちは泣いた、私たちも。
もう夜十時も過ぎていたが、丁寧に箱に入れ近所の公園にまるでお弔いのように泣きながら五人がぞろぞろと歩いて行った。
土をかけ始めると一番可愛がっていた次女が、「砂をかけないで!かけないで!」と手でとめるように泣きじゃくり、
みんなもつられて泣いた悲しい別れだった。

あの後思ったことがある。
あの頃私と夫は、あることで気持ちにづれがあって、子供の前では見せないにしても、不穏な空気の中にいた。
パンダウサギが来て、ウサギを中心にして会話がなりたって・・家族が(夫婦が)一つになったのだ。
パンダウサギが我が家の救世主、だったような気がする。
(もう、私はいらないね・・みんながひとつになったし・・よかったよかった) そうやって天国へ召されたのだろうか。
以来、我が家では動物を飼うと言う事は一度もなかった。

三、四年前の天神祭りの日、息子夫婦がお祭りで来ていて夕飯の後、近所の天満宮の夜店に行った。
そこでひろとが金魚すくいでゲットしたのをマンションで飼っていた。 何匹か死んで一匹になっていた。

愛ちゃんが引っ越しの準備をしているとき訪ねたとき「金魚持っていけないしどうしましょう、飼います?」 
「いやぁ・・前の家の時金魚飼っててね、夏田舎から帰ってきたらみんな真っ白になってひっくりがえって死んでた
その姿を見て以来金魚も飼えなくなったのよ」 愛ちゃんは川へ流しましょうかねどうしようかと悩んでいた。

息子より先に愛ちゃん母子が鹿児島に行ってから、一か月半引っ越していく息子も直前まで悩んでいた。 
ひろとに電話でどうしようかと聞いたらしい。
「じいじのとこで育ててほしい」と言ったそうだ。
夫がそのことを聞いて即効「飼うわ」金魚の行先は決まり、引っ越しの前日二人で引き取りに行った。
「一匹は可哀想なので、足してやって欲しい」と言われた。
生き物だ、エサもやらなくてはいけない。
ひろとの思いで飼うことになった金魚、ひろ金魚と名付けた。

夫を見送る朝の玄関、二人して覗く。 エサをやるのは夫の役目にした。 
「待ってるなぁエサもらうの」「今日は元気やね、早く増やしてやらないと寂しそうだよ」とか言いながら、
金魚を二匹、お店の人の話を聞いて買った。 鹿児島へもRINEで動画を送って、ひろとやゆいちゃんと話したりした。




我が家の家族になって、四十日あまりになった。
色の薄いのがひろ金魚、買ったのは赤いのと尾っぽが黒いので分かりやすい。 
毎朝、「おなかが大きいんと違うか?」ひろ金魚の動きが鈍く、奥の方でゆったりとしているから。「どこか悪いんかなぁ」
ひろ金魚の動きが悪いので、心配した。 (だから飼うのはね・・もし死んだりしたらどうする・・) 
夕方のエサも帰宅した夫の仕事にしている。 「お! 元気いいやんみんな」「みんな元気ええやん」 
「うん、元気になったわひろ金魚」 心配したり、安心したり。
気が付いたらいつの間にか私たちは、この子この子とか言いながら話している。
帰宅した自転車の音がして玄関へ入った夫は、今までのようにすぐには上がって来ない。 エサをやってしばらく眺めているのだろう。 

住めば都・・じゃなくて、飼えば家族?
ひろとの一言で家族になった金魚。 
私たちは今、三(人)匹の金魚から目が離せない。
もしかしたらこの金魚が、二人の会話を増やしていい感じになるのではなかろうか。
金魚へのやさしさが、お互いへのやさしさに更に加わるのではないだろうか。

こころゆらゆら・・。 金魚・・ゆらゆら。 
初孫ひろとの嬉しい置き土産である。


* あいさんの詩集より *

2014年05月12日 | 詩・エッセイ・短歌・小説

 

~ 執着 ~

 病気さんが 言ったの

もう そろそろ 捨てようか


何を?


自分でも 少しは 気付いて居るでしょ


ん・・・ まぁ・・・


きついようだけど はっきり言うよ!


その こびり付いた 見栄や我!!


!!!!!



もう 半世紀生きて来たんだから 充分じゃない?

ん・・・ ん・・・ (汗)


自分で 勝手に作った 理想の自分


そんなの 追いかけて ステキ?


歳と共に どんどん老いて行く その顔 その体


様々な物への執着 勝手な価値観



分かっているの 分かっているの

心の中では 分かっているの


でも・・・

もう少しの間・・・


あなたの人生だから 強制はしないけど・・・


ん・・・


・・・・・


ねえ


無理に 捨てるのでは無く

いつの間にか 無くなってた


そう

そんな 形ではダメ?

そんなのでは ダメ ?


ねえ ? ・ ・ ・ ・ ・



2011年6月21日 

中に私がひまわりと孫たちを撮った写真をブログで見て、ブログのお友達の笠原道夫さんとあいさんがそれぞれに浮かんで作った詩、
それを再度載せて下さっていた。

あいさんのご主人様には(もちろんあいさんにも)お会いしたことはないけれど、孫たちですと言う意味で顔を隠さず写真を載せた。
写真をどこに保存してあるか、前のパソコンの中か外付けのハードディスクか、もう5年も前のなので探すのに時間がかかった。
幼い孫たちの顔、この中の一枚が”タキイの種”の”ひまわりと子供の笑顔”友人が応募して優秀賞をいただいた記念のものでもある。

出会いって不思議、出会いって必然。
彼女亡き後、写真詩集を作らせていただける幸せは、色んな方へメッセージとして届けられている。
あいさんらしい遺言である。
23冊目、明日の月命日に届く。


* 三冊目の句集 *

2014年05月07日 | 詩・エッセイ・短歌・小説

 
4月の後半、ブログの友達からご自分の写真を添えた句集が送られてきた。

心に風が吹くとき>のブログのお友達から。

だらだらと書き綴る私の記事とは違い、短い言葉の奥にいっぱい詰まった川柳は年々重厚で高嶺の花。
3冊目は、彼女の今の見えない言葉が見えてくるようで衝撃だった。

彼女の何気ないような日常や風景を切りとった写真が、句の情緒を倍加するようで、
私はかねがね(こんな写真が撮りたい)そう思っているのだ。 感性の違いを存分に感じる。

読んだときドキッとした。
贈られたその2日前にご主人を亡くされた友人の通夜と葬儀に参列したばかりだったから。よけいに身につまされた。
茶碗を割る音が胸に刺さるようだったあの日。 在りし日のご主人と最後の別れと思うと、その音は物悲しかった。

頂いた川柳・・自分事と重ねてしまう・・

以前の泣き笑いの彼女の歌と違い、言葉が出ない。

 

私にもいつ来るであろうそんな時のことを、本当に思ってみたりする年代になった今・・
三冊目の句集は衝撃だった。

だから・・大事、夫がそばにいる今が大事、今日が大事、今が大事。
「明日夫がいなかったらと思うと、今日を精いっぱいを尽くすのよ」
何年も前早くにご主人を見送った友人の言葉を時として思い出す。
年数をかけていい夫婦になる・・なんて未だに、確立できずにいるのだから。

必然なのだろう。 momiさんとの出会いも、送って来てくれたことも。
彼女のブログの川柳を読んでも、あまりに気持ちが手に取れるほど分かるのでコメントができないでいる。

お礼のメールの後
「みくさん、ご自分と重ねちゃダメじゃあん」なんて彼女らしい返信があって思わず笑った。
少しほっとした。

 


* 詩集22冊目 *

2014年04月11日 | 詩・エッセイ・短歌・小説

 


13日日曜日は、ブログの友達あいさんの月命日である。
土曜は出かけるので・・今回は早い目にとりかかり作らせていただいた。

今まで使っていたパソコンはXP、サポート終了と言うことで気になっていたがまだそのまま使っていた。
ワードは仕えるが、ネットにを切断しているのでブログも出来ない・ 
詩集の画像の取り込みは夫のパソコンでとって、USBメモリーへ取り込んで使用した。

今回の詩は、あいさん発病され、丁度1年たった5月の作品である。



10篇の中から、2篇・・載せさせてもらった。


~ 神様からのギフト ~

あのね 神様がね 
私のお尻に 
火をつけて下さったの
病気と言う  火を点けて下さったの

「も~この子は 何時までも この世に居られると思って
 こうでもしなきゃ お尻をあげない」

もの事を 後回しにしがちの私に 
神様は しびれがきれたのか
病気は 突然やって来た

のんきな私はそれを
右から見たり 左から見たり
寝転んでみたり
ひっくり返って見たり

かなりびっくりな
神様からのギフト

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みなさん
この世には まさかの坂が あると思いますが
人事ではありませんね
殆ど病気の経験が無かった私は
のんきに 構えていました

起こって来た事は
真っ直ぐに受け止めるしかありません
神様のギフトが
本当に 嬉しいギフトになる様に
心を向けて参ります。

これからも よろしくお願いいたします・・・

                      あい   2011年5月21日


 ~  今を大切に ~

明日も ある

あさっても ある

と 思うから

未来に 不安が

出てきたり するんですよね


明日を 迎えられるなんて

誰も 保障されていない


今日  今  この時が

わたし達を

生かしてくれているんですよね・・     2011年5月17日

病気とその治療の副作用からくる様々な身体に及ぼす状況と闘いながら・・・受け入れつつ・・自分を見つめながら
(これが病気を受け入れ、向き合うと言う姿勢なのだろう) 胸が詰まる思いで10篇の詩を読みながら作った。
ご主人様へ届けるメッセージにも思え、また多くの人たちに伝えるものではあるが、私自身へ言い聞かせる詩であるとも感じられた。

ご主人様はこの詩をあいさんやご主人様のご両親が眠るお墓のある、兵庫県のお寺それはお身内でもあるのだが、そのご住職さまからの
依頼で、詩をコピーされ届けておられるそうだ。  お寺の新聞やお話の中にも”あいさんの詩”は生きて伝えられているのだ。

彼女亡き後、このような形でご主人様へお届けさせていただく事柄は、偶然でなく必然・・のような気がしている。
あいさんとの出会いもまた。